ある決意
あれから、ソフィー様と遠乗りしたり、チェスを楽しんだり、読書に明け暮れたりしながら過ごし、彼女はお祖父様の領地へと旅立って行った。
とんでもなく楽しい時間を過ごせたことに私は夢見心地のまま長期休暇を終えて、学院が始まったの。
長期休暇明けだったこともあって、取り巻きの皆さんは休みの思い出話に花を咲かせている。
彼女達の口振りから察するに、レストン伯爵領にソフィー様が遊びにきたことは漏れていないみたいで、私は安心した。
ソフィー様も、いつものように穏やかな笑みを浮かべながら、取り巻きの皆さんの会話を聞いている。
時折、皆さんに質問を投げかけ、興奮気味に思い出を語っている人を微笑ましそうに眺めていた。
でも、皆さんから王太子殿下とどこに出掛けたのか、と尋ねられた途端にソフィー様の表情が硬くなる。
ぎこちなく、視察に出掛けたとか、観劇に行ったとか行っているけれど、あまり王太子殿下のことを話題に出したくはないような態度だわ。
理由を知っているから私は気付いたけれど、他の皆さんは気付いていないみたいで頬を染めてソフィー様の話を聞いている。
私は例の如く話に相槌を打つのみで、特に休暇中の思い出話を尋ねられることもなかった。
放課後になり、私は一人で人気のない校舎を歩いていた。
ソフィー様は用事があるからと既に帰宅しているから、このまま帰宅してもすることがないので私が読みたかった本が返却されているかもしれないと思って図書館に向かっているの。
「人がいない場所はやっぱり落ち着くなぁ。……ん?」
図書館に向かう途中で、私はベンチに座る女生徒に気が付く。
肩を落として俯いて泣いている女生徒の姿に私は見覚えがあった。
「あれって……ロゼッタさん、よね? こんなところで何をしているのかしら?」
見るからに落ち込んで泣いているロゼッタさんを見て、私は足を止めていた。
知り合いでも何でもない私が話しかけるのも変な話だし、通り過ぎようかなと思っていると、顔を上げた彼女とバッチリ目が合ってしまう。
人がいることに驚いたのか、彼女は物凄い勢いで立ち上がり、こちらに頭を下げて逃げるように立ち去って行った。
……あ、途中で転びそうになったけれど、大丈夫かしら。
「相変わらず、そそっかしい」
「えっ!」
背後から聞こえた声に驚いて私が振り返ると、ロゼッタさんがいた方向を見ているルーファス様が立っていた。
「ル、ルーファス様!?」
大声を出してしまった私に視線を向けた彼は、五月蠅そうに眉を顰めている。
「そんな大声じゃなくても聞こえてる。そんなに僕がここにいるのがおかしいの?」
「いえ! 他に人がいらっしゃるとは思わず、驚いてしまいまして。申し訳ございません」
「別にいいけど……。それよりも、アメリアはここで何をしていたの? まさか、あいつと待ち合わせしていたとか?」
「違います! 図書館に向かう途中だったのです。読みたかった本が返却されているのではないかと思いまして」
ふ~ん、と興味なさそうに呟いたルーファス様が、ジッと私を見てきた。
なんだろう? そんなにジッと見られると恥ずかしいというか、いたたまれないのだけれど。
顔に何かついているのかしら?
ぺたぺたと顔を触って確かめてみるが、異物はない。
そんな私の様子を見ていたルーファス様が視線を外して、押し殺したように笑い声を上げていた。
肩を震わせているところをみると、どうやら私の行動がツボにはまってしまったらしい。
怒っていないようで何よりです。
「ところで、ルーファス様はここで何をしていらしたのですか? 私と同じように図書館に用事があったのですか?」
「まあ、そんなとこ。でも、目的はもう果たせた」
「あら、図書館帰りだったのですか? 面白い本は見つかりました?」
「まあ、面白いものは見つかったよ」
「それは良かったですね」
自分好みの本に出会うことは中々ないからね。
良かった良かったと笑っていると、ルーファス様がため息を吐き出した。
「調子が狂う」
「何がですか? あ、まさか、私ってば変なことを口走ってしまったのでしょうか?」
「……違うし。ほんと、アメリアって昔から変わらないね」
「いえ、性格は変わったと思いますが……」
あれ? 今、ルーファス様は昔からって言った? どういうこと? 私とちゃんと会話するようになったのは二年生になってからのはずでしょう?
