作戦会議
あれから屋敷へと帰った私は夕食も食べずに、どこをどう改善すれば良いのかというヒントを得るため、ソフィー様とロゼッタさんの違いを調べて紙に書き出していた。
「こうして書き出してみると、見事なまでに正反対のお二人だわ。ソフィー様は、あまり人に弱みを見せない方よね。男性からしたら、軽々しく話しかけられない雰囲気があるのかもしれないわ。甘えるということもなさらない、自立した女性って感じだもの」
そういえば、前にお父様とお父様のご友人が話をしていたわね。
『やはり女性は可愛げがあって素直なのが一番だよね。完璧すぎると仕事で疲れて帰ってきたのに、屋敷でも気を張ってしまって疲れが取れないからさ。いつもニコニコ笑って甘えてきてくれたら、疲れも一気に吹っ飛ぶよ』
『確かにそれはあるな。頼られて嫌な気分になる男はいない。それで、さすがですね、とか、やはり頼りになります、とか言われたら、キュンとくるしな。隙のある女性が男心をくすぐるのは確かだ。その点、うちのグロリアとアメリアは完璧だ』
『あ~グロリアさんとアメリアちゃんは癒やし系だもんね! あ、ところでアメリアちゃんは元気? 随分と大きくなったんじゃないの? お前に似て、世間知らずなところがあるからさ。どうする? いきなり男を連れてきて、お父様、私はこの方と結婚します! とか言われたら』
『うちのアメリアは結婚などしない。来ても追い返すし、相手の男は肉体的にも精神的にもみじん切りにしてやる。……可愛いアメリアが結婚するなんて、考えたくもない……!』
余計なことまで思い出してしまったわ。
お父様って、硬い口調なのに言ってることは緩いのよね。そこが可愛くて大好きなんだけど。でも、娘が婚期を逃したら、それはそれで問題なんじゃないの?
王国法では女でも跡を継げるけれど、レストン伯爵家はお父様の弟の息子、つまり私の従兄弟が継げば良いだけだから、結婚に拘る必要はないんだけれど、やっぱり結婚はしたいもの。
って、違う! 私の結婚の話じゃなくて、男性が好む女性の話よ。
お父様とご友人の話を聞く限り、完璧な女性は敬遠されるっていうのが分かったわ。
ソフィー様は成績優秀で何事も完璧にこなしてしまうから、そこが原因なのかもしれないわね。
真面目だから冗談も言わないし……ということは、可愛げというものを見せたらいけるかも。
「可愛げ……つまり、隙のある女性ねぇ。どんな感じなのかサッパリ分からないわ。……そうだ、お母様に聞いてみようかしら」
私はリビングにいたお母様の許に向かい、隙のある女性について聞いてみた。
お母様は、なぜ私がそういったことを聞きたがるのが疑問に思っていたみたいだけれど、今後の参考にとしつこくねだると、話してくれたわ。
「隙のある女性というのは、だらしない女性という意味ではないのよ? しっかりしつつも素直で笑顔が多く自分の話ばかり話さず、聞き上手で困ったときは男性に頼るとか甘えることができる女性のことを指すの。ここだけの話、一目惚れしたお父様に毎日、笑顔で挨拶だけをして、徐々に距離を詰めていったの。そうしたら、向こうから話しかけて下さるようになったのよ。これは効果があるわよ。リアちゃんも好きな方ができたら、実践してみるのね」
「……つまり、恋愛小説の主人公が隙のある女性、ということなのですね」
「リアちゃん。お母様の話、聞いていて? それでね、お父様と出会ったのはね」
「ありがとうございます、お母様! とてもタメになりました! 恋愛小説を読んで勉強しますね!」
即座に立ち上がり、私は自分の部屋に戻った。
「あのままだったら、お父様の惚気話が始まるところだったわ。長いのよね。出会い編から偶然を装って町で遭遇編とか、リサーチして好きな食べ物を贈って餌付け編とか色々とあるから」
危なかったわ。捕まったら最後、三時間は付き合わされてしまうもの。
両親の馴れ初め話を聞くのは好きだけれど、さすがに今は時間がないわ。
「さて、じゃあ、恋愛小説を読んで、どのように行動すれば良いか書き出していきましょうか」
腕まくりをした私は部屋にある恋愛小説を手に取り、主人公の行動を紙に書き出していく。
これは使える、これはダメね、などと考えていたら、いつの間にか寝る時間をとっくに過ぎていることに私は気付いた。
「取りあえずは書き出したし、今日はもう寝よう。明日ソフィー様に提案して、実行できそうなものを考えれば良いわよね。……受け入れて貰えるか不安もあるけれど、やってみなければ分からないし」
