━━ 二節 ━━
暖かな陽気が、大地に生い茂る草花に生気を与える。
太陽の他に無数の星が青空を覆い、鯨が丘の上にある小さな家の真上を穏やかに遊泳している。
その家は、何本もの木の枝を紐で結んであるだけの簡易的な造りで、中から少年があくびをしながら出てきた。
薄汚れたマントで身を包み、両手を高く上げて背伸びをする。
ボサボサの長髪で目元が隠れ、だらしなく腹を掻きながら裸足で地面を歩く。
すると、背中に無数に枝を伸ばした円背の巨人が、葉を揺らし、一歩一歩地を響かせ、少年の前をゆっくりと通り過ぎる。
少年は、動じることなく見届け、左手で親指と人差し指で円をつくり、遠くを覗きこんだ。
いつもと違う。
妙な違和感を覚え、辺りを見渡すと、勘が当たった。
遥か彼方の地で、爆煙が舞っている。
また、奴等だろうか…。
ここ最近、平穏な日常を脅かす輩が何人も現れるようになった。
奴等の頭上には、自分と違って捻れた輪が浮いており、意志もある。
姿形が自分と異なったり、身につけているものも見慣れないものばかり。
そして、危害の無い者を巻き込み、消滅させるというあまりにも残酷な仕打ちを行うのだ。
しかし、今回は様子がおかしい。
とにかく、止めに行かないと罪の無い者に被害が及んでしまう。
少年は、一目散に現地へと向かった。
━━幾つものクレーターが出来ていた。
そこに立っているのは、2人の男女。
真上には、互いに白く輝く捻れた輪。
女性は、暗い色のストローハットをかぶり、髪は赤く短い。
白いTシャツの上にグレーのジャケットを着こなし、袖を捲って見える銀の腕時計は、程よく焼けた肌に良く映える。
七分丈のダメージジーンズに白いスニーカーを履いて、全身血塗れで、今にも倒れそうな男性に眉を潜める。
「いい加減、鬱陶しいんだけど。
私、アイツのこと何とも思ってないし」
男性は、全身の白い衣装が血で染まっている。
大きなスカーフを頭にかぶり、黒い縄状のバンドで固定している。
長いワンピースを身にまとい、白いビジネスシューズを履いている。
サングラスは、褐色の肌と手入れされた髭に似合っている。
「貴様の気持ちなんざ、どうでもいいんだよ」
そう言うと、男性の姿が徐々に変化していく。
頭が何倍も大きくなり、ワニのような長い口からは沢山の鋭い歯が並んでいる。
長い尾に手足もヒレへと形を変え、みるみる巨大化していった。
「アンタ、前借りた恐竜映画に出てきたやつとそっくりだね」
女性の言葉に聞く耳を持たないのか、宙に浮いた巨大な爬虫類は、口を開けて襲いかかろうとする。
次の瞬間、女性のすぐ目の前で、地面に押しつけられた。
とてつもなく重い物が、自分の体を抑えつけているような感覚。
骨がミシミシと悲鳴をあげている。
爬虫類は、重力に抵抗することに必死で、声を出す余裕もない。
「私はね、アンタ等にかまっている暇なんて無い訳よ。
これ以上、私の邪魔をするっていうんなら━━」
女性が手をかざすと、光線を放ち、右ヒレに風穴を開けた。
爬虫類は、歯を食い縛りながら、悲鳴にも聞こえる唸り声をあげる。
「残りは、フカヒレにするよ」
そう冷たく言い放ち、爬虫類の大きな瞳には、恐怖の色に染まっていくのが分かった。
すると、2人の前に少年が現れた。
女性は、新手かとばかりにうんざりしながらも、少年に警告する。
「私はね、しつこい奴って嫌いなのよ。
いい加減にしないと━━」
そのとき、女性の目の色が変わった。
「アンタ、メビウスの円環は━━!?」
少年に目をやるや、驚きのあまり爬虫類の力を解いてしまった。
その隙に、尾ビレを思いきり振り上げ、空へと浮上し、全速力で遠くへと逃げ去っていった。
女性は、拍子抜けた声をこぼしてしまったが、やっと諦めてくれたことに安堵し、改めて少年と向き合う。
「アンタ、“魂”ではないみたいだし、私達と同じ“開拓者”でもない。
何者なの?」
少年を上から下までまじまじと観察するが、長い前髪のせいで表情が読み取れない。
「ヤメルッ!」
初めて発した単語は、まだ声変わりの時期訪れておらず、高いトーンだった。
「キエルッ! ヤメルッ!」
口元だけでしか相手の感情表現が判断出来ず、妙に気味が悪い。
「何? 私に消えろって言ってんの?」
先程の者に続いて、嫌悪感が増していく。
しかし、少年は、周りに浮遊している黒電話や、得体の知れない動物を指差しながら、同じ言葉を繰り返す。
そこで、ようやく伝えようとしていることを理解した。
「そこら中にある“魂”が消えてしまうから暴れるな、って言いたいの?」
少年は頷く。
なるほどね、と納得した女性は、殺気を消して、落ち着くために軽く深呼吸をする。
「ゴメンね、私、この世界についてあまり気にしたことなかったから。
え~っと、名前は?」
