━━奥深キ静ケサ━━
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結構時間が掛かるので
のんびり更新させて頂きますm(__)m
━━大雨の中、僕達は走った。
疲れたと弱音を吐いても、お兄ちゃんは手を引くことを止めず、森の中を休むことなく逃げ続ける。
開けた場所に出て、向こうに橋が見えた。
もっと、もっと遠くへ行かないとッ…。
吊り橋を渡っている最中、後から何かが迫って来る。
お兄ちゃんは、僕を向こう岸へ先に行かせると、時間を稼ぐため、盾となるため、橋の上に留まった。
木陰から得体の知れぬ怪物が姿を現す。
橋の中心に立つお兄ちゃんを目にして、ゆっくりと近付いていく。
そのとき、強風で橋は煽られ、ロープが何本も千切れてしまう。
お兄ちゃんは、体勢を崩してしまい、激しい濁流の中へと落ちてしまった。
川は、思っていたよりも深くて速い。
流されていくお兄ちゃんに気をとられ、怪物も後を追う。
雷雨と暴風の中、あっという間に2人の姿が見えなくなり、残された僕は泣き叫んだ。
轟音で声をかき消されてしまうが、僕の悲しみは、頭から消えることはなかった━━。
━━辺り一面草原が広がっている中、舗装もされていない道を1台のトラックが走っている。
運転手は、気だるそうに窓に頬杖をつきながら咥え煙草をしていると、ちょっとした丘を越えた先に小さな町が見えてきた。
「おッ! オーイ、嬢ちゃん! 着いたぞォ!!」
荷台に向かって叫ぶと、そこからひょこっと少女が顔を出し、心を踊らせる。
月日を感じる、古いレンガ作りの建物が並ぶ風情のある町。
町に入ると、トラックから降りて運転手に別れを告げる。
茶髪のセミロングに革のジャケット。
三部丈のパンツにロングブーツを履いている。
肩に槍、刀身を革製の袋で包んでリュックを背負っている。
時刻は、まだ早朝。
道ですれ違うのは、朝の市場へ買い物に向かう老婆のみ。
見慣れない少女を老婆は目移りしてしまうが、軽い足取りで行ってしまったので、当初の目的に戻ることにした。
少女は、三角屋根の建物の前で大きな一歩を踏み、立ち止まった。
あるアパートの3階の一室。
そこの部屋の窓が開いているのを確認すると、ニヤリと笑みを浮かべる。
中は脱いだ服、洗った服が床に散乱し、テーブルの上には、昨日食事をした後の食器がそのまま置いてあった。
窓際のベッドで横になっている少年は、カーテンのわずかな隙間から射す光に、若干鬱陶しさを感じつつもゆっくり目を覚ます。
癖ッ毛の黒髪が、更に寝癖でボサボサとなったままベッドから離れ、気だるそうに洗面台の前に立つ。
寝惚けているからだろうか、鏡には、自分の背後に見覚えのない少女の姿が…。
「久しぶり、ハルちゃんッ!!」
「どゥェいッ!?」
慌てて振り替えると、二ッと歯を見せる彼女を前にその場で腰が抜けてしまい、尻餅をついた。
オレ、女の子の知り合いなんていないんだけど。
つか、誰ッ!?
何でオレの部屋に!?
突然の来訪者に驚きと戸惑いで、頭がついていけてない。
「はッ、えッ!? 久しぶりって…」
「アレ!? ハルカだよね?
アタシだよ、ヒィヨォリッ!
覚えてないの?」
「確かに、オレの名前はハルカだけど…、って、あッ!!」
ヒヨリと名乗る少女を見上げながら、記憶を辿ってみると、手に持つ槍で思い当たる人物がいた。
「もしかして、夢に出てきた━━」
“烙印者”という異名で魔女に呼ばれてた少女。
「その通り! ほら、その証拠に━━」
服の襟を伸ばし、胸の谷間を見せつける。
オレは、とっさに目線を逸らすが、ヒヨリがちゃんと見るよう催促する。
頬を赤らめながら見直すと、左胸に小さくて複雑な紋様が描かれていた。
「あの魔女、バートリ・エルジェーベトにかけられた呪い。
これはアタシ達、騎師団の目にしか映らないの」
「でも、オレには何処にも━━」
「ハルちゃんのは、ここ。
後ろの方にあるから気付かなかったんだよ」
ヒヨリは、オレの首筋を軽く擦って大体の場所を伝えるが、反射的に避けてしまった。
「ところでさ、ハルちゃん。
旅の支度はもうしたの?
