逃げる者残る者
ソフィー様の取り巻きの令嬢から話を聞いた私は、それはもう驚いた。
「そのお話は本当なのでしょうか?」
「ええ、白紙になったのは昨日の話だそうよ。なんでも、ソフィー様と王太子殿下が話し合われた結果、婚約解消することに決まったのですって。とんでもないことになってしまいましたね」
「どう考えても原因はロゼッタさんでしょう? だって、ほぼ同じくらいに彼女のご実家のベイリー男爵家が当代限りで取り潰しになると耳にしましたもの。あまりにもタイミングが良すぎます。王太子殿下を誑かした罪で裁かれたのですわ」
「ロゼッタさんが裁かれたのなら、婚約を解消なさる必要はございませんのに。王太子殿下の婚約者ではなくなったら、私達にも影響があるのですよ。勝手にお決めになるなんて、自分勝手です」
好き放題言っている取り巻きの令嬢達を見て、私は腹が立ってくる。
皆さんは王太子殿下の婚約者という面でしかソフィー様を見ていない。そこから得られる自分達の利益しか考えていない。
ソフィー様がどれだけ素晴らしい方なのか分かっていないのよ。
私が憧れ、尊敬しているソフィー様を馬鹿にしている。とても許せるものではない。
「それでもソフィー様はソフィー様です。この決断をするまで、悩んで苦しんできたことだと思います。それに、真面目で他者を思いやることのできるソフィー様は本当に素晴らしい方です」
私の言葉に顔を見合わせた令嬢達は、馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「随分とソフィー様の肩を持つのですね。まあ、以前から貴方はソフィー様と親しくしていらしたから、そう思われるのも仕方のないことだと思いますが」
「何のために私達がソフィー様の側にいたと思っていらっしゃるの?」
「王太子妃となられたソフィー様の友人として、良い家の嫡男と結婚したいから、でしたよね? 存じ上げております」
「……ですが、貴女だってそのようなお気持ちがあったのでは? だからソフィー様の側にいらしたのでしょう?」
令嬢の言葉に私は首を振る。
そんな気持ちで私はソフィー様のお側にいたわけじゃないわ。
「いいえ。一人だった私に優しく声をかけて下さったソフィー様に感謝し、彼女のような女性に憧れたからこそ、側にいたいと思ったのです。それに私はソフィー様を尊敬しております。私の尊敬するソフィー様を馬鹿にするのはお止め下さい」
ジッと令嬢達を見据えていると、彼女達も腹が立ってきたのか表情が険しくなっていく。
「貴女、よくソフィー様を尊敬できますわね。あんな真面目なだけで面白みのない方を」
「バーネット侯爵家の令嬢と親しくしていれば、何かしら得があるのかと思いましたが、いつもお茶をして話をするだけ。その話も王太子殿下のことばかりでつまらないったら」
「ご自分のお屋敷にすら招待して下さらなかったもの。私達がソフィー様を利用していたように、あの方も私達を利用していたのでしょう? ソフィー様だって、私達からおだてられて嬉しかったはずです」
「……そのようなことはソフィー様は思っていらっしゃいません」
「どうかしら。良い気分になっていたのは事実のはずです。それに、私は王太子殿下の婚約者でなければ、ソフィー様の側にはおりません。ねぇ、皆さん」
嫌らしく微笑んだ令嬢が周囲を見回すと、全員が笑顔で頷いた。
……性根が腐っているわ。
「ですが、婚約解消となれば、早くソフィー様の側から離れなければなりませんね。そうしないと、私達まで白い目で見られてしまいますもの」
「破棄でなくてようございました。まだ、猶予はございますから」
「貴女も義理立てしていたら、幸せを逃してしまいますわよ」
勝手なことばかり言っている令嬢達を私は睨み付ける。
「私は、何があろうともソフィー様のお側から離れません」
「そう。不幸になるのが分かっているのに、変な方ね。皆さん、参りましょう」
取り巻きの令嬢達は、その場から立ち去って行く。
悔しさから私は痛いくらいに手を握った。
「まあ、あんな性根の人間がいなくなってソフィーにとっては良かったんじゃない?」
落ち着いた声が聞こえて顔を上げると、どこから見ていたのかマリオン殿下が口元に笑みを浮かべながら物陰からあらわれた。
「それにしても、結構、物事をハッキリと言うんだね。少し驚いたよ。以前までは、おどおどとして、自信なさげだったのに」
「……悔しかったのです。皆さんがソフィー様を王太子殿下の婚約者としてしかご覧になっていないことが。ソフィー様は素晴らしい方なのに、って」
「まあ、俺は胸がスッとしたけれどね。望んでいた結果になったとはいえ、ソフィーの悪口を聞くのは腹が立つから」
マリオン殿下は、とても良い笑顔を浮かべている。
表情とは裏腹に、とても怒っている様子なのが伝わってくるわ。
……あ! そうだ。呼び出しの件!
