3話
重い。
まるでコールタールの海に沈んでいるように身体がずっしりと重くて、意識も散乱したピースのように何もかも不鮮明で。
自分は何でここにいるんだろうか。
死んでいるのか、生きているのか。
重い。
何もかもが重い。
ああ。何とか浮上しなくては。
瞼の一部が細かく痙攣し、少しずつ開いていく。
しかし、開かれたその瞳に生気など感じるはずもなく、視界は白く霞み、ここがどこなのかさえ知ることもできない。
ああ、重い。
まるで鉛のように何もかもが重い。指先一つ身動ぎ一つ出来ない。
「・・・。・・・・・」
どこかで誰かが何かを言っているような気がする。
耳に泥でも詰まっているかのようで、それはあまりにも不明瞭で理解することさえできない。
ん?
ここは天国?
それとも地獄?
「・・おい!聞こえているか?!・・・・ったく、・・・だよ」
白く淀んだ視界に黒い影が横切る。と、いきなり背中をドンと叩かれ、思わず咳き込んだ。
「ゲホ・・。ゲホゲホゲホ」
別にさほど痛かった訳ではないが驚いた。
「ったく!呼吸の仕方も忘れたのかね!やれやれ、とんだバカを拾っちまったもんだ」
「・・・」
呼吸?
え?では私はまだ、死んでいなかった?
しかも病院ではなく・・捨てられてた?!
それより、何とか呼吸ができたことでほんの少しだけ軽くなったような気がする。
「あんたはね、家の近くの森の中で転がっていたんだよ。分かるかぃ?しかも下着姿でね!」
あれ?記憶の断片では確か私は自室で。それが、森の中?
え・・えええ?!
まさか息子が葬式代ケチって、私の亡骸を山に捨てたとか・・・?!
そ、そ、そんなことしたら法律違反だよ、息子よ! 一番安いのでいいからきちんと葬式しようよ!
ほら、家族葬で最安値20万であるから。さすがに犯罪は犯してないよね?
まさか、ねぇ・・。
「知ってか知らずか、一応言っとくよ!ここは深い山の中。それも、七重八重に連なる高山の最奥に位置する霊峰クテ・マテア・レ・ジの中腹にある私の家さね。人なんて普通誰も立ち寄らないし、まして下着姿で歩いているバカはいないところなんだよ!」
「・・・」
へ、へぇ・・。凄いところですね。
やばい!
我が家から犯罪者が出ることに・・。ご先祖様に申し訳が立たないよ。
あああ・・本当にバカ息子め!
死んでからも私に心労かけるとか、本当に親不孝もいいところだよ!
恨んで枕元に出て・・・。
「しかもあんた。発見時には死んでたんだよ。まぁ、その死体にどうにも意地汚い魂がへばりついててね、うろうろしていてうっとおしかったから、仕方なく生き返らせてやったんだけどね!
おい!聞いているのかぃ?!」
「・・・」
かなり耳は遠いけど、何とか聞こえていますよ。てか、返事をしようにも声も出ないし、身体もピクリとも動かない。
生き返らせた?
生き返ったなら、息子の行いもギリセーフ?!
いやいや、死体を捨てた時点でアウト?!
そうか。やっぱり死んでいたんだね。
通りで死後硬直みたいに凍えているわけだ。それも冷凍マグロ並みにコッチンコッチンだ。
「とにかく、禁術の反魂の術を使ってやったんだ、ありがたく思いな!っていっても、実はこの術、覚えてから彼此300年近く経つけど、一回も使ったことはなかったんだけどね。さすがに3日も意識が戻らないから失敗したかなとか思ったんだけど、まさか成功するとは!ハハハ」
「・・・・」
暗い影だけしか見えない相手に、どういう反応をしたらいいのかわからないが、ここは感謝すべきでしょうかね。やはり声も動作もできなけど。
てか。あの・・よく意味が分からないんですけど。
反魂の術って。何かほら、陰陽道的何かっぽいものでしょうか?
