11話
いつものお昼ご飯で、相変わらず変わり映えのしない「木の実クッキー&山菜スープ」なのだが、顔触れが変わった。
私、ナル婆さん、そして白虎のトラ。
というか、トラ。お前何でテーブルの上に乗っかって、堂々と目の前でクッキー齧っているわけ?
普通は床だろうが床!
「トラ・・・」
非常に目障りだし、何より食い散らかしてるそこは、誰が片付けると思ってるの?
間違っても婆さんじゃないぞ、この私だ私!
しかしあれほどマナーだの常識だの煩い婆さんが、なんで文句を言わないのか。そこが非常に気になる。
「ハグハグハグ・・婆さん」
「何だいトラちゃん」
聞き返す婆さんが何だか優しい目をしている。しかも『ちゃん付け』?
ええ?なんで?
「これ美味しいけど。俺、肉が食いたい!」
トラって肉食系?
うそでしょー。お前のエサはNPCペットショップのペットフードだったじゃないかぁ。あ、でもあのフードって肉なの?あまりに絵がいい加減だったので、干からびた大豆に見えてたわ・・。
いや。普通に白虎も虎なんだからさすがに豆はないか。
てか、私と同じとか、なんか嫌だなぁ、キャラ被ってるよぉ。
「ああ、トラちゃんも肉が好きなのかぃ。困ったねぇ~もうヤル肉はないんだよ。お前さんの主が全部食っちまってねぇー」
「・・・・主ぃ・・」
何だよ!そんなウルウルした目でこっち見ないでよ。
「どうしても欲しかったら自分で捕ってくるしかないねぇ」
「分かった!」
「おいおい・・」
そりゃ私だってお肉大好きですよ。食べたいですけどね。
でもトラ。そんなに安請け合いしてどうするんだ?
私はヤルがどんな生物なのか知らないし、どこにいるのかも知らないし、何より私とトラで倒せるものなのかも判らないんですよ。
「なぁに。山をさらに登っていけば、高山植物がちらほら生えているだけの岩だらけの場所になっていく。その辺がヤルの生息地さ」
「へぇ~」
食後の片づけをしながら、お茶をすするナル婆さんの話に耳を傾ける。
それにしてもトラの奴め。随分派手に食い散らかせてくれたものだ。こっちの苦労も知らないで。
「そこ行けばいるの?婆さん」
「ああ、そうだよトラちゃん。今は夏間近だから茶色っぽい色をしてるはずさぁね。そしてオスには立派な角が生えてて、その個体の周りにはメスが数頭いるはずだよ」
「おおお!ハーレムなんだね!」
「はぁ・・れむ?何だいそりゃ?」
「気にしなくていいです、ナル婆さん」
「羨ましいぞぉー、ね、主」
「別に・・」
「早く行こうよぉ主!」
「はいはい・・」
さて洗い物をさっさと済まそう。
「セイラン」
「はい?」
「神器装備は全部身に着けておくんだよ。危険だからねぇ」
「え?あれを?」
「滑り落ちでもしたら洒落にならないぞぃ」
「・・はい」
やれやれ。ニャンコセットフル装備とか。全然、全く、嬉しくないなぁ。
ただフル装備にするとなんと全ステータス+10という超微妙な能力が付くという、一応能力付きアバターであることが判明し、なんだか胃が痛くなってきた。
しかも嫌でもダンス機能搭載なので、エモーションダンスに気を付けなければ。
何せ飯前に、婆さんに請われて仕方なく全部を身に着けたのだが、その途端踊り出したのには驚愕。勝手にエモーションダンスがONになっていたわけなんだけど、切るまでのその間、本気で笑い転げる婆さんに辟易するという事件が発生したのだ。
私だって笑い出したよ!・・・泣きながら。
もしナル婆さんが笑い死にしたら『運営』のせいだからね!
決して私のせいじゃない。
「はぁ・・」
仕方がないので、言われたままに装備する。
勿論エモはOFFですよ。
「つ、疲れるぅ・・」
凄まじい山の斜面だ。
見上げる視線の先は、どこを見ても岩岩岩、石石石。
たまに高山植物がへばり付く様に生えてるぐらいで、こんなやせた岩稜の何もないところに、本当にヤルとかいう生物はいるのかねぇ。
それより。
これは完全に登山だ。命綱もなく登山装備でもなく、ニャンコアバターに黒杖だけという超軽装。というか、こんな姿で高山を登るバカはいないだろう。
ああ。下を見てしまうと身は竦むし目眩がする。
思わず指に力が入り、狭い足場に膝が笑う。上半身を岩肌に張り付くようにしておかないと、時折下から突き上げるような突風に身体ごと持っていかれそうだ。
絶対、傾斜角度70~80度とか言いません、ここ。
怖いんですけど。
更にこれは半分ロッククライミングとか言わないか?