ベッドに入った私は今後のことを考えてしまい、中々寝付けなかったけれど、睡魔には勝てず、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌日から、私の環境は一変……はしなかった。
私が教室に入ったらソフィー様が真っ先に名前を呼んで挨拶してくれたのだけれど、他の生徒はとくに気にも留めていないようだった。
それもそのはず、ソフィー様は教室に入ってきた友人の皆さんに自ら挨拶をしていたのだもの。
最初は皆さん驚いていたけれど、やっぱりソフィー様から名前を呼ばれて挨拶をされるのは嬉しかったみたい。
昨日の今日でどうしたのかと尋ねる人もいて、休み時間にソフィー様は質問攻めにされていた。
その理由として、昨日、ソフィー様が言っていた私と温室で会って話をしたら気が合ったので、他の皆さんとももっとお話ししようと思ったの、と彼女が言ったら、納得してもらえたのよね。
話題に出された私は冷や冷やしてしまったけれど、皆さんは特に何かを言ってくることはなかったからホッとしたわ。
ただ、数名は出し抜かれたとでも思ったのか、私を見てきていたのが怖かったけれど。
「アメリアさん? どうかなさったの?」
ソフィー様から突然声をかけられ、私はビクッとなってしまう。
いけない、いけない。今はソフィー様と人気のない場所で今後のことをお話していたんだった。
「少し考え事をしておりました。申し訳ございません。それで、昨日ご覧になってた小説は読み終わりましたか?」
「ええ。あまりにも面白くて、お借りした小説を全部読んでしまったの。気が付いたら、いつも寝る時間よりも大分過ぎていて、慌ててベッドに入ったのよ。お蔭で寝不足で」
「つまらなかったら読むのも苦痛でしょうし、楽しんで頂けたようで何よりです。実は昨夜、恋愛小説の主人公の行動を紙に書き出してみたのです。それをご覧になって、今後の方針を決めませんか?」
すると、何かに気付いたソフィー様は恥ずかしそうに両手で顔を隠してしまった。
「どうなさいました?」
「いえ、次がどうなるのかが気になって、没頭してしまって、教本だということをすっかり忘れていたのよ。アメリアさんが紙に書き出して下さったというのに、何をしているのかしら」
「初めて読まれたのですし、面白いからと没頭されたのはおかしなことではございません。それに、このようなことを考えるのが私の役目ですから」
「ありがとう。貴方がしっかりとした方で助かるわ」
それにしても、ほぼ一日で借りた小説を読破するなんて本当に面白かったのね。
ソフィー様はどの恋愛小説が好みだったのかしら? 気になるわ。
方針を決めた後で聞いてみようかしら。
でも、まずはソフィー様に書き出した紙をお見せするのが先ね。
私は鞄から昨夜、夜なべして書いた紙を取り出して、彼女に差し出した。
紙を受け取った彼女は真剣な眼差しで読み始める。
「箇条書きですので想像がつかないかと思い、小説もお持ち致しました。一番上の躓いてよろける、ですが、こちらの二十七ページのことです」
該当ページを開いた私は、ソフィー様に向かって本を差し出し、指でその場所を指し示した。
「躓いてよろけた主人公を王子が抱き留める場面です。不意打ちで二人が至近距離で見つめ合うのですが、躓いてよろけるなど貴族令嬢として恥ずかしい場面であり、実際にこうなるご令嬢はあまり見かけません」
「実際に躓いている方をご覧になった皆さんは笑っていらっしゃるものね」
「ええ。無理なようでしたら、貧血でよろけるというものでもよろしいかと思います。ですが、普段、しっかりとしているソフィー様が躓いてよろけることで軽い失敗を見せ、王太子殿下は完璧ではないソフィー様に気付かれて興味を持たれるのではないかと私は思っています」
実際に王太子殿下の前で行動に移したときのことを思い浮かべたのか、ソフィー様の顔が真っ青になってしまう。
「そんな……! クレイグ殿下の目の前で失敗するなど、興味を持たれるどころか彼を失望させてしまうわ。あの方が求めていらっしゃるのは、妃として完璧な女性のはずだもの」
「何も、毎回軽い失敗をお見せする必要はございません。あくまでもソフィー様に対する認識を変えていただくのが目的ですから」
さすがに毎回やっていたら、王太子妃としてどうなのかと思われてしまうもの。
ソフィー様でも、そのような失敗をするのね、と思ってもらうのが大事なのよ。
「……そうね。まずはクレイグ殿下の目に留まらなければならないもの。それに、ロゼッタさんには少し気の抜けたところがお有りのようだし、効果はあるかもしれないわ」
