ソフィー様の悩み
「マリオン殿下とお話が弾んでいらっしゃいましたね」
屋敷へと戻った私は、部屋で休憩しているソフィー様に言葉をかけると、彼女はブンブンと勢いよく頭を横に振った。
「つ、つい、はしゃいでしまっただけなのよ! 決してマリオン殿下に肩を抱き寄せられてドキッとしたりなどしていないわ!」
あ~やっぱりドキッとしたんですね。
顔が赤くなっていましたもんね。
でも、あんな綺麗な顔の人を至近距離で見たら、顔も赤くなるわ。
私は、恐ろしさの方が先にきたけれど。
「存じております。ソフィー様が親しくしていらしたので、伺っただけです。やはり、幼い頃から親しくされていたのですか?」
マリオン殿下に対してソフィー様は自然体で接していたし、年下ということもあるだろうけれど、それでも仲が良さそうに私には見えた。
引きこもっていた私には分からないけれど、ソフィー様は幼い頃から王家の皆様と顔を会わしていたのかしら。
「……そうね。クレイグ殿下とマリオン殿下には幼い頃から、お会いしていたわ。でも、それは他の皆さんも同じよ。私だけが特別ではなかったの。特にマリオン殿下は人懐こい性格でいらっしゃるから、皆さんと親しくされてわ。それに、クレイグ殿下との仲に悩んでいた私に色々とアドバイスをして下さったし……。弟のように思っていたけれど、今日のことで、あの方は立派な男性に成長されたのだと気付かされたわ」
やっぱりバーネット侯爵家の令嬢ともなれば、王家の方々と顔を合わせる機会も多いのね。
私みたいな中位貴族とは、違うのだわ。
それにしてもマリオン殿下は幼い頃から、あの様な性格をしていたとは。
王族らしくない性格だとは思っていたけれど、昔からそうだったなんて驚きだわ。
だから、ソフィー様は久しぶりにあったマリオン殿下に抱き留められて、幼い頃の印象が覆されたのね。
「クレイグ殿下と婚約が決まってからは、お話しする機会が減ってしまったけれど、性格は今も昔と変わっていらっしゃらないわ。誰にでも優しくて、人の悩みを瞬時に言い当ててしまわれるのよね。第二王子だからこそ、人の動きに敏感なのかもしれないわね」
「確かに、マリオン殿下は人の感情を読み取ることに長けていらっしゃると感じました。あの方を目の前にすると、嘘をつけないのですよね。不思議な方です」
「そうね。あの方は人の心の奥底にまで入り込んでしまう不思議な魅力のある方なの。知らない内に心の内をさらけ出してしまうのよ」
昼間のことを思い出しているのか、ソフィー様は遠い目をしている。
それだけ、昼間のことが衝撃的だったのかもしれない。
「だから、マリオン殿下が怖いのよ。あの方は簡単に悩みを言い当ててしまうのだもの。隠していても見透かされてしまうのよ」
「ソフィー様?」
視線を床に落としたソフィー様は、膝に置いた手をギュッと握りしめている。
ボートでマリオン殿下と色々と話をしていたみたいだから、そのときに何か言われたのかしら。
悩みなんてないとマリオン殿下には言っていたけれど、やっぱり何かに悩んでいたのね。
すると、ソフィー様は床に落としていた視線をゆっくりと上げた。
不安げに揺れている目を見た私は、いつものソフィー様らしくない様子に狼狽えてしまう。
「マリオン殿下は信頼する方にちゃんと話をした方が良いと仰ったわ。誰かに話をすることで、解決策が見つかるかもしれないって。すぐに思い浮かんだのはアメリアさんだった。貴女はロゼッタさんに嫌がらせをしようとしていた私を止めて、解決策を教えて下さったもの。だから、今回もお力を貸して頂ける?」
「あの、確かに誰かに話をすることで心が軽くなる作用はあるかと思いますが、それで私が解決策を考えられるかどうかというのは……。それに、ソフィー様が何に悩んでいらっしゃるのかも分かりませんし」
頼ってもらえるのはすごく嬉しい。でも、私は知識が豊富なわけではないわ。
対人関係が得意というわけでもないし。力になれるかどうかは自信がない。
「ああ、そうだったわね。私の悩みも知らずに解決策をねだるのは間違っているわね」
「それだけ悩んでいらっしゃったのですね」
「ええ。今後の私のことだから」
ソフィー様の?
