━━閉ジ目ヲ塞グ者━━
━━私は、ある男の存在が気になった。
その者は、膨大な知識を持ち、大魔導師と呼ばれている。
数々の偉人や王族とも面識があり、助言を与えるという。
風の便りで聞いたところによると、彼は、不老不死の研究を行い、それを会得して何世紀も行き続けているんだとか。
私は、ますます彼に対しての好奇心が高まり、彼に関する資料を世界中からかき集めてほしいと命を下すと、大陸一と言われている我が宮殿に集められた。
そこは、多くの最高機密文書が保管されており、私に仕える100名近くの国家魔導師によって厳重に守られている。
書庫ごとに様々な封印魔術が施されており、虫一匹入ることは許されないのだ。
ところが、一夜にして自慢の宮殿が燃えたという報告が入り、出火原因は、書庫の中から放火されたとのこと。
耳を疑う事件だが、まるで、何者かが隠蔽しようと妨害しているかのように思えてならなかった━━。
ここは光が一切入らず、天井も低い。
オレは、この狭い空間で座禅を組んでいる。
無心になり、自分の魔力を大地に根付かせて、外界の魔力をゆっくり吸収していた。
オレにとって魔力というエネルギーは、“時間”と“情報”を与えてくれる。
現在、外の天気は快晴だが、やや突風気味。
岩肌が目立つが、広大な湖面は、いつもと変わらず青く美しい。
近くにある小さな村には亜人が住んでおり、二重巻きの角を持つ者もいれば、三角耳を立てる者もいる。
争い事はほとんどなく、この土地で皆助けあって暮らしている。
オレか? オレは、人間だよ。
亜人のように爪や牙があるわけではないし、命に関わる怪我をしてしまったら当然死んでしまう。
しかし、オレは訳あって普通の人間より何倍も長生きしている。
正確な歳など自分でも覚えていない。
はっきり言えるのは、何度も人生を経験し過ぎて、どれが自分の記憶かも把握しきれていないということ。
どうしてこうなってしまったのか、記憶を整理して順序よく説明するとなると長くなってしまうのだが…。
そうだな、これから旅の支度を始めなくてはいけないので、それが終わるまでの間だけ、ほんの一部を語ることにしよう。
━━最初の2歳のとき、本ばかり読んでいたのを覚えている。
絵本など一歳で卒業したよ。
色んな世界観のあるおとぎ話を読んでいて楽しかったのだが、徐々につまらなくなってきたのだ。
もっと面白い絵本はないのだろうかと屋敷中を探し回ったが見つからず、それよりも、全ての棚から出して床の上を本だらけにしてしまい、家政婦によく叱られたものだ。
興味を惹くもの、刺激のあるものを強く欲していた時期でもある。
そんなとき、父から絵本の5倍はある厚い本を渡された。
嫌だ、僕は絵本が読みたいんだ!
そんな文字が小さくて絵がほとんどない分厚い本なんて面白いわけない!!
今のお前なら、こんな軽い本など容易く読めるだろう?
もっと想像力を働かせてみろと、僕の反論に父は言い返す。
傍から見たら突っ込みどころ満載の言い争いだろうが、知ったことではない。
僕は、半泣きで仕方なく渡された本の表紙を開く。
嫌々最後まで読み終えた僕は、結局、面白くなかったと父に文句を言いに行った。
すると陽気に笑い、今回は、お前にとって良い本との出会いではなかったということだ。
この屋敷の中だけでなく、世の中には、何万何億と本が存在するのだから、それをお前が探し出せばいいと、父は言った。
要は、宝探しのようなものだと、父は僕に教えたかったのだろう。
なんだか、手のひらで踊らされたみたいで気に入らなかったが、その通りだと納得してしまった自分もいた。
それから年々、僕は数えきれない程の本を読み漁るようになり、その中で“魔力”に興味を持つようになった。
儀式やおまじないによく魔力が必要と記されており、それが何なのかまでは具体的に載っておらず、少しずつ気になり始めてしまったのである。
魔力とは何だ?
何処から生まれてくる?
気体? 個体? 液体?
そもそも触れるもの?
目にうつるもの?
謎は深まるばかりだ。
そんな事ばかりを毎日考えていたらある日、妙なものが見えるようになった。
空気中に、うっすら光る白い糸が漂っている。
長さも太さも様々で、部屋の所々にゆらゆらと浮いていた。
最初は蜘蛛の糸かと思い、家政婦に取ってもらうよう頼むが、天井や壁を見渡し、首を傾げては何もないと言って相手にしてくれなかった。
そんなハズはない、すぐそこにあるのに、何故、分からないんだ?
若者の目には、大人と比べて視力が良いと本には記されていたが、本当にそれだけなのだろうか?
ふと窓の外を見ると、驚く光景が視界に入った。
部屋の中にある糸の他に、色違いの糸が何本も舞っていたのだ。
急いで屋敷を飛び出すと、草や木に色鮮やかな糸が生え、風にのって宙を舞い、高く遠くへと行ってしまった。
つい昨日まで見ていた景色が、嘘だったかのように思えてくる。
その時に気付いてしまった。
僕は、魔力が見えるようになり、この糸の正体が魔力なのだと。
感動のあまり狂喜乱舞してしまい、それを屋敷から見ていた家政婦から、本の読みすぎで心が壊れてしまったと勘違いをされてしまった。
かまうものか、僕は、世紀の大発見をしてしまったのだ。
これを興奮せずにいられるか!!
その日から、夢中になって様々な検証を行った。
触れるかどうか試してみると、魔力の端を指でつついた瞬間、人肌では分からないくらい軽くて柔らかすぎる綿の感覚だと思った。
そして、魔力と魔力を豆結びしてみせると、爆竹が爆ぜたように消滅してしまった。
綺麗な花火のように思えた僕は、近くの森林に入って行き、誰もいないことを確認する。
森の中は、屋敷の中と違って魔力が溢れており、色違いの魔力を先ほどと同じように結んでみる。
すると、赤や青など色とりどりの花火が出来上がり、その光に僕は魅了されていく。
そして、今度は、多くの魔力を使ってやってみようと考えた。
そこら中に浮いている大量の魔力を一つにまとめてみた結果、魔力が暴発し、今までとは比べものにならないくらいの衝撃で、僕は吹き飛ばされてしまった。
驚いた僕は、すぐ起き上がり、爆発した地点を見てみると、小さなクレーターが地面に出来上がっていた。
火遊びは気を付けないといけないなと、身をもって知った瞬間である。
その件から、僕は魔力を慎重に扱うようになり、組み合わせ次第で火や氷が生まれるということがわかってきた。
この素晴らしい魔術の世界に夢中になり、どんどんのめり込んでいった。
ところが、これから更に研究を進めようとしていたときに、歯止めをかける出来事が起こったのである。
ある日、町の広場で大勢の人だかりができ、何事かと見に行くと、その中心には絞首刑台が設置されていた。
その上には、髪がボサボサで痩せこけた女性が手枷をかけられ、そばに屈強そうな坊主頭の男が立っていた。
寒空の下、薄着で裸足にさせられているせいか、体が震えている様子が遠目でもわかる。
いや、この状況で寒いどころの話ではないか。
罪状は、あの女性が魔女であり、儀式を行ったとのこと。
当時、“魔女狩り”が流行しており、少しでも怪しい行動をとると、すぐ憲兵に捕まって拷問、処刑されてしまう時代だったのである。
まァ、中には気に入らない者を簡単に消すことの出来る手段の一つとしている輩もいるみたいだが…。
違う! 私は魔女なんかじゃない!!
私はただ子供に子守唄を━━ッ。
女性は、涙ながら民衆に訴えようとするが、男が腰につけていた鞭で背中を打ちつける。
悲鳴をあげ、その場で倒れた彼女の首にロープをくくりつける。
嫌ァ、嫌よッ、やめてェッ!!
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で抵抗しようとする彼女に対し、周りの者達は強く罵声を浴びせ、石や瓶を投げつける。
盛り上がりが最高潮に達した瞬間、彼女の足元の床が開き、重力に引っ張られていった。
女性は、苦しそうに足をじたばたさせ、最期は白目を向いて動かなくなった。
そのとき、彼女の体から無数の魔力の糸が一気に放出されていくのが目に入った。
なんだ、今のは…!?
