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━━人ニ刃アリ━━

━━昔、神童と呼ばれた一人の少年がいた。


少年は、顔形が整っており、立ち振舞いも何処か華があった。


学問も優秀だったが、剣の技術が図抜けていた。


小柄ながら大の大人を何人も打ち倒し、畑を荒らす熊さえも敵ではなかった。


ある日、少年は、“鬼”の存在を耳にする。


鬼は、体格が大きい上に気性も荒く、力も普通の人間より強かったため、逆らえば最悪殺されてしまうという。


近くの町をいくつも襲い、酒や食糧を強奪して、住み処である島へと帰って行くのだそうだ。


少年は、人間を苦しめている鬼を許せず、信頼できる3人の仲間と共に鬼の住む島へ向かい、見事に鬼を倒した。


後にその島は、少年の手によって家が建つようになり、一つの国が出来上がったとさ。


めでたしめでたし。


と、本来ならここで話のオチどころなのだが、それは、あくまで表向きの話━━。




━━蒸気船。


快晴の下、潮風が心地よく、重低音の汽笛を船全体に響き渡らせる。


「ふォーーーッ!!」


そして、それに負けないくらい騒いでいる子供も…。


デッキのど真ん中で、両手を空に掲げるヒヨリは、手すりに寄っ掛かりながら、水平線ばかり眺めているハルカに声をかける。


しかし、彼女とは正反対で、気分は下げ下げだった。


「どうしたのハルちゃん、船酔い?」


「ちッがうよ…。

アンタ、この船に乗るまでの道のりをもう忘れたの?」


思い返す素振りを見せるヒヨリに、心底呆れてしまう。


旅が始まって早々、問題が発生したのだ。


港町に向かうハズが、何故か彼女はよく道から外れようとするのだ。


確かに看板や道を辿れば目的地に到着するのだが、たまには寄り道も必要なのだと言い張る。


最初は、オレも好奇心で面白おかしく彼女の後をついて行ったのだが、行き止まりにも関わらず障害物を乗り越えようとするし、二手の分かれ道だと真ん中の道なき道を通って崖に落ちそうになったり等々…。


2日で着く距離を5日もかかってしまったのだ。


深いため息を吐くと、ヒヨリが肩を叩いて慰めようとする。


「人生、山あり谷あり。

そんなに下ばかり見ていたら、幸せが逃げて行っちゃうゾ!」


「実際は壁と崖ばかりだったし、足元見ていなかったら死んでたじゃんッ!!」


的確なツッコミをいれるオレ。


「つか、流れで船に乗っちゃったけど、今から向かう国に本当にいるのかよ。

騎師団の残りのメンバーがそこに…」


疑心を抱きながら、口から不安を漏らす。


「絶対にいるよ! だって港町でランチしてたとき、おばあちゃんからあの国の話聞いたじゃん」


「オレの金でなッ」


「だから、そこに行く前に必要な物を揃えて━━」


「オレの金でなッ」


「入国手続きして、この蒸気船に乗ってるんじゃない!」


「オレの金でなッ」


ヒヨリの今までの経緯に口を挟むハルカ。


2時間程前、町に着いた2人は、気が緩んでしまったのか空腹だということに気付き、急に力が抜けてしまったのだ。


そこで、最初に目に入った食堂で腹ごしらえをすることに。


胃袋にみっちり食べ物を詰め込んで、満腹感に浸っていると、店内の片隅でゆっくりお茶をしている円背のお年寄りが、2人を見て珍しく思ったのか、声をかけてきたのだ。


軽く事情を説明をすると、ジャオという島国に行ってみるといいと勧められる。


10年程前に出来た発展途上国で、世界初最年少の若き国王が統治しているという。


国についての情報を色々教えてもらい、ヒヨリが突拍子に行ってみようと言い出したのが事の発端である。


「ちょっと! さっきから何小ッちゃいこと気にしてんの!?」


「小ッちゃかねェ!!

でけェよ損害がッ!!

何で姐さんの分の旅費をオレが出してんの!?」


「だって、アタシお金持ってないし…」


「ちょッ!? じゃあ、今までどうやって生活してきたんだよ!?」


言い返そうと口を開くが、グッとこらえて喉の奥に引っ込めた。


「とにかく!

あの話が本当だとしたら一気に4人増えることになる。

そうなれば、魔女を倒す日も近くなるってことでしょ!?」


「そりゃあそうだけど…」


無理矢理話を元に戻したヒヨリに、まだ言い足りなそうに腹の虫を抑え込んでちょっと不貞腐れてみる。




魔女、バートリ・エルジェーベト。


自分をこの世で最も美しい存在と称し、夢の中で世界最強の7人を揃え、強引に騎師団を結成させた張本人。


自分が最強すぎたため、討伐しようとする者が現れないことに落胆し、呪いをかけてまで自分を殺しに来るよう仕向けるという強行手段まで仕掛けてきたのだ。


平易に言うと、全てを持っていて何でも出来てしまう天才は、それが出来て当たり前すぎるためか、相手にしてもらえなくて面白くないので、自分からちょっかいをかけに行くという…。


つまり、かまってちゃんだということだ。


なんともまァ、精神年齢が幼稚すぎて、傍迷惑な話である。


“梟雄”、“剣聖”、“封魔師”、“人形”、“偶像神”、“幽鬼”、そして“烙印者”━━。


魔女が称し、この世で最も自分を殺せる可能性を持つ者達らしい。


そのうちの4人が、もしかしたら今から向かう国にいるのではないかと姐さんは推測しているようだが…。


しかし、いくつか疑問に思うところがある。


なぜ、魔女はオレを選んだのだろう。


確かに、オレは普通の人とは違い、錬金術を扱えるが、初心者であり、基本中の基本、かじった程度である。


スーガさんに拾われたばかりの頃、毎日図書館に連れて行かれ、仕事が終わるまでここで大人しくしていろと言われたのを覚えている。


そこで、様々な本を読み、錬金術と出会った。


世間では、神への挑戦、魔術の対抗手段など色々噂されているが、オレからしたら料理と一緒である。


例えて言うなら、カレーを作るのに主な材料は、肉、人参、玉ねぎ、じゃがいも、ルー、水。


それらを必要な分切って、計って、熱すればカレーの出来上がり。


というように、錬金術とは、様々な成分、物質量を正確に計算して、それらを熱し、混ぜ合わせて形をつくることで出来上がるものなのだ。


オレの場合、一種類の物質量しか演算出来ない。


錬成陣を描いて行うのであれば話は別だが、それでも2種類が限度である。


錬金術師は、先ほど説明したように様々な成分、物質量を正確に演算しなくてはならないため、演算過程の補助の役割がある錬成陣を描くのが一般的なのである。


しかし、その成分、物質が何種類もとなると描く陣が複雑になっていき、頭の中の演算方法もまた複雑になっていくのだ。


この間、腐人に襲われたとき、姐さんが弱点は“銀”だと教えてくれた。


だから、武器を錬成するために必要な分の銀だけを周りからかき集め、錬成陣無しで頭で演算し、成功することが出来たのだ。


オレは、そこまで賢くないし、不器用なんでね…。


つまり、“肉”しか焼けないってことだよ。


そんなオレを魔女は“幽鬼”と称した。


名前からして禍々しさを感じるが、自分がまだ気付いていない特別な力みたいなものがあるというのだろうか。


もしくは、5年前にオレが記憶を無くしたことと何か関係が?


そして、“烙印者”ヒヨリである。


なぜ、オレの名前を知っていたのだろうか?