「やはりそうなのですね。実は昨夜、主人公の行動を書き出す前に、ソフィー様とロゼッタさんの違いも書き出してみたのですが、驚くほどに正反対でした。以前、父や父のご友人が話をしてたことによると、男性というのは、完璧な女性よりも隙のある女性を好ましく思うものなのだそうです。ですので、王太子殿下もそう思われているのかもしれません」
「隙のある? よく分からないわ」
「え~とですね。隙のある女性というのは、だらしない女性というわけではありません。しっかりしつつも素直で笑顔が多く自分の話ばかり話さず聞き上手で、困ったときは男性に頼るとか甘えることができる女性のことです」
お母様から聞きかじった情報を私はそのままソフィー様に伝えると、真面目に私の話を聞いてくれていた彼女の表情が曇っていく。
ソフィー様は隙のある女性ではないので、自分と照らし合わせて落ち込んでいるのかもしれない。
「……貴女の仰る通り、確かに私とは正反対だわ。私は問題が起こったら自分で解決してしまうもの。それに、いつもクレイグ殿下に自分の話ばかりして、あの方のお話を伺うことはしなかったわ。王太子としてこうあるべきという私の考えを押しつけていた。甘えるなんて考えたこともなかったわ……。両親からは完璧であることを求められて、そうしていたけれど、間違っていたのね」
「いえ、間違っているわけではございません。国を守り、王を支える女性としては、ソフィー様のような女性が好ましいと思います。ただ、他の男性や王太子殿下は隙のある女性を好ましいと思っていると考えられます。かといって、急に性格を全て変える必要はございませんので、そういった行動をたまに取り入れてみるのはどうでしょうか?」
「それで本当にクレイグ殿下が私を好きになって下さるのかしら?」
好きになってくれるかどうかは、私には分からないけれど、印象を変えることはできるはず。
それに、何もせずにいたら王太子殿下とロゼッタさんが仲良くなるのを止められない。
「正直なところ、この行動だけで好きになって頂けるかは分かりません。ですが、ソフィー様の印象を変えることで、王太子殿下はこれまでのソフィー様と違うことに気付き、向き合おうと考えて下さるかもしれません。実際にロゼッタさんに興味を持たれたのですから、行動してみる価値はあるかと」
あからさまに甘えたりしたら、何か企んでいるのかと疑われるかもしれないけれど、躓いて転んだとか貧血でよろめくぐらいなら、偶然で済むわよね。
まずは、ちょっとずつ変えていくことが必要だと思うの。
それにソフィー様も思い至ったのか、いつものような堂々とした顔に戻っている。
「そうね……。たまにでしたら、私にもできるかもしれないわ。上手く出来るか不安もあるけれど、頑張ってみるわね」
「はい。私も協力致しますので」
「ありがとう。本当に貴女には助けられているわね。貴女があの場にいなければ、きっと私はロゼッタさんに嫌がらせを始めていたわ。冷静になった今なら、そのようなことをしたら、クレイグ殿下に軽蔑されるだけだと分かるもの。私の頭を冷やしてくれて本当に感謝するわ」
膝の上に置かれた私の手にソフィー様がそっと手を重ねてくる。
彼女の表情はこれまで見てきた表情と同じで、冷静さを取り戻してくれたのだと私はホッとした。
あの場での私の行動は間違っていなかったということよね。
その後、私達は小説の主人公の行動を書き出した紙を見ながら、できそうなものを話し合った。
「この、笑顔で挨拶をして、余計なことは話さずに立ち去る、というのはできそうだわ。いつもは他の女性に張り合うつもりで色々と話しかけていたのだけれど、クレイグ殿下は元々あまりお話しする方ではないのよ。もしかしたら煩わしかったのかもしれないわね」
「では、明日から頑張って下さいませ」
「あ、明日から!? いいえ、不安になっている場合ではないわね。やらなければならないもの。クレイグ殿下に少しでも好かれるように努力しなければね。これまでの私ではダメなのだもの」
「大丈夫です。これまでのソフィー様も魅力的でしたが、今のソフィー様もそれ以上に魅力的ですから、きっと変化に王太子殿下も気付いていただけるはずです」
ありがとう、と言ってソフィー様が嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
その笑顔が純粋な子供の様な笑みで、あまりの可愛さに私は見惚れてしまった。
うわぁ、ソフィー様ってこんな可愛らしい一面もあったのね。
いつもは軽く笑う感じだったから、知らなかったわ。
王太子殿下も、このソフィー様を見れば私と同じ反応をするはずよ!