民衆の歓声の中、僕だけが愕然と立ち尽くしていた。
その後、まっすぐ屋敷へと帰り、自室でさっきの光景を思い返してみた。
今まで僕は、魔力は自然から生まれてくるものだと思い込んでいた。
しかし、あの女性から出てきたものは、間違いなく魔力だった。
つまり、人間の中にも魔力が存在するということなのか!?
もし、そうだとすれば、僕の中にも…。
新たなる発見に、僕は声を殺しながら笑う。
素晴らしい、さすが魔術、知れば知るほど奥が深い。
そう考えてみると、ますます研究意欲が湧いてくるが、あまり目立った行動は控えた方がよさそうだ。
広場で見た女性の二の舞は御免である。
誰がどこで見ているかわからないし、この御時世、身内も信用ならない。
一体、どうすれば…。
あまりのもどかしさに頭を抱え込んでいると、ふと、閃きが頭に降りてきた。
━━荒野、鎧を身に付けた男達が咆哮する。
僕も陣形を崩さぬよう、剣と盾を持って目の前の敵軍へと突進する。
何故、僕は戦場にいるのか?
それは、もちろん研究のためである。
極端な発想かもしれないが、人間の死を間近で観察するには、この環境が最も適していると考えたからである。
あのまま屋敷に残り、人間の代わりに動物を実験台にして研究を続けるという選択肢もあったが、バレて捕まるのも時間の問題。
しかし、戦争ならば常に死と隣り合わせであり、堂々と人を殺しても罪に問われることはないのである。
ただ、デメリットは自分自身に危険が伴うということ。
どっちを選んでも、死ぬ可能性があることに変わりはないのだ。
自分の周りで何人もの兵士が悲鳴をあげ、その度に魔力が空へと散っていく。
小説によくある魂が抜けていくという表現は、もしかすると、この現象から生まれたのかもしれない。
地上では、血と泥まみれなのに、空を見上げると白い雪が降っているような光景。
まるで、灰色の世界にいるかのようだ。
景色に見とれている隙に背後から槍で襲われてしまう。
しかし、運良く脇腹を斬られただけで、急所は外れたようだ。
僕は一瞬怯んだが、すぐに振り向いて敵の胴体を斜めに斬りつけた。
返り血を浴び、相手は、その場をゆっくり倒れて体内から魔力が放出される。
ついに、僕は人を殺めたのだ。
悲しみや後悔は一切感じず、それよりも、自分もああなってしまうという恐怖心が一気に支配していく。
脇腹を抑え、吠えながらがむしゃらに剣を振り回す。
誰が敵で味方か区別がつかず、ただ、やけくそに必死になって斬りまくった。
━━辺りは暗くなり、金属がぶつかり合う音も悲鳴も怒声も聞こえなくなった。
満天の星空の下、僕は仰向けで横になっている。
どうやら、途中から気を失ってしまっていたようだ。
左右に首を動かし、キョロキョロと周りを見てみるが、何人かが、自分と同じように地面に倒れ、動く気配がない。
冷たい風が、余計体中の傷にしみるし、起き上がりたくても疲労と鎧のせいで重く感じるし。
このまま死を迎えるのだろうかと、ふと考えてみたりもしたが、それは、あり得ない冗談だと心の中で軽く笑ってしまった。
どうしたら良いものかと思考していたそのとき、負傷した脇腹から妙なものを感じた。
無理に上体を起こし、よく見ると傷口から魔力が触手のように何本も細く伸びていたのだ。
さすがの僕も驚き、何が起きているのか分からず動揺してしまう。
すると、浮遊していた魔力が、触手に引き寄せられ、触れた瞬間、吸収されてしまったのである。
この不思議な現象をしばらく呆然と見ているうちに、僕は、ある仮説を立てた。
人間は、いや、人と限らず命を持つ全ての生き物は、怪我や病気で生命維持が難しくなったとき、無意識で空気中の魔力を吸って体の回復を早め、生きながらえようとするのではないのだろうか?
そうだとすれば、僕は今、命の危機に瀕した状態であり、体内の魔力が応急処置のようなことを行っている、ということなのか?
なら、この状況は良い機会なのかもしれない。
僕は、深呼吸をして自分の中にある魔力を感じとれるか意識してみたが、いまいちよく分からず。
だったら、別の方法でいこうと考え、魔力を触れたときの感覚を思い出してみることにした。
この魔力は僕の一部ならば、自在に操ることができ、傷の治りも早くなるハズなのだ。
しかし、集中してみたもののそれでも何も感じ取れず、何も起こらないことに腹が立ち、覚悟を決めて最終手段をとった。
脇腹の傷口に指を2本突っ込んで、さらに広げたのである。
あまりの激痛に悲鳴をあげ、流血の量も多くなり、徐々に視界がぼやけはじめていった。
そうだ、これで良い。
こうすることによって、僕の五感は麻痺していき、魔力をより感じやすくなるハズだ。
命がけの方法だが、もうこれしか道はない。
やがて風の音、寒さ、痛みが薄れていき、極度の眠気に襲われ、まぶたを閉じた。
暗い闇の中、自分の体が重い分ゆっくり下へ下へと落ちていく。
それは決して不快ではなく、むしろ心地がいい。
何も聞こえず、何も触れず、何も匂わず、何も見えず、何も味せず…。
ずっとこのままでもいい気になってくる。
そんなとき、背後から何かが近付いてくるのを感じた。
そして、覚えのあるものに触れ、更なる安らぎを与えてくれた。
全てを優しく包み込んでくれるかのような、すごく細い繊維の集合体。
ようやく会えた。
これは、僕の魔力だ。
少しの間、感動に浸っていると、徐々に魔力が小さくなっていることに気が付いた。
まさか、魔力が尽きようとしているのか!?
つまり、僕の寿命は残り僅か━━。
ふざけるなと言わんばかりに、僕は、魔力の繊維をかき分けて無理矢理中へと潜っていくと、一瞬、意識が飛んでしまった。
目を覚ますと、自分の目が後ろにもあるかのように、周りの魔力を感じ取れるようになっていた。
体の隅々まで神経が伝わったかのように、なんとなく自分のいる世界が縮小されていく感覚があり、これが恐らく、自分の魔力が弱ってきているということなのだろうと解釈した。
そうはさせないと、僕の体から今出せる分の魔力の糸を伸ばし、360度周りに浮遊する魔力を吸収しはじめる。
ここら一帯、魔力が満ちているおかげか吸収スピードがだんだん早くなっていき、僕の魔力も膨れ上がっていくのがわかる。
体中にあった生傷が全て塞がり、とても清々しく、意気揚々となんでも出来るような気持ちになっていった。
ところが、急に頭の中で妙な映像が流れ出した。
犬と戯れる子供、女性との食事、中年親父達の賭け事━━。
明らかに身に覚えのない、会ったことのない者達との記憶が次々と脳裏に浮かんでくる。
なッ何だこれは!?
一体、何が起きて━━。
実際、自分がそこにいたかのような既知感にも襲われ、徐々に気分が悪くなっていく。
やがて、頭が何度も回転したかのように目が回り、側臥位になって胃の中にあったものを全て吐き出した。
これは、戦場で死んだ兵士達の記憶!?
まさか、魔力は生命が今まで生きてきた記憶を記録することも出来るというのか!?