本人に問い質しても上手く流されてしまい、訳を話そうとしてくれない。


約一週間、一緒に過ごしてわかったことは、素直すぎて嘘をつけない性格であること。


そして、オレよりも世間知らずで、野生児なのではないかと思うくらいだ。


“烙印”━━。


そのおかげで超人的な力を手に入れたんだとしたら、一体どうやって? 元々は何のために?


「ハルちゃん! アレ!」


ヒヨリの浮かれた声が聞こえてきた。


色々考えているうちに、目的地が見えてきたようだ。


まァいいさ、そのうちわかるだろうし…。


自分の荷物をまとめ、上陸する準備をはじめる。




━━ジャオ国。


外国からの輸送船が何隻も行き来し、石油も産出している島国である。


巨大な工場がいくつもあり、そこで稼働している重機からは、重々しさを感じられる。


埠頭には、貨物用コンテナが積み重なり、船の荷物をクレーンが上げ下げしていた。


そんな中、埠頭に足をつけたばかりだというのに、またもや問題が発生する。


「入国許可証を失くした、だと!?」


眉間にシワを寄せる強面の入国審査官を前に、ヒヨリがたじたじになっている。


「あッいや、その、さっきまでポケットに入れてたハズなんだケド…」


頭を抱えながら聞いて呆れるハルカ。


2人分の許可証を、自分が責任持って管理すると言い張るので、仕方なく渡してしまった数分前の自分を恨む。


「入国は認められん。

しばらく身柄を拘束させてもらう」


「そんなァ!!」


ショックを受けるそばで、既にハルカが両手を差し出していた。


「姐さん、諦めろ。

姐さんなんかに持たせてしまったオレにも責任はある」


「それ、どういうこと!?」


すると、向こうから駆け足でこちらに向かって来る者がいた。


「すまない、その者達はわたしの客人なんだ」


止めに入ってくれたその者を前に、2人は愕然とする。


まとまった長い黒髪をかんざしでとめ、着物を羽織っている。


そして、腰には2本の刀。


間違いない、この人は夢の中で見た騎士団の一人。


“剣聖”である。


「とッとんたご無礼を! お許しください“国王様”!!」


突然の登場に、入国審査官は慌てて頭を下げる。


「こッ国王ォ~!?」


彼の身分に驚きを露にする2人だった。


(あるじ)ッ!」


後から続いて3人が彼の元へ駆け寄って来る。


皆、彼と同様に腰に2本の刀を携えている。


「急に離れないでくださいよ。

んで、この者達は?」


この場にいる誰よりも体格が大きい青年。


アゴヒゲを軽く擦りながら2人を見下ろす。


「この間話したろう? 夢の中に出てきた者達だ」


(あるじ)が手も足も出なかったという、あの?」


彼の説明に、3人は疑いの目をヒヨリ達に向ける。


「自己紹介させてほしい。

私は、タオ。

この国で王をやらせてもらっている。

そして、この3人は、私を支えてくれる仲間であり、家族のユエン、ゴウ、イェジーだ」


中肉中背で物静かそうな青年と、前髪を七三に分け、メガネをかける女性が会釈する。


「ようこそ、我が国へ!!」


タオは、さわやかに2人を歓迎した。


緊張気味のハルカと違い、ヒヨリは元気いっぱいで手を上げながら挨拶を済ませる。




━━その後、2人を我が家へ招待するため、車に乗せて走り出す。


道中に見える建設中の建物や町の景色に釘付けだ。


なんでも2人は、このような国に来たのは初めてらしく、見るもの全てが新鮮に映っているのだそうだ。


私もこの国を出たら、様々な文化に触れて、この者達と同じような反応をするのだろうな。


正直、羨ましい。


そんなことを思っている間に、町から少し離れた森の中に入っていた。


閑静な場所にやがて2m以上の門扉が現れ、抜けて行くと開けた庭園に出る。


木々に囲まれた3階建てのレンガで出来た大きな屋敷が見えてきた。


車から降り、2人は屋敷の前で口を開けたまま突っ立っている。


どうやら驚きの連続で、言葉を忘れたらしい。


そんな2人をイェジーが応接室へと案内し、ソファーに座らせてお茶をいれてくれた。


まだ固い表情のハルカに肩の力を抜くよう声をかける。


「ハハハッ、そんなかしこまらなくていいよ。

楽にしてくれ。

それで、2人がこの国に訪れた理由は、やはり━━」


私は、軽く笑みをかわし、何となく察する。


「そう、魔女 バートリ・エルジェーベトにかけられた呪いを解くため、アタシ達と一緒に来てほしいの」


ヒヨリは、さっきとは違い、真剣な態度で私と向き合うが、少々困惑の表情を浮かべてしまう。


「すまない、今この国である問題が起きているんだ」


(あるじ)ッ!」


後ろで控えている3人のうち、ゴウが口を出そうとするが、黙るよう手振りしてみせる。


「…この国のどこかに“鬼”が潜んでいるという情報が入ってきたんだ」


「鬼って━━」


「亜人のことだよ」


そばでヒヨリが ハルカのために説明しはじめる。


「亜人は、人間とは違い、五感が優れ、身体能力がずば抜けているの。

種族によっては骨格が違うし、どのような環境でも適応できる能力を備わっている」


真面目な話をしている彼女に、第一印象と違ってスイッチの切り替えがちゃんと出来ることに意外性を感じてしまった。


我ながら失礼なことを思ってしまったと心の中でも反省する。


「そう、そして亜人は、この国が出来る前に私達が殲滅したハズの生き残りかもしれないんだ」


険しい表情で、当時のことを思い出す。


「10年前、この島は、元々亜人の巣だった。

額に角を生やし、髪は長く鋭い牙と爪を持つ。

怪力で一度掴まれたら逃げられない。

罪のない人達から食糧を奪うだけでは飽き足らず、殺しまで━━。

これ以上、奴等の所行を見過ごすわけにはいかなかったのだ」


まるで、自分にそう言い聞かせるかのように口にする。


「もし、そうだとしたら我々に復讐するため、機会を伺っている可能性があるので、只今、水面下で国中を捜索しているのです」


イェジーが、現在置かれている状況を説明する。


「━━というわけで、この問題が解決しないかぎり、私は、国を出るつもりはない。

どうか理解してほしい」


私は、苦笑しながら断ると、せっかくなので屋敷に泊まっていくといいと勧める。


イェジーに来客用の寝室に案内するよう頼むと、2人は、厚意に甘えることにした。


「おや、タオ。

この方々は?」


応接室を出ると、ちょうど正面玄関から声が聞こえてきた。


「婆様!」


