第二十四話 深淵の王子様、待ち伏せされる
鈴乃はぼーっとベッドに仰向けになり、壮馬にもらったばかりのキノコのぬいぐるみを両手でたかいたかいした後に、自分の頬に押し付ける。
「このキノコくんが、これからは私の栞代わり」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、寝返りをうつ。
正直、トウカエデの栞が失われたことは、かなりの打撃だった。
だが、見つからなかった以上、もう思い悩むわけにはいかない。鈴乃が気にしていれば、壮馬が自分を責めてしまうからだ。
気持ちを切り替えよう。
学校が始めるまであと三日。
次に壮馬に会うのもその日だろう。
その日までには絶対元気になると決めて、今日だけはトウカエデの葉のことを考えることを許してほしいと自分に言い訳した。
いつもそこにあったトウカエデの栞。
赤と黄色の色合いや、どこに傷がついていたかなど、鮮明に思い出せる。
鈴乃は鼻がつんとしたあとに、じわりじわりと涙が溢れてくるのを感じた。
「今までありがとう。トウカエデの栞」
鈴乃は頬を伝う涙を、枕元に置いてあった箱から、ティッシュを二枚程抜き取って、乱暴に拭う。
「もう、大丈夫だからね、私」
きっと今もどこかに存在しているトウカエデの栞に向かって、鈴乃は囁いた。
夏休みが明け、新学期が始まった。
九月に入ったとはいえ、まだまだ暑い日が続く。
栞を失くしてからというもの、壮馬の態度はどこか不自然だった。自分が失くしてしまったという負い目があるのか、普段よりも元気がなく、時々ため息をつくのだ。
最初の頃、栞の件は気にしていないとは伝えていたが、何度も言うと返って気にしていると思われてしまうので、別の方向で元気づけようと試行錯誤するのだが、壮馬の態度は変わらない。
(時間が解決してくれるのを待つしかないのかな)
そう考え、鈴乃はいつも通り接するよう努めた。
新学期が始まって数日経ったある日。
授業を終えた鈴乃たちは一緒に下校していた。
教室から一緒の壮馬、下駄箱で合流した、彩香、安奈、唯とである。
「安奈も今日部活休みなの?」
彩香と唯の所属する紅茶部はお休みだったが、安奈の所属する合唱部は活動日のはずだった。
「休みじゃないよー」
「え、サボり?」
彩香が聞くと、安奈が口をとんがらせて抗議する。
「あやちゃん、ひどーい。違うもーん。歯医者さん予約してるの」
「ごめん、ごめん」
そんな会話をしながら、校門に近づいたとき、見慣れないセーラ服を着た綺麗な女の子が門の前に立っていた。セミロングの髪を下ろし、携帯に目を落としているが、その伏し目がちな目元から伸びるまつ毛が長く、うっとりするほどだ。安奈も可愛い顔立ちをしているが、安奈よりは大人びていて、可愛いというより美人という印象を受ける。
門を通り過ぎる生徒たちも、ちらっと彼女を見て、何事か囁いている。
他学校の生徒が、門の前にいる姿など初めて見る光景だ。
「あれ……?」
唯が少女を見て、見覚えがあるのか目を凝らしている。
少女は携帯から顔を上げ、門を通り過ぎる生徒を眺めやり、興味を失くしてまた携帯画面に目を落とすという動作を繰り返していた。そうして、鈴乃たちが通ろうとしたときも、同じように顔を上げて、こちらの顔を確認する。少女の目が大きくなり、顔には笑みが生まれた。笑うと、大輪の花が咲いたように魅力的だ。
「神谷、神谷壮馬!」
少女はそう言いながら、壮馬にまっすぐ駆け寄って来た。
鈴乃たちは足を止める。
「待ってたんだよ! 今日、早く終わったから」
少女は上目遣いで壮馬を見上げ、にこっと笑う。
壮馬は奇異なものを見るようにそれを見たあと、小さくため息をつき、
「何の用?」
と冷たく言い放つ。その物言いに少女はわずかに眉を上げたが、すぐに微笑みを作って、
