実践してみましょう
ということで翌朝、いつもよりも早い時間に馬車で登校した私がホールに入ると、友人の皆さんとお話ししているソフィー様の姿が目に入った。
そのすぐ隣に弟君のルーファス様が不機嫌そうに佇んでいる。
また何か言われるかも、と思ったが、ソフィー様を無視するわけにいかない。
すぐに私は彼女の許へと向かい、頭を下げる。
「ごきげんよう、アメリアさん」
「ごきげんよう、ソフィー様。皆様」
「……」
挨拶をしてくれる皆さんや笑顔のソフィー様に対して、ルーファス様は仏頂面である。
せめて、挨拶ぐらいはしていただきたいのですが……。
「ルーファス。挨拶ぐらいなさい」
「……ごきげんよう」
「ごきげんよう、ルーファス様」
横目で私を見たルーファス様は小さな声で挨拶をしてくれた。
仏頂面なのは変わらないけれどね。
「じゃあ、もう行くから」
ソフィー様の返事を聞く前にルーファス様はその場を後にしてしまう。
友人の皆さんは残念そうにしながら彼を見送っている。
あの様子だと嫌われているわけではないと思うけれど、と思っているとソフィー様から声をかけられた。
「本当に失礼な弟でごめんなさいね」
「気にしておりませんが、ルーファス様は女性が苦手なのでしょうか?」
「ええ。昔からご令嬢達に囲まれて質問攻めにされたり、誘われることが多かったから。そのせいかもしれないわね」
ああ、それは女性が苦手にもなりますね。
一人ならともかく結託したご令嬢達に休む間もなく話しかけられたら、誰でも嫌になるわ。
綺麗な顔の方を羨ましいと思っていたけれど、そういった弊害もあるのね。
それに次男とはいえ侯爵家のご子息だし、尚更ご令嬢達の獲物になってしまうのかも。
「アメリアさん?」
苦労したんだろうなぁ、と考えていたら、友人の一人が私の顔を覗き込んできた。
しまった、考え込んでいる場合じゃなかったわ。これからソフィー様は王太子殿下に挨拶をしにいくというのに。
「申し訳ありません。考え事をしておりました」
「貴女はボーッとしていることが多いですわね。ソフィー様の友人ならば、もう少ししっかりとなさったら?」
「申し訳ございません」
反論の余地もないと私は注意してきた人に頭を下げた。
「よろしいのよ。それがアメリアさんの良いところでもあるのだから」
「ソフィー様は、お優しすぎます」
「そうでもないわ」
ソフィー様からフォローされることが心苦しい。
もっとちゃんとしなければ。
「あ、王太子殿下がいらしたわ」
誰かの声に、ゆっくりと外に視線を移動させるソフィー様につられ、私もそちらを見ると、王太子殿下が従者を連れてホールにきたのが見えた。
プラチナブロンドの髪は今日もサラサラで、軽く微笑みながら生徒達に目を向けている。
正に王子様って感じだわ。本当に王子様だけれど。
「では、私は挨拶に参ります」
移動しようとしたソフィー様に続いて、友人の皆さんも動き始めると、彼女はピタッと足を止めた。
「皆さんは、こちらでお待ちになっていて。今日は一人でクレイグ殿下に挨拶をしようと思うの」
「え? ですが」
「あまり大人数だと、クレイグ殿下のご迷惑になってしまうかもしれないから」
お願いね、と言い残し、ソフィー様は王太子殿下の許へと向かっていく。
心の中で彼女を応援しつつ、私は成り行きを見守る。
私や周囲の生徒達が王太子殿下に頭を下げる中、ソフィー様は彼の近くまで寄り、見た者がウットリするような綺麗な笑みを浮かべて一礼すると、王太子殿下が足を止めた。
笑みを浮かべた王太子殿下は、ソフィー様がお一人なのを不思議に思ったのか、少しだけ目を見開いている。
「おはよう」
「……ごきげんよう、クレイグ殿下」
「一人か? 珍しいな」
挨拶だけで終わりだと思っていたソフィー様は、王太子殿下から質問され、無言でオロオロし始めた。
「どうした?」
無言のままのソフィー様に周囲の生徒達がざわめき始める。
も、もしかしてソフィー様、笑顔で挨拶だけする、と決めていたから喋ったらだめだと思ってる!?
助けを求めるように私に視線を向けてきたソフィー様に対して、私は喋って! と身振り手振りで伝える。
意図が伝わったようで、彼女は控え目に頷いた。
「申し訳ございません。どうお答えしようかと悩んでおりました」
「なんだ。友人と仲違いでもしたのか?」
「いえ……。そのようなことは……」
ソフィー様は、どうしたものかと困っているようだ。
ここは私が出て、ご気分が優れないようですのでと言う場面かしら?