さっきからそれらしいもの見当たらないけど」
「え、なんで?」
頭にはてなマークを浮かべているオレに、ヒヨリは呆れた表情を浮かべる。
「もう~、これからメンバーを揃えて魔女を倒しに行くっていうのに、何で準備してないの!?」
朝から色々なことが起こりすぎて頭痛がするが、かろうじて今日やることを整理してみる。
支度━━、これから━━、準備━━。
ふと、壁にかかっている時計に目が止まった。
じゅん、び…。
長針と短針は6時半を指していた。
「ヤベェッ!!」
オレは、慌てて立ち上がり、作業着に着替える。
「ちょ、ちょっとハルちゃん!?」
あっという間に支度を終え、頭にタオルを巻いて靴を履く。
「悪いけど、オレ行けそうにないわ。
そんじゃ!!」
部屋に彼女を置いて、玄関から飛び出して行った。
━━町の中心部にある聖堂。
そこでは、大掛かりな補修作業が行われていた。
何人もの職人が汗を流し、各分野に力をいれている。
オレは、3m以上の鉄の柱を5本肩に担いで走っている。
必要な箇所のちかくで地面に置き、次々と他の材料も同じように置いて行った。
他の職人達もそれを見て感化されたのか、中には、あの人と同じように気合いを見せろと後輩に喝を入れている者もいる。
「ハルカァ!! ちんたらしてねェで早く材料よこせやッ!!」
向こうで足場の上からムカつく声が聞こえてくる。
その者は、グレッグ。
親方の一人で、猿面で眼鏡をかけている。
小太りのせいか、偉そうな態度に見えるのが余計頭にくる。
「ハイッ!」
オレは、すぐ駆け足でグレッグの下に行き、足元にある材料を持って構える。
そして、2階の高さまで投げ始め、それをグレッグがキャッチし、凹凸の柱にはめていく。
「オイ、次よこせ次ィ!!」
「ハイッ!」
言われるがまま、ペースを崩すことなく夢中になって投げ続けているうちに、いつの間にか休憩時間になっていた。
皆、自分の荷物が置いてある場所へと戻って行く。
オレも現場から離れた所で座りながら水分補給をしていた。
ついさっきまで暑かったハズが、心地良いくらい涼しく感じる。
そのとき、今朝の不法侵入者が顔を出す。
「お疲れ様!」
口から水筒を離し、含んだ水分を喉の奥へと飲み込む。
「…まだ、いたの?」
「酷いこと言う~」
彼女のことなど気にせず、タオルで汗を拭いていると、不安そうにオレを見ていることに気付いた。
「何?」
「ハルちゃん、顔がげっそりしてるよ、大丈夫?」
そりゃそうでしょ、こんだけハードなことしてんだから…。
毎日、当たり前のようにやってきたことだし、今更何とも思わない。
「…別に、問題ないよ」
その場でゆっくり立ち上がり、背伸びをしてみせると、一瞬、頭がくらついた。
「ほら、無理しない方が━━」
「大丈夫だって」
ヒヨリの伸ばした手を払い除ける。
「オレ等職人は、一人でも欠けるとその分作業が遅れる。
ちょっとのズレで他の業者の日程も大幅に変わってしまうこともあるんだ」
そう、ちょっと疲れただけのことで体を休める訳にはいかないんだよ。
「オイ、ハルカァ!! こっち来い!! 」
向こうからグレッグの怒鳴り声が聞こえてくる。
憂鬱になりながら返事をして親方の元へ駆け寄ると、いきなり拳骨をお見舞いされる。
「テメェ!! この数紙どういう事や!?」
「どうって、昨日、グレッグさんから渡された図面を見て必要な材料をオーダーしただけ…」
「この図面のどこに描いてあるッつーのや!!」
グレッグに強引に図面を押し付けられ、一通り目を通し、あることに気付く。
「ちょっと待ってください。
これ、昨日渡された図面と全く別物なんですけど!?」
「あ”あ!? テメェ何訳わかんねぇこと抜かしとんのや!!