「あのこと、考えてくれた?」
壮馬の返答を待つ。壮馬は眉を寄せる。
「え、じゃあ……しお……」
「ちょっと、こっち来て」
壮馬は突然少女の腕を掴み、ずんずん歩き出す。
そして一度止まって振り返り、
「ごめん、すず、先に帰ってて。この人と話があるから」
そう言い残すと、少女と共に姿を消した。
しばらくぽかんとしていた四人だったが、我に返り、顔を見合わせる。
「なにあれ?」
と彩香。
「誰なの、あの女の子! すずちゃん知ってる?」
と安奈。
「知らない子だよ」
何が起こったのか処理しきれていない頭で、鈴乃は答える。
「あれは……《百戦レンちゃん》だ!」
唯が大きな声を上げる。
「ひゃくせん……れんちゃん?」
彩香が唯の言葉を繰り返すと、唯はこくこくと頷き、興奮したように話し出す。
「彼女、渡辺加恋っていう子で、私も神谷くんも同じ竹下中学校で、恋愛上級者、百戦錬磨のカレンちゃんって言われてて、とにかく可愛くて、恋人が絶えないことで有名だったの!」
「まさか、百戦錬磨のカレンで、百戦レンちゃんっていうんじゃ……」
彩香が顔を引き攣らせると、唯が肯定の相槌をうつ。
「うわあ……。《深淵の王子様》といい、《百戦レンちゃん》といい……唯の中学はみんな妙なあだ名がつけられるのか。しかもダサい。……その学校でなくて良かったと心底思うわ」
安奈も「私もイヤ」と同意する。
「私にはなかったよ? ……多分。 そうそう、その《深淵の王子様》ってつけたのが、あのカレンちゃんなの。カレンちゃん、サッカー部の彼氏がいたのに、一時期、神谷くんにちょっかいだしてて。神谷くんは相手にもしてなかったけど、やっぱり学年の中でも、顔が一番かっこよかったのは神谷くんだったし、カレンちゃん狙ってたみたい」
安奈に歯医者の予約時間があるため、四人は駅に向かって歩き出したが、唯は話を続けた。
「それでね、前も話した気がするけど……神谷くんが本を読んでいた時、話しかけて無視されて、怒って本を取り上げたのもカレンちゃんなんだ。カレンちゃんって、可愛いでしょう? だから、男の子が放っておかないんだよね。カレンちゃんは明るくて、男の子と仲良く話せる子だし。いつも誰かしら告白しては玉砕してたよ。常に彼氏がいたのに、男子たちも無謀なことしてた」
「彼氏がいるのに、神谷くんにちょっかいかけてどうしたかったんだろうね。だって、万一神谷くんが振り向いちゃったらさ」
彩香が問うと、唯はちらっと鈴乃を見てから、声を小さくして話し出した。
「噂なんだけど……カレンちゃん、神谷くんに告白したんだって。でも、神谷くんは断った。その噂が広がり始めたのは、それまで神谷くんにちょっかいだしてたカレンちゃんが、急にそれをやめたからだったんだけど。カレンちゃんとしては悔しかったはず。だって、カレンちゃん、話を聞く限りでは、自分から告白した場合は百発百中でOKもらってたらしいから」
駅に着き、まだ話し足りなそうな唯だったが、彼女もまた用事があるらしく、上り線ホームから電車に乗って行ってしまった。
下り線ホームで待つ三人は、唯の話と先ほどの壮馬と加恋のやり取りなどから、どういう状況なのか仮説を立てようと試みていた。
だが、専ら話すのは彩香と安奈で、鈴乃は壮馬に腕を掴まれて歩いてく加恋の後ろ姿を思い出し、胸の奥がずんと重くなるのを感じていた。
(加恋さんという人は、何しにソーマのところに来たんだろう……? 卒業してからずっと連絡を取っていたとか……? 今二人はどこにいるんだろう)
彩香と安奈の話が耳に入るのに、頭に入って来ない。
(ああ、早く帰りたい……安心できる、あの空間に)
壮馬が隣で微笑んで、優しく手を差し伸べてくれる、そんな温かい場所に。