私は何を彼女から言われるのか分からず、黙り込んだ。
長期休暇の前からソフィー様の様子が少し変だというのは感じていた。
それは王太子殿下関連じゃないかと疑ってもいたわ。
でも、今のを聞くとそういう話ではなさそう。
私が黙っていると、彼女は落ち着くためか深呼吸をしている。
息を吐いて、こちらを見る彼女の目は真剣そのもので、大事な話をしようとしているのが分かった。
「実はね。私は自分がクレイグ殿下の婚約者でよろしいのかしら、と思っているのよ」
「……それは、王太子殿下と何かあったということですか?」
「何か、というのなら何もなかったわ。アメリアさんの助言通り行動したら、会話も増えて、ご自分のことを詳しく話して下さるようになったから。問題があるとするならば、私の方よ。あの方の本当の姿を受け入れることに抵抗を持ってしまった私のせい」
王太子殿下の本当の姿……? マリオン殿下の言っていた?
それを知って、ソフィー様は王太子妃になることを悩んでいるというの?
「長年、私が拝見していたクレイグ殿下は大人びていてしっかりとしていらっしゃって、理性的で誠実で、王太子として理想の姿だったわ。でも、現実は大分違っていたのよ。そちらのクレイグ殿下が悪いというわけではないの。ただ、私が好きになったのは前者のクレイグ殿下だったから、戸惑いの方が大きくて……。でもそうなると、妙に冷静になってしまったのよ」
「というと?」
ソフィー様は、軽く息を吐き出すと、ゆっくり口を開いた。
「クレイグ殿下の言葉の端々に、会えなくなったロゼッタさんに対する愛情を感じるの。ふと、遠くを見つめている視線の先には、いつも彼女がいた。あの方の心を占めているのはロゼッタさんだけなのだと実感したのよ」
「ソフィー様……」
「それにロゼッタさんもね。彼女は愛しいという気持ちを隠そうともせずにクレイグ殿下を真っ直ぐ見つめていたわ。政略結婚なのだから、割り切れば良いだけだと分かっているけれど、愛する二人を引き裂いてしまって本当に良いのかと悩んでいるのよ。私が身を引けば、あのお二人はきっと結ばれる。恋愛小説のような幸せな結末になるの。だから、婚約を解消しようかと悩んでいるというわけ。それに婚約に拘らなくても、いくらでも国を支える方法はあるもの」
理由はあれだけど、冷静になったからこそソフィー様はこのまま結婚しても良いのか悩んでいるのね。
婚約破棄じゃなくて婚約解消であれば、周囲のフォロー次第でソフィー様が不利になることはない、と思う。多分。
それにしても、本当にマリオン殿下が言っていた通りになってしまった。
「結局、クレイグ殿下の本当のお姿を受け入れることができなかった私は、王太子として理想の姿を演じているクレイグ殿下を好きになっただけだったのよ。それは、見かけだけで好きになったのと同じこと。他の令嬢達と同じよ。ただひたすらにクレイグ殿下を愛しているロゼッタさんの足元にも及ばないわ」
悪い方に考えているソフィー様に慰めの言葉をかけても聞き入れてはくれないかもしれない。
でも、言えることはある。
「ソフィー様と他のご令嬢は違います。大違いです」
「アメリアさん?」
目を丸くしているソフィー様に私は構わず続ける。
「ご令嬢の皆さんは、王太子殿下の身分や外見が好きになのです。王太子妃になって、ゆくゆくは王妃になりたいだけです。贅沢な暮らしがしたいと思っていらっしゃるだけです。国のことを考えている方はほとんどいらっしゃらないでしょう。けれど、ソフィー様はそうした皆さんと違って外見や身分だけじゃなく、性格を存じ上げていたからこそ、好きになられたのでしょう? 経緯はどうあれ、国のためを思って婚約者になられたのではないのですか? 贅沢がしたいから王太子妃になりたいと思っていらしたのですか?」