まさか、ゾンビじゃないよね~・・ゾンビは嫌ですよ・・・。ああ・・なんか眠い・・。
「ああああ。ありゃ、どうも反応が全くないと思ったら、まだ接続不良かね!やれやれ・・。もう一回かけなおしとくかねぇ~」
如何にも嫌そうな、すごく面倒臭いという感じの盛大な溜息が耳元で聞こえた。
「さっさと寝ちまいな!バカったれ」
言われるまでもない。
もう意識は半分、沼の中に沈んでいる。
ところで、どうやら私は一命を取り留めたようだ・・・。
ふわりと身も心も浮上する。
ずっと感じていた、纏わりつくような重く冷ややかな感じはもう、ない。
ゆっくりを瞼を押し上げ、ぼんやりした視界が少しずつ鮮明になっていく。
ここは、どこなんだろう?
動く瞳だけでざっと辺りを見渡す。
とても高いとは言えない煤けた木版の天井。真横もまた薄汚い木版の壁。足元のほうには煤で黒く染まった大き目の竈があり、その横にはお情けで存在している炊事場と壁にかかった鍋が大小3個。
生活臭が漂うけど、まるで江戸時代か何かの掘立小屋のような・・。
ドンとドアが勢いよく開かれ、思わず硬直する。
「おや、やっと目が覚めたかぃ?あれから4日も目が覚めないんで気をもんでたところさ」
少しだけ顔をずらして目で相手を追う。
メリハリの利いた声。
白髪混じりのぱさついた金髪に褐色の肌。長く横に張り出した耳。印象的なのはやたら生気に満ちた鋭利な新緑の瞳。
何となくエルフなんだと、思う。
はい?エルフ?えええ?エルフ?!
いやいや。エルフってそんな馬鹿な話。
もしかして・・・ここが天国?!・・・にしては、随分しょぼい家なんだけど。
でも。エルフだしぃーーーーー!
「・・・嘘?!」
うわ~。ゲームではよく見かけたけど、なんか3Dよりさらに生っぽいんですけど。
それにいつまでも若いイメージがあったのに対して、目の前のその人は皺を深く刻んだ老女だし。
但し、老女は老女でも背筋がピンと伸び、大股でシャキシャキ歩く姿は老人とはとても思えないほど若々しい。
うん。間違いなくエルフ・・。
思わず何度も見入ってしまう。
生物だよね?作り物には到底思えないし、出来が良すぎる。まじで生物っぽいエルフ。
「ふん!意識はしっかりあるようだが、私を観察するとは生意気なガキだね」
「・・か・・観察だなんて」
いや、していたか。
「ほれ、動いてみな」
手にした棒っきれのような杖で、横腹をガシガシ突っついてくる。
痛い。うん、まだ感覚はかなり鈍いが多少なりとも痛みはある。
「痛いです。やめてください」
懇願するが「ほれ、ほれ」とかなりの勢いで突くのをやめない。仕方がないと右手を何とか動かし、杖を握ろうとしたが握力が全くなく、するりと手から抜けていく。
「ほほぉ。多少は動けるじゃないか」
「本当だ」
掴み損ねた掌をゆっくり目の前で翳す。ひらひらと手の甲と平を何度も繰り返し、まだ他人の体のような不可解な感覚に眉をひそめた。
なんて大きな骨ばった手なんだろう。
見慣れたはずの皺や浮き出た血管、大小散らばるシミが・・ない?
「え?」
おかしい。なんだこの手は!
しかも張りがあって瑞々しい白い手って。ナニコレ?これは一体誰の手なんだ?!
「ちょ・・どうなってる?」
「頭も動かせるか。重畳、重畳。ってこら!いつまでそんな顔して自分の手を見てるんだよ!そりゃ何かね?私への当てつけかね?若いってことを自慢したいだけかね?腹立だしいガキだよ本当」
「いや、そうじゃなくってですね」
「ほら起き上がってみな。動けるようなら明日からでも・・」
「う、動けない」
ベッドの上でじたばたもがくが、やっと手と足、頭を少し動かせるだけという有様。第一、これ、私の身体じゃない。絶対他人の身体だ。しかも目の前の老女がいう「若い」身体だ。
私はその『誰かの死体』に魂を移されたに違いない。
そうだ、反魂の術とかなんとか、前に言ってたよね?
