夏の長期休暇
「あ~良い天気だわ」
大きく背伸びし、私は部屋の窓を開ける。
「レストン伯爵領に戻って来るのは冬の長期休暇以来だけど、ここは変わらないわね」
窓の外に広がるのどかな田舎の風景に私はレストン伯爵領に戻ってきたのだと実感する。
どこからか鶏の鳴き声が聞こえてきて、クスリと私は笑みを零した。
「本当に変わらないわ。物凄く落ち着く。私の居場所はやっぱりこういうのどかな田舎なのよ」
流行のものが何でも手に入る王都も良いけれど、時間がゆっくりと過ぎていく田舎の方が性に合っている。
今も牛を散歩させている領民の姿を見つけて、懐かしい光景に私は目を細めていた。
「いつもは読書をしたり、馬で領内を散歩して皆と話をしていたけれど、今年は違うのよね」
なんたって、ソフィー様がやってきてくれるのだもの。
どのような夏の長期休暇になるのか、私は楽しみで仕方がない。
「確かソフィー様がいらっしゃるのは、半月後だったかしら。それまでに観光地とはいえないレストン伯爵領の名所を調べておかないと」
滞在期間は短いけれど、それでもソフィー様には楽しんでもらいたい。
屋敷で恋愛小説だけを読んで感想を言い合うのも楽しいが、それでもやっぱり領内を案内したいわ。
長期休暇の前にお話ししたとき、何かおかしな様子だったから、少しでも楽しんでもらって気晴らししてもらいたいもの。
「名所と言えるのは、湖くらいしかないんだけどね」
さほど大きくはないが、レストン伯爵領には湖がある。
案内できる場所がそこしかないのが悲しい。
「領内の特産品がないのが痛いわね。でも、今更そんなことを言っても仕方がないわ。それに、長期休暇の前に色々とあったことだし、のどかな田舎でソフィー様の体と心が癒やせれば良いけれど」
あちらこちらにソフィー様を連れ回すことはしないけれど、せめて良い思い出を残したいと思ってしまう。
傷ついて涙を流していたソフィー様を少しでも癒やしたいと思っているの。
今は王太子殿下とお二人で話すことも増えているから、以前ほどではないと思うけれどね。
それに、ロゼッタさんとも会っていないということだし。
ロゼッタさんに嫌がらせをしようかと言い出したときはどうなることかと思ったけれど、順調にソフィー様が王太子殿下と仲を深めていることにホッとしていた。
だって、私は彼女が他人を攻撃する場面なんて見たくないもの。
いつだって、穏やかに微笑んでいて欲しい。幸せになって欲しいと私は思っている。
「だから、これが息抜きになるように頑張らないと……!」
気合いを入れて、私は領内を調べるべく外へと向かう。
そうして、ソフィー様がやってくる間に私は観光に向いた場所を調べ上げ、彼女がレストン伯爵領にやってくる日を迎えた。
当日の私は落ち着かず、屋敷内を歩き回っていた。
ソフィー様の到着を今か今かと待ち侘びていたところ、使用人から馬車が到着したという報せを聞いた。
すぐにお母様と一緒に玄関ホールへと向かうと、少しして扉が開き、夏の装いのソフィー様と彼女の侍女が中へと入ってきた。
彼女は、お母様に挨拶をした後で私に向かってニッコリと笑いかけてくる。
「お久しぶりね。私、今日を楽しみにしていたの。少しの間だけれど、お世話になるわ」
「ようこそ、お越し下さいました。私も、今日を楽しみにしておりました。色々と下調べはしておりますので、領内を案内致します」
「まあ、ありがとう。でも、貴女と過ごせるのなら、どこだって構わないのよ?」
なんと嬉しいことを言ってくれるのだろうか。
これはなんとしても、ソフィー様に喜んで貰えるようにしないと……!
