ソフィー様の本音
う~ん。こうして、ソフィー様の隣に腰を下ろしたけれど、何をお話しすればよいのやら。
私から話しかけるのは違う気がするし……。
どうしようかな? と思っていると、鼻をすすったソフィー様が、あのね、と話し始めた。
「私、クレイグ殿下のあのようなお顔は初めて拝見したの」
「え? ですが、ソフィー様は王太子殿下とお二人で話すことがお有りでしょう? 初めてというのは」
「いいえ、初めてなのよ」
ソフィー様は懐かしむように遠くを見つめている。
「私は、先ほどまで婚約者候補の方の中から、クレイグ殿下に求められて婚約者に選ばれたと思っていたの。でも、今のを拝見していたら、本当はクレイグ殿下は私のことを好いてはいらっしゃらなかったのだと理解したわ。私が選ばれたのは、ただ王太子妃として相応しい令嬢であっただけだったのでしょうね」
「……私が拝見した限りでは、王太子殿下はソフィー様を大事になさっていらっしゃいましたが」
「私も、そう思っていたわ。けれど、思い返してみれば、二人きりのときは笑ったお顔など拝見したことがなかったし、いつも私から話しかけてばかりで、クレイグ殿下から話しかけられることは滅多になかったの。皆さんがご覧になっていたのは、私の婚約者として義理を果たすクレイグ殿下のお姿だったのかもしれないわね」
そんな……。いつも見ているお二人は仲睦まじい様子だったのに。
にわかには信じがたいわ。
言葉に詰まってしまったソフィー様は、深呼吸をして、目元をハンカチで押さえた。
彼女は落ち着いたように見えるけれど、動揺しているのが分かる。
「……最初にロゼッタさんのことを伺ったときは、大した問題ではないと思っていたわ。身分差もあるし、きっとクレイグ殿下は私のところに戻ってきて下さると思っていたのよ。ロゼッタさんはクレイグ殿下の周囲にいる令嬢達とは性格が違うから興味を持っただけ、そう信じていたの」
「……今も、きっとそうです」
「そうかしら? 貴女もクレイグ殿下とロゼッタさんがお話ししているところをご覧になったのでしょう? 本当にそのように感じたかしら?」
問われた私は肯定することができず、言い淀んだ。
フッと笑ったソフィー様は、笑っているけれど悲しそうな表情を浮かべている。
「何もかもが違うのよ。私に対する態度、他の皆さんに対する態度とは明らかに違っていたわ。純朴で優しくて天真爛漫なロゼッタさんに惹かれているのが良く分かったの。あのように演技をしていた令嬢はこれまでもクレイグ殿下の周囲にはいらしたけれど、あの方は見向きもなさらなかったのに……。きっと、嘘偽りない姿だとあの方には分かったのでしょうね。だから、惹かれたのかもしれないわ」
「でも……それでも、私はソフィー様の高潔さや真面目さ、真っ直ぐなところはロゼッタさんよりも秀でていると思っています。そのようなソフィー様を私は尊敬しているのですから。きっと気の迷いです。ソフィー様が王太子殿下の婚約者であるという事実は揺らぎません」
「ありがとう」
感謝の言葉を述べているけれど、ソフィー様の表情は晴れないまま。
そんな顔をして欲しくはないのに、笑ってもらえるようなことも言えないなんて歯痒いわ。
「私は、貴女が思うような高潔で真面目な人間ではないわ。先ほど、あの場面を拝見して、私はロゼッタさんがいなくなればいいのに、って思ってしまったのだもの」
「ソフィー様……」
「口では皆さんに悪口などいけないと申しておきながら、情けないわ。でも、今もどす黒い感情が私の心に渦巻いているの。彼女を排除しなければ、遠ざけなければ、嫌がらせでも何でもするから、クレイグ殿下を繋ぎ止めたいと」
「い、嫌がらせはいけません!」
突然の私の大声にソフィー様は目を丸くしている。
「驚かせてしまい、申し訳ございません……! けれど、嫌がらせをしても、ソフィー様のためにはなりませんから。どうか考え直して下さいませ」
