平凡な日常の終わり
「ソフィー様、そのバレッタは初めて拝見しますが、新しく購入したものですか?」
「いえ、クレイグ殿下からのプレゼントなのよ」
ソフィー様の婚約者である王太子殿下からの贈り物ということで、彼女の取り巻きの皆さんは、さすが王太子殿下、とか、ソフィー様の髪によく似合っております、なんて言って盛り上がっている。
授業が終わった王立学院の中庭で、そんな様子をチラチラ見ていた私、ことアメリアは取り巻きの皆さんを羨ましく思っていた。
うう、いいなぁ。
憧れのソフィー様と仲良く会話するなんて羨ましいことこの上ない。
でも、チャンスがあったとしても、私は自ら進んで彼女に声をかけることなどできない立場。
取り巻きの中でも一番下っ端だし、何よりも目立つようなことはしないと心に決めているから。
平凡な私が目立ったら、どうなるのかを身をもって知っているのだもの。
……ああ、ダメダメ。尊敬し、憧れているソフィー様の側にいられるだけで、満足していないと。
ただの信者の私は、率先して話しかけてはいけないのよ。
おさわり厳禁! ってことを忘れてはいけないわ。
「アメリアさん? アメリアさん! 聞いているの?」
真正面に座る令嬢に声をかけられ、私はハッとした。
「……ええ。聞いております。王太子殿下から贈られたバレッタの件でございますね?」
ボーッとしていたけれど、ちゃんと聞いていたわ。
先ほどまでの会話内容を話すと声をかけてきた令嬢は、呆れ半分といった表情で私を見てきた。
「本当に、貴女という方は……。いつも無口で、ご自分の意見を仰らないのだから。お喋りに興じるということができないのかしら」
「仕方がありませんわ。彼女はいるのかいないのか分からないくらいに存在感が薄いのですもの」
「それに見た目もね」
クスクスと私を馬鹿にするような笑みを浮かべている令嬢達に私は愛想笑いを返す。
「見た目は関係ないでしょう? アメリアさん。紅茶のおかわりはいかが? お茶菓子も召し上がってね?」
馬鹿にするように笑っている令嬢達を一瞥した、この場の主であるバーネット侯爵家令嬢のソフィー様が優しく私に声をかけてくれる。
注意されたソフィー様の取り巻きの皆さんは、一様にバツが悪そうな表情を浮かべていた。
私を気遣うように声をかけてきてくれたソフィー様に感謝しつつ、私は紅茶のおかわりを頂いた。
でも、皆さんの言っていることも理解できるのよ。
だって、私は十人中十人が口を揃えて地味だ、平凡だと言われるような容姿をしているのだもの。
おまけに、過去の出来事から目立たないように皆さんの会話に相槌を打つことしかしていないのだから。
「まあ、ソフィー様。彼女は中位貴族のレストン伯爵家の令嬢ですよ。そのように気にかけなくとも問題はございません」
「上位貴族でも中位貴族でも関係ないわ。彼女は私の友人でしょう? なら、楽しんで頂きたいと思うのは当然ではなくて?」
レナール王国で王家に次ぐ権力を持つバーネット侯爵家の令嬢・ソフィー様の公平な言葉に私は感激した。
身分など関係なく平等に接するソフィー様の態度に、いつも私は助けられている。
それは、五年前の出来事から全く変わっていない。
彼女のそういった態度に、どん底まで落ち込んでいた私は助けられたのだから。
でも、皆さんはソフィー様の言葉に納得していないのかふてくされているわ。
まあ、皆さんがそう思うのも仕方ない話よね。
だって、私の家は皆さんの家とは違って、伯爵家とは言っても中位貴族だもの。お金持ちでもなければ、これといって貧乏というわけでもない家柄だし。
重ねていえば、私は明るい髪色ではなく、この国でよく見かけるダークブラウンの髪と瞳なのだもの。皆さんが私を地味だと言うのは必然だわ。
まあ、私は平凡な自分の顔を嫌ってなんかいないのだけれどね。父と同じ、程ほどに丸い目も、母と同じく、それほど高くない鼻も、二人からもらったものだと思うと愛おしくて仕方がないのだもの。
鏡を見る度に尊敬する両親から受け継いだものを確認して嬉しくなる。
確かに私は地味だけど、両親に愛され、使用人からも愛され、領民からも慕われているのだから、とてつもなく満ち足りた人生を送っていると思うわ。
