第十五話 深淵の王子様、家に招かれる
鈴乃が写真撮影から戻ると、明らかに空気が変わっていた。
面白そうな顔をして安奈が座るベンチに、少し間を空けて、むくれた土屋が座り、その傍に彩香と唯がどこか張り詰めた空気を纏って立っている。
元いた場所から動いていない壮馬は、鈴乃の姿を見つけると、ゆっくり立ち上がった。
すると、土屋もそれを見て立ち上がろうとするので、彩香が宥めて座らせている。
(一体、何があったんだろう……)
不穏なものを感じつつも、鈴乃は自分を待つ壮馬のもとに戻った。
「撮れた?」
「うん、ここからだと遠くの景気がよく見えるね」
鈴乃はちらっと彩香の背中に目をやった。彩香たちは何か小声で話し合っているようで、時々土屋の大きめでぶっきらぼうな声が聞こえてきて、その度に、彩香が宥めるような態度をとっている。それを終始、安奈は面白がっていて、唯はどこか怯えたように、固唾を飲んで成り行きを見守っているようだった。何があったのか見当もつかない。
「神谷くん、何があったか知ってる?」
鈴乃が問うと、壮馬は少し眉を寄せてから、ごまかすように軽く笑った。
「特に何かあったわけではないから、大丈夫」
歯切れの悪い壮馬の言葉に、問い詰めたい気持ちもあったが、これ以上何も言うつもりがないのは彼の顔を見ていればわかる。
「それなら良いんだけど……」
あとで、頃合いを見て彩香に聞いてみようと心に決め、鈴乃は気持ちを切り替える。
展望台を目指して来たのにも関わらず、一行はその展望台に上らず、先ほど通ってきた坂を直ちに下りることになった。空腹を訴える安奈のために、いち早く飲食店を目指さなければならなくなったのだ。空腹時間が長くなると胃を痛める体質らしく、菓子類を持っている者は安奈に渡し、少しでも空腹感を紛らわせられるよう努めた。
ようやく仲見世通りまで戻り、水族館近辺にあるファミリーレストランに入る。お昼時ということもあり混んでいたので、人数を分けてテーブルに着くことにした。
はじめに空いたホール中央の四人席に、安奈、彩香、唯、智己が座り、その数分後に空いた窓際の二人席に鈴乃と壮馬が座った。
窓側に壮馬が座ったので、鈴乃は窓の外の空がよく見えた。
だが、彩香たちの座る席は振り返るようにしないと見えないので、彼らの様子を窺うことはできない。壮馬の位置からは見えるはずだが、彼は敢えてそちらを見ようとはしなかった。
話し声や食器とスプーンやフォークが当たる音が聞こえ、店内は騒がしい。
注文が終わり、壮馬が鈴乃の分の飲み物も取りに席を立った。
その隙に、彩香たちのテーブルを見ると、彩香と目が合った。鈴乃が小さく手を振ると、彩香は真顔で頷いた。彩香たちは既に食事が運ばれて来ているようで、みんな何かしらの料理を口に運んでいる。鈴乃から見えるのは、彩香と唯の顔で、安奈と智己は背中しか見えない。
「はい、これ」
壮馬が戻ってきて、鈴乃の頼んだ炭酸ジュースを彼女の前に置いた。
鈴乃は慌てて体勢を戻して、礼を言う。壮馬は気にした風もなく、自分のコップを握ったまま席に着いた。
「神谷くん、あの……やっぱり、嫌じゃなかった? みんながいるの」
壮馬は少し困ったように眉を寄せたが、首を横に振った。
「そんなことないよ。神崎さんは、そんなに心配しなくて大丈夫だから」
そう言うと、労わるように優しく微笑んだ。
食事を終えて店を出ると、誰が言い出したわけでもないのに、そのまままっすぐ駅に向かっていた。改札前に着いても、帰ることに異論を唱える者はおらず、全員で電車に乗り込む。
ドアとドアの間にある広めの場所に鈴乃たち女子はまとまっていたが、智己はドアに寄りかかり目を瞑り、壮馬は座席前のつり革に掴まって、中刷り広告に見ていた。
壮馬の周りは何となくざわついていて、よく見ていると、若い女の子や女性たちから熱い視線を送られていた。学校ではずいぶんと落ち着いてきたので忘れていたが、壮馬の容姿はごく一般的な男子高生とは一線を画しているし、まるで絵本の世界から飛び出してきたような見目麗しい王子様のようなのだから、仕方ない。だが、彼自身は全身に受ける視線など全く意に介していないようで、ただ平然と中吊り広告を読んでいる。どうやら、出版社の広告の用で、新刊のあらすじなどが書いてあるものらしい。
「さすがだね」
周囲の視線を一身に集める壮馬に、彩香が苦笑する。
鈴乃は彩香に展望台広場で何があったのか聞きたいと思っていたが、比較的近いところに智己もいるし、壮馬も少し離れているとはいえ、声を出せば聞こえる位置だ。
