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第二十五話 深淵の王子様、脅される

 渡辺加恋が、神谷壮馬を待ち伏していた日以来、栞を失くして負い目を感じていた壮馬の表情は、更に苦悩の色を濃くした。

 鈴乃に対しては、努めて自然に振る舞おうとしてくれているようだったが、それはどこかぎこちなく、何かを考えこんだり、嘆息したり、新着メッセージを知らせるバイブレーションに素早く反応したりと、以前の壮馬の行動とは明らかに違っていた。

 そんな壮馬のことが心配なのと、時折過る加恋の姿も相まって、鈴乃自身も物思いに沈むことが増えた。加恋のことは、一度壮馬に聞いてみたのだが、「ただの同級生だよ。僕に聞きたいことがあるらしくて、連絡取って来たみたい」と説明されたのだが、その聞きたいことというのも具体的に話してくれるわけでもなく、余計にもやもやしてしまう。

 聞きたいことのあるという加恋は、初日以降二度、壮馬を校門で待っていたことがあり、壮馬はその度に鈴乃に別れの挨拶をして、彼女と行ってしまうのだ。

 恋人である鈴乃を差し置いて、綺麗な女の子と一緒に。

 別れ話を切り出されたわけでもないし、壮馬の鈴乃に対する気持ちが変わったようには思えない。だが、それは自分の希望的観測で、もしかしたら、壮馬の心は自分から離れ始めているのかもしれなかった。

 キノコのぬいぐるみ。

 鈴乃が好きなキャラクターだと思って、買ってきてくれた壮馬。

 でもそれは勘違いだった。

 もしかして、あのキノコを好きなのは、加恋なのではないだろうか。

 加恋が好きだと言っていたものを、鈴乃が好きだと勘違いして買ってきてくれたのではないだろうか。だからあのとき、誤魔化すような笑い方をしたのではないだろうか、などと考えては、それを振り払う毎日。



放課後。


「ごめん、今日は予定あって、先に帰るね」


 壮馬は時間がないのか、鈴乃にそれだけ言うと、足早に教室を後にした。

近頃、よく耳にする台詞。鈴乃の心が重く沈む。

 彼が行ってからすぐ、彩香と唯がドアから顔を覗かせ、鈴乃の姿を確認すると、急いで入ってきて、彼女の手を取った。


「すず、またあの子、来てるみたい。行ってみよう」


 彩香はまだ椅子に座っていた鈴乃を立ち上がらせて、鈴乃を見る。


「彼女のいる男を、待ち伏せするなんてやり方許せないよ」


 彩香に半ば引き摺られるように廊下を早足で進む。その後ろから小走りで唯が追いかけた。

 校門に着くと、既に壮馬と加恋が坂を下り始めていた。


「あの人たち、美男美女じゃない?」

「あれ、Y女の制服だよね? お迎えに来たんだぁ。お似合いのカップル」


 壮馬と加恋とすれ違った女子たちからそんな会話が聞こえた。

 つい俯いてしまった鈴乃の肩に、彩香がぽんっと手を置いた。


「行こう、すず」


 こんなに積極的な彩香は珍しいと鈴乃は思う。


(私が落ち込んでばかりいるから、あやちゃん、心配してくれてたんだ)


 鈴乃、彩香、唯は、少し距離を保ったまま、壮馬と加恋の後を追う。

 他にも下校する生徒がいるので、傍から見ても追跡しているようには思われないだろう。

 だが、しばらくすると壮馬と加恋は、駅に続く道とは別の、住宅街へ繋がる細い道へと進んで行ってしまった。道の入り口から二人との距離がもう少し開くのを待ち、再び尾行を開始する

(こんなことして良いのかなぁ)


