ほら、シエンさんだって怒って少し顔を赤くしてるよ
そこは人通りの少ない裏通り。
かつては多くの露店が並びにぎわっていたが、今では廃れ、ゴミが散乱していたりボロボロの衣服で寝転がっている人もいる。
塗装の剥がれたボロボロの建物に背もたれ、僕はシエンの話を聞いていた。
「――奴ら、俺が辞めると言ったら血相変えて泣きついてきやがった」
「それだけシエンさんの実力に期待していたのでしょうね」
「奴らの説得を無視して出ていこうとしたら、護衛たちが襲いかかってきたから、返り討ちにしてやったけどな」
「物騒な話ですねぇ」
その光景が容易に想像できて、僕は苦笑してしまう。
しかしアルゴス商会からシエンが抜けてくれたのはありがたい。
彼の力を利用して、襲撃されでもしたらたまったものじゃないから。
さすがにリリーナを守りながら彼と戦うのは無理だ。
「まったく、あんなクソみたいな商会に残った、バカどもの気がしれないな」
彼の言うバカどもとは、先日対峙したゴロツキたちのことだろう。
先日の一件があっても、懲りずにアルゴス商会の護衛をしているらしい。
いや、護衛というよりは汚れ役の手駒といったところか。
「ハウルからの賠償金請求にも応じないようですし、まだなにかたくらんでいるのかもしれませんね」
「それだけ余裕がないんだろ。まぁ、せいぜい気を付けるんだな。あのバカども、この間見かけたときも変に浮足立ってたからよ」
おそらく、またなにか行動を起こすつもりなのだろう。
彼らを捨て駒にした大胆な行動もあり得る。
狙いは賠償金を請求してきたケイト店長か、ナハルを突っぱねたリリーナ、それとも先日の店への妨害をあばきシエンを奪った僕か。
どちらにせよ、これからも十分に注意しなければ。
「分かりました。ご忠告ありがとうございます」
「ふん、あんたに怪我されても困るからな」
「?」
思わず首を傾げた。
どういう意味だろう?
僕が怪我をしたところで彼になんのデメリットもないはずだ。
僕が不思議そうな顔で首を傾げていると、シエンはふんっと鼻を鳴らし背を向けた。
貧民街の奥にあるという、自分の根城へ戻るのだろう。
遠ざかるシエンの背中をぼんやり眺めていると――
「――ルノさん」
聞き覚えのある、低く甘い声が聞こえた。
耳の奥をくすぐるようなこのセクシーボイスは……
「ウィニング様?」
貴族のウィニングが、体格の良い男の付き人を従え、僕の後ろに立っていた。
彼は嬉しそうに微笑む。
「あぁ、やっぱりルノさんだ。こんちには」
「こ、こんにちは」
「帰るのに近道だから、ここを通りかかったんだけど、たまたま君の姿を見つけて。取り込み中だったみたいだから、声をかけるか迷ってたんだよ」
「そうなんですね。話はちょうど今終わったところなんですよ」
「……え?」
すると、ウィニングは目を丸くする。
僕の言葉に対する反応のようだったが、その視線は僕の後ろへ向けられていた。
どうしたんだろうと思って後ろを向くと、シエンがまたこちらへ戻って来ていた。
なにか伝え忘れたことでもあるのだろうか。
彼は僕の横に立つと、ウィニングと目を合わせる。
その眼差しは、どこか険を含んでいるように感じたが、ウィニングはいつもの作り物めいた柔らかい笑顔で挨拶する。
「はじめまして。僕は、ウィニング・グレイシャルと言います。後ろの彼は僕の従者。あなたは?」
「はんっ、いけすかない貴族様に名乗る名なんてない」
突然の挑発的な発言に、ウィニングの笑顔が凍りつく。
僕も急にお腹が痛くなってきた。
ていうかなに? この人、貴族に喧嘩売るために戻って来たの?
それならせめて、僕のいないところでやってよ!
主の敵と認識したのか、ウィニングの従者が「お前、ウィニング様になんて口のきき方を」と前に出ようとするが、ウィニングが手で制する。
僕もどうにかフォローしようと顔を引きつらせながらも声をかけた。
「シ、シエンさん? どうされたのですか?」
「へぇ、シエンさんと言うんだね。ずんぶんとワイルドな人だ。名乗ることを強制したわけじゃないから、僕は別に構わないよ」
貴族への無礼を『ワイルド』で済ませられるウィニングが凄い。
しかし次の瞬間、そのにこやかな表情とは裏腹に、冷たい声を発した。
「用があるのは、ルノさんだからね」
「あぁ?」
「彼女は今、君との話は終わったと言っていた。もう用はないんだから、君はさっさと帰りなよ」
「あんたには関係ないだろ。喧嘩売ってんのか」
「それはこちらのセリフだよ」
とうとうウィニングの顔から笑みが消える。
その眼差しは冷徹で鋭く、知らない人が見たら委縮して声をかけることすらできないだろう。
僕はそろそろストレスの限界です……胃に風穴が空いてしまうよ。
「え、えっとぉ……お二人とも、仲良くはできませんか?」
「「無理だ」」
あ、そですか……
「ところでルノさん、彼とはいったいどういう関係なのかな? もし恋人なら、男の趣味に疑問を持たざるを得ないな」
「こ、恋人!?」
「お、おいっ、ふざけたこと抜かすな!」
「そ、そうですよ! シエンさんとはただの知り合いですから!」
男と恋人だなんてとんでもない!
ほら、シエンさんだって怒って少し顔を赤くしてるよ。
「そっか」
しかしなぜか、ウィニングは嬉しそうに微笑んだ。
心なしか声も弾んでいたような……
ダ、ダメだ、これ以上は無理!
リリーナとケシーの言い合いなら、可愛げがあって微笑ましいけど、美形とはいえ大人の男二人がいがみ合うのは怖いだけだ。
……よし、逃げよう!
「あっ、申し訳ありません! 私、急用を思い出したので、ここで失礼致します!」
そう叫んで身をひるがえし、駆け出した。
後ろで二人が声を上げていたけど、構ってられるか!
そうして僕は、胃に穴が空く寸前で逃げ切ることができたのだった。





