第十一話 ふたりの約束
すべり台を何度か滑り、なぜかそのまま追いかけっこに突入し、走り回って疲れた二人はベンチに座った。
「次は何したい?」
一緒に遊んでいるうちに、壮馬はすっかり楽しくなっていた。自分の意に沿わない格好をしていることなんてすっかり忘れていた。
すずは、ひらひらと舞ってくる落ち葉を眺めながら、顎に指を当てて考えている。
そして良いことを思いついたのか、ぱっと壮馬を見た。
「お姫さまごっこ!」
目を輝かせるすずに、壮馬は顔を引き攣らせる。
「おひめさま……ごっこ?」
やはり、目の前の少女は自分を女の子だと思っている。壮馬は嘆息してから、恨みがましいような目をすずに向けた。すずはきょとんとしたが、少ししてじっと壮馬の頭から足の先まで眺めた。
「あ、お姫さまごっこは、お姫さまになりきって遊ぶんだよ! でも、お姫さまでなくても良いの! 王子さまや騎士さまや、お付きの人でも良いんだよ! 自由なの!」
「……じゃあ、門番やる。お城の門のところに立ってる人」
壮馬は絵本で読んだおとぎ話のお城を思い浮かべ、門の前に立つ甲冑を着た門番を想像して言った。
「すてき!」
すずは嬉しそうに手を合わせた。
「じゃあ、わたしは、メイドさん!」
「え、お姫さまは?」
壮馬は面食らいながらも、すずの考えたお話で門番役を演じ、何だかんだお姫様ごっこを満喫した。そのあと二人はまたすべり台を何度か滑り、今度は風が吹くたびに増えていく落ち葉に注目し、色、形ともに綺麗な、傷のない落ち葉を探しはじめた。
これだと思う落ち葉を摘まみ上げ、お互いに見せ合っては、手から離して、また次のものを探す。
「これ、きれい!」
すずが先が三つに分かれた、手のひらサイズの真っ赤な葉を拾い上げた。
「これと同じだ」
ちょうど同じタイミングで、壮馬も同じ葉だが、少し黄色みがかったものを親指と人差し指で掴んで見せた。
すずは自分と壮馬の葉を見比べる。
「本当だね」
すずはにこっと笑って、それから少しの間、目を瞑って、口の中で何事かを呟いた。
そして、くるっと壮馬の方を向いて近寄って来た。手に持っていた赤い葉を差し出す。
「これあげる」
「え?」
壮馬はすずの顔と、その赤い葉を交互に見やる。
「今、おまじないをかけたの。また一緒に遊べるようにって。これを持っていたら、また会える!」
壮馬は差し出された葉を受け取った。全体が見事に赤く、傷一つない綺麗な落ち葉だった。 すずは微笑んだ。壮馬も咄嗟に、手に持っていた赤と黄色の混じった葉を渡す。
「じゃあ、すずも持ってて。僕はおまじないなんてかけられないけど、持ってて」
すずは壮馬の手から受けとると、しげしげと葉の裏表を眺めた。
「これもとってもきれい! ありがとう、ソーマ」
その笑顔がとても可愛らしくて、壮馬は頬を赤らめた。
その時、「すずのー! 帰るよー!」と公園の外から、大人の声が掛った。
公園の唯一の出入り口に、大人の女性が立っていた。
すずは、声のした方へ顔を向け、「おかあさんだ!」と駆け寄ろうとしたが、すぐに止まって、壮馬を振り返った。
「またね、ソーマ。遊んでくれて、ありがとう」
そう言うと、壮馬の渡した葉を掲げた。
壮馬は大きく頷いて、同じように真っ赤な葉を空高く持ち上げる。
そして、すずは母親と手を繋ぎ、帰って行った
一人残された壮馬は、公園をぐるりと見回した後、ベンチへ戻ろうとしたが、「壮馬、こんなところにいた!」という、末っ子叔母の声で足を止めた。
壮馬は、息を切らして駆け寄ってくる叔母に嫌な顔を向けたが、不思議と逃げようとは思わなかった。
三姉妹の長女にあたる伯母の家に帰る途中、彼女は平謝りだった。壮馬は彼女の謝罪を適当な相槌で受け流していた。
壮馬の心にあるのは、すずの笑顔と、すずのくれた、まじないのかかった真っ赤な葉だけだ。
(すず、また絶対、会おうね)
壮馬は赤い葉を大切に持ちながら、空を見上げた。
——約束は、果たされたのだろうか。
壮馬はすっかり暗くなった部屋で、ただただ天井を眺めていた。
彼女と出会った日以降、伯母の家に行くと必ず公園に行き、彼女の姿を探した。彼女にもらった真っ赤な葉を持って。葉の名前も調べた。トウカエデという植物だった。葉が傷まないよう、保存方法も調べ、家にあった額縁に入れた。
会えないまま、一年、二年と月日が流れた。
次に会ったとき、彼女は僕がソーマだとわかるだろうか。
時間があれば、電車に乗って公園に行き、ベンチで本を読みながら、彼女を待った。
でも、すずは一度も現れなかった。
