これは変態――じゃなかった、大変だぁ!
ある日、リリーナは町の情報屋を訪れていた。
以前にアルゴス商会の調査を依頼していた情報屋だ。彼女は一人で店に入り、「ここで待っていてくれ」という指示に従い、僕は店の横の壁に寄りかかっていた。
聞かれたくない話の一つもあるのだろう。
「見て、とても綺麗」
「まぁ、いったいどこのお家のご息女でしょう?」
「そういえば、先日話題になっていた、ナイトのような令嬢って……」
「長い黒髪で背が高くて、翡翠の瞳のとても美しい方でしたわよね?」
「ということはもしかして、あの方が?」
「きゃーっ! 私、お声をかけてこようかしら!?」
「おい、お前声をかけて来いよ」
「そ、そんなこと言ったって、あの子が迷惑に思うかもしれないじゃないか」
「お前そんなんだから恋人ができないんだよ!」
「いやいや、あんな美人、俺らが声かけたって無視されるだけだって!」
「まずは当たって砕けろってんだ」
ただ待っているだけなのに、いつの間にか目立ってしまっていて居心地が悪い。
リリーナさん、早く戻って来ないかなぁ。
ため息を吐いて下を向いていると、ふと妙な視線を感じた。
……なんだろう?
この身の毛のよだつような落ちつかない感じは――
「――ルノちゃん、みーつけたっ」
「こ、この声はっ……」
震える肩を抱きながら、おっかなびっくり横を見ると、すぐ近くの曲がり角から顔を半分出してこちらをジトーっと、じっとりねっとり見つめている美少女がいるではないか。
表情が希薄だからなお怖い。
「ア、アリエス、さん?」
「あら、ちゃんと名前を憶えていてくれたのね。嬉しいわ」
アリエスは僕と目が合うと、微笑を浮かべ優雅に歩み寄って来た。
これは変態――じゃなかった、大変だぁ!
僕は冷や汗をだらだらとかきつつ、引きつった笑みを浮かべて挨拶をした。
「ご、ご機嫌よう、アリエスさん」
「ご機嫌よう、ルノちゃん。今日はご主人様はどうしたの?」
「ちょうど今、情報屋の方から調査依頼のご報告を受けられているところです」
「そう、どうしてあなた一人でここに立たされているの?」
「そ、それは分かりませんが、リリーナさんのご都合ですから」
「ふぅん? ひどいご主人様ね」
「そ、そんなことはありません!」
しまった、分かり切った挑発なのに思わず反応してしまった。
「大丈夫よ。私ならあなたに寂しい思いをさせたりしないわ」
「な、なにを……」
アリエスは愛おしそうに目を細め、その細くて綺麗な手を僕の頬に当てる。
ひんやりした感触はどこか心地いい。
彼女の目を見ると、濡れたようにしっとりとした蠱惑的な眼差しで僕を見つめていた。
年齢は二十前後で僕やリリーナと変わらないはずなのに、なんという色気だろう。
「さぁ、私と結婚しましょう」
「そ、それは、前にも断ったはずで――」
「大好きなスイーツだって、たくさん食べさせてあげるわ」
「本当ですか!?」
ハッ! いけない、思わず我を忘れてしまった。
なんという精神攻撃だろう。
あれ? それよりもなんでこの人、僕が甘いもの大好きだって知ってるんだろう?
怖いから聞かないでおくけど。
「頬を赤く染めて、期待に膨らんだ表情、素敵だわぁ」
えっ、僕そんな顔してんの?
ダメだ、スイーツへの期待が抑えられないみたいだ。
これは本格的にピンチだと思ったそのとき、救世主は現れた。
「ルノ? どうした、そんなに興奮して。発情期か?」
「違います!」
「あら、もう戻ってきてしまったの? ルノちゃんのご主人様。意外と早かったわね」
そう言ってアリエスは僕の頬から手を離し、数歩下がる。
今の口ぶりだと、リリーナが店に入って行くところから見ていたみたいだ。
リリーナは僕の隣に立つと、腕を組んでアリエスをにらみつけた。
「また君か、変態アートコレクター」
「その言い方だと、私がそういうエッチぃ絵を集めている人みたいに聞こえるのだけれど? 誤解を招くような発言はやめてほしいわ」
「ふんっ、自業自得だろう」
「とんだ言いがかりね。まぁでも、今はあなたに用はないわ。私はご主人様に見捨てられて、寂しい思いをしているルノちゃんを引き取ろうとしていたところよ」
「え? ち、ちがっ」
「そうだったのか、すまないルノ」
いや真に受けないでくださいよ!
違うんです、寂しかったのは本当ですけど、別にアリエスさんやスイーツになびいてたわけじゃないんですぅ~
「というわけで、おいでルノちゃん」
アリエスは柔らかい笑みを浮かべ甘い声を発すると、再び僕へ両手を伸ばした。
まずい、このままじゃ僕の信用にかかわる。
『スイーツ』というキラーワードを口にされる前に、どうにかしなきゃ!
心は少し痛むけれど……僕は拳を強く握り、大きく息を吸った。
「ち、近寄らないでください、変態!」
「んな!? まさか、ルノちゃんがそんなことを言うなんて……でも、その恥ずかしそうな顔で言われると、ゾクゾクしてくるわ」
「ひぃっ、変態!」
「あぁ、その蔑むような目もいい!」
あれ? なぜか逆効果だったみたいだ。
むしろ彼女は恍惚とした表情で喜んでる。
しかしリリーナはその隙を見逃さなかった。
「ルノ、今のうちだ!」
「は、はい!」
「あっ、こら待ちなさい!」
僕はリリーナに手を引かれ、なんとか変態の魔の手から逃れたのだった。