だけど、ソフィー様が笑顔で良かったわ。長期休暇前の沈み込んだ様子は見られない。
荷物をうちの使用人に預けたソフィー様は、ゆっくりと私に視線を向けた。
「ところで、貴女はどこかお出掛けになられたの? 思い出話があれば伺いたいわ」
「いえ、私はずっと領地におりました。ソフィー様こそ、どのように過ごされていたのですか? 王太子殿下とも会われていたのですよね?」
私が王太子殿下のことを聞くと、ソフィー様はぎこちない笑みを浮かべた。
この様子だと何かあったみたい。
「……クレイグ殿下とは、王城でお会いしたり、視察に同行したりしていたわ。馬車でも話が弾んで……。あの方の意外な一面に驚いたりしたけれど、楽しいひとときを過ごせたの」
って、言っているけれど、どこかぎこちなさを感じる。本当に何もなかったのかと疑ってしまうわ。
私が聞いていい話かどうか分からないし、ここは他人の目があるし、聞くに聞けない。
二人きりになったときに、それとなく尋ねてみよう。
それに、いつまでも立ち話しているのは、お客様に失礼だもの。
「ひとまず、お部屋へとご案内します。今日はお疲れかと思いますので屋敷で過ごしましょう」
「では、お言葉に甘えさせてもらうわね。落ち着いたら、私が持ってきた恋愛小説を一緒に読みましょう? 色々と持ってきたの」
はい! と返事をした私は使用人に頼んで、ソフィー様を部屋まで案内してもらった。
少しして荷物を片付け終えたようで、彼女の侍女が私を呼びに来る。
私は使用人にお茶の用意をするように伝え、部屋へと向かった。
「失礼致します」
部屋へ入るとソファーに座っていたソフィー様が手招きしてくれた。
見慣れた部屋の中に彼女がいるというのは、違和感があるわ。
別に貧相な部屋というわけではないのに、華やかなソフィー様がいるというだけで何か特別な場所になったかのように思えてしまう。
「アメリアさん?」
「あ、申し訳ございません。ソフィー様が私の家敷にいらっしゃるのが、信じられなくて」
「私も友人の屋敷に泊まるなんて、未だに信じられないわ。話を聞いた両親が、そこまで親しくしている友人がいたのかと驚いていたもの。あ、でも、口外しないでとお願いしてあるので、他の方にお話しすることはないと思うわ。安心してね」
私を安心させるように優しい口調でソフィー様は口にした。
目立ちたくないというのは私の我が儘なのに。罪悪感でいっぱいだわ。
人の目を気にすることなく、堂々と人前に出られるようになりたいけれど、勇気がない。
だからこそ、いつも堂々としているソフィー様に憧れを持っているのよ。
でも今は、彼女が私の屋敷にいることを喜びましょう。本当に夢のようだわ。
夢じゃないわよね? と私は自分の頬をつねってみる。
「何をなさっているの?」
不思議な行動をしている私を見て、ソフィー様は首を傾げていた。
夢じゃないかと確認していたなんて言えず、私は曖昧に笑って誤魔化す。
「ああ、あの! 道中は大変ではありませんでしたか? レストン伯爵領はバーネット侯爵領と近いわけではありませんから」
「途中で知り合いの領地に寄ったりしたから、それほど大変ではなかったわ。それに、レストン伯爵領の近くに祖父の領地があるので幼い頃から何度も遊びに行っていたもの。これくらいの距離の移動は慣れているわ」
「負担になっていなかったのなら、安心しました。ですが、近くにバーネット侯爵夫人の実家の領地があるということは、もしかしたらレストン伯爵領を通ったりしていたのでしょうか?」
五年前まで部屋に籠もっていたから、外の情報は全く入ってこなかったのよね。
小さい頃は領内を散歩したりしていて馬車が通ったり、移動途中で休んでいた貴族の子供と遭遇したりしていたけれど、どこの貴族かなんて気にもしなかったし。
もしも、ソフィー様が馬車で通っていたとしたら、案内する場所も見たことがあるのかもしれないわ。喜んでもらいたいと思っていたのに、残念な結果になってしまう。
「いいえ。祖父の領地に行くときは、いつも別の領地を通っていたのよ。だから、訪れるのは今日が初めてなの」
「そうだったのですね。レストン伯爵領を通っていたとしたら、案内しようと思っていた場所もご覧になっていたかもしれないかと不安になりましたが、そうではなさそうで安心しました」
