ソフィー様による事情説明
ソフィー様が学校に来るのが辛いのではないか、という私の心配は杞憂に終わった。
学院に王太子殿下との婚約が解消となったと知れ渡った翌日、彼女はいつものように学院に登校して来たのだから。
「ソフィー様!」
約半月ぶりに顔を見せたソフィー様に向かって、私は急ぎ足で彼女の許に向かう。
穏やかな笑みを浮かべた彼女は、私の姿を見つけると嬉しそうに表情を綻ばせた。
「心配をかけてしまったわね。問題が片付いたから、ようやく学院に来られたわ」
「お元気そうで安心致しました。ですが、話を伺って驚きました」
「ああ、クレイグ殿下との婚約が解消となった件ね。いきなりで驚いたでしょう? でも、ずっと考えていたことだったのよ。この選択は間違っていないと思っているわ」
前にルーファス様が言っていたように、ソフィー様の表情は晴れ晴れとしている。
胸のつかえが取れたような感じなのかもしれない。
驚いたけれど、彼女が笑っていることが何よりも私は嬉しいわ。私も自然に口元が緩んでしまう。
会話が途切れたところで、私は周囲の生徒の声が耳に入ってくる。
「意外と元気ね」
「もっと落ち込んでいるかと思ったわ」
「でも、アメリアさんしか側に行かないっていうのが、ねぇ。他の方はいなくなってしまわれたのでしょう?」
もう! そんな言葉をソフィー様の耳に入れないで!
唇を噛みしめていると、彼女がそっと私の頬に両手を添えてきた。
「だめよ。怒りの感情は貴女に相応しくないわ」
「ソフィー様……」
「冷静な貴女を見て、私は我に返ることができるの。暴走しそうな私を止めてくれるのはいつだって貴女なのよ?」
ソフィー様の真剣な表情に私の頭が冷えていく。
頬をグニグニとされて、眉間の皺が取れていくのが分かる。
「申し訳ございません」
「いいえ、私のために怒って下さったのよね。ありがとう。……それにしても、予想通りの展開だわ。他の方はきっと私から離れていったでしょうねと思っていたから、驚きはなかったけれど」
「恩知らずな方ばかりで、怒りを感じます」
「私を利用していると分かっていたからこそ、深く付き合わなかった私の責任よ。自分の行動が招いた結果だもの。きちんと受け止めるわ。さぁ、授業が始まってしまうわ。席につきましょう」
私はソフィー様から肩を軽く叩かれる。
静かに自分の席に向かうソフィー様を見て、私も自分の席へと足を動かした。
休み時間や昼休みには、他のクラスからソフィー様の様子を見ようと生徒が偶然を装って教室に来たりしていたけれど、彼女は狼狽えたりすることなく真っ直ぐ前を見ていたの。
心の内ではどう思っているか分からないが私は、そんなソフィー様を誇らしく感じていた。
放課後になり、私はソフィー様に誘われて中庭へとやってくる。
給仕に断りをいれ、テーブルには私達しかいなくなったところで彼女が口を開いた。
「今まで協力して下さっていたアメリアさんに説明しなければならないわね」
「お辛いのなら、仰らずともよろしいのですよ?」
「いえ、それでは私の気が済まないの。ちゃんと説明させて頂戴」
有無を言わさぬ口調に、これはちゃんと聞かねばならないと私は背筋を伸ばした。
「あの日、卒業後はどうなさるおつもりですか? と私はクレイグ殿下に尋ねたでしょう? そうしたら、あの方は、ロゼッタさんとのことは思い出にするつもりだとお答えになったことを覚えているかしら?」
「ええ。覚えております」
「私はそれを伺って、殿下に失望してしまったのよ」
「ソフィー様にとっては喜ばしいことでは」
ソフィー様は私の言葉に緩く首を振った。
「私はね、クレイグ殿下のロゼッタさんに対する想いは強固なものだと信じて疑っていなかったの。それこそ、恋愛小説の主人公とヒーローのようにね。障害をはね除けてでも、彼女と一緒になると仰るだろうと思っていたのよ」
「ソフィー様は、それでよろしいのですか?」
「私だって、最初からそのように思っていたわけではないわ。私は本気でクレイグ殿下をお慕いしていたもの。その気持ちは誰にも負けないと思っていたわ。自分が変われば、クレイグ殿下は私を愛して下さると思っていたの。でも、あの方はどれだけ努力をしても私を見ては下さらなかった」
「え?」
「クレイグ殿下は私を通していつもロゼッタさんをご覧になっていたわ。そうして、私の振る舞いを見て落胆されていらっしゃった。そうした姿を拝見して、最初は苛立ちを感じていたけれど、次第にそれも仕方ないと思うようになっていたの」
落ち着き払ったソフィー様の様子を見ると、王太子殿下のことは諦めたように思える。
「その後に、クレイグ殿下の本当のお姿を拝見して、私の存じ上げていたクレイグ殿下とはあまりに違いすぎる好みと性格に戸惑ってしまったの。そんな自分に自己嫌悪したわ。でも、それらをロゼッタさんは御存じだった。その上で、彼女はクレイグ殿下を慕っていらしたのよ。私とは違い、意外な好みをお持ちでもクレイグ殿下を慕っている彼女を凄いと思って、私は自分の負けを認めたのよ。私は彼女に敵わないとね」
そして、身を引こうと決めたのね。
ある意味で心が折れてしまったのかもしれない。
「だからこそ、あのお二人の気持ちは本物だと思っていたの。潔く身を引く覚悟もしていたわ。なのに、クレイグ殿下から返ってきたのは、思い出にする、という言葉。私の失望した気持ちが分かる?」
身を乗り出したソフィー様は語気を荒らげている。
気持ちはなんとなく分かるわ。
「ロゼッタさんに対する気持ちは、その程度なのかと私は怒りを抑えるので精一杯だったわ。ご自身のことを考えたら、そうなさるのが最善なのでしょうけれど、私に対してもロゼッタさんに対しても不誠実だと思わない? 美味しいところだけ頂こうなんて、甘いと思わない?」
なんというか、吹っ切れたソフィー様はある意味で物凄く強いと思ってしまった。
恋をしていた王太子殿下に対して、ここまで言うなんて……。
もう、想いを寄せられていないのかしら。
「あの、今のお話を伺っていると、ソフィー様は王太子殿下に対して恋をしていないように思われるのですが」
「そうね。尊敬する気持ちは変わらないけれど、以前のような気持ちはないわ。クレイグ殿下の本当のお姿や恋愛小説を読んだこと、それに私が他に目を向けることができて冷静になったからこそ、客観的に見られるようになったのかもしれないわね。だから、私からクレイグ殿下に婚約を解消しましょうと持ちかけたのだもの」
え? ソフィー様の方から切り出したの?