新しい映像がフラッシュバックして何度も切り替わり、勢いが止まらなかった。
もし、そうだとすれば、ここで死んだ何百、何千人の魔力をオレは━━。
体が激しく痙攣しはじめ、オレは、意識を保ち続けようと必死で耐え苦しんだ。
━━今、見えている太陽は、何回目の光景なのだろうか。
それとも、私は、まだ誰かの記憶の中をさまよい続けているのだろうか…。
照りつける日射しが眩しく、鎧が熱を発していて暑苦しい。
体が気だるく力も入らない、軽い脱水症状を引き起こしているのかも。
耳元でハエがたかっている音がして、少し嫌悪感を抱きながら鎧の紐を何ヵ所もほどき、ゆっくり脱いでいく。
身軽になり、若干頭がクラついたが、なんとか上体を起こすと、鼻が曲がってしまうほどの強烈な死臭が漂っていた。
見渡すかぎり辺り一面に無数の死体が転がっており、その全てから僅かに灰色の魔力を帯びていた。
恐らく心臓が停止し、大半の魔力は体外に放出されるが、残った微量の魔力は、時間をかけてゆっくり空気中に飛び立つのだろう。
すると、向こうで死体を食い漁っている狼の群れが目に入った。
胸部の白い骨があらわになり、内臓を貪っている。
そのとき、灰色の魔力も体内へと吸収され、狼に宿る魔力が真っ黒になっていることに気付いた。
あれは、きっと死人の肉を食し過ぎたのだろう。
しばらくその光景を目に焼き付け、当分、肉は口にしたくないと思った。
今回、死にかけたし、酷い目にあったが、その分大きな収穫があった。
魔力を操ることが可能になったこと。
周りの魔力を感知、吸収できるようになったこと。
ただし魔力を吸収する際、記憶を媒体となっているものも含まれているため、自分の記憶と混濁してしまうリスクがある。
そして、生き物の体内にある魔力の流れも透視できるようになったこと。
この短期間?で急成長できたのは、我ながらよくやったと思う。
だからこそ、痛切に感じたことがある。
もう戦は御免であると…。
━━しばらく国には帰れそうにないので、船で大陸を渡ることにした。
脱走兵だと疑われぬよう変装し、素早く船内に潜りこむことができた。
貨物室で身を隠している間、荒波で船内は揺れ、軽く酔ってしまったが、なんとか堪えてみせる。
やがて、甲板の方が賑やかだと思い、恐る恐る外に出て見ると、日射しが眩しく、ちょっと怯んでしまったが、だんだん目が慣れてきた。
そこは、多くの船が停泊する港で、荷物の積み降ろしが行われていた。
湿り気に満ちた熱風が吹き付け、切り立った険しい岩山が町の背後にそびえ立っている。
汗だくになりながら入り組んだ路地を観光気分で歩いていると、ある光景が目に入る。
広場の中心に大きな檻があり、それを多くの人々が興味津々で集まっている。
檻の中には、一人の幼女。
一瞬、奴隷市かと思ったが、よく見たら幼女が普通ではなく、金髪で耳が尖っており、エメラルドグリーンの瞳をしていた。
あの子は、一体何なのだ…?
サイズが合っていない大きめの白いワンピースから小さい手足を出し、大勢の大人に囲まれて泣きじゃくっている。
初めて見る幼女の姿に言葉を失う。
周りの者達の口から“亜人”という単語が聞こえ、なんでも人の形をした怪物なのだという。
鉄格子を掴んで泣きわめいているあの幼女が、私にはどうしても怪物には見えないのだが…。
売人が面白おかしく値段を表示すると、何人もの客が、好奇の目で倍の金額を払うと挙手する。
こういう見せ物は、どこの国に行ってもあるようだ。
世界共通の文化に呆れてしまい、人外の言葉で叫ぶ幼女を哀れに思った。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
私だって出来ることなら体の仕組みとか調べてみたかったのだが、生憎、色々と都合が悪いし、幼女を虐める趣味は持ち合わせていないものでね。
反吐が出そうな光景から目を反らすように、その場から去ろうとしたそのときである。
建物の屋根から仮面を着けた何者かが勢いよく飛び出し、檻の上に着地した。
囲んでいた者達が騒ぎはじめ、注目を集めているうちに、仮面の者が両手を足元につけて熱を発する。
奴は、一体何をしているんだ?
すると、鉄格子が変形し、人間一人分入れるくらいの穴が出来た。
亜人の子を逃がす気なのだ。
奴が魔術を使った様子もなく、どうやって穴を開けたのか不思議で仕方なかった。
売人が怒鳴り散らし、見張りの者が慌てて剣や槍を取り出しはじめ、仮面の者の意図が判明した私も、すぐ様空気中の魔力をかき集める。
私は、どうしてしまったのだ。
こんなことをしている暇はないというのに、こんなことをしても得などしないというのに、無意識というか、あの子を助けようと体が勝手に動く。
仮面の者が手を差し伸べ、早く掴むよう急かすが、幼女は戸惑いながら隅で怖がっている。
その隙に、見張りが檻の上にいる仮面の者を排除しようと、下から槍で突き刺そうとする。
そして、売人も檻の鍵を開けて横から幼女を強制的に連れ出そうと試みるが、奥へと逃げられてしまい、苛立ちを覚える。
両者とも絶対絶命の危機━━。
伏せろッ!!
私が掛け声と同時に両手を空へとかざすと、魔力弾が暴発し、その場にいた者達が四方八方に吹き飛んでいった。
私は、体勢を低くしていてなんとか衝撃に耐えることができたが、中には壁に叩きつけられた者や、突然の出来事に失神してしまった者もいる。
檻を囲んでいた邪魔者も、皆、地面にのびている今がチャンス。
仮面の者も檻の上から落ちて頭を打ったのか、体をよろつかせながらゆっくり立ち上がり、中で気を失っている幼女に声をかける。
返事がないので、仕方なく背中におぶり、檻から出てきては私と目が合ってしまった。
お前も来いと首を振って誘われ、後をついていくと、後ろから追手がすごい剣幕で追いかけて来た。
この国に来て早々、何をやっているのだろうとつい自問してしまう。
亜人という人種に興味を持ってしまったのが運の尽きだと、致し方ない労力なのだと、心の中で無理矢理納得させては、狭い路地をひたすら走り、やがて人混みの多い場所に出た。
賑やかな市場が開かれており、色んな果物や名産品を売り子が元気よくアピールしている。
人の波に上手く溶け込みながら前へ進み、後ろから来た追手は、周りを見渡して私達の姿を必死で探すが見当たらず、声を荒げている。
手分けして捜索しはじめ、私達も少しでも離れようと急ぐのだが、すれ違う人々から、前方の2人を物珍しそうに注目している。
さすがにまずいと思っていると、仮面の者が脇道にそれて船の停泊場へと向かう。
オットー!!
何隻もの中から名を叫ぶ。
すると、帆をロープで整えている一人の青年が反応し、切羽詰まってこっちに向かってくる私達を見て、眉間にシワを寄せはじめる。
そして、素早く船をつなぎ止めていたロープをほどき、帆を張り直して、陸から離れる準備に取り掛かる。
長い浮桟橋を渡っている最中、背後から追手の声が聞こえてきた。
見つかってしまったのだ。
浮桟橋から船が離れはじめ、早くしろと青年が声を張り上げる。
2人を先に行かせ、私は少しでも足止めをしようと、再度、魔力を集中させる。
しかし、突如めまいが私を襲い、体も怠く重くなって思わず膝をついてしまった。
なんだ!? 何が起きたと…。
思うように手足が動かせなくなり、今起きている状況を把握する前に、男達に追いつかれて顔を蹴られてしまう。
軽く脳が震え、そのまま意識が遠のいていった。
━━目が覚めたときには、全身濡れていた。
痛みも感じ、気を失った後も私を痛めつけたのだろう。
私は、椅子に座らされて、両手を後ろに縛られている。
そして、鼻にツンとくるほど空間が馬臭い、どうやら、ここは馬小屋のようだ。
そんな中、強面の男達に囲まれて、商品を何処にやっただの、何処の回し者だの唾と共に言い放つ。
いっぺんに問い詰められても答えられるわけがないというのに、この者達ときたら…。
まァ、お望みの答えを私は持ち合わせていないことに変わりはないのだが…。
ただの興味本位でつい、と言っても理解をしていただけないだろうし、どう乗りきったら良いものやら。
そんなことを呑気に考えている間、バケツの水を勢いよくかけられ、さらに尋問は続いた。
何時間か経ち、男達は疲れて私を残し、小屋を出て行った。
小さな窓からは、星が覗いている。
とりあえず、体を癒すために魔力を吸収しはじめ、その間に先程の状況を思い返してみることにした。
恐らく、戦のときの疲労が抜けていなかったのではないだろうか?