そこには、ドレスを着た白髪頭の老婆と黒いタキシードでガスマスクをつけ、シルクハットを被り、杖をついて立っている者がいた。


「2人は私の客人です。

遠いところからわざわざ来ていただいたので、今日は、ここで泊まっていただこうかと」


ハルカは、2人に対して会釈するが、何故かヒヨリは顔をしかめている。


「おやおや、珍しいこともあるものだねェ。

どうぞごゆっくりしてってくださいね」


婆様は、穏やかに挨拶を済ませると、側にいた者と共に自室へと戻っていった。


「タオさん、あの人達は━━」


「私の婆様と爺様、ムウとフウだ。

それじゃ、ゆっくり疲れをとってくれ」


2人のことを軽く紹介し、後のことはイェジーに任せることにした。




━━爺様と婆様は、私の育ての親である。


昔、婆様が川原で魚が仕掛けにかかっているか見に行ったとき、自分の倍はある熊の死体が流れてきたのだ。


驚いた婆様は、慌てて渓流の方を見ると、下流に流れていった熊を見下す子供の姿があった。


それが、幼き私と婆様が出会ったきっかけである。


その後、身寄りのない傷だらけの私を連れ帰り、爺様と一緒に大切に育ててくれたのである。


当時、爺様は、腹掛に股引を身に付け、婆様は、麻の着物を着ていた。


泥とシミだらけでみすぼらしい格好していたが、私が国王となった後、生活は一変し、より快適な環境で暮らせるようになった。


私は、2人に最高の親孝行が出来たと思っている。


その場を離れた私は、自室に戻る最中、体が臭うことに気付く。


湯船に浸かってから戻るか。


私は汗を流すため、大浴場へと足を運ぶ。




「久しぶりのベッドだァ~!!」


どっと肩の力が抜けたハルカ。


イェジーに案内された寝室は、ベッドが2つあり、間に棚が挟まっている。


その上には、オシャレなスタンドライトが置いてあった。


「喜んでいただいて幸いです。

では、失礼します」


そう言ってイェジーが退室すると、ハルカは、嬉しそうにベッドへダイブし、マットレスの心地良さに感激する。


「最近、野宿続きですごく恋しかったんだよね~。

って、姐さん、何してんの?」


何故か服を脱ぎ始めるヒヨリ。


「アタシもお風呂が恋しかったから、今から行って来るゼ!!」


「ちょっと待てィ!!」


胸を服で隠しながら敬礼するヒヨリにストップをいれる。


「何?

もしかしてハルちゃん、アタシと一緒に━━」


「ちッがうよ!! 何でここで脱ぐの!?

お風呂場で脱ぎなさい!!」


ポッと頬を赤らめる彼女に、慌てて衣服を押し付ける。


「とかなんとか言っちゃってるけど、ぶっちゃけ照れてるでしょ?」


「ちったァ女の子の自覚を持てって言ってんの!!

恥じらいって言葉知らねェのか!?」


ヒヨリは不貞腐れながらも服を着直し、気を取り直してお湯に浸かってくると告げ、部屋を後にする。


ったく、あの人は…。


ヒヨリに振り回されっぱなしで慣れてきたせいか、少しずつ仕方なく思えてきた。


結局、メンバーが4人も増えることはなかったし、タオさんもこの件が片付くまで一緒に来てくれないみたいだし…。


姐さんも予想が大きく外れちゃったわけだけど、今後、どうするつもりなんだろ。


そんな事を考えているうちに、静かになった部屋の中で、寝具に顔を埋めながらふと気付いたことがある。


あの人、風呂場の場所知らなくね?




━━広い浴場に熱い湯気の中、ポツンと一人。


長い髪をタオルでまとめ、お湯で体の疲れがドッと抜けていく。


すると、向こうで勢いよく沈黙を破りに来た者が現れた。


「わァ! 広~い!」


ん、女の子!?


私は、不意を突かれたかのように聞き慣れない声にギョッと驚く。


裸足の音が響き渡り、少女は、私の前に姿を見せる。


「ひッヒヨリ!?」


「あッ! タオだ!!

やっほ~!!」


軽く挨拶を交わす彼女に、私は慌てて水しぶきをたてながらその場から離れる。


「なんで、ここに━━!?」


「お風呂入りたかったから来ちゃった」


「…ここの場所を伝えてなかったハズだが」


「硫黄とシャンプーの匂いが漂ってたから、すぐわかったよ」


「…そうか」


ちょっと納得してしまった自分に気付く。


いやいやいや!


だとしても、この状況は非常にまずい!!


「そッそれじゃあ、レディーに気をつかわせては悪いから、先に出るとしよう」


暗い表情で阿玉に巻いていたタオルをほどき、前を隠しながらお湯から出ようとする。


「え~、洗いっこしようよ。女の子同士(・・・・・)なんだし」


……えッ!?


私は、驚きのあまり堂々としている彼女としばらく目を合わせる。


「…どうしてわかった!?」


「女の子特有の匂いがしたから」


ケロッと当然のような態度のヒヨリに、なんだか自分のしていることに、だんだん馬鹿らしさを覚えた。




「あッ、タオの紋様み~っけ」


結局、ヒヨリの言われるがままにイスに座って背中を洗ってもらっている。


右の肩甲骨にある紋様を見て、泡たたせたタオルで優しくこする。


何故だろう、彼女の前だと調子が狂う。


「何で女の子だって隠してたの?」


「女だと色々都合が悪いからね。

一国の主が20歳の女だと国民や他国に舐められて威厳が保てなくなってしまうのさ」


まあ、他にも理由はあるが…。


子供の頃、家に男の子の服しかなく、それを着て近所の子達と遊んでいたら、周りの者が私のことをすっかり男の子だと勘違いするようになってしまったのだ。


無理もない、その頃から大人より力があったし…。


後ろのヒヨリをチラッと横目で流す。


「それに、誰かと違ってまったく発育しなかったんでね」


「大丈夫! まだまだこれから身長は伸びるよ!!」


「いや、そういうことじゃなくて…」


あまりの天然ぶりに皮肉が通用しなかった。


「いつの間にか、鬼退治をした当時の出来事も年を重ねるごとに多少美化されて世に広まってしまったようだし…」


そう、あの頃の私は、あまりにも無知で、あまりにも素直すぎたのだ。




子供だった私は、爺様と町だったハズの焼け野原を見に来ていた。


大人がよく口にする単語が気になり、爺様に訊いてみたことがあった。


━━“鬼”とは、狂暴で人の形をした外道。

儂等人間をエサとしか思わぬ化け物なんだよ。


それじゃあ、いつか爺様も婆様も食べられちゃうの?

そんなの嫌だよ!!


━━儂等弱い者には、どうすることも出来ないのさ。


だったら、私がやっつけてやる!!

熊をやっつけたんだから、鬼だって絶対やっつけられるよ!!