でも、王太子殿下の前に出るのは……。
ウダウダと悩んでいると、王太子殿下と同じプラチナブロンドの第二王子、マリオン殿下が二人に近寄って行く。
「やあ、ソフィー。ごきげんよう。あ、兄上も」
「マリオン……。まずは俺に挨拶しろ」
「城で挨拶したじゃない。だからいいかなって思って」
柔らかく微笑むマリオン殿下に、見ていたご令嬢達が黄色い声を上げた。
王太子殿下もお綺麗だけれど、人懐こく弟のような感じのマリオン殿下は女性人気が高いからね。
それに、マリオン殿下は一年生。年下で可愛らしい彼は学院のお姉様人気が高いのだ。
割と固い口調の王太子殿下に対して人当たりが良いから、余計にね。
「さっきから見てたけど、本当にどうしたの? いつも友人と一緒なのに。それに、口数も少ないし。何か悩みでもあるとか?」
「ごきげんよう。マリオン殿下。複数ですと、クレイグ殿下が気を使ってしまわれるかもと思いまして、一人で参りましたの」
「ああ、そういうことね。……だってさ、兄上」
マリオン殿下はポンッと王太子殿下の肩を叩くと、殿下は煩わしそうにその手を払う。
「だったら、最初からそう言えば良いだけだろう」
「兄上の顔が怖かったんじゃない? あと口調も。もう少し柔らかい言い方をしたら? 婚約者に嫌われるよ?」
「……善処する」
息を吐いた王太子殿下はソフィー様に断りを入れて、その場を後にした。
残されたマリオン殿下は肩を竦め、苦笑している。
「あまり、クレイグ殿下の気分を害するようなことを仰るのは止めたらいかが? ご兄弟の仲が悪くなっても知りませんよ」
「兄上には、あのくらいでちょうど良いんだよ。もっと婚約者を大切にしてもらわないといけないからさ」
「十分、大切にされております」
ソフィー様の言葉に、ふ~んと返事をしたマリオン殿下は、後からやってきた友人を見つけたのか、離れて行った。
心なしか肩が落ちている彼女の許に、友人の皆さんが近寄って声をかけている。
何でもないと首を振った彼女の表情は、これ以上ないくらいに落ち込んでいた。
大丈夫なのかしら、と私は心配になってしまう。
そんな中、すぐ近くで嫌な笑い声が耳に入る。
「クレイグ殿下が男爵令嬢と親しくしていることに気落ちしていらっしゃるのかしら? 随分と自覚するのが遅いのですね」
その言葉にソフィー様は表情を一変させ、冷めた目を横に向けた。
こういう挑発的なことを言ってくるのは、一人しかいないわ。
すぐに私や友人の皆さんは、その場で頭を下げた。
「まあ、ジゼル様。ごきげんよう。ジゼル様はお優しい方ですね。私のことを心配して下さっているのですね」
挑発を受け流す形で返したソフィー様。
やっぱり、近くにいるのはジゼル様なのね。
彼女はダリモア侯爵家のご令嬢で最後まで王太子殿下の婚約者候補に残っていた方。
派手な美人で自分よりも下の方を見下している、典型的なご令嬢だから私は苦手なのよね。
「あら、そう。余計なことを申し上げたようで。ですが、いつまで王太子殿下の婚約者でいられるのか、見物ですわね」
チラッと視線を上に向けると、ソフィー様は無言で軽く笑みを浮かべている。
勝者の余裕のように感じられて、私はすごいなぁと彼女に魅入ってしまっていた。
「ああ、そういえば、ソフィー様は最近、恋愛小説を良く読まれているとか。しかも中位貴族の令嬢の影響で」
「ええ。それが何か?」
「親しくする相手は選ばないと、足をすくわれますわよ。……確か、そこの方でしたかしら?」
視線が私に向けられると同時に、ソフィー様がサッと私の前に出て、ジゼル様から私の姿を見えないようにしてくれた。
意地悪な彼女の標的にならないようにという配慮が嬉しいわ。
「彼女とは共通の趣味の話で盛り上がりましたの。そうだわ、ジゼル様は恋愛小説に興味はございまして? とても面白いのですよ? 一度、読まれてはいかがかしら?」
「恋愛小説? 私は恋愛小説などという低俗なものは読もうとも思いませんわ。ソフィー様は随分と変わった趣味を持たれたのですね」
「ですが、これまで触れたことのないものに触れるのは自分の成長にも繋がりますし、無駄ではないと思うのです。私も自分の至らないところを知ることができましたし、恋愛小説だからといって馬鹿にはできませんよ」
だから、恋愛小説を読みましょう! とソフィー様は熱心に勧めている。