その上、ろくな食事も摂っておらず、初めての船旅もあり、ストレスがピークに達していたのかも。
つまり、魔力の吸収は、傷は治せても体力までは回復することは出来ない、または、しづらいのだろう。
よし、一つは問題解決。
そして、亜人を拐った者、あの者達は何者だったのだろうか。
幼女のあの反応からして、仮面の者とは初対面であることに間違いない。
ノリで助けたは良いものの、結局、謎のままである。
珍しく深いため息をしてしまう。
本当に、私は何をしているのだ?
本来なら、ゆっくり魔術の研究が出来る場所を求めて、大陸を越えてまでこの地に来たというのに…。
亜人の誘拐に加担し、こんな藁と馬糞まみれの小屋で一夜を過ごすことになろうとは…。
思い返す度に悔やむ私。
自分の無謀さに呆れていると、何やら外が騒がしいことに気が付く。
鈍い音と短い悲鳴が聞こえ、少しの間、静かになったと思ったら、ドアを開けて誰かが入ってきた。
昼間の仮面の者である。
私の様子を見て両手の拘束を解き、ついて来いと告げられる。
声からして若い少年のようだ。
私は、言われるがまま小屋を出ると、見張りの男2人が地べたでのびていた。
早くしろと急かされ、その場から離れて素直に彼の後をついて行った。
停泊場とはまた別の海沿いの道に出ると、一隻の船が停まっていた。
彼は、勢いよく飛び乗り、私も同じように飛び込むが、着地に失敗して甲板にしりもちをついてしまう。
船を出すよう指示し、ゆっくり陸から離れていくと、私の元にペタペタと裸足で亜人の幼女が駆け寄って来た。
幼女は、心配そうに私の顔を伺い、彼も仮面を取って大丈夫かと尋ねてくる。
軽く返事しているうちに、青年も不機嫌そうにこちらに来て、少年に眼鏡を手渡す。
歳は15~6だろうか、少年は前髪をかきあげて眼鏡をかけると、自分の名はクリス、青年は従兄弟でオットーだと正体を明かす。
オットーは、ギルドを経営しており、漁業以外にも他の組合と提携し、この辺りの国々で商売をしているとのこと。
頭は良いのだが、学校に行かず、働きもしないクリスの面倒を見てくれないかと頼まれて、仕方なく船に乗せているのだが、隙あらばサボって錬金術の本ばかり読んでいるらしい。
“錬金術”━━。
過去に読んだ本に、それに関するものがあったなと思い出す。
確か、卑金属を貴金属に変える術、鉄を金や銀等にしてしまうというものだったか。
興味がそそられなかったので、あまり詳しくは覚えていないのだが、なるほど、あのとき檻に穴を開けることができたのは、そういう事だったのか。
今回も船の仕事を放ったらかしにして、町の中を散歩していたら、偶然この子が檻に入っている姿を目撃し、売店の仮面を盗んで助けに行ったらしい。
事の顛末を聞かされ、幼女は恥ずかしそうにモジモジしている。
たとえ亜人だろうと、人に値段をつけて良いハズがない。
見た目が違うだけであんな扱いをするのは間違っているのだから、僕は何も悪くない!!
クリスの主張にオットーが困り果てていると、そういえば、あのときに行ったアレは何だと目を輝かせながら、私に顔をグイグイ寄せてきた。
戸惑いながら、魔術を使ったのだと答えると、夜空に向かって大声で叫び、魔導師を初めて見た!存在した!と興奮し出す。
気持ちを抑えきれず、私に質問攻めするクリスに、オットーは、落ち着くよう拳骨をいれて制止させる。
彼等の話と状況を整理してみると、どうやら大陸によって知名度が違うらしい。
私がいた大陸は、錬金術の認知があまりなく、むしろ、魔術の文化が深く根付いているのだが、ここ数十年の間に魔女根絶運動が過激さを増している。
しかし、こっち側は逆に魔導師の存在を知られておらず、錬金術が主に普及しているようだ。
ということは、亜人が住む国、もしくは大陸もどこかにあるということであり、目の前にいるこの子が何よりの証拠である。
今まで亜人については、半分獣で半分人間であるだとか、不思議な力を使う悪魔だとか、おとぎ話の空想の存在だとばかり思っていた。
もしかすると、神も存在するのではないかと、ふと頭によぎり、つい鼻で笑ってしまう。
よく考えたら、これってすごいことじゃないか?
興奮の余韻が残っているのか、クリスが、何かに気付いて私達の前ではしゃぎ出す。
この場に錬金術師、魔導師、亜人、人間が一同に会しているこの瞬間って、非常に貴重なことなんじゃないか!?
確かに、言われてみればあり得ない面子であり、絶対に交わることのない文化の者達が揃っている。
皆、顔を合わせながら思うが、それがどうしたんだとオットーが代弁する。
これは、ただの偶然なんかじゃない。
僕達は、巡り会う運命だったんだ!!
再度、クリスは興奮気味で話をつづける。
実を言うと僕は、ずっと前から怪我、病気、差別、貧困で人が苦しむ様を見るのがすごく苦痛で仕方がなかった。
何故、傷付かなくてはならない?
何故、虐げられなくてはならない?
そんなことは間違っている。
だから僕は、そんな人々を救いたい一心で錬金術を身につけた。
錬金術は、ただの黄金製造秘術なんかじゃない。
もっと広い視野で見れば色んな可能性が眠っている。
僕の目標とする手掛かりに繋がるハズなんだ。
クリスの力説に、私達はポカンとしてしまった。
突然、この少年は何を熱く語っているんだ?
特に、亜人の幼女なんか人間の言葉など理解出来ないから、最初から最後まで置いてけぼりになって戸惑っているぞ。
何が言いたいのか尋ねると、要は、これを機にこの場にいる者達で組織をつくり、人々を救う活動をしないかと話を持ち掛けてきたのである。
本当に何を言っているのだ?
会ったばかりの私達が、何故、そんな慈善事業みたいなことをしなくてはならない?
クリスから、何のために魔導師になったのだと質問される。
別に、魔導師になったつもりはないが、魔力には、まだ未知なる要素が多く、好奇心が尽きないので追求していきたいのだと、ただ、自己満足のためにやっているだけだと、私は答えた。
なら、研究が出来る場所をオットーが用意するから、それで人の役に立ちそうな魔術とかあったら僕にも教えてくらないか!?
オイッ!?
他力本願かよとオットーは突っ込むが、クリスは目を合わせようとしない。
何でもいい、とにかく今は数人でも多く助けられる方法が欲しいんだ。
彼の本気が嫌というほど伝わり、よく考えてみると悪い話ではないと思った。
当分、国に帰ることは出来ないわけだし、研究に没頭できる環境が手に入るのだ。
願ったり叶ったりではないか。
それに、少年の高鳴る気持ちは、少し分からんでもない。
いいだろう、しばらく付き合ってやる。
私の返事にクリスは喜び、意外な展開にオットーが動揺してしまう。
オットーもちょっとの間悩んだ末、深いため息をついた。
クリスのお守りを任されている身だから仕方ねェな。
諦めたような口調の彼に対して、クリスは思わずガッツポーズをしてしまう。
正直、クリスがそんなことを真剣に考えていたとは思ってもみなかった。
仕事は投げ出すし、体力もないモヤシだし、このまま駄目な大人になっていくのかと不安で仕方がなかったが、初めてこいつの夢を聞かされて、心の底から応援してやりてェと思ったんだよ。
オットーは、照れくさそうに本音を語るので、気持ちが伝わったのか、亜人の幼女もニマニマと口角を上げている。
ところで、ずっと放置していたのだが、この子の名は?