すっとぼけてねェで自分のミスを素直に認めろや!!」
注目の的になっている2人の言い争いを、ヒヨリももう少し離れたところから見ていた。
「ハッ、またアイツ等揉めとるよ」
ヒヨリの近くにいた屈強な体格の中年男達が、煙草を吸いながら傍観している。
「そりゃそうだべ、親方の中で一番駄目な奴に言われてんだぞ。
ハルカだって言いたくもなる」
「しかし、そろそろその辺にしとかないとスーガさんが━━」
そのとき、2人の間に誰かが割って入ってきた。
「スーガさん!!」
細身で背は2人よりも高い。
髪は癖ッ毛、やつれた顔つきで顎髭を生やしている。
「聞いてくださいよ! この現場、全部コイツのせいでまわらなくなったんスよ!!」
「そんな━━ッ!!」
ハルカが言い返そうとする前に、怒号によってその気をかき消された。
「テメェ等、他の業者もいるッつーのに、みっともねェことしてんじゃねェ!!」
鋭い眼光がハルカに向けられる。
「ハルカ、仮にもコイツは親方だ。
いつから子方のテメェが偉くなったんだ!?
キシャッてんじゃねェぞ!!」
「…スイマセン」
何か言いた気だが、そこはグッと堪えるハルカ。
「しばらく現場に顔を出すな!
代わりはいくらでもいる!!
使えねェ奴は要らんのや!!」
その言葉に衝撃を受け、ハルカの中で何かが割れて崩れ落ちていった。
親方達に黙って背を向け、放心状態でその場を離れていく。
脱け殻のような後ろ姿を見て、グレッグは、楯突いた奴が悪いと言わんばかりに、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「何突っ立ってんだ? オメェも出禁やぞ」
「エ”ッ!?」
不測の発言に、グレッグは目を丸くする。
「当たり前だろ、こんな単純な図面も描けねェって…。
ましてや、こんなデカい現場で使う材料を子方に数えさせるってどういう事なのや!?
任された仕事は、責任持ってやれで!!」
スーガは、半分呆れながらグレッグに戦力外通告を言い渡す。
「い、いや、でも元はと言えばアイツが図面を見間違えたせいで━━」
「テメェ、オレに下手な嘘が通用すると思ってんのか!?」
憤怒のスーガに思わず口から悲鳴が漏れる。
「…テメェの腰に巻いてるのは何や?」
「あッ安全、帯で━━」
すると、グレッグの顔面に平手が入った。
グレッグは尻餅をつき、これには一同も驚きを隠せず、一瞬にして空気が凍りついた。
「腰袋付いてねェ、フックも付いてねェ、セーフティコードも付いてねェ…。
それのどこが“安全”なのやァ!!」
「す、スイマセンッ!!」
自分の商売道具の不備を指摘され、体をビクつかせながら涙目で謝るグレッグ。
「オメェよ、10年近くこの仕事してるくせに、周りの奴等は、ハルカの方が仕事が出来るって噂してんのやぞ!!
恥を知れ!!」
そう言い残し、残った職人に事情を説明するため現場に戻って行った。
結局、その日の現場は、一旦中止となり、職人達もその場で解散していった。
残ったスーガは、煙草に火をつけて中途半端の足場を見つめている。
「…オレに何か用か?」
背後の物陰から、苦笑しながらヒヨリが出て来た。
「アンタ、さっきハルカと一緒にいたな。
見かけねェ顔だが…」
「うん、今日初めてこの町に来たんだ。
ハルちゃんに会ったのも5年ぶりで━━」
次の瞬間、スーガの目つきが変わり、すごい形相でヒヨリに迫ってきた。
「アンタッ、昔のハルカを知ってるのかッ!?」
「すッ少しの間だけ一緒に遊んだりしただけで…。
でも、ハルちゃんは、アタシのこと忘れてるみたいだったけど…」
「そッそうか…」
慌ててハルカとの関係を説明するヒヨリに、スーガは、暗い表情でしばらく黙っていたが、煙を吐いて静かに告げる。
「酷な話で申し訳ねェが、アイツはな、記憶が無ェんだ」
「えッ!?」
衝撃的事実に動揺してしまうが、スーガは、煙草を吸いながら当時のことを語り始める。
━━5年前のことだ。
何日も続いた嵐がようやく去っていき、町の修復に追われていたときだった。
家が半壊しているところもあれば、農作物も全滅した農家もいて━━。
このままでは、この町は終わっちまう。
そのくらいの危機的状況だったんだ。
オレ達は、近くの町に助けを求めるため、道を塞いでいた倒木を退かす作業を行っていた。
そんなとき、すぐそばの川原に倒れているガキが目に入った。
急いで近寄ると、頭から血を流し、服装もボロボロ、身体中アザと擦り傷だらけの状態。
体もひんやり冷えきっていたが、かろうじて息はあった。
すぐ様、オレ達はそいつを連れて町に引き返し、医者に見せた。
なんとか一命をとりとめ、何日も寝たきりのアイツを、オレは作業そっちのけでずっと側で看病し続けた。
何でだろうな、ほっとけなくてよ。
それに、あの嵐の中、いつもの倍以上に増水していた川に流されてきたんだとしたら、奇跡としか言いようがねェ。
目を覚ましたアイツは、病室を見回したり、包帯だらけの体を確認すると、食事もちょっとずつ摂れるようになっていった。
問題は、ここからだった。
━━名前は、何て言うんだい?