ジゼル様が後ずさったのを見ると、彼女の熱意にやや引いているみたい。
「……ご立派ですわね。私も見習いたいものです。まあ、その結果、王太子妃の座を男爵家の令嬢に奪われる、なんて破目にならないとよろしいのですが」
「ご忠告ありがとうございます。そうならぬように、努力して参ります」
「努力でなんとかなればよろしいですわね……!」
ようやく言い合いは終わったのか、ジゼル様の足音が遠くなっていく。
姿が見えなくなった辺りで、友人の皆さんが彼女に対する文句を口々に言い始めた。
文句に熱中している彼女達とは違い、息を吐いた私が頭を上げると、心配そうにこちらを見ているソフィー様と目が合った。
「大丈夫かしら?」
「平気です。庇って頂いたようで、ありがとうございました」
「あの方の標的になってしまったら、根掘り葉掘り聞かれてしまうから。それにしても、あの方も飽きないわね。まだクレイグ殿下を狙っているのかしら」
「……その様で。毎回大変ですね」
会えば突っかかってこられるソフィー様は困ったように笑っている。
他の皆さんは文句に夢中になっているのか、私達の会話は聞こえていないようだ。
「もう慣れてしまったけれど、棘のある言葉を投げかけられるのは苦手だわ。悪意のある方との会話は疲れてしまうもの。挑発に乗ってしまったら、相手の思う壺だから」
「いつもながら、受け流す様は、お見事ですね」
「さすがにコツを掴んでいるもの。あの方はご自分の興味のないことを、これでもかと勧められると勢いをなくすのよ」
ああ、確かにそうだったかも。
あしらい方をマスターしているのね。さすがソフィー様。
「さて、ジゼル様のお話はここまでにしましょうか。皆さん、鐘が鳴ってしまうわ。教室に参りましょう」
「はい」
そう言って、教室へと向かったけれど、皆さんはジゼル様の態度にずっと文句を言っていた。
そうして放課後、昨日と同じ場所で私は額に手を当てているソフィー様とベンチに腰掛けていた。
なぜかルーファス様も一緒に。
「大失敗だわ」
「まだ、始まったばかりではありませんか。次に生かしましょう。それに臨機応変に対処しなければならないことも判明しましたし、得るものはございました」
「貴女は前向きね」
「ずっと後ろ向きでいたら、気付いたときには一周回って前を向いていただけです」
私の言葉がツボにはまったのか、ソフィー様は声を押し殺して笑っている。
いえ、本当に気付いたら前を向いていたんですよ。開き直りとも言いますけど。
「あっ貴女って、そのような冗談も仰るのね。話していると何とかなるのではないかしらという気分になってくるの。不思議な方ね。ルーファスもそう思わない?」
ソフィー様に話しかけられたルーファス様は、ギョッとしたように驚いている。
「僕に聞かないでくれる!? 放っておいてよ!」
「じゃあ、どうしてここに来たの?」
「……それは! 姉さんが、そいつと会っていた翌日から、ちょっと様子がおかしくなっていたから気になっただけ! 今朝だって、いつもの姉さんらしくなかったじゃない」
「それは理由をちゃんと話したでしょう?」
「あ~もう! 僕のことはいいから、そいつと話を続けてよ!」
プンプンとむくれているルーファス様にソフィー様はため息を吐いている。
なんだかんだいって、彼女のことが心配なのね。
弟っていいなぁ、と私が思っていると、ソフィー様が声をかけてきた。
「このようなことを口にしているけれど、ルーファスは意外とアメリアさんを気に入っているのよ」
「違うし! 気に入ってないし!」
「あら、家に帰ってから、どんな子なのかとか性格のこととかを聞いてきたじゃない」
「それは、姉さんを誑かしているかもって思ったから……」
「そう? 女性に興味を持たない貴方が色々と聞いてきたから、てっきりそうだと思ったのに……」
ルーファス様は、違うし! と全力で否定している。
私も違うと思うわ。
今朝からソフィー様らしからぬ行動をしていたのだもの。気になるのは仕方がないと思うのよ。
だから、私を気に入ったとか、そういうのはないと思う。
「ソフィー様。ルーファス様は嘘を仰ってはいないと思います。本当にソフィー様を心配されていたのだと思うのです」
「え?」
「ルーファス様も落ち着いて下さい。私に興味を持っているだとか私は思ってもいませんから」