それまでは、貴族の茶会や夜会ですれ違ったことはあっても、私の存在は知らなかったと思うんだけど。
ルーファス様の言う昔がどれくらい前のことなのか分からず、私は考え込んでしまう。
「あの、私がルーファス様とお会いしたのは学院に入学してからですよね? まるで、その前から私のことを御存じのように感じましたが」
「知ってる。というか、一方的に僕が知っていただけ」
「どういうことでしょうか? 私は五年前まで屋敷に引きこっていたので、どなたとも顔を合わせてはいないはずですが。それに、茶会や夜会でも私はどなたとも会話をしておりませんから、話が漏れ聞こえてきたということもないはずです」
「……十年前に貴族の屋敷で会ってる。庭を散策してたら、その家の子供に犬をけしかけられて、飛びかかられそうになった僕を助けてくれたでしょ」
……どうしよう。全く記憶にないわ。
人違いじゃないのかしら?
「名前も名乗らずにアメリアは立ち去ったんだけど、その後、ピアノを弾いてるところを見て、さっきの子だって気付いたんだ」
十年前の貴族の屋敷、ピアノを弾いていた、とルーファス様から聞いた私は固まった。
あれだ。最高潮に調子に乗っていた頃だ。ついでに鼻を折ってもらったときのことだ。
ということは、あの場にルーファス様がいたの!?
美少女だと勘違いしていた私を見られていたの!?
どうしよう、恥ずかしすぎて逃げ出したい。ルーファス様の記憶を全力で消去したい。
あと、ピアノを弾く前に私と会っていたと言っていたけれど、あの出来事がショック過ぎて、前後の記憶がないのよね。だから私はルーファス様を覚えていなかったのだわ。
「ピアノ、もう弾かないの?」
「いや~。あはは」
動揺しすぎて、笑って誤魔化す選択肢しか思い浮かばなかった。
ピアノは嫌いじゃない、というか好きなのに、どうしても私の顔に似合わないと思って辞めてしまったのよね。
「それから、疑われる前に言っておくけど、アメリアに暴言を吐いた馬鹿は僕じゃないからね!」
「え? いえいえ、疑ってなどおりません!」
本当? とジトッとした目で見られている。
疑われているけれど、そんなこと考えもしなかったわ。
「ついでに言っておくと、僕は公衆の面前で人に恥をかかせるようなことはしないから! そんなことをしたら、母上に殺されるし。大体、あの場でだって、母上は気分が悪いって言って、僕の手を引いてさっさと屋敷を後にしたんだし。帰りの馬車で僕は散々、母上から『お前はあんな馬鹿になるな』ってしつこく言われたんだから」
え? バーネット侯爵夫人もあの場にいたの?
って、考えてみれば子供のルーファス様だけ出席するなんてあり得ないわよね。
話を聞いた限りでは、バーネット侯爵夫人は物凄く常識人で思慮深い方のようだわ。
そりゃあ、あのソフィー様の母君ですものね。だったら、嫌な気分になるのは当たり前だわ。
ルーファス様だって、きつい物言いはするけれど、本当は優しい人なのは分かっているもの。何度も助けてもらっていたし、疑ってなんていない。
「本当に私は疑ってなどいません。ルーファス様には、これまで何度も助けてもらいましたもの」
「……なら、いいけど!」
興奮していたのか、ルーファス様の顔が赤くなっている。
気まずいようで私から顔を逸らしているけれどね。
でも、ルーファス様がいたということは、ソフィー様もいたんじゃないの?
あの場にいた面々を思い出せないけれど、どうなのかしら?
昔の私を見られていたら恥ずかしいどころの話じゃないわ。
ちょっと、気になってしまった私はルーファス様に聞いてみることにした。
「あの場にルーファス様がいらっしゃったということは、ソフィー様もいらっしゃったのでしょうか?」
「ううん。姉上は熱を出して屋敷で寝込んでいたから、あの場にいたのは、僕と兄上だけだった」
……良かった。ソフィー様に見られていたらと思ったら気が気じゃなかったから安心したわ。
「ですが、あの場にルーファス様がいらしたということは、昔の私を見られていたのですね。何だか恥ずかしいです。見た目にそぐわぬ態度で上から目線で偉そうにしていたでしょう?」
冗談めいた口調で口にすると、ルーファス様がムッとしたのが分かった。
ここは笑い飛ばして欲しいところだったのに。
「僕は、あのときのアメリアの方が今よりも魅力的に見えたけど」
「え?」
「立ち居振る舞いが優雅で自信に満ちあふれていたでしょ」
言葉ひとつで受け取り方がまるで違うものになるものね。
何だか前向きに捉えられているけれど、違うのよ。
本当に自分が美少女だと勘違いして、分不相応にも完璧な令嬢になろうとしていただけなのよ。
だから失笑されたんだし。
「それに、他者を思いやる優しさもあったじゃない。ああ、これは今もだけど」
「あ、ありがとうございます。そこまで評価して下さっていたなんて、恥ずかしいです。でも、ルーファス様の目には、そのように映っていたのですね。なら、今の私をご覧になってがっかりしたのではないですか?」
「はあ? 誰もがっかりしたとか言ってないし。ただ、もう少し堂々とすればいいのにって思ってるだけだから!」
「ご助言、ありがとうございます。ですが、以前も申し上げたように私はこの見た目ですから、目立つ真似をすれば笑われてしまいます」