━━…ハルカ。
━━家は? 何処の町に住んでるのかな?
━━…わからない。
医者の質問に、ハルカはゆっくり返答し続けた。
━━歳は、いくつ?
━━じゅう、に?
━━家族はいるのかな? お父さんとかお母さんとか。
━━…わからない。
頭を強く打っちまったせいだろう。
無理矢理思い出させるのは、脳に悪影響だと医者に言われた。
時間をかけて記憶を戻していくしかないんだと。
そこで、ある提案をされたわけよ。
子供を預かってみないかってな。
独り身だし、寂しくなくなるぞとオレの意見を聞かねェで強引に押し付けられちまって。
そんで、今に至るってわけだ━━。
材木の上に2人共腰かけ、スーガは、ハルカとの出逢いを懐かしそうに話している。
そんな様子の彼を、ヒヨリは微笑ましかった。
「子育てなんてしたことの無ェオレは、アイツとの触れ合い方が分からなかった」
短くなった煙草を地面に落とし、地下足袋の裏で擦りつける。
「きつく言い過ぎたときは、本当にアレで良かったのかとよく考えさせられることも多い」
ポケットから新しい煙草を取り出し、口に咥えると火をつけて一息いれた。
「特にあの年頃の若いモンは、感情的になりやすくて周りを見ちゃいねェ。
色々なことを学ぶようになった分、悩みも増えていっちまう」
体の中に溜め込んでいたものを大量の煙と共に吐き出し、眉間にシワを寄せる。
「この仕事を始めてからというもの、アイツは、自分の体のことなんかお構い無しで働きやがる。
足元を見ていねェッつーか、地に足をつけてねェッつーか…」
何と表現したらいいかわからない彼を見て、ハルカのことを心配していることは理解した。
「…おじさん」
「あ?」
「体のことに関して言うなら、煙草は控えた方がいいと思うよ」
彼女に指摘され、気付けば足元に何本もの吸殻があり、スーガは、思わず吹いてしまった。
━━夕方、アパートに戻ったオレは、ベッドでぐったりと横になっていた。
5年前、スーガさんが川原で倒れていたオレを助けてくれた。
それからは、不器用なりに真っ直ぐなあの人の背中をずっと見てきた。
その姿は、オレにとって父親のような存在に思えたんだ。
こんな何処ぞのクソガキをここまで育ててくれたんだ。
すごく感謝してる。
別に、この仕事が好きってわけじゃないけど…、拾ってくれたスーガさんに恩返しがしたかったんだ。
今日まで朝早くから夜遅くまでがむしゃらに働いた。
重い材料を担いで、走って、投げて━━。
毎日、怒られながらも尊敬しているあの人に認めてもらいたくて━━。
なのに━━。
“代わりはいくらでもいる!!
使えねェ奴は要らんのや!!”