だから、私はこのままでいい。派手な人生は望んでいない。大好きな恋愛小説を読んで、平凡に暮らしたいと思っているの。
地味な人間が目立ったら、どうなるか十年前の出来事で身をもって知っているからね。
と、何も言わずに微笑んでいると、取り巻きの令嬢が遠慮がちに口を開いた。
「……楽しんでいらっしゃるに決まっております。王太子殿下の婚約者であるソフィー様と一緒にいるのですもの。それだけで、天にも昇る気持ちでしょうから」
「ええ、そうですわ。アメリアさんのように大人しい方は、あまりご自分の気持ちを表に出そうとはなさいませんから。きっと心の中では楽しんでいらっしゃると思います」
取り巻きの令嬢に、大人しい、と評された私は乾いた笑いを漏らした。
ソフィー様は、訝しげな様子で私に視線を向けてくる。
「そう? アメリアさん。本当に楽しんでいらっしゃるの?」
優しく話しかけてきてくれたソフィー様に私は控え目に微笑みを返した。
下っ端の私を気遣ってくれるなんて、やっぱりソフィー様はお優しい方だわ。
五年前にある茶会に出席して友達がおらず、ポツンとしていた私に話しかけてきてくれて『私達と一緒にお話ししませんか?』と誘ってくれた頃と何も変わっていない。
昔の私は、自分を美少女だと勘違いをして、それに恥じない完璧な令嬢を目指していたから。だから、明るくハキハキとしていて高飛車で若干、というか物凄く自意識過剰だったのよね。
そうして、高くなった鼻を見事にポッキリへし折られたことで、今みたいな大人しくて目立たない人間になろうと思ったのだけれど。
でも、ソフィー様は傷ついた私にあれこれと話しかけてくれて、立ち直る切っ掛けを与えて、おまけに皆さんの中にそれとなくいれてくれた。
そんな彼女と過ごす内に、私は彼女が幼少時に理想としていた完璧な令嬢そのものだということに気付いたのよ。
凜とした佇まい、美しい所作、立ち居振る舞いが優雅で自信に満ちあふれた姿。心優しく真面目で思慮深いところとか、本当に素晴らしいのよ。そんなソフィー様を間近で見られることに感動すらした。私はなんて幸運なのかしらって。
憧れるのも必然というものよ。
ということで、五年前の茶会から、私はソフィー様の取り巻きとして彼女の側にいるの。
目立つような真似はしたくないから、そっと様子を見るだけだったけれど、私は今では立派な彼女の信者となっている。
ということで、信者の私は皆さんの会話に耳を傾けながら、ソフィー様に視線を向ける。
アッシュブロンドの髪が風で揺れる中、彼女は切れ長の大きな目を細めて他の取り巻きの方達と楽しそうに話をしていた。
今の彼女達の話題は、ソフィー様の婚約者である一学年上のクレイグ王太子殿下のこと。
やれ、テストで一位をとったとか、本を読むお姿が絵になるだとか、そういうお話。
王太子殿下に全く興味のない私は、自ら発言することもなくニコニコと会話を聞いていたのだけれど……。
「それにしても……ロゼッタさんには困ったものですね。今日もお二人で話をしていたみたいですよ?」
ふぅ、と息を吐いた取り巻きの令嬢に皆さんも顔色を変える。
なんだか、不穏な空気になってきた。
でも、皆さんがそう思うのも無理はないかも。
というのも、話題に上ったロゼッタ・ベイリーという女性に、学院の女子生徒達は頭を悩ませているのだ。
彼女は今年、王立学院に入学してきたベイリー男爵家のご令嬢。
可憐な容姿と田舎出身ならではの純朴で心優しい性格に男子生徒の中で、いつの間にか人気者になっていたの。
でも、取り巻きの令嬢が不満を口にしたのは、彼女が人気者だからじゃない。
驚いたことに、王太子殿下と彼女が親しくなってしまったからよ。
ある日を境に彼はロゼッタ嬢と話すようになり、一緒にいるところを目撃されることが増えていた。
それで、面白くないのがソフィー様の取り巻きである皆さんや学院の女子生徒達。
彼女の実家が商人上がりで、今の当主の事業が上手くいっていない、つまりお金に困っている男爵家だったこともあって、お金目当てじゃないかと目を吊り上げているのよ。
一度、他の生徒が彼女に王太子殿下と親しくし過ぎるなと注意をしたことがあったのに、今もお二人で話していることを考えると全く聞いてもらえていなかったみたい。
