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現代恋愛短編

只の聡実くんと幼馴染の私

作者: 糸木あお

 十で神童十五で才子二十過ぎればただの人ということわざがあるが、聡実さとみくんはまさにその言葉通りだった。五歳の頃、聡実くんは中学生が解くような問題をすらすらと回答して周りを驚かせた。


 その美しい見た目も相まって、聡実くんは神童と持て囃された。将棋とスケッチが得意で走るのも速かった。小学校に上がる頃には英語も習得していて、周りの子どもたちは彼を尊敬し、嫉妬し、やっぱり憧れた。


 そんな聡実くんと私の関係は家が隣同士の幼馴染で、昔からずっと登下校を共にしている。幼稚園の頃はひどく人見知りで恥ずかしがり屋だった聡実くんには私と兄の景一けいいちしか友達が居なくて、いつも私たちの後ろについて来ていた。


 私は綺麗な顔をしていて私たち兄妹にだけ心を開いている聡実くんのことがすぐに大好きになった。弱くて守らなくちゃいけない存在、それが私にとっての聡実くんだった。


 聡実くんの両親はいつも、これからもずっと聡実のことを宜しくねと言っては缶に入った高級そうなお菓子をくれた。うちではあまり食べられないものなので、兄と私はそれを歓迎した。聡実くんと分け合っても彼は食が細くて、半分食べる頃には私に譲ってくれるようになった。聡実くんの目に似た緑色のさくらんぼがのっているクッキーはとても美味しかった。


 聡実くんはいつもお菓子を私にくれる時、彼の手から食べさせたがった。食い意地が張っていた私は少し恥ずかしいと思いつつも、それを受け入れた。聡実くんの薄い緑色の瞳が柔らかく細められるとなんだかむず痒いけれど嬉しかった。


 そんな幸せな日々は五歳の時に聡実くんの両親が気まぐれに受けさせたIQテストによって崩壊した。いや、聡実くんの家にとっては栄光の始まりだったのだろう。試しに他のことをさせてみれば同年代の平均を超えていて、特に数学と美術の分野は周りを圧倒した。でも、彼はずっとそのことを隠していたのだ。


 恥ずかしがり屋の聡実くんも、色んなテストを受けて注目をされているうちに慣れたのか、いつの間にか私たち兄妹以外の人とも目を合わせて話していた。それがなんだか面白くなくて、私は聡実くんがずっと一緒だと思っていたのにと勝手に不満を募らせていた。


 町内で有名な神童から市内で有名になり果ては県内で有名になった。聡実くんは天才児を集めるテレビ番組にも出演するようになった。テレビ画面の中で如才なく他の子たちと喋る聡実くんは、私が知っている彼とは全然違った。ただ、家が隣同士なだけの私は有名人になった聡実くんに気後れしていた。本当は一緒に登下校するのも苦痛だった。美しい顔の神童とごくごく普通の私では釣り合わなくて、聡実くんのことが好きな人たちからの嫌がらせもたくさんあった。


 聡実くんが知ったら傷つきそうだから黙っていたけれど、上履きに画鋲を入れられたり机の中に腐ったパンを入れられたりした。他にも椅子の上に赤いペンキが塗られていて、気付かず座ってしまい制服のスカートにそれがべっとりとこびり付いていた。非常に不愉快だったけれど、こういうことをするやからは無視が一番なので彼らが満足するまで放っておいた。


 そうこうしているうちに聡実くんは十四歳になって飛び級で海外の大学に進学するというような話も出ていた。私には良くわからなかったけれど人の役に立つことが彼には出来るらしい。そういう才能は伸ばすべきだとみんな言っていた。聡実くんは分け隔てなく周りの人間に優しかった。でも、それは誰のことも尊重していないのかもしれない。ずっと一緒にいるから聡実くんが他人をどう思うのか、なんとなく分かった。それが少し怖かった。


 釣り合わない私たちだけど、聡実くんにとって兄と私はやっぱり特別だった。いつからか一緒に遊ばなくなったけれど、登下校は一緒だったし、どちらかの両親が遅い時は一緒に食事もした。聡実くんはクォーターで色素の薄い茶色の髪に緑の瞳で日本人離れした容貌をしていた。昔から可愛かったけれど今は精巧な人形のように美しい。細くて、白くて、中性的で物語の登場人物みたいなのだ。


 聡実くんがとても難しいテストにまた合格したと聞くたびにどうして私は彼とこんなに違っちゃったんだろうなと落ち込んだ。聡実くんのことはずっと前から好きだった。多分、初めて会った時から。顔を真っ赤にしながら辿々しく挨拶をする聡実くんを見た時から私は聡実くんのことが大好きなのだ。


 いじめはいつの間にか無くなっていたし、その頃には聡実くんのテストの結果はかんばしくないどころの騒ぎではなくなっていた。前に出来ていたこともこぼれ落ちるように出来なくなってしまった聡実くんのことをみんなは馬鹿にするようになってきた。


