2話 ストーカー(仮)
久しぶりの再開を果たした幼馴染と酒場の木製ドアを開ける。
ドアベルが鳴り、カウンターの奥で何やら作業をしていた長髪の中年男性がこちらに反応を示した。
「おうクリスタ、帰ったか――ってなんだ、客でも引っかけて……」
男は一瞬こちらを見て訝しんだが、すぐに俺に気づき表情を和らげる。
「アル坊! アル坊じゃねェか! 何だよ帰ってたのか?」
「久しぶり、おやっさん。 相変わらずのサラサラヘアーですね」
右手を挙げて挨拶をする。 おやっさん――この店の店長であるモーガンさんは顎ヒゲを撫でながら豪快に笑う。
「ガハハハッ! まあな! オメェは何だ、随分でっかくなったみたいじゃねェか?」
「そうかな、そこまで伸びてはないと思うけど」
「体の話じゃねェよ。 男としてってことだ」
おやっさんは逞しい腕を組んでニカッと笑う。
「なるほど、そういうやつですか。 そうだといいですけど」
「こーんなちみっこい時から見てた俺が言うんだ間違いねェよ」
おやっさんは小さいころから俺の面倒をよく見てくれた、俺にとってもう1人の父親のような人だ。
そんな人が言うのだから、それなりに成長を誇ってもいいのかもしれないな。
「よっしゃ、開店準備は仕舞いだ! 今日は客の相手なんぞしてられっか! パーッとやるぞパーッと!」
「ちょっとちょっと店長!? 気分で店閉めるのいい加減やめなさいってば!」
身を乗り出して叱るクリスタだが、おやっさんはまるで気にせず『閉店』の札を持ち出す。
いい加減やめろ、ということはまだ気分で店開けたり閉めたりする悪癖は矯正されていないらしい。
「アル坊が帰ってきたんだぜ? 仕事なんてやってられっかよ!」
「あーもうこのおっさんは……ほんとダメ人間」
目頭を押さえて遠慮のない悪態をつく幼馴染を見ているとその苦労が偲ばれる。
「今夜はパーティーだ! 楽しみにしとけよアル坊! 旅ん中じゃあ美味いモン食えなくて苦労したろうからな、好物山ほど食わしてやるぜ!」
「おやっさんが作るんですか?」
この人の作る料理は不味くはないが、酒の肴になるような塩辛いもが多い。 以前よりはそういうものに理解が深まったが、俺はあっさり系が好みゆえ複雑である。
「ハァ……大丈夫、あたし作るから」
「おっ、クリスタが作ってくれるなら安心だ」
彼女は俺の幼馴染とは思えないほどとてもよくできたやつで、大抵のことは器用にこなすし、料理も3年前の時点でかなりの腕前だった。
「おいアル坊、それじゃ俺の料理が安心できないみたいじゃ……」
「あんた食の好みとか変わってないわよね?」
おやっさんの言葉を遮るクリスタ。
「ああ、豆のスープだけあれば生きていけるぞ」
「もうちょっと変わっててもいいと思うけど……」
呆れ気味に言う彼女を見て、以前何かリクエストがある方が作り甲斐があると聞いたことを思い出す。
「そうだな……せっかくだからお前の焼いたパンが食べたい」
「……わかった。 生地は店にあるからそれで焼いたげる」
気の強い幼馴染は少し頬を赤くして頷くと、手を叩いておやっさんを急かす。
「さあさあ店長、落ち込んでないで手伝って! アルが帰ったら一緒に酒飲むんだって張り切ってたじゃないのっ」
「お、おう……そうだった、もうアル坊も18、いや19か。 誰に咎められることもねェ!」
うーん、完全に上下関係が出来上がっているな。 おやっさんのことは好きだけど、大人として褒められたものではないのでまあこれでいいのだろう。
「あんたは荷物ウチに置いてきなさい。 ……あと馬もね。 部屋はそのままにしてあるから」
「そうか、ありがとう。 行ってくる」
わざわざそのままにしておいてくれたのか……掃除の手間もあるだろうに、クリスタ達には感謝しかない。
「部屋でゆっくりしてもいいし、知り合いに挨拶回りするのでもいいわ。 夜まで好きにしてて」
「挨拶回り……俺あんまり知り合いいないの知ってるだろ? まあ、ディアナおばさんには会っておきたいかな」
ディアナおばさん、とはクリスタの母親であり、俺の母親……と言って差し支えないほど世話になっている人である。
「そ、母さんもきっと喜ぶわ! 行ってらっしゃい」
「ああ」
笑顔の幼馴染に見送られ、店を出る。 家に帰る前に先にディアナおばさんに会いに行こう。 どうせ方向は一緒だ。
俺には、両親がいない。 俺が6歳の時に、乗っていた馬車が事故に巻き込まれ二人とも死んだ。 俺だけが頑丈さと運で生き残ったらしい。
