私の些細な変化
あの後、こっそり広間に戻ると頬が紅潮していて興奮した様子のソフィー様に呼び止められた。
端まで連れて行かれると、彼女が嬉しそうに話し始める。
「ずっとお話ししたくて、探していたのよ? あのね、先ほどクレイグ殿下とお話をしていたのだけれど、アメリアさんが仰ったように、学院のことを伺ってみたの。そうしたら、クレイグ殿下は学院の大樹の下がお気に入りだと仰ってね。木陰が涼しくて落ち着けるのですって。それとオペラに興味がお有りだとか。オペラは私も大好きなので、お互いにどの作品が好みかで盛り上がったの。あんなにもクレイグ殿下とお話ししたのは初めてだわ……」
先ほどのことを思い出しているのか、ソフィー様は頬に手を当ててウットリとしている。
会話が弾んだようで、笑顔の彼女を見ていると、聞いているこっちまで嬉しくなってきちゃう。
「そうそう、それと今度クレイグ殿下とオペラを観にいく約束もしたの!」
「まあ、ようございました!」
「全てアメリアさんのお蔭よ。ありがとう」
「そのようなことはございません。私がしたことは微々たるもの。ソフィー様が変わろうとなさったからです。そのお気持ちがクレイグ殿下に伝わったのです」
私が、こうした方が良いと言っても、ソフィー様が受け入れてくれなければ今の結果はなかったもの。
私みたいな人間の言葉に耳を傾けてくれたからこそだわ。
「それでも、私に気付かせてくれたアメリアさんには感謝しているの。この調子でクレイグ殿下に好かれるように頑張るわ」
「はい。応援しております!」
「ありがとう。それにしても、本当に最高の夜だわ。夢のよう」
余程嬉しかったのか、ソフィー様は夢見心地のままだ。
可憐な少女のような彼女が微笑ましくなり、私はクスリと笑みを漏らす。
「まだ、パーティーは終わっておりませんよ? 他の皆さんとお話しすると仰っていたじゃありませんか。良い報告に皆さんも喜んで下さると思います」
「あら、そうだったわね。私ってば、一番にアメリアさんにご報告しなければと思って、すっかり忘れていたわ。では、皆さんを探しに参りましょうか」
私とソフィー様は周囲を窺いながら、皆さんを探し始める。
時折、ソフィー様が他の貴族に呼び止められ挨拶を交わしたりしていたのだけれど、私まで挨拶をしなければならなくて少し参ってしまった。
目立つソフィー様と一緒にいるお蔭で、人々の視線が私に向いているのが分かる。
何かを囁き合っている男性方。クスクスと静かに笑っているご婦人方。
被害妄想なのは分かっているのに、私は噴き出る汗を抑えられない。
「あら? 具合が悪いの?」
私の変化に気付いたソフィー様が、そっと背中に手を添えてくれた。
「いいえ。あまり人から注目されることに慣れていないので、緊張してしまって」
「そういうことなのね。気が付かなくてごめんなさい。私自身が目立つ存在だということを失念していたわ」
「平気です。皆さんと合流できれば向けられる視線も少なくなりますから」
「そう? あまり無理をなさらないでね? どうしてもというときは、控え室に移動なさってもよろしいのだから」
ええ、と言いかけた私は、控え室という言葉に、つい先ほどあったマリオン殿下とのことを思い出した。
広間に入ってすぐにソフィー様から報告を受けて一緒になって喜んでいたから、忘れていたわ。
あんなにも王太子殿下とのことで喜んでいたソフィー様を見ると、マリオン殿下に協力するのを断ったのは正解ね。
このままソフィー様が王太子殿下と上手くいってくれればいいけど。
それにマリオン殿下は王太子殿下に協力するのは止めると言っていたもの。
ロゼッタさんと過ごす時間が減れば、王太子殿下も冷静になってくれるはず。
マリオン殿下を止めるために彼のしたことをソフィー様に伝えたとしても、余計な揉め事になるだけだろうし、彼女が傷つくだけの結果になる。
黙っているのは心苦しいけれど、知らない方がいいことだってあるわ。これがまさにそう。
「あ、いらしたわ」
ソフィー様の声に我に返った私が視線を向けると、楽しそうに談笑している皆さんの姿があった。
彼女達はソフィー様を見つけると、こちらに近づいてきた。
ソフィー様を取り囲んだ彼女達によって、私は輪の外に追いやられてしまう。
まあ、これはいつものことよね。
苦笑していると、私に向けられている視線がなくなったことに気が付く。
どうやら、周囲の人達の関心はソフィー様と彼女を囲んでいる令嬢達に向けられているみたい。
安心した私は、いつものように端っこで皆さんの会話に適当に相槌を打つことに専念した。
「ソフィー様はご覧になりました? ロゼッタさんなのですけれど、彼女ったら侯爵の嫡男や宰相閣下の子息とも踊っていたのですよ。事業が上手くいっていない男爵家だから、そんなに金蔓が欲しいのかしらと眉を顰めました」
「確かに見た目は可憐ですけれど、お金がないからか、いつもと同じドレスをお召しで、みっともないったらありませんでした。王家主催のパーティーなのですから、ドレスぐらい新調致しませんと」