━━タオ、お前…。


そのとき、爺様に優しく抱き締められ、怯えているのか若干震えていた。


私は、より一層、鬼の存在そのものの印象が悪くなっていった。


大切に私のことを育ててくれている2人には、いつまでも笑顔でいてほしい。


その想いが私をさらに強くし、そして決意する。


私は、ゴウ、ユエン、イェジーを仲間に率いれ、鬼の住む島へと向かった。


自分の何倍もの体格の鬼の首をはね、心の臓を突き、無数の斬撃を食らわせる。


無我夢中で何十人、何百人と斬り殺し、気付くと文字通り血の海と化していた。


ふと見渡すと、辺り一面無数の死体が転がっていて、私は、足も刀も顔も真っ赤に染まり、息絶えた鬼を片手に引きずっていた。


そのときだ。


物陰から視線を感じ、顔を上げるとそこには、私よりも小さくて幼い鬼の子が覗いていたのだ。


鬼…、鬼だ…。


私は、身も心も磨り減らし、一歩ずつゆっくり近付いていく。


鬼は人殺し。


鬼は化け物。


鬼は狂暴。


鬼は外道、鬼は悪いもの、鬼()悪、悪、悪…。


目と鼻の先で刀を振りかざし、無垢な眼に映る自分を見て息を荒くする。


悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪━━。


そして、勢いよく振り落とした。




「━━、タオ! ねェってば!」


ヒヨリの声で我に返った私は、湯船に浸かっていた。


「顔真っ赤になってるよ。

そろそろ上がった方がいいんじゃない?」


「そッそうだな。

どうやらのぼせてしまったらしい。

お先に失礼するよ」


そばで心配そうに話かけるヒヨリを残し、私は、大浴場から出て脱衣所へと向かった。


今だからこそ思うところがある。


鬼達は、食糧問題に直面していたのではないのかと。


今この国は、世界有数の産油国であり、タンカーに乗って海外へ輸出している。


貿易が盛んで他の国から輸入品も入ってくるが、当時は岩肌が目立ち、植物が育つ環境ではなかった。


種族の絶滅を恐れ、海を渡り、初めて人の住む世界に足を踏み入れた鬼達もまた、人間を恐れていたのかもしれない。


互いの接し方がわからず、互いに見た目だけで判断した結果、あのような悲しいことが起こったのかもしれない。


もしそうだとしたら、鬼、いや、亜人と人間は、共存することが出来たのではないのだろうか。


互いに欠けているものを支え、喜怒哀楽を分かち合える理想の国が出来上がっていたのではないのだろうかと…。


だとしたら今頃、私の隣にはあの子が…。


体を拭き、寝巻きに着替えながらふと思う。


人の秩序を知らず、世間から孤立していた島に、突然私達が攻めて来た。


亜人からしたら、私達の方が人の形をした“鬼”だったのかもしれない。


当時のことを振り返り、後悔の念を抱きながら脱衣所を後にした。


その後、ヒヨリも大浴場から出てさっぱりした気分で廊下を歩いていると、窓の外に影が見えた。


タオの部下、ゴウである。


薄暗い中、正面からではなく、見張りのいない裏から屋敷の外へと出て行った。


不自然に思えたヒヨリは、気になって後をつけて行き、その後、屋敷に戻ることはなかった。




━━工業地帯。


この区域は、油田の汲み出しや天然ガスを生産する工場が建ち並び、何ヵ所もの煙突から煙が消えたことはない。


早朝、コンクリートの堤防に何十人もの警備隊が現場検証を行っている。


その中心に、真っ赤な大輪の花が咲いていた。


うつ伏せで何かに潰されたかのような大柄な男の死体。


肋骨は何本もむき出しになり、腹部から臓物が飛び散っている。


ゴウがそれを見下ろしていると、向こうから車のエンジン音が聞こえてきた。


私とイェジーが車から降り、歩みを進めると、近くにいた者達は、皆、私達に頭を下げる。


「主…」


「本当に、ユエンなのか?」


目の前の光景が信じられず、本人かどうか訊ねる。


「はい、死亡推定時刻は昨日の夜だと思われます」


私は、おそるおそる死体に近付き、絶句する。


「ユエンは、死ぬ前に“秘薬KBD-EX”を服用していました。

これは、潜在能力を強制的に覚醒させる薬。

これを使わざるを得ない状況だったということは、ユエンの前に現れたのは、余程の相手だったということです」


ゴウは、袋の中にあるカプセル薬の入った小瓶を私達に見せる。


「そんな、覚醒状態のユエンを倒すほどの存在ということは、つまり…」


この場にいる全員に緊張が走る。


私は、2人と向き合い、険しい表情で指示を出す。


「ゴウ、もっと情報を集めろ。

全ての港の船を欠航にし、乗客や積み荷を徹底的に調べるんだ」


「分かりました」


「私の大事な仲間、いや、家族を殺めた。

これは、到底許されるものではないッ!!」


そう言い残し、私は車に戻る。


その後ろでイェジーは、頭を下げているゴウの姿を疑いの目で見ていた。




━━私とイェジーは、車で屋敷へと向かっていた。


ゴウには、殺人現場の指揮を任せ、進展があればすぐ連絡をするよう指示し、その場を離れたのだが…。


何故、こんなことに…。


「イェジー、私に何か言いたい事があるんじゃないか?」


動揺を悟られぬよう、落ち着いた口調で訊ねる。


先程の現場から彼女は無言を通しており、ユエンの突然の死に平常心を失ってしまったのであれば話はわかるのだが、ただ、それだけではないような気がしたのだ。


「いえ、そのようなことは━━」


「長い付き合いなんだ。

遠慮なく言ってほしい」


しばらく悩んだイェジーだったが、少しずつ口を開いていった。


「ゴウの様子がおかしい?

どういうことだ?」


隣に座っているイェジーに対して耳を疑う。


「…最近、彼の行動に不審な点が見受けられます。

時々、深夜になるとどこかへ行くようなのですが、問い詰めてもはぐらかされてしまうのです」


なんだ、そんなことかと、軽く鼻で笑ってしまった。


「ゴウだって一人になりたいときくらいあるさ。

イェジーもそういう時があるだろう?」


「ですが、昨晩も部屋を空けていて、彼のアリバイが━━」


次の瞬間、私は、冷たい目つきで彼女の口を黙らせた。


「…仮にゴウが犯人だったとして、動機は?

ユエンを殺すほどの理由がゴウにはあったのか!?」


「そッそれは…」


私の指摘に、イェジーは言葉を失う。


「ユエンが殺されたからといって、動揺してはいけない。

この国の人々の上に立つ者として、私達は、そんな姿を見せてはいけないんだ」


彼女だけじゃない、自分にも喝を入れるかのように言い聞かせる。


「そして、さっきも言ったがユエンだけじゃない。

お前もゴウも大事な家族だと私は思っている。

証拠もないのに身内を疑うのは大きな間違いだよ」


「申し訳、ございません」


言葉に圧を感じたのか、反省するイェジー。


少々、八つ当たりになってしまったのかもしれない。


情けないことに、私も感情を押し殺すことは下手なようだ。


「ゴウを信じてみようよ」


イェジーに優しく諭し、窓の流れる景色に目をやる。


そう、今は信じるしかない。


家族を疑うだなんてどうかしている。


そして、私だってただ待つなんてことは思ってなどいないし、国民の安全を守るため、最悪、国外への避難も視野に入れておかないと…。


屋敷に到着し、車から降りると何やら中が騒がしいことに気付く。




━━屋敷の外では、そんなことが起きていると知らず、ハルカは、ベッドの中で心地良く寝息をたてていた。


すると、部屋のドアが勢いよく開き、その音に驚いたハルカは、ベッドから飛び起きてしまった。


状況が全く把握しきれないでいるうちに、あっという間に警備隊に囲まれてしまう。


そして、ドアから遅れてムウとフウが部屋の中へと入って来た。


「この者を捕らえなさいッ!!」


「はッ!!」


「えッ何何何!?」


戸惑うハルカに問答無用で縛りあげる。


「婆様!!

一体何をなさっているのですか!?」


タオが寝室に駆けつけると、ハルカが警備隊に無理矢理床に押さえつけられ、それをムウとフウが見下ろしていた。


「お帰りなさいタオ。

今、容疑者を捕縛したところです」


「はァ!?」


「どういうことです!?」


ムウの発言と行動に納得のいかぬ2人。


「…昨夜、我々の忠実な部下が殺されました。

お連れの方は、何処に行かれたのです?」


「確か、風呂に入って来るって行って、それっきり━━」


昨日ヒヨリと一緒にいたことを思いだし、あの後、部屋に戻って来ていないことを知ると、すぐムウに誤解であると進言するが、聞く耳を持たなかった。


「タオ!

あなたは王である身でありながら、私情に流されてはならないのですよ!!