これで心を動かされなかったら、男じゃないわ。
いける! と思っていると、ソフィー様が期待するような眼差しで私を見ていることに気が付いた。
「あのね、アメリアさん。昨日、お借りした小説が本当に面白くてね。それで、他にもお勧めの小説があれば教えて欲しいのだけれど。そうね。アメリアさんが一番お好きな小説を読んでみたいわ」
「一番のお勧めですか?」
一番と言われると屋敷に置いてあるものになるんだけど……確か図書館には置かれてないのよね。
「私の一番のお勧めは図書館には置いてなくて。屋敷にならあるのですが、ソフィー様がお嫌でなければ、お貸ししますが」
「まあ、ぜひお願いしたいわ」
「では、明日お持ち致しますね」
「楽しみにしているわ」
ソフィー様は、本当に恋愛小説を気に入ってくれたのか、話が終わった後に図書館に寄り、いくつかの本を借りていた。
帰りに世間話をしながらホールまで歩いていると、前方からアッシュブロンドの少年がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。
あれは、確かソフィー様の弟のルーファス様、よね。
ソフィー様の取り巻きの私は、学院内で何度かルーファス様の姿を見たことがあったからすぐに分かった。
彼は私達の一学年下で、女子生徒達から人気があると聞いている。
私達の真正面まできた彼に対して私は無言で一礼すると、彼は何度か瞬きをした後で驚いたようにジッと私を見つめてきた。
「……誰、こいつ」
「ルーファス! 失礼でしょう!」
「し、知らない奴がいたから、聞いただけ。何? 姉さんの知り合い? 昨日、帰ってくるのが遅かったけど、こいつと会ってたの?」
ソフィー様の注意を受け流したルーファス様は早口で言い放った。
なぜか、ジロジロと見られているのだけれど、そんなに私は怪しいのかしら?
そりゃ、そうよね。私は彼のことを知っているけれど、彼はソフィー様の友人の一人でしかない私のことを知らない。目立たないようにしていたから当たり前だわ。
失礼なことをされていると分かっているものの、ご自分のお姉さんが見知らぬ人間と一緒にいたら警戒してしまうのも仕方ないかも。
それにしても、間近で見るとルーファス様とソフィー様は鼻の形や口元が似ているわ。とても可愛らしい顔をしているし、しかめっ面なのが残念なくらい。
貴族令嬢の中では王太子殿下、第二王子殿下に次いで人気のある方なのに、無愛想だから自分に自信のある令嬢しか近寄らないのよね。
初めて間近で見たルーファス様は本当に可愛らしくて天使みたいだったわ。令嬢達の人気があるのも頷ける。
少々口が悪いところがあるみたいだけれど、ああいう子って好きな子には素直になれずに意地を張るタイプなのよね。
彼に好かれた女の子は苦労するだろうなぁ……っていけない、話しかけられたのだから自己紹介しないと。
慌てて私は、もう一度ルーファス様に一礼する。
「アメリア・レストンと申します。レストン伯爵家の娘です」
「……ふ、ふ~ん。ま、いいや。あんた、もう帰るんでしょ? じゃあね」
「ルーファス!」
「ソフィー様、大丈夫です。それでは失礼致します。本は明日必ずお持ちしますので」
「……弟が失礼なことを申して、ごめんなさいね。明日を楽しみにしているわ」
本? と疑問を口にしたルーファス様に構わず、私はその場を後にした。