スーガさんに言われたあのセリフが脳裏に焼き付いていた。
「オレは一体、何のために今まで…」
暗い表情で天井を眺めていると、すぐそばの窓からヒヨリが心配そうに顔を出す。
「なるほどね、今朝そうやって入って来たのか」
「エヘヘ~、お邪魔します」
ここ、3階なんだけどな…。
どうやって登ってきたんだろ。
申し訳なさそうに入ってくる彼女に、そんな疑問はどうでもよく思えてきた。
「カッコ悪いところ見せちゃったね」
「…多分、ハルちゃんを思ってあんなことを言ったんだと思うよ」
軽く苦笑をつくるオレに対して、唐突に何気無い一言を言い放ち、若干頭にきたが、なんとか冷静を保った。
「あのとき、頭に血が上っているハルちゃんをあの人から遠ざけるためだったんじゃないかな」
人の気持ちなんか知らないくせに━━。
「それに、ハルちゃんの体調を気にしてしばらく休めって、遠回しに言いたかったんじゃない?」
ほぼ初対面のアンタに何が分かんだよッ。
「そんな、都合の良い話が━━」
これ以上、その先のことを聞きたくなかったのだが、彼女は容赦なく続ける。
「1日ハルちゃんを見て思ったことなんだけど。
どんなに酷いこと言われても、どんなにキツいことされても、ハルちゃんの仕事に対する真っ直ぐな姿勢は、周りの人達が一番わかってるんじゃないかな」
そのとき、堪忍袋の緒が切れた。
「家族でもねェのに知った口きくんじゃねェよッ!!」
上体を起こして、彼女に怒鳴ってしまったオレは、気まずい空気に耐えきれず、そそくさと部屋を飛び出した。
━━外はすっかり暗くなり、あちこちの家に明かりが灯る。
オレは、黙々と歩いていると、前から職場の親方連中の姿が目に入った。
「おッ! ハルカじゃねェか!!」
「…、お疲れ様です」
軽く挨拶を済ませると、全員酔っていて良い感じに出来上がっていた。
「ハルカ、大丈夫か? 皆心配してたんだぞ!」
「えッ何で━━」
「お前、最近ちゃんと美味いもん食ってねェだろ!?
毎日あんだけ動き回って、その上、あのクソザルにしごかれてよ。
身が持たねェって!」
オレの肩を組み、口からキツいくらいアルコールの臭いを漂わせながら、ある親方が、ここだけの話をしはじめる。
「スーガさんもあのときキツいこと言ってたけど、作業中ちょいちょいハルカのこと気にしてたんだぞ」
「スーガさん、が…?」
「ああ、あの人口下手だっつーのもあるけど、現場の指揮もとらなくちゃならねェから、立場上ああするしかなかったんだ」
そのとき、ふと、ヒヨリの言葉を思い出した。
“どんなに酷いこと言われても、どんなにキツいことされても、ハルちゃんの仕事に対する真っ直ぐな姿勢は、周りの人達が一番分かってるんじゃないかな。”
いつの間にか、オレは、人との間に垣根を設けていたのだ。
「一人で何でもかんでも抱え込むなよ。
オレ等で良かったらいつでも相談にのるし、迷惑をかけちまうなんて一切思うなよ」
「現場にお前がいるといないとでは、オレ等のテンションも全然違うんだからよ」
尊敬する人達に囲まれ、背中を強く叩かれる。
頭の足りないオレにとって、言葉にすることの出来ないものが、体の奥底から込み上がってくるのを感じた。
━━町から少し離れた丘で、オレは座って黄昏ている。
あれから親方達と別れ、一人になるために町の光を一望出来るこの場所へと足を運んだのだ。
「だ~れだ?」
後ろから急に目隠しされたが、動じずにむしろ鼻で笑ってしまった。
「ヒヨリさん、でしょ?」
「あッ! 大正解! よくわかったね」
ヒヨリは、大袈裟に喜んで見せて隣に座り込む。
「さっきはゴメン、あんなこと言って…」
「大丈夫だよ。
疲れが溜まってて周りが見えなくなってたんだろうし、あんなショックなことがあったばかりだもん。
誰だって心が不安定になるよ」