 ずっと天才だった分まわりの落胆も酷く、とくにおばさんは十歳くらい老け込んでしまった。輝かしい子どもの未来を自分で閉ざしてしまったと毎日泣いていた。テレビにまで出た天才が今では公立高校進学も怪しいなんて彼女にとっては信じられないことだろう。


 でも、聡実くんは不幸では無さそうだった。おばさんのことは心配していたり、心ない人からあいつは顔だけの元天才児様だと言われても柔らかく笑っていた。聡実くんは本当に何も思っていないようだったので、彼にとって天才という肩書きはもしかしたら重いものだったのかも知れない。


 あんなにちやほやしていたのに調子が良いなあと思うけど、私は彼らに何も言わなかった。聡実くんはテストとかテレビとかそういう予定がなくなったから、またうちに良く来るようになった。両親が帰るまで私と聡実くんと兄で遊んだ。たまに一緒に食事を摂った。


 3月末までは私と兄と聡実くんの三人で過ごしていたけれど、大学進学を機に寮生活を始めた兄は学業とアルバイトが忙しく大型連休しか帰って来なくなった。二人になっても私たちの生活パターンは変わらなかった。 二人でだらだらとサブスクリプションの映画を観ながら、聡実くんは缶に入ったお菓子を私に食べさせてくれる。彼はもう将棋もスケッチもしない。


 でも、聡実くんの宝石みたいな薄緑の瞳もそのままだった。他の人がどう思ったとしても、私は今の方が嬉しい。聡実くんが私の手を握る。小さい子どもみたいにぎゅっと力がこもっている。彼の目は随分前に映画から離れて私だけを見ている。


「真綾ちゃん、僕ね、今とても幸せだよ。真綾ちゃんは幸せ?」


「うん。聡実くんがこうして側にいてくれるなら私は何も望まないよ」


 幸せの形は人それぞれだ。でも、私は聡実くんとなら不幸になっても良い。そう思っている。なんだかんだで聡実くんはずっと私の大事な幼馴染で大好きな人だから。彼が側にいてくれればそれが私の幸せなのだと思う。



******



 小さい頃はずっとこの世界に僕の居場所はないと思っていた。でも、真綾ちゃんに出会ってそれは変わった。引越し先で出会った女の子はとても優しくて、すぐに大好きになった。


 それまでガイジンとか、変な名前とか変な目って言われてそれなりに傷付いていたけど、真綾ちゃんが綺麗って言ってくれたから他の人の言葉なんてなんにも気にならなくなった。真綾ちゃんは僕のすべて。だから、ずっと一緒にいるためにはあんなテストは受けるべきじゃなかったし、もっと愚かに振る舞うべきだった。


 やれと言われれば出来た。将棋も絵も英語も数学も走ることも。その度に大人も子どもも僕を褒め称えた。真綾ちゃんもすごいねって言ってくれるから僕は有頂天になっていた。テレビなんかに出たりして調子に乗っていた。


 でも、真綾ちゃんがいじめられてるって知った時、身体中の血が凍ったみたいに冷たくなった。あんなに優しい真綾ちゃんがいじめられるなんて何かの間違いだと思いたかった。しかも、その原因が僕だったことを知って、さらに打ちのめされた。


 僕は真綾ちゃんを守るために全部を捨てることにした。お母さんの期待もまわりの羨望と嫉妬もこの先の進路も全部。それらすべてを天秤にかけても僕は真綾ちゃんの側にいたかった。真綾ちゃんと景一くんだけが僕を僕として見てくれた。なんの付加価値がない時だって僕にずっと優しくしてくれた。


 僕が出来ないふりをするとみんな最初は冗談だと思って笑った。それから真剣な顔をして心配した。それが続くと怒り始めた。でも、全部無視して出来ないと言い続ければそれは憐れみや蔑みや揶揄からかいの目に変わっていった。好かれたくて、嫌われたくなくて人の期待に応え続けて来たけれど、こんなに簡単になくなってしまうのだ。


 僕の評判が落ちて、真綾ちゃんへのいじめはなくなった。本当にいじめをするような人間は愚かだと思う。でも、こういう形でしか彼女を守れない僕はひどい臆病者だ。


 景一くんが大学進学で引っ越しをして、僕は共働きの真綾ちゃんの家に入り浸るようになった。毎日映画を観て、母さんから持たされたお菓子を真綾ちゃんに食べさせる。真綾ちゃんがどう思ってるかはわからない。でも、彼女は初めて会った時からずっと優しく僕を受け入れてくれている。真綾ちゃんの白くて柔らかい手に触れる。それからぎゅっと強く握る。


「真綾ちゃん、僕ね、今とても幸せだよ。真綾ちゃんは幸せ?」


「うん。聡実くんがこうして側にいてくれるなら私は何も望まないよ」


「良かった。僕には真綾ちゃんしか居ないから絶対に見捨てないでね、絶対にだよ」


 真綾ちゃんは優しく微笑んだ。僕はそれを見てとても安心した。これが最適解だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 類まれなる才能を隠してでも誰かの傍にいたいという想い。 そんな風に自分も想われたい!と羨ましくなりました。
[良い点] 聡実くんが幸せになれてよかったです。
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