小学校を卒業して、中学生になっても、彼女に会うことができなかった。
その間、様々な感情が去来した。
こんな馬鹿げたことをいつまで続けるつもりだ。
彼女は忘れてしまったのだ。
彼女は遠くに住んでいて、たまたまあの日あの公園にいたにすぎないのだ
おまじないなんて、子供の戯言だ。
また会おう、また遊ぼう、なんてただの社交辞令に過ぎない。
でも、彼女に会いたい。
彼女の声を聴きたい。
彼女に笑いかけてほしい。
会いたい。
七歳の壮馬は、恋をしたのだ。
たった一度、遊んだだけの女の子に。
そして、その恋はずっと色褪せず、十五歳になっても変わらず、胸の奥を温め続けていた。
中学校を卒業して、高校へ進学した。学区が撤廃された為、自分の地域ではない高校に通う者も増え、壮馬もその一人だった。
思いもよらなかった。
まさか、すずが、同じ高校の、しかも同じクラスにいるなんてことは。
入学式の日、式が滞りなく終わり、体育館から教室へ移動しようとするとき、壮馬は目の前を歩く少女の背を見て、鼓動が止まった。そして、一転、急激に鼓動が早くなる。
(すずだ……すずが、いる)
顔は見ていない、声も聴いていない。
だが、直感的に、壮馬は彼女こそが、自分が会いたくて仕方のなかった、八年間もの間、恋焦がれてきた少女だとわかったのだ。
教室に入り、壮馬は自分に割り当てられた座席に腰を下ろした。出席番号は早いのに、廊下側でなく、窓側だった。その後ろに、すずが座る。壮馬は、彼女が後ろにいることを意識せずにはいられなかった。
壮馬は今更ながら、配布されていたクラス名簿を開いた。
神谷壮馬
神崎鈴乃
『わたし、すずのっていうの。かんざき、すずの』
幼いすずの声が思い出される。
(間違いない……彼女は、すずだ)
だが、七歳の頃より、内気さと寡黙さに拍車の掛かっていた壮馬には、すぐ「僕はソーマだよ! 覚えてる?」などと聞く勇気がなかった。
それに、忘れているかもしれない。自分だけが、覚えているだけなのかもしれない。彼女にとっては、ささいな出来事に過ぎなかったのかもしれない。
しかも、彼女は自分を女の子だと思っていた。覚えていたとして、男だったと知ったら、どんな反応をするだろう。
後ろ向きな考えばかりが浮かび、声を掛ける勇気が出てこない。
その時、前からプリントが回って来た。
壮馬はプリントを受け取ると、ゆっくり振り向いた。
緊張した面持ちの少女がいた。
成長してすっかり大人びた、女の子。
でも、面影がある。あの、小さな女の子の面影が。
壮馬は目を細めた。胸が痛かった。心の底から何かがこみあげてきて、今にも泣きそうだった。
(ああ、やっと……やっと、会えたんだね、すず)
神崎鈴乃は、目の前の神谷壮馬が、プリントを回す為に振り返ったことに気が付き、軽く会釈して「ありがとう」と控えめに笑った。
玄関のドアが開く音がした。母親が帰宅したようで、壮馬は在宅を知らせるため電気を付けようと、体を起こした。だが、体が重く、すぐに動く気になれない。壮馬は緩慢な動きで、足をベッドから床におろし、ドア横にある電気のスイッチをぼんやり眺める。
頭はまだ、思い出していた数か月前の入学式の日で止まっていて、次の動作の指示を出そうとしない。
『……壮馬くん、そんなに心配しないで。私は、大丈夫。大丈夫だから』
突如、現在よりも少し大人びた鈴乃の姿が浮かんだ。涙を流しているのに、必死に笑おうとする鈴乃の姿が。
壮馬は急激な胸の痛みに、痛む場所を服の上からぐしゃっと掴み、顔を歪めた。
——痛い。
泣かないで。
僕が守るから。
僕が、君を傷つける全てのものから守るから。
だから、泣かないで。
君の涙を見ると、僕はどうしようもなくなってしまうから。
壮馬は顔を上げて、天井を瞳に映す。
階段を上る足音して、壮馬の部屋のドアが開いた。
「あら、壮馬。どうしたの、電気もつけずに」
白髪を隠すのに茶色く染めた髪をショートボブにした母親が、驚いたように壮馬を見る。
「……ノックくらいして」
壮馬は正面を向いて、平静を装って立ち上がり、机の椅子に座り、スタンドの明かりをつける。
「暗いからいないと思ったのよ。お風呂掃除お願い、ご飯の支度するから」
母親はそう言うと、また階下へ行ってしまった。
壮馬はぎこちない呼吸をどうにか整え、しばらく目を瞑っていたが、意を決して立ち上がり、母親の言いつけ通り、風呂掃除へと向かった。
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