「そういえば、あの場に私を呼び出されたのは、王太子殿下とロゼッタさんの密会を見せるおつもりだったからですか?」
「ああ、それ? 違うよ。あれは、ソフィーからの手紙に兄上とロゼッタ嬢が二人で会っているところに出くわしたいから、知っていたら教えて欲しいって書かれていたんだよ。だから、調べて教えただけ。でも、ソフィーだけじゃ心配だから君を巻き込んだわけ」
それって、ソフィー様の味方に側にいて欲しかったってこと?
結果的に私がいて良かったのか分からないわ。
「それでも、事前に事情を伺いたかったです。てっきりマリオン殿下がいらっしゃると思っていたので、本当に驚いたのですよ?」
「ごめんね。言うのを忘れてたんだ」
とんでもなく綺麗な笑顔だわ。これは全く悪いとは思っていないわね。
……まあ、ソフィー様をお一人であの場に行かせたくないというマリオン殿下の気持ちも分かるけれど。
「君には悪いことをしたと思っているよ。でも君がいて良かった。こうしてソフィーの側にいてくれるんだからね。……さて、問題は逃げていった者達だね。彼女達の素性を調べて、色々としてあげようかな? ねぇ、君はどう思う?」
「あのような方は自滅するのがオチですから」
腹が立ったのは事実だけど、報復したいとは思っていないわ。
そんなことをするよりも、ソフィー様を支えたい。
「何もしないんだね。優しいなぁ。俺なんか腸が煮えくりかえっているっていうのに」
「今は、それよりもやるべきことがございますから。まずは、学院にいらしたソフィー様が私しかいなくて傷ついてしまわれることのフォローでしょうか」
「ああ、そうだね。……ソフィーのことだから、逃げた者がいるのは予想していると思うけれど、好奇の視線に晒されてしまうことを考えると、気掛かりだね」
「落ち着けば、そのような視線に晒されることもなくなると思いますが、私が盾になれるか……」
盾としては脆弱すぎるもの。いつだってソフィー様に守られている立場だから、逆で考えると不安しかない。
「そこは心配していないよ。アメリア嬢はソフィーにとってなくてはならない存在だし、君がいるだけで彼女は安心する。全幅の信頼を寄せているからね。だから、君がソフィーの側を離れないなら、大丈夫。彼女はきっと乗り越えられる」
「マリオン殿下は私をとても評価して下さっているのですね。有難いですが、そのような評価をされるようなことは何も」
「多少、態度が変わっても中身はそう簡単に変わらないんだね。君は自分が思っているよりも価値のある人間だよ。気難しい奴の気持ちを変えることができるぐらい影響力はあるんだしね」
気難しい方? 心当たりがないわ。
大体、私にそんな影響力はないと思うのよ。
「君が手を差し伸べたことで変わった人間は三人いる。その内の二人が俺とソフィーだよ。君が手を出さなければ、彼女は俺に騙されて心変わりをして、もっと早くに行動に移していただろうし、俺も兄上に協力をし続けていただろうしね」
ソフィー様がマリオン殿下を好きになるっていう自信があったのね。その自信は素直に羨ましいわ。
「ちなみに、最後の一人はどなたでしょうか?」
「教えたら俺が楽しくないから、教えないよ」
そんな理由で教えてもらえないの!?
気になるような言い方をするってずるくない?
「まあ、こうなった以上、ソフィーが注目を集めるのは決定している。少しの間だけれどね」
「少しの間、ですか?」
「うん。王家とバーネット侯爵家の間で取り交わされたことが公表されれば、ソフィーの評判は元に戻るからね。これは、兄上、ソフィー、ロゼッタ嬢に対する罰みたいなものだから。それで、公表されるまでの間、僕も助けるけれど君にも協力してもらいたいんだよね」
もう一人を教えてくれる気は微塵もないのか、マリオン殿下は話題を変えてきた。
気になるけれど、しつこく聞くこともできない。だって相手は王族だもの。
納得することはできないまま、私は彼の言葉に肯定した。
「ソフィー様の手助けをするのは当然のことです。誰がいなくなっても、私は最後までソフィー様のお側におります」
私の答えに満足するように、マリオン殿下は腹黒い笑みを浮かべた。
「だから、俺は君を信頼しているんだよ。絶対にソフィーを裏切ることのない君をね。何があってもソフィーの側にいて欲しいんだ」
「ソフィー様のお側から離れることなど考えられません」
力強く私は言い切る。
目立ち過ぎるかも、とかいう私の事情は何も考えられなかった。
ただ、この状況だとソフィー様は学院に来るのは辛いのではないのか、ということだけが気掛かりだったの。
だって、詳細を何も知らないんだもの。ずっと休むってわけにもいかないだろうから、それが心配なのよ。