「……それは、私も分かっているのよ。でも、そうでもしないと、ロゼッタさんをクレイグ殿下から引き離すことはできないもの。方法がそれしかないの……」
あのソフィー様がここまで思い詰めるなんて……。
恋は人を狂わせるって小説に書かれていたけれど、本当なのね。
でも、ここでソフィー様がロゼッタさんに嫌がらせをしたら、彼女が破滅しかねない。恋愛小説に出てくる恋敵の悪役令嬢だって同じことをして破滅していたもの。
現実なら同じことにはならないだろうけれど、王太子殿下は怒るだろうし、仲が急激に悪化するわ。それこそ取り返しがつかないほどに。そうして婚約破棄なんてことになったら、ソフィー様は周囲から白い目で見られることになるかもしれない。
大体、ソフィー様が嫌がらせをすると言ったら、あの取り巻きの皆さんが張り切るに決まっているわ。私も巻き込まれて、ロゼッタさんに嫌がらせをするよう強要されるかもしれない。それは嫌だし、やりたくない。争いごとを回避できるなら、そうしたい。
まあ、ロゼッタさんに嫌がらせを始めた時点で彼女達から離れれば、巻き込まれずに済んで、安全な場所で眺めているだけになるけれど……。
でも、それは友達の作り方すら知らなかった私に手を差し伸べてくれたソフィー様を裏切る行為だわ。恩を仇で返すようなことはしたくない。
幼少時、完璧な令嬢を目指していた私からすれば、ソフィー様は私が理想としていた令嬢そのもの。だから憧れた。本物を間近で見られるなんて……! と感動していたの。
優しく気高い彼女を私は誰よりも尊敬している。今更、保身のために離れるなんて考えられない。
ソフィー様にとったら、私は取り巻きの一人にしか過ぎないかもしれないが、憧れ尊敬している彼女が破滅する様を見るのは嫌。
人から白い目で見られて笑われ、傷つく彼女を見たくない。いつも笑っていて欲しいの。
彼女の幸せを私は願っているのよ。
だからこそ、ロゼッタさんに嫌がらせをするという愚かな手は取って欲しくない。
大体、憧れている完璧な令嬢が嫉妬にかられて醜い姿を晒すところなんて見たくないし、そんなとをしても彼女が傷つく結果になるだけだもの。幸せにはなれないというのが分かっているのに、知らんぷりして逃げるなんてできるわけない。
そう思った私は、いつも下げていた視線を上げてソフィー様を見た。
「ですが、嫌がらせはいけません……! 他にも方法があるはずです!」
「……じゃあ、どうすれば私はクレイグ殿下に好かれるというの? どうすれば私を見ていただけるの? ロゼッタさんに嫌がらせをしないのであれば、彼女のように天真爛漫になれば愛して下さるのかしら? ……なんて、貴女に申し上げても仕方がないことよね」
ギュッと手を握り、何かに耐えるような切ない表情を浮かべるソフィー様を見ていると、どうしても私は王太子殿下に対する苛立ちを感じてしまう。
王太子殿下を愛しているのに、当の本人はソフィー様と向き合わずに他の女性に笑顔を向けている。
彼女の一途な想いを蔑ろにしている王太子殿下は見る目がないわ。
王太子殿下の裏切りに心を痛めている彼女を私は笑顔にしたい。
それに、このままじゃソフィー様は恋愛小説に登場する悪役令嬢みたいになってしまう。
嫉妬に狂ってロゼッタさんに嫌がらせを始めてしまう。
それは、ソフィー様のためにならないし、不幸になるだけだもの。
もっと別の解決方法があるはず……! と、私はソフィー様が王太子殿下に好かれる方法はないかを考えていたところ、ソフィー様が今しがた言っていた言葉を思い出してハッとする。
『彼女のように天真爛漫になれば』
……そうよ! そうなればいいのよ!
これまでのソフィー様から変わることで王太子殿下に彼女がどれだけ素晴らしい女性かを見せつけれることができるし、殿下は愚かな行いを後悔して目を覚ましてくれるんじゃないかしら?