可能性がある以上、疑いが晴れるまで身柄を拘束しておく必要があるのは当然でしょう!!」


返す言葉が見つからず、タオは立ちすくみ、そのままハルカが連行されるのを黙って見送るしかなかった。




ゴウは、埠頭でトラックに乗る部下に指示し、ある場所へと向かわせる。


「よし、それでは頼んだぞ」


そして、すぐそばにいた残りの部下に命令を下す。


「私は、別の任務でこの場を離れるが、お前達は引き続き任務を続行せよ」


「はッ!!」


部下達は、駆け足で持ち場に戻って行き、ゴウの視線は、町外れにある灯台へと向いていた。




━━今は、全く機能していない老朽化した灯台。


ゴウは入り口を見つけ、中へと入っていく。


中は埃まみれで、上へと続く階段を見上げると一ヵ所だけ窓が割れていた。


一段ずつ踏み確かめるかのようにゆっくり登っていくと、窓の下に散らばったガラスの破片の他に裸足と靴の足跡が上へと続いていた。


ゴウは、腰の刀をゆっくり抜き、ついに最上階に着く。


そこは、幾つもの中身のない缶詰めが無造作に散らかっており、部屋の片隅で、一人の少女がうずくまっていた。


埃と泥だらけのみすぼらしいじんべえを着て、髪は腰まで長く、口元から小さな牙がむき出している。


そして、決定的なのは額から突出している一本の角。


「見つけたぞ。

このときを、どれだけ待ち望んだか…」


そう呟き、ゴウが近付こうとした瞬間、横から(もり)が飛んできた。


すぐ後ろに下がると、2人の間に何者かが割って入る。


「待って」


そこには、自分の主と妙な縁で繋がった少女、ヒヨリの姿があった。


「この子に手を出さないで」


ヒヨリは、少女を庇うかのように彼の前に立ちはだかり、しばらく互いににらみ合うと、急にゴウが持っていた刀を放り投げ、腰にあるもう一本も同様に投げ捨てる。


無防備になった彼は、その場で正座をしはじめた。


想定外の行動にヒヨリは拍子抜け、鬼の少女もクリッとした眼で首をかしげる。




━━昨晩に遡る(さかのぼ)


火山のふもとに、ある研究所が建っていた。


そこは、火山の噴火時期を予測するために建設されたとされているが、それにしては見張りの数が多すぎる。


物陰に隠れているゴウは、疑問を抱いていた。


きっかけは、物資の輸入リストを目にしたときだ。


明らかにデタラメな数の物資量が記録されており、ここへと運ばれているようなのだ。


そして、最近のムウの態度がどこか挙動不審で落ち着きがなく感じられる。


何か良からぬことが起きようとしている?


胸がざわつき、確証が得られるまでタオや周りに伏せて、独自調査を行うことにしたのである。


見張りの目をなんとかかいくぐり、内部へと侵入する。


そこには、自分の目を疑うほどおぞましい光景だった。


薄暗く広い空間に、ガラスケースの装置が幾つも立ち並んでいる。


中には、得体の知れぬ臓物と、頭部、目玉の大きさの比率がおかしい胎児。


ゴウは、胃の中の物が口から出そうになり、必死に手で押さえながらこらえる。


更に奥へと進むと、これ等とは別の装置が2つ設置されてあった。


棺のようにも見えるそれらは、近づいて覗いて見ると、なんとそこには鬼の少女が眠っていたのだ。


「なんて、酷いことを… 」


そう呟き、もう片方にも目をやると、驚愕の事実を叩きつけられた。


「まさか、そんな━━」


あまりにも衝撃的で後退りしてしまうと、突如、施設内で警報が鳴り響き、我に返ったゴウは、仕方なくその場から立ち去った。


すると、物陰から誰かがゆっくり姿を現す。


その者は、何故か般若の面をつけ、子供のような背格好に銀の短髪が目立ち、存在自体、白の印象が強い。


しばらく装置を眺めていると、見張りが何人も現れ、手に持つ刀を小さな背中へと向けられる。


その者は、ゆっくりと振り向き、片手だけ上げて指で線を引くように横に流す。


プシュゥ━━ッ。


後ろの装置のロックが解除され、封じ込めていたものが目を覚ます。


唸り声をあげ、勢いよく装置から飛び出してきたそれは、周りにいた者達に襲いかかった。


悲鳴をあげる者の肉を食いちぎり、恐怖する者の四肢を八つ裂きにする。


白い般若が、静かにその光景を傍観しているうちに、見張りを全員片付けてしまう。


よだれと血で口の周りを塗らし、クチャクチャと咀嚼する。


そして、誰かを探しているのか、周りを見渡し、臭いをかぎはじめ、目の前の白い般若を相手にせず、どこかへと姿を消した。


警報が鳴り響く中、残された白い般若は、先程と同じくもう一つの装置のロックを解除する。


鬼の少女は、そこからムクッと起き上がり、白い般若と目を合わせる。


彼女を見届けると、白い般若もその場から去って行った。




一方、研究所を脱出したゴウは、工業地帯まで逃げ続けていた。


「お~っと、そこまでだ」


背後から声が聞こえ、振り向くと長い間友だと思っていた者が立っていた。


「ユエン!! まさか、お前まで…」


ユエンは、懐から秘薬を取り出し、錠剤を口の中へと運ぶ。


「自分のやってることがわかってるのか!?

貴様の加担しているのは外道の所業なんだぞ!!」


「外道だろうがなんだろうが、利用できるものは何でも利用するッ。

そして、オレ様がこの国の新王となるのだッ!!」


高らかに宣言している間に、ユエンの身体に異変が起き、顔や腕の血管が浮き出てきた。


「貴様ッ主を裏切る気か!!」


ゴウは、とっさに刀を抜こうとするが、覚醒したユエンが既に間合いを詰めてきていた。


「平和ボケした王など必要ないッ!!

オレは更に力を手に入れ、新国家をつくり、いずれは他の国々を━━」


繰り出される攻撃を必死にかわしていると、突然、ユエンの頭上から巨大な拳が振り下ろされ、地面に潰されてしまった。


血しぶきが辺りに散り、内臓を潰されたユエンは、呆気なく息絶えてしまう。


そこに立っていたのは、研究所で見た鬼の少女だった。


「お前は━━」


少女は、腕を縮小させ、その小さな体から考えられないほどの跳躍で姿をくらました。




人気のない灯台の窓に少女は突っ込む。


小さな足で階段を上がって行き、その先にある部屋の片隅にうずくまると、少女の後を追うかのように、ガラスの破片を踏む音が聞こえてきた。


少女は動じず、近付いて来る足音に耳をすませる。


その者は、薄暗い中、目を光らせている少女の前でしゃがみこむ。


「こんばんは」


ヒヨリは、少女に向かって優しい笑みをこぼした。




━━そして、今に至る。


「10年前、私達はこの島の鬼を滅ぼした」


当時、自分が犯した罪を暗い表情で懺悔しはじめる。


「世間では、鬼退治をした英雄となっているが、実際は一方的な殺戮だ。

戦う意志のない者、女、子供を容赦なく殺したのだ。

帰る家もない私を拾ってくれた主のため、正しいことだと信じて手を下したが、今だに後悔している自分がいる」

過去の自分と向き合っている彼に、少女は立ち上がって近くに寄る。


「許してほしいとは言わない。

ただ、矛先をどうか主に向けないでほしい。

お前の今までの憎しみを全て私が受け止め━━」


ゴウの頭に小さな手のひらがのった。


顔を上げると、少女が何も言わずに頭を撫でている。


それだけのことなのに、何故か体の奥底から何かが込み上げてくる。


ゴウは、それを抑えこむように歯を食いしばりながら必死に堪えた。




━━屋敷では、地下牢の中でブツブツ愚痴を吐くハルカの姿があった。


「あンのトラブルメーカー…。

今度は何をやらかした」


あの後、ムウの命令で牢屋に入れられ、短い間に色々ありすぎて頭の中が混乱状態になっていた。


しばらく経って落ち着きを取り戻し、レンガの壁に囲まれたこの空間であぐらをかいている。


すると、高い位置にある小さな通気孔から、何やら慌ただしい空気が伝わってきた。


もしかして、姐さんが戻って来たのかな?