今の私は若い身体だから何とかなっているが、生前は絶対に無理。不可能。年寄りがこんな事してはだめだぁぁ!というくらい危険度高い。
「主ぃーーー!こっちこっち」
「わ、分かってるって」
その点トラは獣だから少々足場が悪かろうと平気だし、何より身体が猫程度という小柄さもあってか、身軽にひょいひょい登っていくのが羨ましい。
短い手足のくせに。
「あ。主、あれ見て」
トラの声で顔を上げ、斜め前方を見ると、そこには茶色の鹿のようなヤギのような獣が4頭ほど見て取れた。
一番大きな個体の頭上には、捻じれた角が天に向かって伸びている。
あれが雄だな。
そしてその周りにいる3頭が多分雌。その足元にはさらに小柄な生き物が6匹・・。子供か?!
「う~ん・・・」
困った。こういう場合、雌と子供を残して雄を処理すればいいのか?それとも雌1頭だけに絞って、雄を残すべきなのだろうか。
「トラ、雌1頭な!」
「分かったぁ主!」
だが、異変に気が付いた群れは慌てて移動を開始する。それを追いながら回り込むようにトラが前に出た。
おまえ、速いよ!てか、何そのジャンプ力。初めて知ったんですけど。
「主ーー!」
「はい!」
トラが追い立ててくれるので、私は無理に移動せず待つことにする。
ところでトラよ。私は雌と言ったよねぇ。
「なんで雄がこっちに向かって来るんだよ!」
しかも角を振り回して、私目掛けて飛び掛かってきた。
「ひ・・あぶ・・」
折角躱したのに、器用に急回転してこっちにまた向かってくる。
不味い。
杖を振り回すにしては足場は悪く、更に崖を背負っているため稼働率は半分以下。こうなったら自棄だ。
左手で岩壁を掴んだまま、右腕を思いっきり振り引いた。
「こんにゃろーーー!」
ピギィーーー
はい。杖をヤルに向かってブン投げました。
でも運よく額に当たったというか刺さって、そのまま崖を滑り落石を巻き込みながら、そして見えなくなった。
たまに飛び散る黒っぽいものって多分血だよねぇ・・。
うわぁ。
点々と跳ねては落ちていく様は、一歩間違えれば自分の未来。
首とか足とか、変な方向向いていたよねぇ。滑落って・・。
「こ・・怖ぁ・・」
「さすが主!」
駆け寄ってくるトラに思わず引きつる。
あんま傍来ないで!足元不安定だから。しかも緊張で体強張ったままだから。
ガラガラっと崩れる岩に、思わず息を飲む。
そんな私を見上げてくるトラがやたら真面目そうな瞳で問いかけてくる。
「他は逃がしたよ、主。それでいいよね?」
「・・あ、ああ」
どうやら他は追い立てて、この場から去らしたらしい。こいつ、こんなに頭良かったの?
それにしてもナル婆さん。
ヤルの大きさを教えてくれてなかったけど、あれ、本当にヤルとかいう動物なんだろうか。想像していたのよりかなり小柄というか中型犬サイズというか、なんか小さすぎません?
普通に考えたらカモシカサイズとか、トナカイサイズとか想像するじゃん。
「主、獲物は俺が取ってくるから待っててくれ!」
「つ、杖も」
「分かった、主!」
言うなり、トラは斜面を一気に下っていく。あいつ、あんなに優秀だったの?