彼等は呆気にとられ、その場で固まってしまった。
お前達のどちらかは、亜人の言葉を理解しているものだと思っていたのだが…。
一斉に幼女に視線を集めたせいで、恥ずかしくなったのか、クリスの後ろに隠れてしまう。
どうやら彼等は、魔導師なら亜人の言葉が理解出来るだろうという妙な勘違いをしていたようだ。
おとぎ話に出てくる魔法みたいに、魔術は万能ではないんだぞ。
何か出来ないのかと頼まれ、ふと魔力のリンクを思いついたのだが、戦のときみたいに自分の記憶と混ざってしまうのではないかと不安になった。
それに、生きている者とリンクする試みは、まだしたことがない。
私だけじゃない、この子の身にも何が起こるか分からないため、リスクが高すぎる。
そんな都合の良いものはないとあえて告げると、クリスは、彼女と向き合って発音の練習をしはじめだした。
最初は、顔芸に近い表情を不思議そうに見ていたが、大袈裟に口を動かし続け、一文字ずつ自分の名前を何回も教えているうちに、次第に彼女も真似て口を大きく動かしはじめた。
しばらくして2人は、私とオットーの前で一人ずつ指を指していく。
く、り、す。
お、と、お。
幼女は、確実に一言ずつ発音していき、最後に自分を指して━━。
り、い、べ。
亜人の幼女は、そう名乗った。
クリスは、よくできましたと頭を撫で、私は拍手を送った。
オットーは、感極まって背中を向けたので、どうしたと訊くと鼻声で何でもないと強がってみせる。
さっきまで人の言語を喋ることが出来なかったあの子が、この短時間で覚えるとは…。
きっと学習能力が高いのだろう。
つい微笑ましくなる。
しかし、“リーベ”とは?
クリスが、とりあえず今は、この子に呼び名が必要だろう?と勝手に名付けたらしい。
そういうのは、もう少し考えてやるものだろと口を出す前に、幼女は嬉しそうに自分の名前を連呼しながら私達の周りをくるくる走りまわる。
…どうやら、気に入ったらしい。
無邪気なその笑顔に、誰もが癒された。
すると、いつの間にか東の空が明るくなりだし、もうすぐ夜が明けようとしていた。
僕の夢は、この子のような笑顔の絶えない世界を見たい、見続けたいんだ。
そのときは、ここにいる皆で同じ景色を見よう。
クリスは、私達に向かって決意表明し、それに私達も応え賛同した。
太陽が顔を出し、眩しい閃光が船を照らす。
私達の新しい一日が始まったのである。
━━その後、私とリーベは、オットーのギルドが所有している空き家に住まわせてもらうことになった。
中を覗いてみると、昔、漁に使用していた道具がそのままになっており、古くて使い物にならなくなっていた。
しかも、今まで誰も出入りしていなかったため、埃が舞っており、オットーの申し訳ない気持ちが表情に出ていた。
少し面倒だが、掃除をすればいいわけだし、むしろ、場所を用意してもらえるだけで有難い。
早速、私とリーベで大掃除を始め、全ての窓を開けて銛やバケツ等を外に出した。
リーベも自分なりに頑張ろうと張り切るが、何故か身体中に網が絡まって床に転がり、泣きべそをかいていた。
私は、仕方なくリーベに動かぬよう指示し、ナイフで少しずつ切って出してやると、空回りして私の足を引っ張っていると思ったのか、少し落ち込んでいるようだ。
この場合、どうすれば良いものか。
子供の面倒を見たことがない私は、とりあえず、頭を撫でてみようと思った。
恐る恐るリーベの髪の毛に触れ、ゆっくり優しく撫でると、彼女は徐々に笑みを浮かべるようになった。
そして、小さな両手で私の手を掴み、もっとやって欲しいとアピールされる。
私は、望み通りに撫で続け、気持ち良さそうな表情に鼻で笑ってしまう。
元気一杯になったリーベは、ガッツポーズを見せて家の中へ入って行き、私も戻って続きに取り掛かった。
家の掃除は、その日のうちに終わり、机に向かって今までの発見や判明したことを本にまとめていく。
執筆中、そばでずっとリーベが私の服の裾を引っ張るので、すまないが遊んでやれないと断った。
しかし、不貞腐れたのか頬をパンパンに膨らませてみせたので、私は仕方なく太ももの上にリーベを乗せ、大人しくするよう言い聞かせた。
言葉が通じたのか、じっと静かに私の文字を興味津々で目で追う。
子供とは、不思議なものだ。
好奇心の塊で、気になるものがあれば目移りするし、色んなものを知りたがってどんどん探求しようとする。
そうやって少しずつ世の中の仕組みを理解していき、大人になっていく。
私の子供の頃もこんな感じだったのだろうか。
ずっと本ばかり読んでいたのは覚えているのだが、多分、それが私にとっての探求だったのだろう。
懐かしさに浸ってしまった私は、気が変わってリーベに紙とペンを渡し、読み書きを教えることにした。
今後のことを考えると、早いに越したことはないだろうし、どこぞの誰かみたいな大人にならぬよう導いてやらねば…。
まず、自分の名前の文字を紙に書いてみせ、同じように書くよう促すと、最初は、文字というより芸術に近いセンスだった。
しかし、何回も練習させていくうちに、かろうじて読めるくらいの形になっていった。
その文字がお前の名前だと伝えると、納得したのか目を輝かせている。
その調子で、私、クリス、オットーと身近なものから徐々に文字を覚えていった。
━━しばらく経ったある日、クリスが家に訪れては、唐突に魔術の基礎を学びたいと言い出した。
毎度のことだが、この者の考えはよく分からない。
行動力の早さは流石と言えるが、いい加減、鬱陶しさを覚えてきている。
錬金術の研究はどうしたと尋ねると、ちょっと息抜きがしたくなったので、別の分野を勉強したくなったとのこと。
その代わり、錬金術を私に教えるからどうだと交渉されるが、正直、自分の研究成果を他人に見せるのは、気が引けるのである。
しかし、自分自身もまだ未熟者であることに変わりはなく、持っている知識も浅はかであることも事実。
まだ仮説段階の部分もあるため、基本的知識までならと、渋々、情報交換を行った。
クリスは、世に出回っている錬金術に関する論文を読んで、これを習得することが出来れば、エネルギー、経済、食糧、病気、全ての問題の解決に繋がり、無駄な戦争がなくなると考えたらしい。
そこまで構想を練ってしまっては、あまりにも自分の寿命が足りないのではないかと意見すると、そのときは、同じ思想を持った者に任せると真っ直ぐな目で告げる。
改めて、彼の本気がひしひしと伝わってくる。
しかし、魔術を教えるハズが、ほとんど彼の熱弁で時間が過ぎていくので、本当は誰かに語りたかったのではと思うほどだった。
結局、話は夕方まで続き、遊びから帰って来たリーベが私の疲労しきった顔を見てギョッとする。
クリスは、言いたいことを言ってスッキリしたようだが、最後まで付き合った私の身にもなってくれ。
続いてオットーも訪れ、今日は客人が多い日だと嫌気を覚える。
そんな私に、オットーは、どうしても耳に入れて欲しい情報を持ってきたというので、仕方なくもう少し付き合ってやることにした。
それは、国境を越えた先の“土の大陸”に、不思議な術を使う修行僧がいるという。
その者は“老師”と呼ばれ、何も口にせず、病むこともなく百歳を軽く越える程の長寿なのだそうだ。
オットーは、港で“土の大陸”から来たという旅の商人からその話を耳にし、もしかしたら魔術と何か関係があるのではと思ったのだそうだ。
確かに、非常に興味深い話だが、信憑性に欠ける。
それに、土の大陸といったら治安が悪く、盗賊もよく出る上に、天候が変わりやすいため、未知の魔物が出現する等、嫌な噂しか聞かない場所で有名なのである。
そんな危険なところから来訪したという商人も疑ってしまうが、もし話が本当であれば行ってみる価値はある。
その商人に会わせてほしいと頼むと、皆が行く気なのかと驚愕する。
ここにこもってばかりいても仕方がない。
自分の目で確かめに行って来る。
今夜は、近くで宿をとっているらしいので、すぐ支度を済ませ、オットーに商人の元へ案内してもらう。
宿泊しているハズの宿にいなかったため、通行人を何人か呼び止めて聞いて回った。
すると、オットーがギルドで親方だったこともあり、顔が広かったため、商人はすぐ見つかった。