「…どうせ、深夜徘徊して眠くなったから、そこら辺で野宿でもして、何も知らぬまま屋敷に帰って来てみると、さっきのオレみたいなことになってパニック~って、感じになってるんだろうなァ」


本当にあり得そうな展開に、思いついた自分に呆れてため息をこぼす。


「仕方ないなァ、迎えに行ってやるか」


ゆっくりその場を立ち上がり、鉄格子を掴んで両手から徐々に熱を発していく。


そして、鉄格子を横に広げ、人が一人通れる程の隙間ができ、見張りがいないか警戒しながら牢を出る。


記憶を頼りに来た道を戻ると、見張り当番用の机だろうか、出口のすぐそばに設置されてあり、その上に自分の私物が置いてあった。


「…人生初の脱獄かよ」


そう言ってニヤつきながら銀のチェーンを身につける。




居間のソファーに座りながら、ムウは、タオの手を握って励まそうとする。


「ユエンのことはとても残念ですが、気を強く保つのです」


そのとき、ムウの異変に気付く。


「婆様、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」


いつも通り接しているつもりだったようだが、どこか怯えているように感じる。


そして、向かいのソファーに座っているフウも手にしている杖がやけに震えている。


「へッ平気ですよ。

何も問題(・・)はないのですから」


「“問題”?」


ビクッと一瞬硬直し、ムウは黙りこんでしまう。


「…2人共、私に何を隠している?」


顔をしかめるタオ。


ムウは、沈黙を破り、息を荒くしてタオの胸ぐらを掴み出した。


「タオッ!!

早くゴウを、あの駄犬を捕らえなさい!!」


どうやら普段通りの穏やかなムウは、何処かへ消えてしまったようだ。


「ムウ様!!

落ち着いてください!!」


「…どういうことです?」


ドアのそばで立っていたイェジーも、さすがにムウの態度はただ事ではないと察し、タオから離れるよう割って入る。


「━━実は5年前、滅んだと思われていた鬼が見つかり、秘密裏に捕獲していたのです」


「なん、だと!?」


タオは、ムウの口から出たカミングアウトに唖然とする。


「そして調べた結果、亜人は、身体が丈夫で長寿だということが判明しました。

これから更に研究が進めば、あらゆる難病も治療出来る日が来ると考えられていました」


「すごい…」


次から次へと出てくる新事実に、イェジーは、つい驚きを口から漏らす。


「ですが、近頃、ゴウが我々の研究に勘付かれてしまい、研究所から鬼を逃がして、後を追ったユエンが殺されてしまった。


あなたの知り合いも共犯の可能性があるため、あのような対処をとらせていただいた、というわけなのです」


…なるほど、それなら最近の彼の行動に説明がつく。


イェジーは、ムウのこれまでの経緯に納得してしまう。


しかし、タオはそうではなかった。


「…この下手な芝居は、いつまで続くんです?」


「ッ…」


「主…!?」


話を聞いて、疑問を抱いたタオ。


「おかしいんですよね。

まず、どうして私に話してくれなかったんです?」


「すぐに理解してもらえないと思ったからです。

あなただったら即始末するよう指示していたでしょうし」


ムウの皮肉にも近い発言に、タオは動揺を見せぬよう努力する。


「━━確かに。

それじゃ、その鬼をどうやって捕まえたのです?

普通の人間が10人がかりでも敵わない相手を」


「それは、ユエンのおかげです。

彼は、この計画に快く賛同してくれました。

しかし、そんな彼をゴウが殺し━━」


「そこが最大の謎なんですよ。

どうしてゴウがユエンを殺した(・・・・・・・・・・)と言い切れるのです?」


ムウの眉間のシワが目立ちはじめ、イェジーは話が見えてこない様子。


「どういうことです?」


「考えてみてくれ。

鬼を逃がしたのがゴウだというのなら、何故すぐに国外逃亡せず、私達の前に現れた?

それに、逃がしたところで人間を目の敵にしている鬼がすんなり言うことを聞くとも思えないし、ゴウでもただじゃ済まないハズだ」


徐々に顔が汗まみれになり、険しい視線をタオに向ける。


「そもそも、鬼を逃がす理由が見当たらない。

さっきも言ったようにリスクしかないことをゴウがやるとは思えないのだが━━」


そのとき、タオの言葉を遮るかのように屋敷中に轟音が鳴り響いた。


急いでイェジーが廊下に出ると、部下が慌てて走って来た。


「何事だッ!?」


「大変です!!

屋敷内に、鬼が━━」


すると、部下のすぐ横の壁が突き抜け、瓦礫(がれき)が床に散らばり、巨体が彼女の前に姿を現す。


身長は2m以上あり、額に4本の角。


鋼のような胸筋をあらわにし、手足も丸太並みの太さで、肘の骨が鋭く突出している。


「フウ、様…ッ!?」


見覚えのある顔に驚愕する。


バカな!?


それでは、今まで私達と一緒にいたあのガスマスクの者は━━ッ!?


気になって部屋から覗くムウの目に、絶望の色が浮かびあがる。


「あッあんたァァ!!」


長年連れ添った夫の変わり果てた姿に衝撃を受ける。


「ムウ様ッ!!

出て来てはなりません!!」


イェジーは、すぐ秘薬を服薬して刀に手をつけるが、極めて異常な速さでフウが既に間合いを詰めてきていた。


覚醒する時間も刀を抜く隙もあたえないフウに絶対絶命のイェジー。


その瞬間、部屋から刀が飛んで来てフウの頬に突き刺さった。


怯んだフウは悲鳴をあげ、壁を壊しながら中庭へと出て行く。


「タオ様ッ!!」


瓦礫(がれき)だらけの廊下に足を踏み入れ、タオは、冷静に指示を出す。


「イェジー、そいつと婆様を連れて避難しろ。

後で聞きたいことが山程あるからね」


泣き崩れているムウを横目で流し、腰にあるもう一本の刀を抜く。


イェジーは、なんとかムウを立ち上がらせ、そばにいたフウの偽物も一緒にその場から離れる。


タオもフウが壊した壁を幾つくぐり抜け、中庭で頬に刺さった刀を(あご)の力で折り、口から欠片を吐き捨てるフウの姿を視認。


そして、遠吠えをするフウを2階の高さから見下ろし、自分のやるべきことを果たすため、一息入れる。


「…推して、参る」


覚悟を決め、壁を垂直に走って加速して行き、そのまま鬼に目掛けて突っ込んで行く。




3人が正面玄関へと向かうと、大広間で部下達が誰かを中心に囲んでいた。


「ゴウッ!!」


ゴウは、部下達に刀を向けられている中でやけに落ち着いていた。


「ゴウッ!!

きッさまァァァ!!」


ムウは逆上し、足に隠し持っていた拳銃を取り出す。


銃口を向けるムウを止めようとするが間に合わず、ゴウの肩に弾がかすめていった。


「ムウ様ッ!!

お止めください!!」


イェジーは、銃を取り上げようとムウを抑え込む。


「はッはなせェ!!

何をするのですイェジー!!

あなた達も何を躊躇(ためら)っているのです!?

早く其奴を殺せェェ!!」


部下達は、何が正解なのか分からなくなり、正気を失っているムウの叫びを誰も聞く耳を持てなかった。


「…ムウ様、私がなぜ堂々とあなたの前に現れたかお分かりですか?