だって洩れなく全員に配られる無課金ペットだぞ。間違っても猟犬じゃないし。
足場が安定していそうな場所に移動し、しばらく待つことにした。
間違っても下は見たくない。だって目眩がするんだもん。
「主ぃーはい!」
いつの間にか足元には黒杖を咥えたトラがいる。
「獲物は?」
「バッグの中だと思うよ~主」
「え?マジで?・・確認してみるね、どれどれ・・」
な、なんと。ドロップ扱いですか。こいつは驚いた。というわけでつい、しがみ付いていた岩から両手を離し左手を懐の中のバックの中へ、右手を浮かび上がった画面をスクロールして確認しようとしたその時。
下からいきなり吹き上がってきた風に煽られ、ふわりと身体が浮かび上がる感じがした。
「へ・・?・・・・だぁぁぁ・・・?!」
視界が上下回転し、ゴロゴロと下っていく。
「ぐへ」
「が・・」
あっちこっちが痛い。時折飛び跳ね、どこかにぶつかり、一気に意識が遠のいていった。
「・・じぃ・・。ぁる・・じぃ」
どこかで誰かを呼ぶ声がする。
意識が少しずつ浮上してくる中で、何かが顔を叩いている。とても柔らかで温かいそれが、白いもこもこした動物の足だと気づく。
ペシペシ・・・
「主ぃ・・。しっかりしてくれよぉー」
「・・・・トラ、か」
それが何なのか気づいたとき、白くて丸いトラの顔が視界一杯に埋まった。
「よかった主ぃ。また死んじゃうのかと思ったぁ」
べしょべしょな泣き顔で必死に私の顔をなめまくっている。おかげで顔中べたべただよ。
「や、やめろって。もう大丈夫だって」
「鼻血出てるんだって。本当だぞ」
「そうなのか・・」
トラが退くと今度は青空が見える。どうやら私は頭が下で足が上になった姿勢らしい。とりあえず痛む体で身を起こそうとするがどうにも起き上がれず、仕方なく横を向いて回転させてから立ち上がろうとして、自分が大きな岩のところで引っかかるように止まったのだと初めて知る。
「よく・・助かったものだなぁ」
山の上部に頭を向け直してから辺りを見渡し、どれほど滑落したのだろうかと現状を把握し、絶句した。
軽く100メートルは落ちたと思われる。
「よ、よく生きてたなぁ・・」
普通なら即死級だ。
「いたたた・・」
立ち上がろうにも力が入らない。
これって俗にいう『全身打撲』状態ではないのだろうか。
何とか膝をついた状態から少しずつ体を動かし、起き上がると頭がくらくらした。そこで帽子の上から頭を撫で、後頭部にでかいたん瘤を発見し、鼻血だけで済んだ幸運を感謝する。
要するにこのへんな被り物がなかったら間違いなく「即死」だったと。
「主。もう大丈夫なのか?歩けるのか?」
「ああ・・。でも明日は動けないかもね」
昔、姪っ子が交通事故にあい全身打撲で入院していた時のことを思い出す。
初日は緊張状態ゆえに何とか動ける。だが翌日から数日間は「弛緩状態」に陥って、全身の痛みに襲われながら身動ぎができなくなっていた。
お見舞いに行ったとき「大きな怪我はなかったんだけどねぇ~」と妹が苦笑していた。
なんでも車に撥ねられたとき、偶々足を救い上げるようにしてボンネットに体が乗り、フロントガラスにぶつかって急停車時、道路に滑り落ちたらしい。
事故は信号の変わり際で姪は急いで渡ろうと走っていたという。そのおかげかどうかは知らないが、骨折すらなかった。
運は大切な要素かもしれない。
そして今回、私も似たようなものだろうなぁ。
「さて、もう帰ろうか」
「うん、主。杖!」
「ああ。ありがとう」
見上げれば岩場だらけの急斜面。ああ。本当にここは怖いと心底ぞっとする。だがかなりの距離を滑落したおかげで、森はすぐ近くに存在していた。
バッグの中身の確認は、もう後でもいいやという気分だ。
とにかくここを離れよう。
それにしても、本来ならボロボロになっていておかしくない出来事だったが、にゃんこアバターはそんな事はどこへやら、まるで新品のような綺麗さに安堵するより不思議感覚が抜けなかった。
今はトラの先導によって、通り過ぎる木々を支えに杖をつきながら森の中に入っていくことにした。
「小屋まで大体5キロほどだよ、主」
「5キロもあるのか・・」
遠い。山の中での5キロはあまりにも遠い。
「主、鼻血止まってよかったね!鼻の下真っ赤だけど!」
「それ早く言ってよ!」
ネコグローブでごしごし擦るが、手を見ても血の付いた痕がない。
コノヤロー!騙したな。
「トラ!嘘つくんじゃないよ!」
「え~?さっきまで本当に赤かったんだよぉ」
杖を振り回しトラに攻撃を仕掛けるが、器用にそれらは避けられてしまった。だが、それでも振り回すのをやめない。
というか、ますます腹が立ってくる。
「主の命令だ!甘んじて罰を受けるがいい!」
「いやだよー」
「何を?!生意気だぞペットのくせに!」
「あ・・」
行き成り立ち止まり、トラが辺りを見回しながら丸くて小さな耳をぴくぴくさせているので、その異変にさすがの私も立ち止まり周辺に注意を向ける。
「主!魔獣だ」
「・・何?」
思わず近くの巨木を背に、強張った手で杖を構える。
するとトラの近くの藪が揺れ、奥から鋭い眼差しが覗く。
「全部で4匹だよ、主!」
「4匹だぁ?!」
囲まれているのか?!やばい。
全身の痛みのせいでろくに攻撃ができそうにない。何より、いきなりの戦闘で身が竦む。
「任せろ主ぃ!俺様がやってやるぜ!」
攻撃態勢の構えに入ったトラが唸るような声を上げ、自分にタゲが来るように魔獣の注意をひきつけ始めた。
『任せろ主ぃ!俺様がやってやるぜ!』
トラのこのセリフ、久々に聞いた気がする。なんだか少しだけ安堵してしまい、苦笑いが浮かんだ。
「ああ、任せるよ」
弱いくせに。口だけはいつも偉そうで、でも、全然話にならないくらい弱いくせに。
それでも、最初のうちは頼りになる奴だったんだよね。
「おい!こっちを見やがれ!ガオォォーーーー!」
ガルルゥ・・
藪から姿を現す魔獣は黒に近い焦げ茶色をした、体高2メートルほどの化け物サイズの狼だった。
だが、それ以上に不気味なのは真っ白の目。虹彩も何もない、ただ白いだけの目が恐ろしい。そして30センチはあろうかという牙を抜き出し、口の端から離れ落ちる涎が気持ち悪かった。
それに対してトラは体高50センチもない、大柄な猫サイズで丸太の様に丸っこい身体に短く太い手足。
・・・・・1噛みで終わるんじゃね?