申し訳なさそうなオレに、穏やかに返すヒヨリ。
「さっき、他の親方達に会ったんだ。
ヒヨリさんの言ってたとおり、皆、知らないところで、オレのこと見ててくれてたんだ」
自分が、どれだけ周りの人達に恵まれていたのかを初めて痛感させられた瞬間だった。
「あれだけ必死な背中を見せられたら、何も思わない人なんていないよ。
ましてや、アタシよりも長い間それを見てきた人達なんだよ?」
ヒヨリに改めて言われ、ますます自分の不甲斐なさに反省してしまい、下を向いてしまう。
「でも、これでわかって良かったじゃない。
ハルちゃんの日々の努力は、決して無駄じゃなかった」
下唇を噛み締めるオレに、優しく告げる。
「…捨てられたんじゃないんだよ」
最後の一言で、糸が切れたかのように目から大粒の涙がボロボロこぼれ落ちる。
ヒヨリは、何も言わずに側に寄り添う。
彼女の行動に一瞬躊躇ったが、溢れ出る感情を抑えられず、そのまま泣き崩れてしまった。
しばらくして、オレは目のまわりを真っ赤にして落ち着きを取り戻した。
「アタシね、家族がいないんだ」
ヒヨリが沈黙を破り、重い一言を口にする。
「だから、家族に近い愛情を注がれてるハルちゃんがすごく羨ましい」
「そんな、オレだって昔の記憶が無いんだし、家族って何なのかイマイチ理解出来てないのに…」
「じゃあさ━━」
勢いよく立ち上がり、両腕を広げる。
「姉弟になろうよ、アタシ達」
「えッ?」
彼女の衝撃発言に目を丸くする。
「アタシは、家族に憧れている。
ハルちゃんは、家族を知らない。
なら、姉弟になって、これからお互いに家族というものを学んでいこうよ」
そして優しく笑みを浮かべ、自信満々に胸を強く叩く。
「大丈夫。
この先、どんなことあってもアタシがついてる。
お姉ちゃんが側にいるよ」
何気無い台詞の中に、強い意志を感じさせられ、どこか心強くもあった。
「…っていうか、姉なの? 妹じゃなくて?」
「えッ、お姉ちゃんだよ!! こう見えてピチピチの18歳だもんッ!!」
「こう見えて…って、中身がおさな━━」
すると、ヒヨリの背後から古い生地をまとい、人の形をした化け物が現れた。
辺りは暗くて直前まで気付くことが出来ず、化け物は、彼女の首筋に歯を突き付けた。
しかし、ヒヨリは何事も無いかのように一切動じず、むしろ噛みついて離れない腐った頭蓋を掴み、鈍い音で砕いてしまった。
そして、力尽きたのかその場で崩れていく。
オレは、その光景を目の当たりにして呆然とする。
「ヒヨリさん、平気なの?」
「うん、アタシ普通の人より何倍も体が丈夫なんだ」
「そッそうなんだ…」
突然の出来事に頭がついていけず…。
そんな中、死んだハズの化け物が外れかけの下顎を揺らしながら、ヒヨリの足首をしつこく掴みかかる。
「“腐人”って初めて見る?」
「ああ、遠くからなら何回か…」
「腐人は、人間が死後何時間、何日後、何年後かに甦る魂の脱け殻。
意志は無く、ただ本能のままに生き物を襲うの」
説明しながら腐人を蹴飛ばし、それでも離れようとしない肘までしかない手を無理矢理引き剥がす。
辺りを見渡すと、茂みの中からゆっくり腐人が何体も姿を現し、ヒヨリは、目の前の相手に身構える。
「さっきも見たように、頭を潰そうがバラバラにしようが終わることはない怪物なんだけど…」
「じゃあ、さっさと逃げ━━」
「駄目だよ。
今逃げたらこいつ等は町に入って人を襲う。
ここで足止めをしないと…」
一体が手を伸ばし、ヒヨリに襲いかかろうとするが、回し蹴りで腰の骨を折られ、地面に倒される。
しかし、胴と脚が個々の生き物かのように、地べたを這いずり迫って来る。
「ハルちゃんッ! 家に戻ってアタシの槍を持って来て!!」
「槍ッ!?」
「こいつ等は銀が弱点なの!!
