第十二話 深淵の王子様、お昼を食べる
お昼時になると、中庭に面した渡り廊下の先にある、広めの小屋のような食堂と、その横に申し訳程度に並ぶ購買部が賑わいを見せる。
食堂はどこか海の家のような雰囲気があり、そこでは、周囲の景色さえ見なければ、海辺に来たような錯覚さえ覚える。
大きな唐揚げを丸々包み込んだ、男子の握り拳ほどのサイズのおにぎりが人気だ。
隣の購買部の商品は総菜パンのみだが、いつも長蛇の列を作る。
雨雲が近づいてくる空を見上げながら、鈴乃は購買部の列に並んでいた。今日の目当ては焼きそばパンなのだが、自分の番が来るまでに残っているだろうか。たまに背伸びしたり、列の横から顔を出して、購買部のカウンターに並ぶパンを遠目から確認する。
「今日はパンか」
突然声を掛けられ、鈴乃は声の主を見る。
土屋智己が黒い財布を片手に立っていた。
「うん。土屋は学食?」
「おう、かつ丼」
「そっか。混んでいるみたいだから、早めに席を確保した方が良いよ」
鈴乃は学食を指さすが、智己は鈴乃が進むのに合わせてついてきて、神妙な顔を鈴乃に向けている。
「同窓会、日程決まったぞ。本当に行かないのか?」
鈴乃は苦笑いして、曖昧に頷いた。智己はなぜここまで同窓会に拘るのだろう。智己はまた何かを言い掛けたが、購買部に鈴乃が入る番が来たので、引き下がり、そのまま学食へ行ってしまった。
(同窓会、そんなに重要なのかな……)
無事に焼きそばパンと、その他甘いパンを二つ手に入れて、鈴乃は教室へ戻ろうと、渡り廊下を歩いていく。中庭では、数人の生徒がお弁当を広げている。ピクニック日和とはいえない天気だが、彼らが実に気持ちよさそうで、鈴乃は羨ましくなった。
その時、見慣れた後ろ姿が中庭を歩いていくのが見えた。
(神谷くんだ。どこに行くんだろう)
白い半袖Yシャツに、黒いズボン。どの男子生徒も同じ服装なのに、すらっとした立ち姿は、それだけで魅力的だった。壮馬は鞄を肩に掛けていて、校門付近に向かっているように見えた。
(早退? 体調悪い?)
鈴乃はパンと財布を抱え、壮馬の後を追う。
中庭を過ぎ、校門が見えた。だが、壮馬は校門には向かわず、道を逸れ、プールやテニスコートのある方へと向かっていく。鈴乃は疑問に思いながらも追いかけた。
校庭の周りを取り囲むように、プール、テニスコート、木々の生い茂る小さな空間が並んでおり、壮馬はその雑草が伸び放題の場所に足を踏み入れる。そして、自然な動作で、大きな木の根元に腰を下ろし、鞄から弁当を取り出し、膝の上で広げて食べ始めた。
人が立ち入るのは、飛んで行ったテニスや野球の球を取りに行くときくらいの、普段は誰の気にも留まらない場所である。
彼が草を分け入ったあたりで、追いかけるのに迷いが出てきた鈴乃は足を止めた。
(声、掛けて良いのかな)
壮馬が文芸部に入ってから、それ以前にあった休み時間の突撃がぱたりと止んだ。
部活という接点が増え、敢えて来る必要がなくなったのだと思うが、その頃から、お昼休みに壮馬が教室にいる姿を見かけなくなった。学食へ行っているのだろうと思っていたが、どうやら違ったようだ。
壮馬は時々箸を止め、遠くの空を眺める。その姿がどこか寂しげに見えて、鈴乃は再び歩き出した。
青々とした草には水滴がついていて、足を踏み入れることを躊躇わせたが、意を決して進むことを選ぶ。今までぼんやりと箸を口に運んでいた壮馬が、ようやく人の気配に気づき、鈴乃を見て驚いた。
「神崎さん、何でここに?」
心底驚いたようで、箸で掴んでいた唐揚げを落としてしまう。
「あ、唐揚げが!」
落とした本人よりも残念そうに、剝き出しの木の根の上に転がった唐揚げを悲しげに眺める。鈴乃はとぼとぼと壮馬の横まで来て、腰を下ろした。
「ごめんね、唐揚げ」
壮馬は素手で唐揚げを拾い上げて、弁当箱の蓋に置く。
「そんなに気にしないで。それより、何でここに?」
鈴乃は、鞄を持った壮馬が早退するのではないかと思い、追いかけたことを伝えた。
すると壮馬は、ふっと表情を緩め、木の幹に寄りかかった。
「心配してくれたのか、ありがとう。……嬉しい」
「でも、勘違いだったね、ごめんね」
壮馬は首を振った。そして柔らかな眼差しを鈴乃に向ける。
「……あの、私もここで食べて良い、かな?」
胸に抱えたパンを見せて、鈴乃は壮馬の返答を待つ。
「もちろん」
鈴乃はほっとして肩を撫でおろした。
どこかで、拒絶されるのではないかという思いが過っており、それを恐れる自分がいたのだ。
いつ降るとも知れぬ梅雨空の下、草と土の入り混じった香りが鼻をくすぐる中、二人はそれぞれのお昼を味わっていた。原稿の進捗具合、部誌の表紙に飾る写真のこと、お互いが貸し借りする本の感想、学祭の催し、そのあとに待つ定期試験、そんなとりとめもない話をしながら。
「そろそろ戻ろうか」
壮馬はナフキンに弁当箱を丁寧に包み、鞄に仕舞った。
鈴乃もパンの入っていたビニール袋を小さくまとめ、スカートのポケットに入れたので、手元にはお財布だけとなった。
二人は立ち上がり、地面に密着していた部分から砂を払う。生地が少し湿っており、よくよく意識すると、下着まで湿った感触があった。
「梅雨時期には向かない場所だよね」
壮馬は小さく笑う。
ではなぜ、壮馬は一人こんなところで食事をしているのだろう。
教室で食事するのが嫌なのだろうか。
(やっぱり、教室でひとりなのが嫌なのかな)
教室にはひとりで食べる者もいるし、学食や他クラス、部室などで食べる者もいるため、そこまで気にしていなかったが、和気藹藹と食事をしている者たちがいるのも確かだ。そういう空気が、壮馬にはつらいのかもしれない。
鈴乃も今日は、親しくなったクラスメイトが、部活の話し合いがあるとお昼を持って部室に行ってしまったので、ひとりの予定だったのだが、いつも独りというのとは違う。
(私が一緒にとなると、友達も一緒にということになるし、それはお互い気まずいよね)
何か良い方法はないものかと考えながら、鈴乃は壮馬の隣に並んで教室へと歩き出した。
教室に入るとき、学食帰りの智己と鉢合わせした。智己は、鈴乃と壮馬が隣り合っているのを見て、あからさまにイライラしたような表情を浮かべた。鈴乃は智己の表情に戸惑い、助けを求めるように壮馬を見上げる。壮馬は無表情で智己を見ていた。
「お先にどうぞ」
智己はつっけんどんにそう言い放つと、顔を背けた。
不機嫌な智己の態度に、意味が分からず鈴乃は混乱したまま、自分の席に着く。
「……本当、わかりやすい人だよね」
壮馬は小さな声で呟くと、自分に敵意剥き出しのクラスメイトを目に映して、嘆息した。