仕方なく、女子四人でとりとめもない話をして過ごした。
電車を乗り換え、数駅過ぎると降りる駅に着き、鈴乃たち四人は駅を降りる。「またね」と軽く挨拶を交わすと、ドアが閉じ、壮馬と唯を乗せた電車が走り去った。
まだ三時過ぎなので、外は明るい。
駅直結の商業施設内の通路を歩き、エスカレーターで降りると、ちょうど青信号だった横断歩道を駆け抜け、長い商店街に入った。
女子三人の後ろから、智己がついてくる形で進んでいく。
「おい、神崎」
声を掛けてきた智己を振り返ると、少しばつの悪そうな顔をしていた。
「なに?」
「あいつに何もされなかったか?」
智己の言わんとしていることがわからず、鈴乃は怪訝な顔をする。
「神谷だよ。あいつ、変じゃん。お前に、ストーカーみたいなことしてるし。ファミレスのとき、俺からはお前たちが見えなかったから、そこで変なことされなかったかと思って」
智己は真剣な表情を鈴乃に向けたが、鈴乃は思いもよらぬことを言われ、絶句していた。そこに、彩香と安奈が話に加わる。
「土屋は、神谷くんがストーカーだから、鈴乃が心配でついてきたんだって」
「ストーカーじゃないよね。土屋ってば、神谷くんに失礼だよー」
鈴乃はこの時、今までの智己の行動に合点がいった。
壮馬が席に近づいてきたあと、心配そうに声を掛けてきたり、壮馬に鋭い視線を投げていることが度々あり、鈴乃も何となく気詰まりだった。
(ストーカーだと思ってたのね)
鈴乃は頭の中で、壮馬とストーカーという言葉を並べて、くすっと笑った。
「何がおかしいんだ?」
「ごめん。ちょっと、おかしくて。だって、ストーカーだなんて、突拍子もない発想だよ。私、神谷くんとちゃんとお友達だよ? 部活も係も一緒だし」
「だから、それが、ストーカーなんだろ⁉ 部活も係も同じなんて変すぎるだろ」
智己は同意を求めるように、彩香と安奈を見るが、彼女たちは答えない。
「気色悪いだろ。この間まで、休み時間の度にお前のところ来てただろ。異常だよ。付き合ってたってそんなことしないぞ! 普通!」
付き合うという言葉を聞いて、鈴乃は笑うのをやめた。
そして、壮馬の今までの行動に思いを巡らせる。
付き合っていたら、今までの行動に理由を探す必要なんてないのかもしれない。
恋人だったら、手を繋いでも、頭に手を置いても、甘い言葉を囁いたって構わないのだ。
もし、恋人だったら、自分から彼に触れても、彼の心に踏み込むことも、許されるのかもしれない。
恋人だったら——
彼は一体、自分をどう思っているのだろう。
少しは気にかけてくれているのだろうか。
それとも、好きでいてくれているのだろうか。
自分を好いてくれているから、手に触れ、笑いかけてくれるのだろうか。
そう、期待しても良いのだろうか。
「おう、神崎、聞いてんのか?」
智己の言葉で、我に返り、鈴乃は再び振り返る。
「う、うん。あのね、心配してくれてありがとう! でも、土屋が思うようなことは一つもなくて、本当に私たち、何の問題もないから気にしないで」
それだけ言うと、前を向いて、見慣れた商店街を眺める。物思いに沈まないよう、意識して深く呼吸しながら。
納得のいかない智己は何かを言い掛けたが、彩香に制止され、行き場のない気持ちを抑えようと手の平をきつく握りしめた。
商店街を抜けてすぐの場所にある踏切を過ぎると、智己、安奈はまっすぐ伸びる坂道に進んでいった。安奈が何度も振り返り、「ばいばーい!」と手を振る。二人の姿が小さくなるのを見届けて、鈴乃と彩香は左にある車がやっと一台通るくらいの細い道を歩いていく。
小学生三人組がコンビニから出て、自転車でどこかへ走っていくのを横目で見つつ、鈴乃と彩香は言葉少なに歩いていく。
「ねえ、すず」
彩香が立ち止まったので、鈴乃も足を止める。
「今日はごめんね。神谷くんにもそうだけど、すずに対しても本当に悪いことしたよね。私がもっと強く止めるべきだったし、土屋なんて連れてくるべきじゃなかったよ」
「もう、あやちゃん、気にしなくて大丈夫だよ。びっくりしたけど、特に問題なく過ごせたし……」
「すずはいなかったから知らないだろうけど、神谷くんと土屋、一触即発みたいな空気のときがあって。止めに入ったからどうにかなったけど、あのままだったら、土屋が神谷くんの胸倉を掴みかねなかったと思う」
穏やかでない言葉を聞いて、鈴乃はぎょっとした。
「胸倉を……?」
「殴ってたかもね」
彩香は苦笑する。