少年は、女性の言っている意味が分からず、一瞬固まってしまうが、女性を指差して誰だとカタコトで尋ねる。
「…私は、実。
ミノルだよ」
「ミ…、ミ、のル」
少年は、確認するかのように、小声で何度も練習する。
ジャケットの裏ポケットから、銀紙に包まれた板チョコを取り出し、少年に差し出す。
少年が瞬時に身構えてみせたので、警戒を解いてもらうために一欠片割り、口に運ぶ。
毒などないことを証明し、再度差し出すと、少しずつ近付いては、匂いをかぎはじめる。
そして、ミノルからチョコを素早く奪い、大きな口で半分以上も雑に食べる。
今までチョコを食べたことがなかったのか、初めての味に興奮している。
「君は、何処から来たの?」
少年は、指についたチョコを舐めながら、遥か向こうにある丘を指差す。
ミノルは、遠くの景色に眉をしかめ、ふと、少年にあることを問いかけた。
しかし、少年は何のことなのか理解出来なかったため、これ以上は、自分の知りたい情報を聞き出せないと結論にいたり、諦めてしまう。
そのとき、地平線の彼方から砂煙を巻いて、何かがこちらに向かってくる。
それは、勢いよくブレーキをし、2人の前に現れた。
高身長で、人の体格をした斑模様の猫。
目のまわりが黒く、筋肉質で、腰周りに立派な装飾の剣を身につけており、存在感がある。
肩にセーラー服を着た少女を背負い、背中からベレー帽をかぶった黒い猿が地面に降りて、少年に片手で軽い挨拶を交わす。
この者達も皆、頭に同様の円環があった。
「ミノルさん、探しましたよ。
それで、この少年は…?」
猫面が尋ねたので、ミノルは、キョトンとする少年に目をやる。
「この子は、“チョコ”っていうんだ」
咄嗟に名付けたミノルに、猫面は素直に受け入れてしまう。
「そうですか、はじめましてチョコ。
私は、ベンジャミン・J・テイラー。
ベンと呼んでいただけたら幸いです」
礼儀正しく接し、少年に対して軽く頭を下げる。
チッチッチッ。
猿が舌打ちをし、ミノルに何か話しかけては、腰のポーチから葉巻を取り出した。
口に咥えながらオイルライターで火を点け、耳を疑ったベンは、ミノルの方を向く。
「そうなんですか!? ミノルさん」
「そッそんなわけないじゃん。
チョコってちゃんとした名前だよ!?」
慌てて目をそらすミノル。
2人には、猿の言葉が理解出来る様子。
どうやら、デタラメに付けた名前だとバレたらしい。
「え~っと、実は、この子上手く喋れない上に名前も無いみたいでさ」
観念したミノルは、少年について説明をする。
「そうだったのですね」
「取り敢えず、名前をつけてみたんだけど、呼びやすくて良いかなって」
「良いと思います。
親しみやすいかと」
猿は、鼻から煙を吐き、胸に親指を当て、何か語りかける。
「彼は、ブルース。
よろしくってさ」
ブルースの代弁をするミノルに対し、不器用なりにチョコも呼んでみると、軽く鼻で笑われた。
「ところでさ、ベン、さっきから誰を担いでるの?」
肩でぐったりしている少女に、ようやく振ったミノル。
「ああ、すっかり忘れていました。
この子、新人さんみたいだったので、事情を説明しようとしたら怖がられてしまいまして…」
ベンは、目が回っている少女を、その場にゆっくり降ろしながら経緯を説明する。
どうやら、ここに来る前に、道中で困惑していた少女を見かけたらしく、そのまま連れてきてしまったらしい。
「そりゃあ、チーターが二足歩行で喋ってたら普通怖いよ」
「でも、ミノルさんを助けに行かなくてはならない状況でもありましたから」
ベンの主張に、ミノルは呆れてしまう。
「だからって、いたいけな女子を問答無用で担いでったら立派な犯罪でしょ」
ベンは、その発言にショックを受け、ブルースに慰められる。
「大丈夫? 怪我はない?」
意識が戻った少女に声をかける。
少女は、黒ぶち眼鏡をかけ、腰まである三つ編みのおさげをしている。
体は細身で、長めのスカートをはいており、典型的な文学女子校生のようだ。
眩しそうに瞼を開け、朦朧としながら周りを確認すると、陰になっているベンの顔が不気味に見え、飛び起きてしまう。
「ヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
咄嗟に後退し、異種族の面子に怯えてしまう。
「なッなななな何なんですか!?
あなた達はッ!? ここは一体ッ!?
何で月が何個もあるんですかァ!?」
涙目になり、酷く動揺している。
そんな様子の少女に、ミノルはゆっくり近付き、目の前でしゃがみこむ。
「まずは、落ち着いて自己紹介をしよっか。
名前は?」
穏やかに話すミノルに、少女は力無く応える。
「塚本、マリ…、です」
「マリかァ、私、竹内 実。
よろしくね」
優しく笑みを交わし、立ち上がって手を差し伸べる。
「ようこそ、死後の世界へッ!!」