大丈夫、大丈夫、と私はルーファス様を落ち着かせようとする。
彼も私がこんなことを言ったからか、幾分落ち着いたように見えた。
「さあ、ソフィー様。今朝の失敗は忘れて次に参りましょう」
「……そうね。今はこのようなお話をしている場合ではないものね。貴女が冷静さを失わないお蔭で、冷静になれたわ。さあ、次は何だったかしら?」
「次は、王太子殿下の前でよろける、です」
途端に、ソフィー様の表情が曇る。
「一番の難関だわ。失敗しないようにと心掛けていたのに、それをやらなければならないなんて」
「何も失敗ばかりする必要はありませんから。一度だけです。たまにです。ごく稀になさる必要があるだけです」
「分かってはいるけれど、上手くいくか不安なの」
「確かにソフィー様の不安は尤もだと思います。できている方ができないフリをするのは難しいかもしれませんので、ここは練習してみてはいかがでしょう?」
練習? とソフィー様が聞き返してきたので、私は彼女の目をしっかりと見て頷いた。
いきなり本番では、さっきのように上手くいかないかもしれない。
何度か練習をして、自然とできるようになるのが一番良い。
「練習して上手くいくものなのかしら?」
「ですが、練習なしでは先ほどと同じことが起こるかもしれません。失礼ながら、ソフィー様は予期せぬ出来事に弱い部分があると今朝のことから思いましたので、予習は必要だと私は思います」
「確かにアメリアさんの仰る通りだわ。クレイグ殿下から話しかけられて頭が真っ白になってしまったもの。でも、練習して上手くいくかしら?」
不安そうにしているソフィー様をルーファス様はジッと見つめている。
やっぱりお姉さんである彼女が心配なのね。
「もしも、人に見られるのがお嫌なら誰もいらっしゃらないところで練習なさるとか?」
「その練習にアメリアさんも協力して下さる?」
俯いていたソフィー様が上目遣いで私を見てくる。
うわあ。物凄く可愛い。
モジモジしている様が余計に可愛らしさを引き立たせている。
この可愛さに気付かなかった王太子殿下って、絶対に勿体ないことをしているわよね……。
これは、なんとしても王太子殿下に、この可愛らしいソフィー様をお見せしないと!
「勿論です! むしろ来ないでと言われても参ります」
「心強いわ。ありがとう。では、学校が終わったら、貴女のお屋敷に伺っても構わなくて?」
「私の屋敷にですか!?」
「ええ。私の屋敷だと父の耳に入ってしまうもの。きっと怒られてしまうわ」
バーネット侯爵は、とても厳しい方だと聞いているから、ソフィー様がそう言うのも頷けた。
ルーファス様も神妙な顔をしているし、見られたら怒られてしまうのは確実ね。
でも、我が家は困るわ。大騒ぎになってしまうし、他の友人方から顰蹙を買ってしまうかもしれない。
「もしかして、目立ってしまうかもと思っていらっしゃる?」
黙ったままの私を見て、ソフィー様が悲しげな表情を浮かべた。
肯定することもできず、私が言い淀んでいると、彼女は少し考え込んでいた。
「では、貴女の家に本を借りに伺うということに致しましょう。それなら他の友人の皆さんを納得させられるわ」
「お気遣い頂き、ありがとうございます」
「気にしないで頂戴。困らせたいわけではないもの。それに、他の恋愛小説も気になっているし。……そうだわ、また新しい小説をお借りしてもよろしいかしら? お借りしていた小説もお返しするわ」
「楽しんでもらえて嬉しいです。恋愛小説なら沢山ございますので、いくらでもお貸しします」
本を借りるという名目なら皆さんの目を誤魔化せるわよね。
それに、我が家も混乱するだろうけれど、説明すればなんとかなると思うし。
「それ、明日の予定なの?」
今まで黙って聞いていたルーファス様が突然、会話に入ってきて私は思わず彼を凝視してしまう。
「そ、そうなると思いますが」
「じゃあ、僕も行く」
「はい?」
「あんたの目的がまだ分からないからね。後ろ暗いところがないのなら、いいでしょ?」
いいでしょ? って言われても……。
ソフィー様だけならまだしもルーファス様もだなんて。
「それとも、僕が行ったら何か問題でもあるの?」
「いえ……。ございません」
「なら、いいよね。ということで、明日姉さんとあんたの家に行くから」
言い含められる形となり、明日、ソフィー様とルーファス様が私の屋敷に来ることになった。