そうと決まれば、早速提案してみよう、と私は、固く握られている彼女の手に自分の手を重ねて口を開いた。
「ソフィー様! ソフィー様が素晴らしい女性だと王太子殿下に見せつけて、他の女性に目を向けているあの方に、ご自分が間違っていたと後悔させましょう。そうすれば、王太子殿下はソフィー様の許に戻って来て下さるかと」
「後悔……? ……そうね、貴女の仰る提案は理想的だとは思うけれど、どのようにして?」
問われた私は、即座に王太子殿下の好みの女性を思い浮かべた。
ロゼッタさんに惹かれているのを考えると、王太子殿下の女性の好みは彼女の様な人で間違いないと思うわ。恋愛小説にでてくる主人公のような人。
でも、ソフィー様がロゼッタさんの真似をしても、きっと王太子殿下は見向きもしないでしょうね。
だから、ソフィー様の良さを最大限に引き出しつつ、王太子殿下の好感度を上げたい。
……あ、そうだ! 恋愛小説に出てくる主人公を参考にしたら良いのではないかしら?
性格じゃなくて、行動を参考にしたら良いかもしれないわ。
「恋愛小説を参考に致しましょう。ソフィー様は恋愛小説をお読みになったことはございますか?」
「恋愛小説? 伝記や歴史小説ならあるけれど、恋愛小説はないわね。母がそういったものを読まないので、屋敷にも置いてなかったもの」
「でしたら、一度、目を通してみて下さい。王太子殿下が好むような女性の行動が書かれておりますので、きっと勉強になると思います」
力強く言うと、興味を引かれたのかソフィー様の目が光を取り戻した。
「幸い、図書館には恋愛小説も置かれておりますし、我が家にも沢山ございます。まずはお読みになって、その上でどのように行動するかを考えましょう」
「けれど、本当にクレイグ殿下は私の許に戻ってきて下さるのかしら? だって恋愛小説でしょう?」
ソフィー様の疑問も尤もだ。
恋愛小説を読んで、同じように行動しても王太子殿下が戻ってきてくれる保障はどこにもない。
「ですが、何も行動をしないままでは解決はしません。ほんの数日で王太子殿下とロゼッタさんがどうこうなるとは考えられませんし、まずは下準備をするのが大切かと思います」
まだ恋人にはなっていないなら、ソフィー様にも勝算はあると私は思っている。
これが最善の策かどうかは分からないけれど、ロゼッタさんに嫌がらせをするよりは良い。
何より、ソフィー様に恋敵の悪役令嬢みたいな真似をさせたくないし見たくない、というのが私の本音だ。
「下準備……。確かに、今のままではどうにもならないというのは理解しているけれど」
「上手く行くかは分かりませんが、最悪の未来になる可能性は低くなるかと」
私としては、ソフィー様にロゼッタさんに嫌がらせをするという手を取って欲しくないのよね。
尊敬している彼女に幸せになって欲しいと思っているの。
あまり気乗りしていなかった彼女が、私の案にどうしようかと悩んでいるのを見て、私は畳み掛けることにした。
「私はソフィー様が泣くような結果になって欲しくはないのです。そのためならば、どんな手助けでも致しますので」
「……貴女が私に手を貸して下さるの?」
手を貸す、つまりソフィー様に協力するということは、目立つ可能性が高くなるということ。
でも、可能性は可能性だもの。陰でコッソリ協力していれば目立つことはないはず。
これまでとは変わらない、そう思った私は、しっかりと頷いた。
「はい。協力致します。ですので、まずは小説をお読みになってみませんか? ロゼッタさんに嫌がらせをするのはソフィー様もいけないことだと分かっていらっしゃるのであれば、他の方法を試してみても良いのではないでしょうか?」
私の言葉に考え込んでいたソフィー様は心が決まったのか、顔を上げた。
「……そうね。少しでも可能性があるのなら、縋りたいわ。でも、本当に上手く行くかしら?」
「それはソフィー様次第かと。ですが、決して無駄なことではないと私は思うのです。違う一面を王太子殿下にお見せすることで、これまでのソフィー様の印象を変えることはできるはずです」
すると、ソフィー様の中で納得できる言葉だったようで、彼女は真剣な顔つきになる。
前向きに考えてくれていることに、私は安心した。
「何事もやってみなければ分からないものね。もしかしたら、私のいけないところが見つかるかもしれないし、改善できるかもしれないわ」
「恋愛小説だからといって、侮ることなかれでございます。では、図書館に参りましょう」
「ええ」
目標が定まった私達は、図書館へと向かった。