そうしてたまたま生き残った俺を、ディアナおばさんはクリスタと姉弟同然に育ててくれた。 どれほど感謝しても足りない、大恩人だ。
最初にクリスタに再会していなかったら、真っ先に会いに行っていただろう。
「……あった」
少し歩くと、紫色の屋根のこじんまりした家屋が見えてきた。
白い壁に大きな窓、その向こうには洒落た小物やインテリア、少し怪しいオブジェ等々が、店主の拘りが垣間見える整然とも雑然とも言えるような並びで客を待っていた。
ここは雑貨屋“シルム” クリスタの母、ディアナさんが経営する店だ。
「お邪魔します」
「あら、お客さん――ってアルくんじゃない!?」
こちらを一瞥しただけですぐに俺だと気づいたようで、クリスタを一回り大人にしたような顔をパッと明るくして、木製のカウンターから身を乗り出してくる。
「やっぱりアルくん! 帰ってきてたのね~! もう、手紙くらいくれればよかったのに~!」
「すいません、なるべく早く帰りたかったもので」
やっぱりクリスタとは親子だなと感じる。 物腰はおばさんの方がおっとりしているが結構似たような言動をするし、見た目もよく似ている。
「そう言われちゃしかたないけど……お祝いする準備期間くらいほしかったわぁ」
「それなんですけど、おやっさんのトコでクリスタが料理準備してくれるみたいです」
伝えると、明るい笑顔がもう一段階明るくなる。
「クリスタに会ったのね。 で、どう?」
「前にも増して綺麗になってましたね」
「さっすが模範解答っ!モノが違うわ~! そこで「どう? とは?」とか言わないのがナイスよ!」
相変わらず元気で愉快な人だ。 こっちまで元気になれる。
「おばさんも、相変わらずお綺麗ですよ」
「あらあら、本当に上手なんだから。 お世辞でも嬉しいわ、ありがと」
人の観察や褒め方、人と接する時の心構えなどはほとんど全部おばさんの教育によるものだ。 大体の人とのコミュニケーションはこの人から教わった基本を活かせば割と円滑に進む。
……稀に、火種を生むこともあったが、それは俺の使い方の問題だ。
「あんまり大勢でっていうのもアルくん落ち着かないだろうし、私1人でお邪魔させてもらうわ」
「そうしてくれるとありがたいです」
ひとしきりディアナおばさんと会話した後店を出て、家路につく――
「……うーん」
――と行きたかったが、 どうするか。
実はシルムから出て――いや出る少し前から、何者かの視線を感じるのだ。 最初はディアナおばさんを見ているのかとも思ったが、確実に俺を見ている。
ここで撒くのは簡単だ。 しかし、一度逃げ切ったとして意味があるのか?
このストーカー(仮)の目当てが俺にしろディアナおばさんにしろ、撒くより本人に直接問いただすほうが有意義だろう。
「……チラッ」
「……っ!?」
視線の方を振りむくと、小柄な影が物陰に隠れるのが一瞬見えた。
……相手は大体把握した。 が、このへんはまだ人通りもある。 場所を考える必要があるな。
必要がないという確信はあるが、万が一を考えチラリと背負った長剣を確認する。
一呼吸して、ベイルを引き歩き出す。 一応、「気のせいか」と言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら。
少し歩いて人通り少ない道へ誘導、先の歩行者の有無を確認し、角を曲がる。
そして、馬車を置き去りにして急加速――
「ちょっといいか?」
「ひゃっ!! え、ええっ!!? なん、今、そこ……」
まあ驚くだろう。 追っていたはずの人間が一瞬のうちに自分の後ろに立っていたのだから。
タネも仕掛けも無い。 ただ素早く裏通りから回り込んだだけだ。
「あ、あわわわわわ……!」
一瞬見えたとおり、視線の正体は小柄な少女だった。
毛先が大きく外ハネした茶色のショートカット、同じ色の瞳は恐怖と困惑で潤んでいる。
「危害を加える気はない、話を聞かせてほしい」
「ご、ごごごご……」
「ごめんなさーーーーい!!!」
逃げた。 一目散に。
中々の逃げ足だ。 隠れた時の身のこなしといい、それなりに鍛えられているな。
「うーん……まあこうなるよな」
俺はというと、特に追いかける必要を感じていなかった。
視線からもそうだったが、向き合ってみても敵意や悪意を感じない。 尾行もあらゆる部分がプロとしてはお粗末だし、あれなら放っておいても問題ないだろう。
「……よし、帰るか」
夜までにやることがいくつもある。 もう、空は夕暮れだ。