「違うわ! 贅沢など求めていないわ。私はクレイグ殿下のお側で、あの方と一緒に国を支えたいと思ったから、婚約者になりたかったのだもの」
「でしたら、他の皆さんとソフィー様は違います。そこは自信を持って下さい」
そう言うと、ソフィー様の体から力が抜けたのが分かった。
我を通さず、相手のことを考えている時点で他の皆さんとは違うわ。
「……じゃあ、貴女は私がクレイグ殿下の婚約者のままでいて欲しいのね? 私に王太子妃になって欲しいと思っているのね?」
「いえ、どちらでも構いません」
「え!?」
若干、身を乗り出してきたソフィー様は私が何を言っているのか分からないという表情を浮かべていた。
「あ、貴女。今、私に自信を持って欲しいと仰っていたじゃない。だったら、私にクレイグ殿下の婚約者のままでいて欲しいと思っているのではなくて?」
「私はソフィー様の幸せを願っているだけです。王太子妃になられても、そうでなくともソフィー様が幸せになれるのはこちらだと、ご自分で選んだ方を応援します。今の状況ではどちらが幸せになれるのかの判断ができませんので」
「貴女という人は……」
呆れたように呟くと、ソフィー様はソファの背もたれに背中を預けた。
つまり、脱力している。
おかしなことは何も言っていないというのに。
「……良い家の嫡男と結婚したいから、クレイグ殿下の婚約者でいて欲しいのかと一瞬、思ってしまったわ」
「まさか! 私は同じくらいの家柄の男性と結婚したいと思っていますから。田舎で静かに暮らすのが夢なのです」
「前から思っていたけれど、貴女って変わっているわね」
「そうでしょうか? あまり欲がないとは言われますが」
苦笑したソフィー様は、やっぱり変わっているわ、と呟いた。
「でも、貴女のそうしたところを私は好いているのよ。私とは違う考え、性格をしていて話していると、とても楽しいもの。本当に……どうして、そのようにクレイグ殿下に対しても思えなかったのかしら。そうすれば割り切ることもできたのに」
「恋愛感情があるかないか、ではないでしょうか?」
「そうなのかしら?」
「おそらく。それで、解決策とは言えませんが、お心は決まりましたか?」
強張った表情を浮かべるソフィー様だけれど、最初のときのような不安はなさそうだった。
「心は決まっていないけれど、まだ時間はあるし、もう少し考えてみるわね。でも、聞いて下さってありがとう。お蔭で心が軽くなったわ。結局、最後は自分で決めなければならないことだものね。頼りになるからと縋ってしまって困らせてしまって、ごめんなさい」
「いえ、頼りにされて私は嬉しかったです」
「そのようなことを仰るから、甘えてしまうのよ。もっと私に厳しくしてちょうだい」
おどけたようにソフィー様は笑っている。
多少、心が軽くなったのであれば良かったわ。やっぱり尊敬する彼女には笑っていて欲しいから。
……それにしても、クレイグ殿下の本来の性格を知っているとはいえ、的確にソフィー様の悩みを言い当てたマリオン殿下はさすがとしか言いようがないわ。
「思えば、マリオン殿下の観察眼は凄いですね」
「……本当ね。色々と御存じで驚いてしまったもの。……ねえ、アメリアさん」
と、私はソフィー様から探るような視線を向けられた。
「手紙の……。いえ……あ、ああ、そうだわ。私ね、手紙のお相手の方、名無しの君とお呼びしているのだけれど、随分と親しくなったのよ? 私の悩みを聞いてくれて励ましてくれて。読んだ本や観劇したオペラの感想やを言い合ったり、どこのお店のお菓子が美味しいかとか、人気の仕立屋のお話とか、話題が豊富で楽しいの」
「……それは、ようございました」
相手はマリオン殿下ですけれどね。
女性だと思われていると言ったからか、話題も女性よりなのね。
あのマリオン殿下がお菓子や仕立屋の話題を手紙に書いているかと思うと、意外だけど。
でも最初にソフィー様は何を言いかけたのかしら?