近くの酒場におり、テーブル席で一人、一杯やっている最中だった。
私達も酒を持って挨拶をしに行き、軽く事情を説明する。
ここのお代は持つから老師についての話を詳しく聞かせてほしいと申し出ると、快く教えてくれた。
実際会ったことはないらしいのだが、現地の者達の中では、結構有名な話なのだという。
砂漠を越えた先に老師が住んでいるという渓谷があり、そこに石でできた寺院に何ヵ月もこもって座禅を組んでいるのだそうだ。
年に指で数えるほどしか近くの村に姿を現さないらしく、10年20年経っても、その姿は変わっていないとのこと。
そして、その者は自然と会話ができ、人の心も読んでしまうというのだ。
自然との会話、人の心を読む…。
魔力を吸収した際に体験した出来事と一致する。
もし、その話が本当なら、魔力の扱いに長け、私の追い求めている全てを知っている可能性がある。
頼む、その老師の元まで案内していただきたい。
頭をさげるが、商人に苦い表情で断られる。
申し訳ないのだが、どういうわけか、その渓谷の周りには何体もの巨大な魔物が一帯を囲んでいるため、外部の者が近づけば食い殺されてしまう。
命がいくつあっても足りない。
ギリギリまでで良い、あとは自分で何とかするッ。
一歩も引かない私に、隣に座っているオットーも冷静になれとささやく。
私は、多少魔術を扱える。
いざとなれば、命がけであなたを助けるッ。
だから━━ッ。
それを聞いた商人は、渋々、いくつか条件を出した。
一つは護衛、もうひとつは、現地で摂れる珍しい素材だ。
その一帯に棲息している魔物は、獰猛で危険なため、誰も近寄らない。
そのため、純度の高い鉱石等が多く、上手くいけば希少な植物も手に入る可能性もあるのだそうだ。
この条件をのんでくれるのであれば引き受けると言われ、私は、喜んで応じた。
━━明朝。
私は、港から水平線を見つめていた。
船の出航準備が済むまで待っていると、クリス達が息を切らして見送りに駆けつけてきた。
黙って行くんじゃないとクリスに叱られ、オットーの背におぶさっていたリーベが飛び降り、勢いよく私の脚に抱きついて来た。
太ももあたりで微かに湿った感触があり、表情を見せようとしない。
そういえば、短い間だったが世話になったのであった。
しばらく一人で行動していることが多かったため、そんな常識も忘れていた。
とりあえず、皆の前ですまないと謝る。
しばらく戻ってはこれないので、家にある少ない研究資料を自由に見てもいい。
こいつ、もうすでに読んでたぞと、オットーがさりげなく暴露し、クリスは慌てて苦し紛れの言い訳をする。
別に構わんさ、元々は、情報を共有するために書き残したものだし、ヒントになるものがあったら、遠慮なく応用するといい。
そして、さっきからしがみついて離れようとしないリーベの肩を軽く叩くと、ようやく離れてくれたのだか、涙の他に鼻水までズボンに染み付いていた。
嫌悪感をグッとこらえ、リーベに泣くんじゃないと言い聞かせる。
特別、この子に何かした覚えはないのだが、妙に懐かれてしまった。
すると、リーベが私の手をとり、自分の頭にのせ、撫でてほしいとねだりはじめる。
余程、撫でられるのが好きらしい。
鼻で笑い、この子の望み通りに髪を優しく擦る。
まるで、この感触を忘れないようにしているかのように。
やがて、商人も合流し、共に船へと乗り込んだ。
何も得られなかったとしても、必ず帰って来い。
お前の帰る場所は、いつだってここにある。
僕達は、いつまでも待って入るぞ。
クリスが大声で叫び、大きく手を振る。
船が彼等から離れていくと、リーベが、声が枯れそうになるくらい私の名を呼ぶ。
何度も連呼するその声は、姿が見えなくなっても私の耳に残響がこだましていた。
━━土の大陸へと足を踏み入れた私達は、ラクダに乗って砂漠を越えようとしていた。
初めての焦熱地獄に、水筒の水がもう空になってしまい、意識が何度飛びそうになったか分からない。
体から汗が出なくなり、ますますまずい状況に陥ってしまう。
先導する商人が、オアシスが見えてきたと私に告げ、やっと水が飲めると一瞬気が抜けそうになる。
そのときだ。
砂の中から人の腕が伸び、ラクダの足を掴んで体勢を崩されてしまった。
2人共倒れてしまい、何事かと思いきや地面に巨大な穴が出現し、その中心から緑色の花柱のようなものがゆっくりと顔を出す。
何だ、アレはッ!?
そして、そこから大きな軟体の触手が5本現れ、砂の上に広がる。
“砂漠ヒトデ”だッ!!
商人が叫び、砂漠に棲息する巨大なヒトデで蟻地獄のように動物や人間を襲う魔物なのだと言う。
よく見ると触手の所々に人の腕が生えている。
取り込んだ生物の手や足を触手に生やして、砂を掘ったり、獲物を引きずりこむとのこと。
なんと悪趣味な…。
そんな事を考えているうちに触手の腕が砂をかきあげ、私達も徐々にヒトデに引きずりこまれていく。
すると、私達のラクダ達が何本もの腕に捕縛され、中心に運ばれて飲み込まれてしまった。
そして、触手に新しくラクダの足が8本伸び、一体化してしまった
ラクダの二の舞は御免である。
一体どうすれば…。
そんなとき、商人が懐から小瓶を取り出す。
中には、液体が入っており、それに布を詰め込んでライターをつけようとする。
恐らく、火炎瓶を作ろうとしているのだろう。
しかし、なかなか点火せず、足を掴まれてその拍子にライターを落としてしまう。
砂まみれになりながらも必死でライターを取りによじ登ろうとするが、何本もの力強い手が商人を離そうとしない。
魔力弾なら、もしかしたら━━ッ!
とっさに閃いた私は、空気中の魔力を集めようとするが、ここは砂漠、草木など死滅し、大気中の魔力などあまりにも少ない。
ましてや、自然の魔力など存在していないに等しい。
なので、非常に危険ではあるが、この場である仮説を検証してみることにした。
まず、砂漠ヒトデから帯びている手を掴み、そこから魔力を吸い出そうとする。
すると、少しずつではあるが、魔力が空気中に排出され、片手に一点集中する。
体の異変に気付いたのか、砂漠ヒトデが無理矢理私を引き離そうと、何本もの腕で妨害しはじめる。
もう遅い━━ッ。
商人に声をかけ、瓶を中心に投げろと指示し、手に込めた魔力の弾丸を放つ。
魔力弾は見事命中し、爆発して砂漠ヒトデが金切り声をあげた。
上手くいった。
以前、リーベの魔力に接触しようとしたときに思ったのだが、空気中の魔力を吸収することが出来るのであれば、生き物の魔力も吸収することが可能なのではないかと考え、何度も検証してみたいと思っていたのだが、なかなかそんな機会がなかったのである。
今回は、非常事態で他に手はなかったため、リスクも考えずに試みてしまったが、思った通りだった。
私達は穴の外に投げ出され、触手で暴れ狂い、やがて地中へと潜ってしまった。
ふらつきながら立ち上がり、倒れている商人の元へと向かうと、意識があることを確認する。
しかし、片足をひねったらしく、少し腫れていたので、仕方なく肩を組み、ゆっくり前に進んだ。
息を荒く吐きながら、遥か遠くに見えるオアシスへと足を運ぶ。
どれくらい経ったのだろう、ひたすら歩き続けているのに、目に映るオアシスにたどり着けない。
意識が朦朧とする中、私は、最悪な答えが脳裏に浮かんでしまう。
もしかして、私は、幻覚を見ているのでは…。
足の筋肉が張って棒のようになり、ついその場で立ち止まってしまった。
さっきから商人の息遣いも聞こえない。
4本の足で歩いていたハズなのに、いつの間にか、2本の足を引きずっていたようだ。
気を抜くな━━━━━━━。
立ち止まるな━━━━━━。
見捨てるな━━━━━━━。
余計なことを考えるな━━。
足を動かすんだ━━━━━。
深く息を吸うんだ━━━━。
前を向くんだ━━━━━━。
遠くを見るんだ━━━━━。
━━死ぬ訳には、いかないんだッ!!
そのとき、急に目の前が薄暗くなった。
まだ昼時のハズなのに、地平線は明るい。
まさかと思い、恐る恐る首を上げると、巨大な亀がじっとこちらを見下ろしていた。
これほどの巨体を、何故、気付くことが出来なかった?
一体、何処から現れた!?