って、それもそうよね。王太子殿下はロゼッタさんとのことは思い出にするって言っていたものね。
「だって、思い出にすると仰ってロゼッタさんと二人で会っていらしたのよ? 結婚しても守られないと思うでしょう? 私という障害があることで気持ちが燃え上がっているというのなら、一旦、その障害を取り除いた方が良いと思ったの。何の障害もない状態で、それでも好きだと思われたなら、ロゼッタさんに求婚すればよろしいと思ったのよ。だとしたら、その想いは本物だということでしょう? そうするのがお互いに幸せだと思ったの」
「そうですか……。ですが、王太子殿下は驚かれたのではありませんか?」
「ええ。驚いていらしたわ。あの方は私がクレイグ殿下をお慕いしていると思っていらしたからね。でも、色々とお話をして、最終的に納得して頂けたの。クレイグ殿下の説得よりも両親の説得の方が大変だったわ」
ああ、ルーファス様が言ってましたね。凄く家の雰囲気がギスギスしているって。
公表したということは、ソフィー様が説得できたってことなのでしょうけれど。
「ルーファスやマリオン殿下の尽力もあって、なんとか両親と陛下と王妃様を説得できたのよ。婚約していることで状況が悪化しているなら、一旦解消して頭を冷やしましょう、というのが表向きの婚約解消の理由ね」
ルーファス様のみならず、マリオン殿下まで!?
ソフィー様に恋をしているマリオン殿下のことだから、それはもう、必死にバーネット侯爵を説得したのだろうと予想ができるわ。
幻聴だけど、どこからかマリオン殿下の高笑いが聞こえてくるよう。
「では、本当の理由は?」
「王家とバーネット侯爵家で決めたことで、クレイグ殿下がどのような選択をなさるかで変わってしまうから、まだ申し上げることはできないの。でも、殿下の選択によっては全て丸く収まることになると思うわ」
「でしたら、公表できる段階になってから婚約を解消なさればよろしいのでは? 今のままではソフィー様が悪い意味で注目を集めてしまいます」
「勝手に婚約を解消すると決めた私と他の方を愛してしまった王太子殿下、ロゼッタさんに対する罰の意味もあるのでしょうね。婚約解消となれば、私は嫌でも人の注目を浴びて、あれこれと言われてしまうから。公表できる段階になるまでは、それに耐えなさいということよ」
それでも、好奇の視線に晒されるのは耐えがたいと思うわ。
どうしてソフィー様は涼しい顔をしているの? 辛くはないの?
「婚約解消となったら、私に向けられる視線に悩まされるかもと思ったけれど、アメリアさんがいるから大丈夫だと思えたの」
「いえ、私は何もしておりません。決断したのはソフィー様ではありませんか」
「貴女がいなければ、婚約解消なんて考えもしなかったわ。それだけ、私の中で貴女の存在が大きかったの。絶対に私を見捨てたりしないと信頼していたのよ」
ソフィー様は、私の手に自分の手を重ねてきた。
「その通り、アメリアさんは私を見捨てなかった。こうして側にいて下さる。たったお一人でも私を心から心配して側にいて下さる方がいるのだから、私はとても幸せ者だわ。本当にありがとう」
優しく微笑んでいるソフィー様に、私は涙がこみ上げてくる。
泣くわけにはいかないと、グッとこらえて笑った。
「私がソフィー様の側から離れるわけがありません。ソフィー様は私の尊敬する方なのですよ? 最後までお側にいさせて下さいませ」
「……本当に貴女と出会えて良かったわ。私のせいで色々と言われてしまうかもしれないけれど」
「それは覚悟の上です。精一杯ソフィー様を支えさせて下さい」
重ねられたソフィー様の手に、私はもう片方の手を添えて、握りしめた。
私の言葉に嘘偽りはなにもない。
尊敬するソフィー様の幸せな姿を見たいのだもの。傷つき泣く姿なんて見たくない。
そのためだったら、後ろ指を指されたって構わないのだから。
次第に目が潤んでいくソフィー様は、堪えるように強く目を瞑った。
しばらくして、目を開けた彼女は何かを確認するように頷く。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
お互いに涙目になりながら、私達は言葉を交わした。