これを見せるためです」


ゴウは、懐からカプセル錠剤がみっちり詰まった袋を取り出す。


それを見たムウの表情が、急に青冷めていく。


「それは、KBD-EXッ!?」


「ムウ様、あなたはこれを他国に売り飛ばそうとしていましたね?」


さっきまで騒いでいたハズが、固く口を閉ざす。


「あなたは、何年も前から亜人の驚異的な生命力に関心を抱き、病弱なフウ様を被験体にした。

結果、実験は失敗し、殺すことも出来ず、装置の中で眠らせていたのです」


「…つまり、鬼となってしまったフウ様をゴウに見られてしまったため、ムウ様は、全ての罪をゴウになすりつけようと…」


イェジーの冷たい視線を浴びるが、ムウは気まずくて目を合わせようとしない。


「しかし、私はわざと主の前に姿を現した。

そうすることで、あなたは主の前で理由もなく下手なことは出来まいと考えたからだ。

おかげで秘薬を積んだ船も止めることができた」


観念したのか、力が抜けて床に膝をつける。


「最初は、ただ、弱っていくあの人を見たくなかっただけでした。

しかし、亜人の生態を調べれば調べる程、未知数の可能性が広がったのです」


「━━そして、金に目がくらんだと?

それに、フウ様だけだは足らず、赤子にまで手を出すとは…」


ゴウは拳を強く握り、怒りが頂点へと達する。


「あなたはッ!!

命を何だと思ってるんだッ!!」


怒号にムウは怯え、再度泣き崩れた。




中庭では、タオが若干息を切らしながら刀をかまえていた。


フウは、右肩を斬り落とされ、身体中を斬り刻まれていた。


しかし、肩の傷口から骨が生え、肉がつき、皮膚が覆われていく。


新しく形成された腕の感触を確かめていると、身体中の傷も急速に癒えていった。


「…まるで、トカゲだな」


苦し紛れの笑みをこぼすが、攻略法が見つからず、少々悩んでいた。


このままだと消耗戦になる。


まるで、嘲笑っているかのように咆哮し、強靭な脚力で突進してくる。


激しい猛攻を見事にいなし、タオを捕らえようとする手を指から肘まで細切れにしていく。


これも無意味なことだってわかってる。


傷付けてもすぐ再生してしまうため、先程から片っ端に斬りつけて急所を探っていたのだ。


そして、弱点は絞れたのである。


しかし、感情が邪魔をする。


ついさっき割り切ったハズだった。


あれは、もう私の知っている爺様ではないのだと…。


「タオさんッ!!」


急に名を呼ばれ、その先にハルカの姿が目に入った。


どうやら地下牢から出て来られたようである。


この一瞬の隙を、フウは見逃さなかった。


平手でタオを叩きつけ、その衝撃に刀が耐えきれず、刀身が折れてしまう。


タオも怯んでしまい、次の一撃ももろに食らって倒れてしまった。


「タオさァんッ!!」


危機的状況のタオを助けようと、全力で走り出すハルカ。


仰向けのタオを見下ろし、フウは、勝ち誇ったかのように牙を見せる。


ゴンッ!!


後頭部に何かが当たり、振り返るとハルカが直角三角形の武器を使い、ブーメランのように手元に戻っていた。


「お前の相手は、こっちだ!!」


フウは、唸りながらこっちを向く。


しかし、勢いで喧嘩を売ってみたのはいいものの、後のことを何も考えていなかったため、徐々に後悔の念が強くなっていった。


「…八支の楔(サブロク・ウェッジ)


3m以上の柱を錬成し、戦闘態勢をとるハルカに対して殺意をあらわにし、襲いかかろうとする。


そのとき、倒れていたハズのタオがフウの右脚を押さえこみ、そのまま引っ張って前から転倒させた。


そして、力強く吠えながら、自分の倍はある体格の相手を投げ飛ばしたのである。


フウが起き上がろうとしている間に、ハルカは急いで柱の形を刀剣へと変える。


「タオさん使って!!」


(つば)のない刀をタオに向かって投げる。


縦に回転する刀を上手くキャッチし、突進してくるフウに対して更に体を低くする。


そして、掬い上げるように両足を切断し、勢いよく地面を転がっていった。


這いつくばろうともがくが、2本の腕も斬り落とされてしまう。


無惨な姿となったフウに、タオは、切っ先を突き付ける。


そのとき、フウの口から何か聞こえてきた。


「━━ッ、━━くれ」


弱々しく、かろうじて聞こえてくるその声は、タオがよく知る声だった。


「殺して…、殺して、くれェ…」


はっきりと耳にしたタオ。


今まで自分を大事に育ててくれた親の最期の頼み。


「…ズルいぞ」


大詰めを迎えるというときに、正気に戻るだなんて…。


斬ったばかりの傷痕から再生が始まる。


「頼む、タオや…」


迷いを捨てた━━。


背中から心の臓を突き刺す。


フウは血を吐き、魚のように口をパクパク動かすと、傷の治りが徐々に遅くなっていった。


目が潤んで視界が見えなくなる前に、首をはねた━━。


完全に動かなくなったフウを前に立ちすくむ。


しかし、背後から来る気配が、悲しみの余韻に浸る暇をあたえてはくれなかった。


「タオさんッ!! 後ろッ!!」


すぐにその場を離れると、巨大な拳が振り落とされ、フウの遺体ごと地面が陥没してしまった。


「━━お前はッ!?」


タオは愕然とした。


角を生やした少女が、目の前にいることに。


「鬼が中庭に侵入したぞォ!!」


「至急、応援をよこせ!!」


次々と入って来る警備隊によって、あっという間に中庭を包囲される。


「ハルちゃんッ!!」


「姐さんッ!?」


警備隊に紛れて、ヒヨリがハルカの元へと駆け寄る。


「今まで何処に行ってたんだよ!?

こっちは酷い目に━━」


「話は後! そんな事より━━」


ヒヨリの視線は、激しい攻防を繰り広げている2人に向けられていた。


フウのときとは違い、身軽で俊敏に動き回る。


少しでも隙を見せてしまうと、先程のように手足を巨大化させて一撃必殺を食らいかねない。


「…何故ッ」


どうしてなんだッ!?


タオは、困惑しながらも相手に着実にダメージをあたえていく。




━━2つの頃。


自分の周りで、何が起きているのか分からなかった。


皆、地べたで無造作に寝転がっている。


いつもと違って目を開けて、口から血を出してるけど、お父とお母も一緒に仲良く眠ってる。


そんな中、知らない人がポツンと立っていた。


その人は、私を見つけては近寄ってきて、しばらく見下ろしていた。


そして、細長い包丁を思いっきり地面に投げ捨てた。


どこか具合が悪いんだろうか。


苦しい顔をしている。


すると、引きずっていた亜人を私に投げつけた。私は、重さに耐えきれず、下敷きになってしまう。


体は冷たく、独特な臭いを発し、小さな手にねっとりと絡みついた赤。


あの人は、私に背を向けて足をふらつかせながらその場から去っていく。


幼かった自分は、ようやく全てを悟った。


あの人に皆殺されて、あの人は私を見逃してくれたのだと…。


そして、長い年月が経って、今、こうして再び出会えたあの人は、自分の過ちに苦しんでいた。


角から相手の感情、思念が伝わってくる。


戸惑い、躊躇(ためら)い、悲しみ、後悔、そして無力さと━━。


色んな重圧を背負い続けてきた人を責めることなんて出来ない。


私は、高く跳ね上がり、空中で大振りの隙を見せる。


四方一柱(しほういっちゅう)混沌(フンドゥン)


一太刀で12の斬擊が私を襲う。


次から次へと飛んでくる斬擊が重く鋭い。


途中までは防げたが、さすがの私も堪えられなくなり、片腕と腰から下を持っていかれた。


周りの者達の注目を浴びる中、私は、地面へと落ちていく。


腹部から腸がはみ出し、吐血が止まらない。


そんな苦しむ私を、彼女は覗きこむように見下す。


「今です! タオ様!!」


「悪の権化にトドメを!!」


2人を囲む周りの連中は歓喜する。


「ちょっと待てよ!!