「だ、大丈夫なのかよ」
対峙する相手の大きさを見てから、物凄く不安だ。いや~これは話にならない。
魔獣の膝丈にも届いてないよ、トラ。
「見ててよ、主!」
躍り出てくる魔獣たちを相手に、トラは素早い動作で飛んだり跳ねたりしながら前足を振り抜いて、相手に怪我を負わせていく。
「舐めんなよぉー!」
ガッ
ギャウン
「俺様は白虎だぞ!犬っころに引けなぞ取るかぁぁ!」
犬っころって。お前は猫もどきじゃないか。
ズッシャ!
ギャフ・・
それも目や鼻先といった急所を捉えての、ダメージを確実に与えていく攻撃だ。
しかし、すごいなぁ、おい。
何なの、その立体高速移動。どんだけ優秀なの?
「あ、主?!」
ぼんやりトラの攻撃に見入っていた私の方に、1匹の魔獣がこちらに向かって走ってくる。
その距離はわずか10メートルあるないか。たった数歩で私に手が届く範囲だ。
冷や汗と共に私も杖を構え、目の前に差し迫った魔獣の面に杖の先端を突き立てた。何しろ的がでかいのだ、外しようがない。
ギャ・・!
思いっきり突き出したので鼻面がザクロのように弾け、後方に身を投げ出した魔獣はその場で身悶え苦しむ。
そこへトラが喉元に噛み付き、そして勢いよく頭を振り噛みちぎった。
辺りに血飛沫が舞う。
「後、1!」
周りの木々を利用して飛び跳ねるトラの雄姿。
気が付けばトラの周りには魔獣の巨体が転がっている。
全滅の危機を察したのか、残された最後の1匹が身を翻して逃げ出そうとするが、背後からトラが襲い掛かる。
あんな短い手足でさほど長くもない爪で、だが驚くことに風の刃となって巨体を両断した。
「ふん。俺様の敵じゃないね!」
思わず唖然としたまま、鼻を鳴らしながら戻ってくるトラを迎えた。
え~凄いよ、トラ。
こんなに高性能だったの?無課金ペットって。
えー?まじで。
「主!素材いる?取ってくるけど!」
「う・・うん」
「じゃぁ待っててね!」
「ははい」
トラに頭が上がらんわぁ・・。
なんか、初心者若葉の頃のことを思い出すわ。戦闘では随分お世話になってたからね。
「へ?」
今、目の前でトラが横たわっている魔獣の身体をペタっと前足で触れただけで消えた。
消えた?!
「主のカバンの中に入ったと思うよ~」
「へぇ・・」
見ていてもあまりにも不思議な光景に頭が付いていかない。ドロップってこういう風に回収していたのか、知らなかった。というか、ゲームではこんな光景なかったですもん。
摩訶不思議。
トラが回収している間にバッグの中身を確認すると、確かに入っていた。それも解体された挙句に部位とか素材とかに変化していた。
「ヤルのモモ肉.ロース。サーロイン、バラ、ランプ、肩ロース、スネって各部位になってるし。魔獣の方は鞣し革3に毛皮1とかになってるわ」
便利といえば便利だ。何しろ解体しなくて済むし、何より解体苦手だし。でも、いらなくなった部分ってどこに消えたんでしょうか?
骨とか良い出汁出るのにもったいない気がするんだけど。
もしかして、イベントリにあるごみ箱(絵面的にゴミバケツ)に直行したのだろうか。
しかし不思議だ。
やはりゲーム仕様が生きている。
「早く行こうぜ主ィ~」
「はいはい」
こっちは全身が痛いというのに、トラは尻尾振りながら偉くご機嫌で前を行く。
ああ、遠いなぁ。
いつも読んで下さり、ありがとうございます。