僕や目の前のちっぽけな悪意なんかじゃ、その強い意志を曲げることはできない
しばらく歩いてようやく周囲に溶けこめてきたのか、僕への注目が薄れてきた頃、前方で悲鳴が上がった。
「ど、泥棒よ! 誰か捕まえて!」
豪勢なドレスを着たやんごとなき婦人が必死に叫んでいる。
どうやら大事なバックを取られてしまったらしく、泥棒らしき角刈の男がこちらへ向かって走って来る。
通行人たちは怯えた様子で道の脇へと移動し、近づこうともしない。
もし巡回の騎士がいれば対応してくれるのだろうが、その姿も見えない。
「リリーナさん、危険ですのでこちらへ」
僕はそう言って彼女を誘導しようとする。
今の僕の仕事は、リリーナ・クイントを守ること。泥棒と対峙して彼女を無防備にさらすことじゃない。
被害に遭った女性には気の毒だけど、僕はただの貧乏な一般市民なんだ。
しかし、リリーナは動こうとはしなかった。
「……嫌だ。ここで逃がせば、バックの中身ごと闇市場へ消えて二度と戻ってこなくなる。そうなると、あのご婦人が悲しむ」
「リリーナさん?」
「それを見過ごしたくはない」
「なにをっ……」
「ノブレス・オブリージュ。たとえ貴族でなくなったとしても、その気高さを失うわけにはいかないんだ」
どんなときでも一本の強い芯を持っている。
それがリリーナ・クイント。
再び貴族の地位を取り戻そうとしているからこそ、その心意気を失ってはいけない。
彼女の言いたいことは分かる、でもそれは凶器の前では無力と化すのだ。
だから、彼女の誇りを踏みにじってでも、僕が止めないと!
「危険です! お下がりください!」
「頼りにしてるよ、ルノ」
彼女は微笑を浮かべてそう言うと、こちらへ一直線に走って来る男の進行方向で立ち止まる。
ここは通さないと、気丈ににらみつけていた。
なんて危険な……けど、それでこそリリーナ・クイントだ。僕や目の前のちっぽけな悪意なんかじゃ、その強い意志を曲げることはできない。
「止まりなさい!」
「うるせぇ、どけぇぇぇっ!」
男は、左にバックを抱えたまま、右手で懐に忍ばせていたナイフの柄を握り抜く。
その白い凶刃をリリーナへ向けて突進してきた。
「リリーナさん! くっ!」
戦うしかない、大切な友人を守るために。
僕が決意したそのとき、あることに気付いた。
「これは……よく、見える!」
普段であれば、敵の挙動を見極めるにはもっと近づき、よく観察する必要があった。
だが、視界を遮るものがない今、周囲の状況から敵の一挙手一投足までを一瞬で見極めることができる。
「これならっ!」
カーネル家には、代々伝わる『秘剣』があった。
だが、それはいつしか灰色の世界に閉ざされたことで使えなくなり、その存在すらも忘れかけていた。
しかし、新しい世界で今、かつての研ぎ澄まされた感覚が戻ってきている。
全身に鬼人としての力がみなぎっているのだ。
――隠密式縮地――
僕は地を強く蹴り、姿を消した。
同時に地は砕け、烈風が吹き荒れる。
「がはっ!」
突如、男が苦しそうに声を漏らした。
なにが起こったのか分からず、目を見開く彼のみぞおちには、僕の拳が食い込んでいた。
僕がゆっくり拳を引くと、男は苦悶の表情で腹を押さえ後ずさる。
だが、その瞳から闘志は消えていない。
「てめぇぇぇっ」
男は不意打ちに青筋を立てつつも、憤怒の形相で僕をにらみつけ、ナイフを振り上げた。
周囲で悲鳴が上がる。
だが、凶器と悪意を向けられているというのに恐怖はない。
だって……
「……遅い」
僕は流れるような動きで腰を落とすと、斬鉄剣の鞘を腰で構え柄を握る。
居合の構えだ。
あまりにも遅く感じる相手の挙動を見極める。
そして――
「――見えたっ――」
――不可視の一閃
次の瞬間、宙を細く白い光が走り、鋭い風切り音が響く。
一瞬ののちに描かれた光の軌跡は、ナイフの持ち手のやや上を通過していた。
そして振り下ろされた獣人の右手のナイフには、刃がなく……
「んなっ!?」
男は驚愕の声を上げた。
遅れて、ナイフの刃が地面へ刺さる。
うん、我ながら綺麗に斬れている。
男は目を白黒させ、わけが分からないとナイフの持ち手と刃を見比べているが、無理もない。
だって、いまだ斬鉄剣の刃は鞘に納まったままなんだから。
それがカーネル家に代々伝わる『秘剣』。
敵を斬るのなら、刃を見せない。
それこそ我が秘剣の神髄だ。
あまりに早すぎて現実離れした出来事に、誰もが硬直していると、ようやく騎士たちが駆けつけた。
彼らは婦人に事情を聞くと、すぐに男を取り押さえる。
そして、時間が止まったかのように固まっていた周囲の通行人たちが、ようやく動き出す。
「す、すげぇぇぇっ!」
「な、なにが起こったんだ!?」
「よく分からんけど、あの姉ちゃんが一瞬で倒したぞ!」
「カッコいい……」
「素敵っ、お姉さまぁぁぁっ!」
鼓膜が破れんばかりの歓声が響き渡った。
向けられていたのは、賞賛や尊敬の念。
僕は初めての出来事に頭が真っ白になり後ずさる。
そして恥ずかしさに耐え切れなくなり、慌ててリリーナの元へ駆け寄った。
「に、逃げますよ、リリーナさん!」
「え? ちょっ、待っ」
彼女の返事も聞かず、その手を引いて脱兎のごとく走り出す。
泥棒のほうはもう大丈夫だろう。
バックは持ち主の元へ返り、騎士が犯人を縛り上げ、駐屯所へ連れていくはず。
僕はただ、逃げることに集中しよう。
あまり注目されると、正体がバレる危険性がある。
そうなっては破滅だ。
それだと言うのに、手を引かれて走るリリーナは、なぜか楽しそうに笑っていた。
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