逆恨み(アルゴス商会サイド)
その日、アルゴスの執務机の上には数枚の書類が置かれていた。
「……これはどういうことだ?」
アルゴスは怒りを抑えた静かな口調で、呼び出したナハルへ問い質す。
彼は顔を真っ青にして唇を震わせていた。
いつもの自信に満ちた憎たらしい男とは思えない。
「も、申し訳ございません! 凄腕の剣士と聞くルノ・カーストなる平民を引き入れようとしたのですが……」
「それで失敗し、むしろ返り討ちにあったと」
「ぅっ……」
アルゴス商会に送られてきたのは、カフェ・ハウルからの賠償金の請求書だ。
アルゴスは知らぬ存ぜぬで押し通すつもりだが、部下の無能さににえたぎる怒りが収まらない。
どんどん憤怒の色が濃くなっていく表情を見たナハルが、慌てて口を開いた。
「シ、シエンの奴が裏切りおったのです! その場に居合わせた者たちの話では、ルノ・カーストに一騎打ちを挑み敗れたと。それであちらへ寝返ったのです」
「シエンか。奴はなぁ、知り合いの闇商人に無理を言って紹介してもらった、貴重な人材だったんだぞ! それをむざむざ手放すなど……貴様の采配ミスだろうがっ!」
「もっ、申し訳ございません!」
アルゴスの剣幕に耐え切れず、ナハルはとうとう床にひざまずいた。
額を床へすりつけ、平身低頭で謝罪する。
状況は最悪だ。
店の妨害はバレて賠償金を請求され、安月給で雇ったゴロツキの護衛のうち、最も期待されていた鬼人を失い、なに一ついいことがない。
震えながら謝り続けるナハルを、アルゴスが侮蔑の眼差しで見下ろしていると、ボロスが駆け込んできた。
興奮したように豚鼻をひくひくさせ、息を荒げている。
相当慌てているようだ。
「ア、アルゴス会長!」
「なんだ騒々しい。イージス金庫の融資は通ったのか?」
「そ、それが……審査で落とされてしまいました」
「なんだと!?」
「ひっ」
ナハルへの怒りが収まっていなかったアルゴスは、必要以上に大声を出してしまう。
しかし商会の資金繰りを考えると、いよいよ危機が迫って来た。
「どうも先日の取引の件を知っていたようでして」
「さすがに耳が早いな。だがそうなると、しばらくは商品の値上げを検討する必要が出てくるか」
アルゴスは難しい顔で唸る。
するとようやくナハルが立ち上がる。
「今の護衛に、商品の運送をさせるというのはいかがでしょうか?」
「シエンさえいれば、それも考えたが、残っているのは町の喧嘩自慢だけだろう。返り討ちにあって死ぬのがオチだ。どうせ使い潰すのなら、もっとマシな使い方を考えろ」
「は、はい……」
ナハルは声のトーンを下げる。
仲間を簡単に切り捨てろと告げる、アルゴスの目が怖かった。
いつか自分も切り捨てられるのではないかという漠然とした予感があった。
ボロスが神妙な表情で声を上げる。
「アルゴス会長、実はもう一件ご報告したいことが」
「なんだ?」
「他の幹部が噂に聞いたという話なのですが、実は最近、キュリオン商会が急速に商品在庫を増やしているというのです」
「キュリオンが? いったいなんのために……まさかっ!」
アルゴスはすぐに気付いた、キュリオン商会の目的に。
その通りだというように、ボロスが頷く。
「奴ら、我々が商品の値上げをした後、顧客を奪うつもりではないでしょうか?」
「こしゃくな奴め!」
アルゴスは気色ばんで拳を机へ打ち付ける。
金庫番からの融資は受けられず、資金難のため商品の値上げをするしかないが、そうなると競合に対する優位性を失うため、顧客を奪われる。
もう破産は目前まで迫っていた。
「すべてはあいつのせいだ」
「あ、あいつとは?」
「あの宝石商だ。奴の娘がリン・カネールに惚れたなどと抜かしたことがすべての始まりだ。それが原因で奴をクビにし、すべてがおかしくなった」
「そ、それは……」
ナハルは言葉に詰まる。
分かっているのだ、ただの逆恨みだと。
それでもアルゴスの目に渦巻く憎悪の火は反論を許さない。
「許さんぞ、絶対に!」
追いつめられ、憎悪の火に焦がされたアルゴスの次にやることは、もう決まっていた。