黒き眼にうつる私達の姿は、全身砂まみれで、やつれて酷い顔をしている。
一難去って、また一難。
もうこれは、万事休す、か…。
力が抜けてしまい、膝をついて倒れた。
体が重すぎて、指一本動きそうにない。
熱い砂の上に顔をつけていると、微かだが足音が耳に入ってきた。
近付いて来るそれは、私達の前で止まり、様子を見ているかのようだ。
駄目だ、もう、頭が真っ白で、何も考えられない。
私は、全てを投げ捨てて眠りについた。
━━目の前に、岩肌が見える。
脳が上手く機能せず、体は全身拘束されているかのように、重くて身動きがとれない。
そして、眠気がすごい。
そのせいなのか、岩肌の他に魔力が満ちている。
砂漠とは大違いの魔力の量だ。
すると、脇に誰かが近寄って来た。
肌は焼け、細身で坊主頭の老人が私の顔を覗きこみ、額に手をかざす。
そこから魔力が波のように流れ込み、心地よい気だるさに身を任せて、再度目を閉じた。
━━自然と目が覚め、首も動かせるようになり、上体を起こすと、非常に体が軽いことに気が付く。
ここは、洞穴のようだ。
ゆっくり立ち上がり、外の光が見える出口へと足を運ぶと、そこは、垂直の崖になっており、危うく踏み外すところだった。
よく探してもここから下りる足場が何処にもなく、見渡すかぎり崖しかない。
辺りは薄暗く、見上げると遥か先に明かりが見える。
どうやら太陽の光がここまで届いていないようだ。
何故、自分がこんなところにいるのか、不思議で仕方なかった。
しかし、向こうの山のくぼみに石造りの寺院が見えたので、もしやと思い、そこに向かって大声で助けを呼んでみるが応答がない。
どうしたものかと脱出策を練っていると、何かに肩をつつかれたことに気付き、振り向くとさっきまでいなかったハズの老人の姿がそこにはあった。
驚いた私は、誤って片足を踏み外してしまい、崖から落ちてしまう。
さすがに、この高さは助からない。
そう諦めかけたそのとき、老人が私の手を掴んだ。
すると、急に体が軽くなり、少しずつ落下速度が遅くなって、無事、地面に足をつけることができた。
何だ、今のは…!?
中腰の老人は笑みを浮かべ、そのまま寺院へと入って行き、私もすかさず後をついていく。
中は以外にも広く、いくつもの石柱が林立しており、中心部には3体の像が立っていた。
そして、その像の周りには、今まで見たことのない怪物や武器、船のような形をした絵が床に描かれていた。
古代人の歴史なのだろうか、皆、争っているように見える。
お連れの者は、先に立たれ、目が覚めたら代わりに礼を言ってほしいと言っとったぞ。
老人が急に口を開いたので動揺してしまったが、そうか、あの商人も助かったのか。
何やら、よその国では高値で売れるとかで、そこら辺に生えている草を見て興奮しとったんでな。
そんなに欲しいならいくらでもむしっていけと言ってやったわ。
…ちゃんと欲しい物も持って行ったようだ。
老人は、今までの経緯を話してくれた。
あのとき、私達が見たオアシスの正体は、どうやら巨大亀だったらしい。
甲羅の上に木や池があり、遠くから見ると蜃気楼でボヤけて見えるので、旅人がよく勘違いをしてしまうとのこと。
たまたま老人が亀の上に乗って散歩をしていたら、遠くで爆発音が聞こえたので、何事かと思い向かった。
衰弱しきっていた私達を連れ帰り、回復力を高めるため、魔力の満ちている洞穴に何日も寝かせていたら、商人の方が早く起きたので事情を聞かせてもらったのだという。
魔力、まさか、この人が商人が言っていた老師!?
老師は、私が魔術を使ったと聞いて、てっきりまじない師かと思ったらしい。
私も、老師にここに来た理由を全て話した。
魔力が見えるようになったこと、魔力についての研究を始めたこと、魔力には人生を記録すること…。
夢中になってしまい、口が止まらない。
いつぞやのクリスも、こんな気持ちだったのだろうか。
やがて、魔力の使い方や根源をもっと知りたいのだと伝えると、老師は、3体の像の方を向いて、まずは、この世の始まりから知る必要があると語り出した。
━━大昔、この世に秩序など存在しなかった頃、神々が足を踏み入れ、覇権争いを始めた。
その凄まじい戦いは、いつまでも終わることなく続き、何千何万という魂が巻き添えを食らったという。
だが、後に新たに3人の神が降臨したことで事態は一変した。
今までの神々とは比べものにならなぬ程の力を持ち、それぞれ我が野望のために猛威を振るい始めたのだ。
それを目の当たりにして、見とれ、共感した神々は、三神の僕となり、3つの勢力が生まれ、戦いは更に激化した。
そして、三神が激突した結果、世界は消滅し、その後に新しく構築された世界に魔力が生まれ、生命が生まれ、文明が生まれたのだ━━。
老師は、面と向かってこう言った。
魔力の扱い方を教えてやっても良いが、それなりの対価を払うことになるのだが、それでもやるのか?
私は、迷うことなく返事をすると、まずは、座禅を組むよう指示される。
無心になり、魔力を体内に吸収し、“排出する”。
これをずっと続けろと言われたのだが、排出するとはどういうことなのだろうか?
今まで怪我をしたときは、空気中の魔力を吸収して傷を治したりはしたが…。
初めてのことに戸惑っていると、老師が首を傾げながら様子を見ていた。
お主は、今まで自己流で魔力を使っていたようだが、そのせいで手順がバラバラになっている。
一から教える必要があるな。
そう言って、老師は、自分の胸に手を当てる。
魔力を心臓や肺等のように、自分の体の一部だということを認識しろ。
私は更に集中し、意識を奥深くまで潜って、自分の魔力を再確認することが出来た。
目を閉じた状態で、老師に伝えると、次に自分の魔力を少しずつ大地へと流せと言われたので、そんな事をしたら、命の危機に直面するのでは? と意見を述べた。
魔力は、尽きても死ぬわけではない。
ただ、細胞だけで体調を維持しようとするだけである。
そう説明され、とにかくやってみることにした。
細い繊維が少しずつ緩んでいき、下へ下へとスムーズに放出していく。
やがて空っぽになってしまい、今度は空気中の魔力をゆっくり吸収するよう指示され、その通り行う。
新たに入ってきた魔力は、うっすらと外の状況が記憶されており、自然と脳裏に入ってきた。
ある程度取り込んだら、再度排出する。
その繰り返しを、良しと言うまで続けろ。
老師は、そう言い残して何処かへ行ってしまった。
しばらくの間、静寂と耳鳴りの中を放置状態にされたが、私は特訓を続けた。
徐々にコツを掴めてきたみたいで、体内に溜め込まず、スムーズに魔力を通過させられるようになったのだが、どこか自分の身に違和感を感じてならなかった。
何だか、妙に体が軽く感じる。
これが、特訓の成果なのだろうか。
すると、誰かが近付いて来る気配を感じ、何者かと思ったが、吸収した魔力ですぐ老師だとわかった。
お主はのみ込みが早いな。
いいだろう、下りてよいぞ。
老師の発言に疑問を覚えた私は、目を開けると、座禅を組んだまま宙を浮いていたのである。
驚いた私は、集中力が切れてしまい、そのまま床に落ちてしまった。
頭を強打して痛がっている私に気にかけず、この特訓の本質を説明しはじめる。
これを行うことによって、自分の周りの情報が把握でき、体の循環も良くなって毒素も排出される。
つまり、身体機能も活性化するようになるのだ。
そして、上達すれば、飛べるようにもなる。
…なるほど、商人が言っていたことは、本当だったようだ。
これは基礎なので、普段から出来るようになれと指摘され、一日中、特訓を続けた。
━━3日後。
今度は、生きた動物の魔力に触れて同調し、居場所を察知する修行が始まる。
これを極めると、魔力を通じて、相手の記憶も覗くことが出来るようになるという。
まずは、小さい動物から始めていく。
何故なら、小さい動物は魔力が少ないため、接続しやすいのだそうだ。
老師は、手にのせていた白いネズミを離し、床であっちこっちに走り回らせる。