アタシの槍の刀身は銀で出来ているから、それさえあれば一掃出来る!!」
“銀”…。
要は、銀の成分が入っていれば何でもいいってことか。
一か八か、やってみるしかない。
オレは、地面にしゃがんで両手を構える。
その様子を、ヒヨリは後退りしながら伺う。
「何やってるの!? 早く取りに━━」
そのとき、オレの手に砂が徐々に集まり、次第に液状化しはじめた。
「これじゃ足りない、あとちょっと…」
ブツブツ呟きながらも、砂は液体へと溶け込まれ、なお止まらず。
その光景に見とれていたヒヨリの隙を見て、腐人が彼女の腕に噛み付く。
しつこいと言わんばかりに抵抗し、何体か前に押し返していると、いつの間にか一体だけゆっくりの足取りで町の方へと向かっていた。
「しまッ━━」
次の瞬間、銀柱がものすごい勢いで飛んでいき、先に向かった腐人の肩甲骨を貫いた。
腐人は、痺れているかのように身体を痙攣させ、やがて動かなくなった。
地面に深く刺さった銀柱は3m以上あり、支柱の所々に凹凸がいくつもある。
オレがそれに触れると、まるで粘土をこねているかのように銀柱の形状が変わっていった。
「扛の楔」
そう呟くと、細長い棒の先に平らな四角い面が直角に出来上がる。
それを両手に一本ずつ持ち、残りの腐人へと駆け抜ける。
一体ずつ確実に頭を割っていき、初めて使う武器を馴染みのある形にしたことで見事に使いこなしてみせ、そんな勇姿を、ヒヨリは立ちすくんで見ていた。
そして、双方向から来る腐人に対し、次への武器へと形を変える。
「梁の楔」
両腕を広げると、まるで翼が生えたかのように伸びていき、2体の腐人を突き抜けた。
10体近くいた腐人を一人で倒してしまい、オレは、荒く吐く息を整える。
「…ハルちゃん、それって」
「錬金術だよ。
ただ、オレなりにアレンジしただけなんだけどね」
手のひらで練り動く塊を見せながら説明する。
「地面に含まれている微量の自然銀を何とかかき集めて、馴染みのある物に錬成してみたんだ。
錬成できる分の銀がなかったらどうしようかと思ったけど…」
次第に、オシャレな細長い銀細工のチェーンに形を変え、腰まわりに下げてみる。
「とりあえず、一件落着…」
顔を上げると、彼女が何か言いた気な表情を浮かべていた。
オレはそれを察し、静かに気持ちを固める。
「わかってる。
でも、最後に━━」
━━朝、山から陽が差しはじめ、いつもと変わらぬ町の風景を照らす。
スーガが、眠たそうにあくびをしながら宿舎から出てくると、埃と汗と擦り傷だらけのハルカの姿に目を見開いてしまう。
足元には、手軽なリュックがあり、いつもと違う空気を漂わせていることに気付いたようだ。
「…どうした、こんな朝早くに」
「スーガさん」
ハルカは、彼に深く頭を下げ、声を震わせながらもはっきりと伝える。
「今まで御世話になりましたッ。
右も左もわからない身寄りのないオレを拾っていただいてッ、厳しく接し、いつも見守ってくれてッ、とても感謝していますッ。
オレにとってスーガさんは、近くて遠い憧れの存在でしたッ!!
オレは、スーガさんに出会えて、本当に幸せ者でしたッ!!」
「…そうか」
スーガは、初めて会った頃のハルカの姿が重なって見え、沈黙が支配する空気の中、ポケットに手を突っ込み、落ち着いて口を開く。
「時間ってのは早いもんだな。
あんときのガキが今、オレの前でいっちょ前なこと言いやがる。
ってことは、もう面倒な御守りをする必要はなくなったわけだ」
皮肉を言い放つ彼に、ハルカは、ゆっくり顔を上げる。
「ガキを育てるなんて、オレには荷が重すぎたわ。
何処さでも行け」
そう言い残し、中へと入っていった彼に、再度頭を下げる。
静寂の部屋の中で遠ざかっていく足音に耳を傾け、ドアに寄りかかりながら、深くため息をするスーガだった。
聖堂へと向かうと、先に来ていた職人達が何やらざわついていた。
「どうした、お前等」
「あッ! スーガさん、ちょっとこれ見てくださいよ」
スーガの存在に気付いた職人が、彼が通れるように道を開けると、そこには、一からやり直す予定だった足場が、聖堂を見事に囲んでいたのだ。
「こいつァ、一体…」
「いやァ、オレ等もついさっき来たばかりで何が何だか…。
でも、これで当初の予定通り作業が進みますよ」
この光景を目の当たりにしたスーガは、全てを察して鼻で笑う。
「達者でな」
その場にいない者に対して、ボソッとそう呟いた。
━━その頃、2人は町から大分離れた場所まで歩み、自分を成長させてくれた故郷に別れを告げる。
「ありがとう、ございました…」
小さくなっていく町を、名残惜しそうに見つめる。
「…やっぱり、寂しい?」
「ちょっとね、でも━━」
オレは、ヒヨリに手を差し伸べる。
「これからは、そばにいてくれるんだろ?
“姐さん”?」
一瞬、耳を疑ったが、その言葉に感激して、彼女はその手を握り返す。
「もちろんだよッ! ハルちゃんッ!!」
満面の笑みを浮かべながら、2人はこの時をもって“姉弟”となったのだった。
━━ 第一章 完━━