「土屋って、あんな思い込み激しい奴だったけ? まあ、間近で見てた土屋からすると、そう見えたんだろうけどさ。うちらはすずが嫌がってないのを知ってたからね。すずが嫌がってたら、ストーカーってことになったのかもだけど。心臓がもたないとか言って、嬉しそうだったし」
「嬉しそうだった? そんなことないと思うけど……」
鈴乃は当初の自分を思い出してみる。
「だから、まあ、本当に、土屋の勘違いなんだよね」
彩香はため息をついたが、気を取り直したように少し笑って、鈴乃の肩を叩いた。
「すず、言ってなかったけどさ。応援してる。今日、二人が一緒にいるの見てさ、お似合いだと思った。どこか空気感が似てるんだよね。神谷くんが王子様なんだから、すずはお姫様なわけだ」
彩香が珍しく冗談めかして、歯を見せて笑った。鈴乃はぽっと顔を赤らめた後、「お姫様だなんて思ってないくせに!」と照れ隠しで、彩香の服を引っ張った。
「そういうわけだから、何かあれば相談に乗るよ」
彩香のその言葉に、胸が熱くなった。
「ありがとう」
彩香と別れてから、鈴乃は何となく家に帰る気になれず、家の傍にある藤棚の下のベンチに腰を下ろした。そこは正方形の舞台のようになっており、四方すべて階段になっていて、どこからでも上ることができる。そして六段ある階段を上り切った先、舞台中央にベンチが一つ設置してあるのだ。
鈴乃は鞄から携帯電話を取り出し、壮馬に今日のことを改めて謝ろうと二つ折りの画面を開く。すると、メールが一通来ており、ボタンを押すと壮馬からのものだとわかった。
〈今どこにいますか? まだ時間はありますか?〉
はやる胸を抑えつつ、震えそうになる指先で懸命に返事を打つ。
すると、すぐに電話のベルが鳴り、鈴乃は電話を耳に当てた。
「ごめんね、帰ったのに。今、神崎さんたちの降りた駅にいるんだ。どこに向かえば会える?」
鈴乃は立ち上がって、今帰ってきた道をまた戻り始める。
「私も向かうね。えっと、駅を出るとお店があって、そこを通って……」
簡単に説明して電話を切る。鈴乃は走り出した。
壮馬に会える。
まだ別れて一時間も経っていないのに、会えることがこんなにも嬉しい。
途中疲れて、早歩きに切り替えたとき、また電話のベルが鳴った。
「踏切は渡ったよ。道が三つあるんだけど」
「左の細い道。私ももうすぐ着くよ!」
電話を片手に話しながら、壮馬の姿を探す。
前方から、辺りを見回しながら歩く壮馬の姿が目に飛び込んできた。
鈴乃は電話を下ろし、大きく手を振る。
「神谷くーん!」
壮馬も鈴乃に気が付き、電話を切ってズボンのポケットにしまった。
「神崎さん」
駆け寄ってきて、優しく微笑んだ。
「走って来たの?」
肩で呼吸する鈴乃を見て、壮馬が少し驚いてから笑う。
「ごめんね、また呼び戻してしまって。でも、どうしても、まだ……」
鈴乃は壮馬の言葉の先を想像して、顔を赤らめて俯いた。
「どこか座れるところあるかな? これが食べられるところ」
壮馬は手に持っていた白い箱を見せた。
駅にあるシュークリーム屋の箱だ。
「え? 買ってきたの?」
壮馬は頷いて、「好きだと思って」と呟く。
「うん、ここのシュークリーム大好きなの!」
壮馬はどこか満足そうな照れ笑いを浮かべた。
「シュークリームだよね……ちょっと時間もらわないとダメだけど、私の部屋でも良い?」
鈴乃の申し出に、壮馬は一瞬動きを止めた。そして、目を瞬かせ、何度か口を開いて閉じた。
「……お邪魔しても良いの?」
「うん、この間は私がお邪魔しちゃったし。ただ、散らかってるから、十分くらい、待っていてもらうことになるけど」
鈴乃は自分でもとんでもないことを言っている自覚はあったが、シュークリームを食べるのに公園のベンチは想像がつかなかった。クリームがこぼれて、手がべとべとになる確率が高い。それにどうせなら、温かい紅茶と一緒に頂きたい。
都合の良いことに、昨日掃除したばかりで部屋の中は整っている。人を招いて恥ずかしくない程度には。
「これははじめてだ……あ、えっと、待つのは構わないよ。時間は気にしないで。待つのは苦ではないから」
壮馬が緊張しているように見えたので、鈴乃にもそれが伝染して、ぎこちない雰囲気のまま家へと向かって歩き出した。
(私、間違ってないよね……)
ベッドの上に投げ出した寝間着を布団の中に隠そうとか、子供っぽいぬいぐるみはクローゼットに仕舞おうとか、あれこれ考えながら、その他のことは敢えて考えないよう頭から追い出した。