私は、早速自分の魔力を伸ばして、ネズミに触れようとするが、意外にもじっとしてもらえず、捉えるのが非常に難しい。
寺院の中を動きまわり、あっという間に姿をくらましてしまった。
言い忘れていたが、あのネズミを私の元へ返すまでが修行だから、決して見失うのではないぞ。
突然の条件に、私は慌てて寺院の中を探し始めた。
いや、待てよ、老師が言っていたではないか。
特訓は基礎だと━━。
ならば、あれを応用すれば…。
私は、その場で座禅を組み、集中する。
だんだん分かってきた、これは“呼吸”と一緒なのだと。
生き物は皆、息をする。
酸素を吸い、二酸化炭素を吐き出す、それと同じで大気中の魔力を取り込み、その分の魔力を放出=術に変換させる。
私は、大きく息を吸い、魔力の触手を無数に広げ、床から柱、天井へと伸ばしていく。
そして、奥の柱の上で小さな魔力に接触し、位置と存在を把握した。
ネズミの魔力にこちらへ来るよう伝信すると、素直に言うことを聞いて老師を通り過ぎ、私の元へと戻って来た。
お見事。
老師は、笑みを浮かべる。
とりあえず、今日教えたことを当分続けろ。
老師の言葉に気が抜けて、思わずにやけてしまう。
━━ 一週間が過ぎ去った。
最初の頃よりも魔力の呼吸が上達し、寺院の中から外の景色が分かるようになった。
夢中になりすぎると、時々浮いて天井に頭をぶつけたりするが、体のだるさが消えていき、スッキリした感覚になる。
生物の同調もしやすくなり、ネズミだけでなく、枝にとまる鳥や鹿等も接続して見ている風景や感情を共感出来るようにもなった。
ただ、気になることといえば、老師は何者なのかということである。
きっかけは、この修行を続けていくうちに、生物の宿る魔力も常に見えるようになったときだ。
老師の魔力だけ神々しいくらいの光を放っていて、私や他の動物とは比べ物にならないくらいだったからである。
魔力の呼吸を極めると、ああなるのだろうか。
老師とは、そんなに日が経っているわけでも、仲が良くなったわけでもないから当然ではあるのだが、自分のことを語ろうとしない。
今の私だったら、魔力と接続すれば記憶を覗くことくらい出来るのだが、それは、人として倫理に反する行為。
そんな時、老師が修行中に呼びに来て、三神の間に連れて行かれる。
お主は、もう気付いているだろう。
私が普通ではないことに…。
老師は、穏やかに口を開く。
私は、人間でも亜人でもない。
永世者という太古人なのだ。
アハス、エルス…?
聞き慣れない名前で動揺する私だが、老師の話はまだ続く。
世界には、時間の流れが遅い地脈が存在する。
そこは、魔力に満ち溢れており、そこに住む生物は皆、魔力の呼吸で生き続けている。
特に、永世人は、食事をほとんど必要としない。
祭りごとや祝いの場で口にするくらいだ。
そして私達は、絶対破ってはならない掟がある。
“生肉を食してはならない”ということ。
死んだ生き物の肉を食すことは、毒とされており、一度味を覚えてしまうと衝動を抑えられなくなる。
やがて、身も心も汚れていくと言われている。
私は、ハッと思い出した。
戦のとき、死人の肉を貪っていた狼達の魔力が、黒くよどんでいたことに。
昔は、私以外にも大勢いたのだが、皆この生活に飽きてしまい、この土地を離れていった。
何故老師は離れないのかを訊ねると、外の世界が怖いからだと返される。
たまに、近くの村に足を運ぶくらいなら構わないが、体験したことない、見たこともないものを前にしたとき、私は不安で堪らなくなるのだ。
長い間、孤独に慣れてしまったということが、大きな要因であろうよ。
私は、この土地での生活しか知らない。
だからこそ、愛着があり、心が安らぐのだ。
これからも、ずっと━━。
自分の人生を思い返しているのか、しばらく沈黙が続いた。
そして、何か思い出したのか、老師は気持ちを切り替えて話題を変えた。
話は変わるのだが、お主は以前、ある日突然、魔力が見えるようになったと申したな。
私は素直に頷くと、三神の像に目をやり、これから話すことは、年寄りの与太話だと思って聞いて欲しいと告げられる。
前にも話したように、この三神が衝突したことによって、様々な生物や人種が誕生した。
中でも亜人、巨人、永世人は、強くその影響を受けているという。
だが、一千万分の一の確率で不思議な力に目覚めるという人間も存在する。
その者達は、“星幽”と呼ばれている。
一見、普通の人間なのだが、人一倍好奇心が強く、自分が最も興味を持ったものを強く欲したとき、覚醒するという。
つまり、お主は、その一人なのかもしれんな。
それを聞いた私は、つい老師の前で吹いてしまった。
そんなわけがない。
私は、そこら辺の魔導師と一緒で、魔力を扱えるというだけではないか。
確かに、普通の人間からしたら、それ自体が異形に思うだろうが、私は、そんな特別な人間ではない。
しかし、老師は落ち着いた口調で語りかける。
魔導師がどういうものかよく知らぬが、一般的に魔力を扱う者達は、魔力の実体など目に映らん。
それを耳にした瞬間、私の空気が止まった。
私のように何百年も生きていたり、高濃度の魔力を使用するなら話は別だが、人間の寿命だと肌で感じるくらいしか修得できん。
勝手な推測だが、もしかして外の世界の者達は、力へと変換させるために必要な魔力の質も量も加減を知らないのではないか?
老師の言っていることは、十分あり得る話である。
もし、そうだとすれば、ちょっとした火遊びの域ではなくなる。
私の育った大陸の魔術文化は、全て間違いだらけであり、それを我が物顔で扱っている魔導師と名乗る者達は皆、詐欺師であるという可能性も━━。
もしかすると、私は、とんでもないことに気付いてしまったのではないだろうか…!?
衝撃的な事実に、様々なことが脳裏によぎる。
国に戻ったら、確かめなくてはならないことができた私は、この後、老師から課された修行を熱心に挑み続けた。
━━ 一年後。
荷物をまとめて寺院を出ると、外で老師が立っていた。
短い間だったが、世話になった礼を言うと、久しぶりに話相手が出来て楽しかったと老師は述べる。
ここで学んだことを、決して誤ったことに使うでないぞ。
いつぞや話したことだが、自分が何者であれ、お主はお主だ。
自分が極めようと志して追い求めてきた結果、お主は、地に足をつけて堂々と立っているのだ。
努力が報われるとは言わんが、胸を張ってよいぞ。
誰しもが皆、才能を持って生まれてくる。
しかし、それに気付かずに一生を費やす者も大勢いるのだ。
お主は、早い段階で自分の才能に気付き、深く深く知ろうとした。
それだけのことなのだ。
私は、再度礼を言って老師に背を向ける。
またいつでも来なさい。
私は、ずっとここにいる。
土産話を待っているぞ。
振り返ることなく、ゆっくりとその場から離れていき、光があまり届かぬほど深い渓谷を抜け、私は、元の世界へと戻って行った。
━━さて、切りの良いところで準備が整った。
大昔のことを思い出しているうちに、服も着替え終わり、ふと見上げると、壁にお面がいくつも飾られている。
オレは、その中から一つだけ外し、頭に着用する。
…まあ、この先、何が起こるかわからんしな。
何年も経っているとはいえ、念には念を。
面が割れると少々厄介なことになる。
草履を履いて、軽い足取りで小屋から出る。
外は真夜中。
月夜に反射する銀髪と般若の仮面、その影になって隠れていた紋様が、左眉上にあらわとなる。
何日か前、オレの頭の中に接触をしてきたふざけた女がいた。
その魔女は、夢の中に干渉するほどの力を持っていたため、手も足も出すことが出来ず、このオレに呪いまでかけたのだ。
魔術が解けてすぐ目を覚ましたオレは、すぐ魔力を広げて辺りを捜索したが感知しなかった。
超遠距離から魔術を使ったとなると、相手は相当な手練れだということ。
「…ハッ」
当時のことを思い出す度に笑えてくる。
ここまでコケにされたのは、何百年ぶりだろうか。
いいだろう、望み通り、息の根を止めに出向いてやろうではないか。
後悔させるなよ、バートリ・エルジェーベト。
━━ 第二章 完 ━━