きっとそれだ、それで私は他人の身体を乗っ取ってしまったのだ!道理で自分の身体じゃない感じがしたわけだし、こうして動かせても感覚と動きがうまく連動されてない気がする。なんといえばいいのか、一枚幕が張った中から『動け動け』と命令しているような、実に曖昧な感じ。
「何やってんの?阿呆かお前は。ああ~わかったわかった。まだ上手く感覚がつかめていないんだな。まぁ一度死んだ身体だしな、そこは仕方がないか」
「あ・・うう・・」
そういえば耳から入る自分の声も、おかしい。これじゃまるで男の声だ。
「わ、私は・・男なのだろうか?」
「はぁ?何言ってんだよ。確かに下着1枚で死んでいたのは青年というかガキだよ。だが、その死体にへばりくっついてたのはお前の魂なんだから、お前自身だろうに。おかしなことばっかり言ってんじゃないよ。さて、飯にするかねぇ~」
「・・はぃ?」
青年?ってやっぱり男ってことだよね?はぁ?婆さんだった私の身体はどこ?なんで若い男の死体に私の魂がへばりついてたの?
あ、あれか?きっと好みの男の子だったから、とかかしら?いやぁ、それはそれでどうなのよ。めちゃくちゃ恥ずかしい話ではないだろうか。
「あんたも少しは食べないと・・・何してんの?顔赤くして、阿呆か」
「・・・・」
「本当にろくでもないもん拾っちまったよ。いいかい!動けるようになったら働いてもらうからね。只で食わせてもらえるほど、世の中甘いもんじゃないんだから!」
そのくらい理解はしている。
というか。天国っぽくはないよね?
どう見ても、なんか違うような気がする。
「はぁ・・」
思わずため息と共に左手で髪を掻き揚げ、その時手首でしゃらりと微かな音がするのに気が付いた。
何だろう?
手を目の前に持ってくると細いチェーンがくるりと回り、重そうなプレート面が目の前にぶら下がった。
「え?」
確かにそこには『精霊の守人たち:晴嵐』と刻まれてある。
まさか!
慌てて今度は自分の髪の毛を引っ張って確認した。白髪、じゃない、銀髪だ。薄明りの中できらきら輝いている間違いようもない銀髪で、ゲームキャラの晴嵐だ。
「そ、そんな馬鹿な・・・話・・」
「何がバカだって?」
「いえ・・何でもないです」
婆さんは背中を向けたまま何かをこねているらしいが。それは気にならない。
そんなことより大事なのは『精霊の守人たち』は私が加入しているクランの名前で、しかもブレスレットは加入したら全員洩れなく貰える「加入者の証」であり、最初に手に入れることができるアクセサリーのはず。特に全能力+10が付くという、初心者とってはありがたい存在だったのだ。
それをしているっていう事は間違いなく、晴嵐だ。
「なぜ?」
何故、ゲームキャラが、ここにいる?
だってあれは電脳世界のデータなんでしょ?違うの?
生物じゃないはず。だったらどうして私の魂がその中に・・?
「ゲーム・・なの?ここ」
電脳ゲームの世界に私の魂が飲み込まれたってこと?