もう、勝負は━━」


そんな異様な光景にハルカは口をはさもうとするが、ヒヨリが抱きついて止める。


「姐さん、何すん━━」


「お願い。

堪えて、ハルちゃん…」


彼女の震える声に、ハルカは仕方なく口を閉ざした。


息を荒くする私に、あの人は苦い表情を浮かべている。


あのときと同じ状況━━。


また同じ過ちを繰り返すのか━━。


何か打開策かあるハズ━━。


彼女の迷いが伝わってくる。


長い間、ずっと自分を責め続けてきた彼女。


あなたの気持ちを確かめたくて、このときをずっと待ち焦がれてた。


そして、嬉しかった。


あのときのこと、私のことを忘れてなどいなかった。


もう十分罪を償ったよ。


あなたの心の声を聞いて、今までで一番お腹いっぱいになるくらいの優しさを感じたんだから…。


ああ、言いたいことがたくさんあるのに、息をするのがやっと…。


どうすれば…。


そのとき、ふと灯台での事を思い出す。


何処から持って来たのか、ヒヨリから缶詰めをもらい、口に頬張ってるときのことだ。


バクバク食べる私に、ヒヨリはある事を教えてくれた。


━━あのね、美味しいものをもらったとき、嬉しいと思ったときは…。


あ━━。


り━━。


が━━。


と━━。


あのときのヒヨリの見よう見まねで口を動かし、人前で初めて笑みを浮かべる。


「━━ッ!!」


覚悟を決めたタオは、大声で叫びながら少女の首を断ち、血生臭い歴史に幕を閉じたのである。




━━2日後、見晴らしの良い崖の上に小さな祠を作った。


償いと、亜人の供養と、この国を見守って欲しいという願いを込めて内密て、建てさせたのである。


「フウ様の葬儀は、無事に終わりました」


イェジーは、祠を見つめる私に報告する。


「あのあと、ムウ様は終身刑で地下牢へ。

そして、タオ様の指示でKBD-EXの成分を分析した結果、鬼の少女の体から抽出されたものだということが判明しました」


やはり、そうだったか…。


この事件の最大の被害者である彼女に、申し訳ない気持ちで胸が痛い。


「…外敵から守るための防衛手段という名目でお前達に渡したみたいだが、それほど強力な薬をどうやって作り出したのか、私も気になっていたのさ」


爺様も婆様も、自分が一番よく理解しているつもりだった。


身近にいたのに、何故、爺様が偽者だと気付かなかったのか、何故、婆様の凶行に気付かなかったのか、無能な自分が許せず、忸怩(じくじ)たる思いでならない。


私は、取り返しのつかないことをしてしまったんだ。


哀愁漂う私の背中に、ゴウは口を開く。


「あなただったんですね、少女を助けたのは…」


「…私が、憎いか?」


脱け殻のようになった私に、黙って首を横に振る。


今回の件、一人で行動を起こしたのも、きっと彼なりの優しさだったのだろう。


欠点だらけの私に、少しでも負担を減らそうと尽力し、支えてくれた2人に頭が上がらない。


私が王として未熟だったから、このような惨劇が起こってしまったのだ。


「私は、王に向いてなかったんだ」


そう、こんな頼りない王など、存在していいハズがない。


私に、王の素質などなかったのだ。


「完璧な王など存在しません」


私の弱音を、ゴウが打ち消した。


「国があってこその王であり、民がいるからこそ王が必要なのです」


「あなたへの忠義は今も変わりませんッ!!

あなたの隣に、そばにいさせてくださいッ!!」


私の背後で、2人は膝まずいて強く希望する。


私は良き仲間に恵まれ、2人の固い忠誠心に非常に感謝していた。


しかし、私の心は、もう既に決まっていた。


「私は、もう“王”ではない」


刀を抜いて、まとまった髪に刃を当てる。


「ただの“女”だ」


2人の前で長髪を切り落とし、何本かは風にのって飛ばされてしまった。


イェジーは、顔を上げることが出来ず、声を殺しながら涙する。


すまない、そして、ありがとう。


お前達がいてくれたから、私は今までやってこられた。


これからは、自分自身の成長のために旅に出る。


2人の間を通り過ぎていくと、ゴウが立ち上がり、私に向かって大声で叫ぶ。


「私は待っていますッ!!

あなたの帰りをッ! 王の帰還をッ!!

ずっと、ずっと待ち続けます!!」


私は振り返らず、唇を噛みしめながら歩き続ける。


ゴウは、小さくなっていく私の背中を最後まで見送った。




━━埠頭の蒸気船に乗り込み、甲板からタオを待つ2人。


今回の件に不服のハルカに、ヒヨリは隣でボソッと呟く。


「…亜人の人種差別って、昔からある社会問題でね。

いくら一国の王であるタオでも、あの状況を止めることは難し過ぎたんだよ」


「でも、そんなのって…。

子供でもわかる集団リンチみたいなものじゃんか」


何度思い返しても意に染まないハルカに、潮風に髪をなびかせながら、ヒヨリは静かに語る。


「人間っていうのは、見慣れない聞き慣れないものに嫌悪感を抱くんだよ。

自分達の常識が足りなすぎることに気付いてないの。

だから自分達を肯定させるために、理解出来ないものを排除しようとする種族なんだよ」


遠くを見ながら語るヒヨリに、ハルカは鼻で笑う。


「姐さん、まるで自分は人間じゃないみたいな言い方してるよ」


一瞬、ヒヨリの悲しそうな笑みにドキッとしてしまった。


今まで、自分に見せたことのない表情。


「そうだよォ?

お姉ちゃんは、可愛いものに目がない肉食系なんだから」


ニヤニヤしながら、急にハルカの肩を組む。


…何、今の。


はぐらかされたハルカは、触れてはいけないことを口にしてしまったのではないかと不安がよぎる。


やがて汽笛が鳴り響き、出港時間となってしまった。


ボーディング・ブリッジが外され、船が陸から離れようとする。


「タオさん、来なかったね」


「しょうがないよ。

この短期間で色々起こり過ぎたんだから、気持ちの整理くらいしたいだろうし、近いうちにきっと合流でき━━!?」


ヒヨリの目に面白いものがうつった。


港で入国審査官に追われている者がいる。


帽子を深くかぶって顔は見えないが、ものすごい速さでこっちに向かってくる。


そして、人並み外れた跳躍で船の上に見事着地。


ポカンと口を開ける2人に近寄って、つばを軽く上げる。


「タッ、タオさん!?」


ちょっと照れ臭そうに笑みをこぼすタオ。


ワーキングキャップをかぶり、上着の下にTシャツ。


ちょっと大きめのショルダーバッグを持ち、ジーンズをはいているせいか足のラインが綺麗に見える。


「いやァ、間一髪だったな」


港の入国審査官が大騒ぎしているが、大分沖に出てしまったため、よく聞き取れなかった。


「タオさん、髪━━」


「ん? ああ、ケジメというやつだ」


かなり短くなった黒髪に、タオは似合うだろと帽子を脱いで見せる。


「いいの? 王サマがこんなことして」


ヒヨリが、意地悪に訊ねる。


「私はもう王ではない。

これから共に旅をする仲間だ」


そう言って、2人の肩を組み、満面の明るい表情を浮かべる。


肩の荷が下りたのか、どこか吹っ切れた様子に、2人もつられて笑みがこぼれた。


「…行ってきます」


小さくなっていく国に別れを告げるが、反対側の甲板にある救命ボートの中で、気だるそうに寝転がる少年が一人。


向こうではしゃいでいる声が鬱陶しく思いながら般若の面をつけなおし、寝息を立てた。




━━第三章 完━━

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