「仮に通っていたとしても、馬車から見える景色しか拝見したことがないから大丈夫よ。道中、珍しくて馬車から眺めていたけれど、ここはとても静かで良い場所ね。穏やかで領民が生き生きとしていて、幸せそうだったわ。レストン伯爵の人柄もあるのでしょうけれど」
お父様を褒められたことに、私は嬉しくなってしまう。
そうなのです! 自慢の父なのです! と、うっかり、お父様の自慢話をしそうになって、私は慌てて口を手で塞いだ。
「アメリアさんが、どうしてそのような優しい性格に育ったのか。その理由に触れることができたような気がするわ」
「私はソフィー様が仰るような優しい人間ではありませんよ?」
「そう? 私から見たら、貴女はとても心の優しい方よ。いくら尊敬しているからといって、ここまでして下さる方は、そういないもの」
嬉しいけれど、褒められるほど出来た人間ではないという自覚があるから、ソフィー様の言葉に素直に喜べない自分がいる。
それに、優しいというか、私は八方美人なだけだもの。
尊敬するソフィー様だからこそ、協力したいと思っただけで、誰にでも優しいというわけでもないし。
「だから、貴女と友人になれて本当に良かったと思っているの。貴女のお蔭で私は自分のダメな部分に気付けたし、改善しようと思えたのだから」
「ありがとうございます。ですが、それは私もです。努力なさるソフィー様を拝見して、私も今のままではいけないと思うようになりましたから。思うだけで、勇気がでなくて実行するのには時間がかかりそうですが」
「私の姿を見て、変わりたいと思って下さったただけで嬉しいわ。そう思うだけで、素晴らしいことだもの。きっと貴女は変われるわ。今よりももっと魅力的になれる」
ソフィー様にそう言ってもらえると、本当に自分が魅力的な人間になれるかもしれないと思えるから不思議。
実際は、そうはならないと思うけれどね。過信はしちゃいけないわ。
幼い頃の勘違い娘になってしまうもの。
嬉しそうに笑っていたソフィー様は、ハッと何かを思い出したのか立ち上がり、部屋に置いてあった本を何冊か持ってきた。
「ソフィー様?」
「急に席を立ってごめんなさいね。貴女と読もうと思って恋愛小説を持ってきていたことを思い出してしまって」
「あ、落ち着いたら読みましょうと仰っておりましたね」
「ええ。それでね。こちらが外国から取り寄せた恋愛小説なの。本の装丁がレナール王国のものとは違っていて、面白いでしょう?」
差し出された本を受け取り、私は色んな角度から見てみた。
確かにデザインがレナール王国のものとは違っているわ。近隣の国の本しか見たことがないから、大きな違いはなかったけれど、離れていると変わってくるのね。
「初めて拝見しました。凝ったデザインで表紙を眺めているだけでも楽しいですね。ソフィー様はもう中身は読まれたのですか?」
「いいえ。今日、読もうと思って我慢していたの。沢山持ってきたから、早速読みましょう」
ソフィー様は本を手に取り、ワクワクした様子で読み始める。
私も、どのような内容なのか期待に胸を膨らませ、本を開く。
私が手に取ったのは遊牧民の少年と少女のお話。
結婚式で初めて顔を合わせ、ぎこちないながらも愛を育んでいく内容だ。
狩りの際に怪我をした少年を少女は献身的に介護し、それが切っ掛けで夫婦としての絆が芽生える。
遊牧民の生活が細かく書かれており、知らなかった他国の生活を垣間見られたのが興味深かった。
読み終えた私は、幸せな気分に浸っていた。
やっぱり、最後は愛する二人が結ばれるお話を読むのは楽しいわ。
悲恋だと、どうしても引きずってしまうもの。
はぁっと息を吐くと、ソフィー様も読み終えたのか本を閉じる音がした。
彼女の顔は満足げで、そちらの小説も良いものだったのだと窺い知れる。
「やはり、恋愛小説は良いわね。心が満たされるわ。私もこのような恋愛をしたいという気持ちになるもの」
「分かります。幸せな二人を見て、本当に良かったという気持ちになれるのですよね。それが堪りません。それに、小説だから互いの心が分かるので、どうしてそこで言わないの! って感情移入してしまうのです」
「本当にそう!」
などと、互いに感想を言い合っている内に時間が過ぎていき、結局その日はずっと恋愛小説を読んで終わった。