ルーファス様は、私を見て呆れたような表情を浮かべている。
昔の私を知っている彼からすれば、何を言っているのかと思っていることだろう。
だけど、目立って失笑されるのは嫌なのよ。
「見た目だけなの?」
「え?」
「他人からの第一印象は見た目が大事だけど、見た目ってのは顔だけじゃないでしょ。その人の立ち居振る舞いとか全体の雰囲気で判断するものじゃないの? 背筋がピンと伸びていて、所作が綺麗ってだけで人に好印象を与えることはできるし。アメリアは、あの一回でそうした印象を捨ててるよね。地味でいようとして下を向いて自信をなくして。唯一の武器を自ら手放した」
「それは……」
「そりゃあ、自分が悪くないことで他人から笑われて暴言を吐かれれば自信をなくすのは分かるよ。後ろ向きな考えになるのも仕方ないと思うけど、貴族ってのはそうした奴らばっかじゃないってことも分かるよね? 姉さんを見ていれば分かるでしょ? 自信を持てとは言わないけど、もう少し前向きに考えてもいいんじゃないの?」
立ち居振る舞いや所作も重要。それは、完璧な令嬢を目指していたから分かるわ。
今の私がやったら、笑われるだけだと思う。
それだけ、地味で大人しいアメリア・レストンが周知されているもの。
「それに、僕はアメリアが地味だとは思ってないし、普通に、その……可愛い、と思うし! だ、大体、女ってのは、化粧で化けるからね。顔なんていくらでも誤魔化せる」
「ルーファス様は……その、美的感覚が独特なのですね」
「はあ!? 今の話をどう解釈したらそうなるの! 珍しく褒めてあげたのに!」
「あ、いえ。家族や使用人とソフィー様以外で可愛いと言われたことがなかったので。凡庸な顔だと思っているので、ルーファス様のような方が、そう仰るとは思わず」
「……前から思っていたけど、アメリアは自分を低く見過ぎだと思う」
だって、高く見える部分がないんだもの。特別、優秀なわけでもないし。
「あのね! 天使のような顔をした僕が! この僕が褒めてやってるんだよ!」
「ご自分で仰いますか」
「言うよ! 顔は天使、口調は悪魔だって言われてるのも知ってるし。自分の顔の美醜くらいは自覚してる。って、今はそれはどうでもいいの! 要は、この僕が言っているんだから、少しくらい前向きになったらどうなのって言っているの! これからも姉さんと友達でいたいなら、それ相応の振る舞いをしなくちゃいけないでしょ」
「どちらかというと、悪魔よりも小悪魔だとは思いますが」
「話の腰を折らないで! 僕の話を聞いてるの?」
一気に不機嫌になったルーファス様にジロリと睨まれてしまう。
ついつい、突っ込みをいれてしまったわ。
なんというか、ルーファス様なら受け止めてくれるかなっていう甘えがあるんだと思う。
口ではきついことを言うのに、最後まで私の話を聞いてくれるから。
あと、親身になってくれるから、つい。
「申し訳ありません。話は伺っておりました。ですが、今更、昔のような態度を取っても、と思ってしまいまして」
「あのね! 何も昔みたいに振る舞えって言ってるわけじゃないってば! 下を向くなって言ってるの。背筋を伸ばして所作を戻しさえすれば、人からの印象は変えられるでしょ。できるよね? だって、アメリアは、あの姉さんを変えたんだから。自分が変わることだってできるはずでしょ」
物凄い勢いで説得されているような……。
凡庸な人間だと思っていたのに、ルーファス様から言われると特別な人間になったみたいに思えてくる。
それに、ルーファス様の言葉にも一理あると思う。
自信がある人というのは、それだけで魅力的に見えるもの。ソフィー様が良い例よ。
彼女と深く関わるようになってから、私は心のどこかで今の自分を不甲斐ないと感じるようになっていたのは確か。
人から笑われたり、文句を言われるのが嫌で大人しく過ごしていたけれど、それはただの八方美人だと気付いたのよ。
皆さんが他人の悪口を言うのを諫められないのを情けなく思っていたもの。
ソフィー様と過ごす内に、変わりたい、変わらなければという思いを抱いていたのも事実だわ。その方法が分からなかったから先延ばしにしてきたけれど、これは良い機会なのかもしれない。
結局、私は誰かに背中を押してもらいたかったのかも。
変わっても大丈夫だよ、と言って欲しかったのかもしれないわ。
ルーファス様は最初の頃から私の自信のなさのことを言っていて励ましてくれていたもの。
だったら、ウジウジ悩んで人の目を気にしてコソコソと動き回るのは、もう止めよう、と思って顔を上げると、真面目な顔をしたルーファス様と目が合った。
「もし、誰かに傷つけられるようなことがあれば、ぼ、いや、姉さんがアメリアを守るでしょ。それに、バーネット侯爵家はアメリアの味方だから」
「……物凄い、強力な味方ですね」
「心強いでしょ?」
「ええ、本当に。そこまで仰って下さっているのに、断ることなどできませんね」
すぐには無理だと思うけれど、少しずつ自分を変えていきたい。
私は、そう思った。
「背中を押して下さって、ありがとうございます。ソフィー様の友人として恥ずかしくないよう、努力しようと思います」
「ふぅん。まあ、頑張って。…………あ、ちょっと待って! 頑張るのはいいけど、頑張るのはほどほどにしてよね」
また、難しいことを言う!
