第二話 深淵の王子様、入部許可を得る
念願の志望校に入学してから早二ヵ月。
電車通学にも何とか慣れ、新しいクラスも、ハイレベルな授業も、すっかり日常となった。
そして、新しい日常はもうひとつ。
「神崎さん」
鈴乃が次の授業の準備をしていると、“深淵の王子様”こと、神谷壮馬が鈴乃の顔をのぞきこんだ。目の前にきれいな顔が迫ってきて、鈴乃はきゃっと声を上げた。
「ごめん、驚かせた? そんなつもりなかったんだけど、ごめんね」
跳ね上がった鼓動をおさめるため、何度か深呼吸して、改めて壮馬を見返す。
「あ、何か用?」
平静を装って応対する。
「あの件、考えてくれた?」
「あの件って……?」
「部活」
「ああ、ぶかつ」
鈴乃は視線を泳がせた。壮馬は不服そうな顔をしている。
「僕が入っては困る?」
「そんなことないよ」
「それなら、入部届、出しも良い?」
鈴乃は押し黙る。本来、彼が自分の所属する部に入部することをとやかく言えるような立場にない。
部活は、誰にだって開かれていて、入部届なんてすぐ手に入る。それにどの部を書いたって自由だし、その選択に誰の許可も必要ない。だのに、彼は新入部員である自分になぜか了承を得ようとする。
「それは自由だよって、昨日も言ったよ? 私に許可なんてとる必要ないよ。私は一新入部員に過ぎないんだし。神谷くんが思うようにするべきだよ」
口からは正論が出てくるのだが、その実、拒否したい気持ちだった。なぜなら、心の平安のため。彼の距離感や破壊的な力を持つ笑顔が、鈴乃を酷く困らせていたからだ。
「僕は君の許可を得たい。君から入部届をもらいたい」
鈴乃の周辺の席のクラスメイトも遠巻きに壮馬を見て、苦笑している。
「……わかった。もらってきたら渡すね」
数日に渡るやり取りの末、ついに鈴乃は折れた。もう疲れた。この部活のやり取り以外にも、壮馬は何かと理由をつけて鈴乃のもとへやってきており、既にそれは一年A組の日常の風景と化している。
他クラスでも、壮馬と出身校を同じくする者たちから、“深淵の王子様”についに春がやってきたと専らの噂だった。
チャイムと同時に教師が入ってきて、壮馬は足取り軽く席に戻っていった。現在は席替え後なので、壮馬と距離ができたのだが、こうも休み時間の度に来られては、席が前後のときとさして変わらない。
授業がはじまって少しして、後ろの席から肩を軽く叩かれた。振り向くと、鈴乃と同じ中学出身の土野智己がクシャっと丸めた紙を渡してきた。短髪で色黒の野球少年だ。さっと受け取って、体制を戻し、膝の上で広げた。罫線の引かれたノートの切れ端で、≪神谷 だいじょうぶか?≫と書かれていた。どうやら心配してくれているようだ。鈴乃は振り返って、ありがとうの意味を込めてこくっと頷いた。
土屋智己は、中学時代で唯一、三年間同じクラスだった同級生だ。一年生のときから何度か席が隣になり、それが三年間も続き、何となく腐れ縁で気心の知れた友人となった。本人たちは知らないが、一時両想いだったこともある。智己の方は今も少なからず彼女を気にかけているが、鈴乃は気づいていない。
(あいつ、どうみてもストーカーだろ)
智己は壮馬の後ろ姿に鋭い視線を向けていた。