「全く……男性は、なぜあのような下品な子を持て囃すのか理解できません」
皆さん、今日も絶好調ですね。私は内容が内容だったので頷くことはしなかった。
そもそも、私はロゼッタさんのことを何も知らないもの。
本当に男性を手玉に取っているのかなんて、傍目から見て分かるものでもないし。
はぁ、と息を吐くと、タイミング良くソフィー様も同時に息を吐いた。
「皆さん。想像だけで仰るのはいけないことよ。彼女が誰と踊ろうが、私達に関係のないことでしょう?」
「ですが……」
「止めて。これ以上私は他人の悪口を耳に入れたくないの。今、私はとても幸せな気分なのよ。嫌な気分にさせないで」
きつめにソフィー様が注意すると、彼女達は気まずそうに口を噤んだ。
王太子殿下との会話が上手くいって、オペラに行く約束をしたソフィー様は今、幸せの絶頂にいるのに、他人の悪口なんて聞きたくないわよね。
「あの、皆さんは、どなたと踊られたのですか?」
話題を変えるために私が割り込むと、彼女達は目を見合わせている。
普段、私から話すことなんてなかったものね。でも、ソフィー様に嫌な思いはさせたくない。
「私は従兄弟と一曲踊ったら足を挫いてしまいまして。あまり、楽しむことはできなかったのですが、皆様はどうでしたでしょうか? 華があってお綺麗な皆様ですもの。きっと素敵な方と踊られたのでしょう? ぜひ伺いたいです」
「そ、そうですわね。私は、オルグレン伯爵家のカーティス様と踊りましたわ」
「まあ、オルグレン伯爵家は名家ではございませんか! 次期伯爵のカーティス様と踊るなんて羨ましい限りです」
「でしょう? あちらがどうしても私と踊りたいと仰ったのよ」
上機嫌に彼女はカーティス様と踊ったときのことを詳細に話し始めると、対抗意識を燃やした他の令嬢方も、私はどこそこの誰々と踊ったのだから! と言い始め、自慢合戦になる。
「アメリアさん」
優しげな声が聞こえて私がそちらを見ると、ソフィー様が穏やかな笑みを浮かべて軽く頷いた。
声に出さずに、ありがとう、と口が動いたので、私も、どういたしましてという意味を込めて軽く頭を下げた。
話題を変えられて良かったわ。
人の悪口は聞いていて気分の良いものではないから。
だけど、過去に笑われたことがあるなのに、こうして他人の悪口を言う人達を諫められないのは自分でも情けないと思う。
要するに、意気地無しの臆病者なのよ。ロゼッタさんのことがあって、自覚したわ。
目立たないように大人しくするということは、日和見で誰にでも良い顔をする八方美人だということなのよね。
今の自分は十年前に勘違いをしていた私を笑っていた、あの場の貴族と同じことをしている。見ているだけでも加害者になるのよ。あの出来事で痛いくらいに分かっていたはずなのに、私は気付けなかった。
だから、良い方向に変わっていくソフィー様を見ていたら、私も今のままではいけないと思うようになっている。人の目を気にして地味に大人しくしている臆病者の自分を変えたいと思うようになっているの。
でも、どうやって変われば良いのか。今の自分を変える方法が何も思い付かない。
「本当に情けないわ」
小声で呟いた私が自慢合戦をしている彼女達を見て苦笑していると、どこからかロゼッタさんの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
なんとなく気になった私がそちらへ視線を向けると、彼女は上位貴族の子息と話をしているところであった。
彼は満面の笑みで楽しそうに話していたが、ロゼッタさんの方はあまり気乗りしていないのか愛想笑いを浮かべている。
チラチラと周囲を伺っているところを見ると、逃げる機会を探っているのかもしれない。
それにしても、あの相槌の打ち方……。
あれは本当に興味がないときの相槌の打ち方だわ。
取り巻きの皆さんの言うように金蔓を探しているのなら、もっと積極的に話をしているはずよね。
だって、彼の実家はお金持ちだもの。
なのに、彼女は積極的に話をするどころか、若干迷惑そうにしているように見えるわ。
実のところ、私はロゼッタさんのことを良く知っているわけではない。
でも、今、私が見ているロゼッタさんは噂通りの人物であるように見える。
「どちらも噂だから、真偽は分からないわね」
「アメリアさん、どうかなさったの?」
小声で呟いたはずなのに、ご令嬢の一人に声をかけられて私は慌ててロゼッタさんから視線を外した。
「いいえ。皆様のお話を伺っていたら、羨ましくなって参りまして」
「あら、貴女にだって、いずれ良い出会いがありますわ」
「私など、とてもとても」
「謙虚な方ねぇ。あ、それですね」
私のことになど、さして興味もないのか、ご令嬢方は視線を戻して話を再開する。
密かにため息を吐いた私はロゼッタさんがいた場所を見てみると、もう彼女の姿はどこにもなかった。