ほどほどに頑張るって、どの程度なのか分からないわよ。
その微妙な加減は、どう解釈すればいいわけ?
「敵が増えたら困るし」
「敵? あ、悪目立ちして他の生徒から目の敵にされるかもしれないってことですか?」
「ちがっ……わなくもない」
なるほど。そこを心配してくれていたのね。
急に視線を前に向けて背筋を伸ばして所作を戻したら人目を引くかもしれないけれど、それで目の敵にされるとは考えにくいわ。
だから、大丈夫だと思うの。
「ご心配には及びません。学院には所作の綺麗な方が沢山いますから。それだけで目の敵にはなりません」
「……そうだね」
ルーファス様は力なく答えた。
脱力しているようにも見えるわ。私ったら、また返事を間違えたのかしら?
「はぁ、まあいいや。それから、ついでだしコレあげる」
ポケットから綺麗に包装された小さな袋を取り出したルーファス様は、そっぽを向きながら私に差し出してきた。
あげると言っていたし、貰っても良いのよね?
「これを私にですか?」
「アメリア以外のどこに人がいるのさ。ほら、さっさと受け取ってよ」
「はぁ、では、有難く頂戴致します」
受け取った私が興味深そうに袋を眺めていると、どことなく不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「それ、焼き菓子だから。そんなに珍しいものじゃないから、マジマジと見つめないでくれる? ほら、甘いものが好きだって聞いたから。夏の長期休暇で迷惑をかけたし、姉さんを助けてくれてるし? お礼みたいなもの」
早口で捲し立てるように言ったルーファス様の顔が赤くなっている。
女性が苦手だと聞いているから、贈り物をするのが初めてで恥ずかしいのかもしれない。
私が甘いものが好きっていう情報源はマリオン殿下かしら?
ちゃんと私の好みを考慮してもらえるなんて、嬉しいわ。それに家族以外から贈り物を貰うなんて初めてだから、ドキドキしてしまう。
「ありがとうございます! ですが、長期休暇のことは気にしておりませんし、ソフィー様の件に関しましても私が勝手に行っていることですから、このように贈り物を受け取るのは何だか申し訳ないです」
「……アメリアがいなかったら、マリオン殿下が暴走していただろうし、姉さんもロゼッタ嬢に嫌がらせしていたかもしれないでしょ。それを未然に防いでくれたんだから、もっと胸を張ったら? あと、前も今も、ちょっと言い過ぎた部分があったかもって思ったから、その」
もしかして、謝罪の気持ちも込められているのかしら。
私のウジウジした態度を見かねて言ってくれたのでしょうし、結果的に前を向こうという気持ちになれたのは確かだから、気にしなくてもいいのに。
「言い過ぎだなんてことはありません。私はルーファス様が、お優しい方だと存じ上げておりますから。いつも助けてもらってばかりで、お返しが何もできないのが心苦しいくらいです」
「やさ、優しい……! 僕が!? 目がおかしいんじゃないの?」
「いえ、ルーファス様はお優しい方です。ソフィー様の友人でしかない私を叱咤激励して下さって、こうしてお礼にと贈り物まで頂きました。他人を思いやる心がなければ、できないことです」
本当にありがとうございます、と口にすると、ルーファス様はさらに顔を真っ赤にさせた。
今までは心で思っているだけだったが、こうして口にしなければ相手には何も伝わらないと思ったの。
人から言われないと長所って自分じゃ分からない。私がそうだったもの。
ルーファス様から私の良いところを言われて、本当に嬉しかった。だから、私も色々と助けてくれたルーファス様に喜んでもらいたかったの。
「……アメリアって本当に変わってる」
「そうかもしれませんね。あまり人と交流を持たなかったので、少しずれたところがあるのかもしれません」
「そういうことじゃないし」
じゃあ、どういうことなのかしら。
何を指して私が変わっているとルーファス様が言っているのか、私には分からなかった。