でも待ってよ。だってあの時点で後2時間ほどで終了のはずでしょ。まだ終了してないってことなんだろうか。いやいや。婆さん曰く3日以上は確実に経過しているはず。時間軸が同じならって前提だけど。
それに、前になんか霊峰何たらかんたらとか言ってたけど、そんなのゲームの中では聞いたこともないし。じゃぁ一体どこにいるのだ、私は。
しかもゲームキャラで。
理解できない。余りにもおかしすぎる。
「ぶつぶつ煩いったらありゃしない!黙って飯まで待ってな」
「あの、お婆さん。ここは何という世界なんでしょうか?」
「誰が婆さんだ!私にはレ・ナルという立派な名前があるんだよ!ナル様と呼びな!」
「あ、はい。ナル様、ここは・・」
「赤鋼香乃和国の更に北、ウゼル連峰の最奥だよ。そんなことも知らないのかぃ!」
そう言われても、全く記憶にない地名。アカガネコウノワコク?それってどこよ。
いよいよ不安になってくる。
「あの~・・」
「ああああ、うっさいうっさい!調理中にうじゃうじゃ話しかけるな!ったくうっとおしいったらありゃしない」
「すみません」
ついに怒らせてしまった。
今度は竈に火を入れるらしく、イライラを叩きつけるように薪を放り込んでいる。
「万物を焼き尽くす同胞よ、集え我手に。ファイア」
行き成りぱちぱちと音を立てて燃え出す。その様子に思わず目が点になった。
「はぃ・・?ま、魔法?」
いやいや。まぁエルフだったら魔法ぐらい使えるかもしれないけど。そこじゃない!
魔法?ええ?魔法だよね、今の。
「なんだい?これは魔法じゃないよ。まぁ似たようなものだけど。神法も知らないとか、そんな馬鹿なこと言うんじゃないよ」
「魔法じゃない?あれ?神法?」
「ああ、人族なら魔法か」
「え?魔法じゃないって・・」
「エルフが使うなら神法。どこに住んでようが人なら普通魔法ぐらいあるだろうに。あれか?一回死んだせいでお頭までお馬鹿になっちまったんじゃないだろうねぇ」
「・・は、ははは」
こっちにじっと見つめてくる鋭い目に思わずその視線を切る。
魔法ぐらい知ってるわよ。・・ゲームでだけど。
でも神法って・・。
「魔法、あるんだぁ・・」
「本当、なんだってこんなバカが『精霊古語』の真名なんぞ持ってるんだか!あんたが付けてる腕輪に刻まれた名前がお前の名なんだろ?!」
「は、はい。そうです。晴嵐といいます」
「セイ・ランねぇ」
「真名って?」
「その文字だよ。そんなことも知らないのかぃ!」
と言われても・・。
「真名の読み名も、知らんとか?」
「セイランじゃないんですか?」
凄い顔してこっちを睨んできた。
「一回だけ教えてやるが、本来口にしちゃいけないんだよ!お前を完全に隷属させる言霊だからね!」
「・・・」
言うなり私の耳元に顔を近づけてきた。その目があまりにも真剣で恐ろしい。
『晴嵐:se・*ra』
「セ・*ラ?」
「自分でも口にするな!」
手にしていた木製のお玉で頭を叩かれ、小気味いい音とともに激痛が走る。本気で思いっきり叩くなんて、酷いじゃないか。
「ぐは・・」
「ったく。真名持ちじゃなかったら助けたりするもんかぃ!ああ、全く腹立だしい」
「・・すみません」
余りにも理不尽な怒りに謝るしかない。それにしても真名って。
セとラの間に「ル」という音が聞こえたので多分「セ・ルラ」が正しいのかもしれない。
「思ってもないくせに謝るな!それにしてもエルフでもないし、かと言って人族でもない。そのくせ精霊古語の真名持ちで精霊の加護まである。謎だらけだよ、全く。厄介な」
「加護?」
「精霊之守人って、強力な加護が付いてるじゃないか!」
「は、はぁ・・?」
あれはただのクラン名であって加護とかじゃないですよって説明するのも面倒。しかも「たち」を忘れてますって。そこ大事なんですよ!でないと色々やばいことになるかもしれないんだって。
「エルフの持つ加護より上位の加護って・・ありえんわ」
ぶつぶつ文句を垂れるエルフ的な老女をよそに、私の頭の中は更なる混乱を極めていた。
稚文を読んで頂き、誠に感謝です。
書き貯めた分を放出。そろそろまったり更新になりそうです@@