 人を尾行するなど、褒められた行動ではない。

 それに、怖い。

 壮馬がどんな顔をして加恋と一緒にいるのか。

 それを知るのが、怖い。

 足取りが重くなった鈴乃を見て、彩香と唯をちらっと視線を交わす。

 そして小声で、彩香が囁いた。


「安奈とも話してたんだけどさ、もしかして神谷くん、何か弱みを握られてるんじゃないかと思って」


 鈴乃が驚いたように彩香を見返す。


「え?」

「憶測だけどさ。今までの神谷くん見てたら、すずにこんな仕打ちしない気がして。まあ、男心となんとやらとも言うけどさ。何かしっくりこないし」

「だから、二人の様子を見てみないとって、あやかちゃんと話してたの」


 唯は力強く頷いたあと、壮馬たちの進む道に目を向けた。


「あ、もう結構先にいる」


 三人は二人の姿を見失わないように、適度な距離を保ちつつ、追いかけた。




 閑静な住宅街。

 道と平行に水路が流れていた。

 水底は非常に浅いが、地上から三メートルの深さはある。

 時折、水鳥が遊びに来ては優雅に泳ぎ、小さな魚が光の加減できらりと光るのが見える。

 そこに掛かる、洒落っ気のない橋に、壮馬と加恋は2メートルほどあけて向かい合っていた。

 鈴乃たちは、丁度良い曲がり角から息を殺してその様子を窺う。


「ねえ、そろそろ決めてよ」


 加恋は蠱惑的な笑みを浮かべ、壮馬を見つめる。


「私と付き合ってくれるの?」


 壮馬は微動だにせず、その場に突っ立ている。

 だが、一方、曲がり角に隠れた三人は、加恋の言葉に衝撃を受けていた。


「僕には恋人がいる。君とは付き合えない」


 壮馬は感情の読めない声でそう言った。

 加恋は笑みを消し、壮馬に近づいた。


「わかってる。その子と別れて、私と付き合ってと言ってるの」


 壮馬は答えない。

 加恋はわざとらしく鞄を撫でた。


「じゃあ、いいんだ。捨てても」


 壮馬が加恋を睨みつける。


「大事なものなんでしょ? その、大切な彼女さんの」


 加恋は不敵な笑みを浮かべ、首をかしげて壮馬を見上げた。

 長い髪の毛がさらっと一房、顔の横にこぼれる。


「いいの?」


 畳みかけるように加恋はそう言って、壮馬の反応を待っている。

 壮馬は顔を背け、水路に目をやった。


「僕は君とは付き合えない。だけど、それは返してほしい。付き合うことはできないけれど……僕ができることなら何でもするから」


 遠い目をする壮馬に、加恋はけたけたと笑った。


「何でもねえ。じゃあ、夜中に来てって言ったら駆けつけてくれる? キスしてって言ったらしてくれるの?」


 壮馬は絶句する。


「《《何でも》》ってそういうことでしょ?」


 水の流れる音が微かにする。

 二人の会話を聞いていた鈴乃は壮馬の姿をぼやける視界でじっと見つめていたが、気が付くと曲がり角から足を踏み出し、壮馬のもとに駆け寄っていた。

 鈴乃は壮馬の腕にしがみつき、驚いて彼女を見下ろす壮馬を見た。

そして何度も首を横に振った。


「ソーマ、駄目。何の話だかわからないけど、そんな約束しないで! 私、壮馬がそんなことするの嫌だよ! 彼女の言う大切なものって何だかわからないけど、私にとって大切なのはソーマだよ! ソーマなんだよ!」


壮馬の瞳が揺らいだ。

温かな光が宿った。


「すず……」


 加恋が冷めた顔で二人を見て、ふんと鼻を鳴らした。


「それで良いわけ?」


 壮馬はキッと睨みつけるが、口は開かない。


「そう……それなら」


 加恋は何歩か後ずさって、さっと鞄のチャックを開けて、中から手のひらサイズの紙のような物を取り出した。そして、摘まんだそれを、手摺から腕を伸ばして水路に落とした。それは、ひらひらと宙を舞い、ゆっくりと落ちていく。


「……!」


 壮馬は水路に飛び込む勢いで、橋の手摺に乗り出し、伸ばした手で宙を掻いた。

 鈴乃はとっさに壮馬腰に手を回し、落ちないように突っ張る。

 水面前でひらりと翻り、それは水の中に落ちた。

 それは、トウカエデの栞だった。

 トウカエデの栞は、しばらく水の中に留まっていたが、そのうち水の流れに乗って、少しずつ流れは始めた。

 彩香と唯も駆けつけ、水路を覗き込む。

 壮馬は当たりを見回し、水路に下りられる場所がないか探すが、まっすぐ続いている水路にはそんな設備は見当たらなかった。

 壮馬は手摺に両手を置いたまま、しゃがみ込んだ。


「嘘だ……」


力なく呟く壮馬を見て、加恋は興味を失ったようにその場から立ち去ろうとする。

 だが、壮馬の横を通り過ぎようとしたとき、壮馬は立ち上がり、彼女の腕を取り、驚く彼女を見下ろした。その顔を見た加恋の口からヒッと声が漏れる。


「離して、離してよ!!」


 加恋はヒステリックに掴まれた腕を振りほどこうと、ぶんぶん振り回す。

 瞳に怯えた色が見える。


「ソーマ、やめて」


 鈴乃が言うと、壮馬は手の力を緩めたので、加恋は手を振りほどき、早足で逃げ出した。

 唯がしばし逡巡したあと、加恋の後を追っていく。


 「すず、ごめんね。取り返せなかった……一度失くしただけでも罪深いのに、二度もこんなことになるなんて」


 壮馬は震えていた。


「ソーマは、私の栞のことで悩んでたんだね。でも、もう大丈夫だよ。本当に。それに、ソーマのせいじゃないから」


 鈴乃は壮馬を支えるように立ち、心配そうな表情を浮かべてこちらを見ていた彩香と目が合う。


「私はゆいを追うけど、二人で帰れる?」


 鈴乃が頷くと、彩香は唯の後を追って行ってしまった。

 残された鈴乃は、壮馬の手を握り、駅に向けてもと来た道を歩き出す。

 それに合わせて壮馬も足を動かした。

 だが、終始無言で、俯いていており、歩みに自分の意志が感じられない。


「ソーマ?」


 時折声を掛けるが、壮馬は少し顔を上げるだけで、また下を向いてしまう。

 何と声を掛ければ、壮馬は立ち直ってくれるだろうか。

 鈴乃は言葉を探すが、気の利いた台詞が思いつかない。

 駅に着き、上りホームへの階段前に着いたが、壮馬は動かない。鈴乃は、彼の手を引いて、階段を上った。


(家まで送ろう)


 鈴乃は心に決め、人形みたいになってしまった壮馬と寄り添いながら、電車に乗り、彼の家までの道をゆっくり歩いていった。



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