「注意だけで済まそうとなさった方の優しさを踏みにじる行為です。あまつさえ、皆の前で親しくするなど」
「失礼極まりないですわ」
「ソフィー様、このままでよろしいのですか?」
令嬢達に言われ、静かにしていたソフィー様はカップをソーサーにゆっくりと置いた。
「よろしいとは思っていないわ。でも、ただのご友人だった場合、クレイグ殿下はお怒りになるでしょう。婚約者とはいえ、私は殿下の妃ではないのだから、交友関係に口を出すことはできないわ」
「何を弱気なことを仰っているのですか」
「友人なわけがございません。注意しても聞いて下さらない以上、嫌がらせなどの実力行使に出なければば、取り返しのつかないことになりますよ?」
「それに、王太子殿下はこれまで特定の女性と親しくすることなどございませんでした。対応を誤ると、ロゼッタさんに王太子殿下を奪われてしまいます!」
令嬢達の焦る言葉にソフィー様は表情を全く変えない。
何があってもご自分が王太子殿下の婚約者であるということは揺らがないという自信が窺える。
「あの方は、ご自分が貧乏な男爵家の娘だという自覚が足りないのです」
「きっと、お金目当てに違いありません。いつも違う男性と一緒ではありませんか」
「ふしだらですわ。学院の恥です。噂によると、男性を取っ替え引っ替えしているとか。あのような性悪女に騙されるなど……!」
令嬢達は、なんて破廉恥な、とか、学院の恥さらし、などと言ってロゼッタさんの悪口を言い合っている。
なんというか、ソフィー様の婚約者である王太子殿下と親しくしているといっても、人の悪口を聞くのは良い気持ちがしない。
悪口を言われる方の気持ちが私には分かるから。
どうしたものかと私がソフィー様に視線を向けると、彼女は無表情で悪口を言っている令嬢達を眺めていた。
「いい加減になさいませ」
冷たさを感じさせるソフィー様の声に令嬢達は一斉に口を噤んだ。
「ただクレイグ殿下と仲がよろしいというだけで、悪口を仰るなど愚かなことよ。ロゼッタさんのことを良く御存じではないのに、彼女を悪しきように仰るなんて……。そもそも学院は淑女とはどのようなものかを学ぶ場所。他人の粗を探して悪口を仰るのが淑女のなさることなのかしら?」
鋭い彼女の視線に令嬢達は縮こまっている。
さすが、真面目で誠実、思慮深いソフィー様だわ。一瞬でこの場を治めてしまった。
私は視線だけを動かして皆さんを確認してみると、誰も何も言わずに視線を下に向けていたり、違う方向を見ていたりしている。
私と同じように周囲を見回したソフィー様は皆さんの様子を確認すると、そっとため息を吐き出した。
「私のせいで空気が悪くなってしまったわね。申し訳ないわ。……今日はこれで終わりにしましょう。私は寄るところがあるので、皆さんは先にお帰りになって。では、また明日。ごきげんよう」
サッと席を立ったソフィー様は振り返ることなく校舎へと歩いて行く。
残された令嬢達は気まずそうに目を合わせていた。
「でも、ソフィー様は、ああ仰っていたけれど、心の中ではロゼッタさんを憎らしく思っていらっしゃるはずよ」
「ええ。そうでしょうね。ソフィー様といえども、お二人の仲は見過ごすことはできないはず。それに、もしも婚約破棄なんてことになったら、私達まで巻き添えをくらってしまいます」
「全くです。王太子妃の友人として、良いお家の嫡男と結婚できると思っていたのに、このままでは台無しになってしまいます」
そうよ、そうよ、と令嬢達は同意しているが、私はそれには同意できない。
皆さんは、ソフィー様の何を見ていたのかしら。
王太子殿下の婚約者として取り乱したりなどせずに、どんと構えているのに。
もう少し、ソフィー様を信用するべきよ。あの様に素晴らしい方は他にいないわ。
と、思って私は令嬢達の会話には同意せずに、会話を聞き流していた。
あれこれ言っていた彼女達は、話の主役であるソフィー様がいなくなったことで話すことがなくなったのか、少しして、その場は解散となった。
何人かの令嬢が立ち去った後で、私も席を立ち、残った面々に挨拶をしてその場を後にした。
途中で、令嬢達とは違う方向に向かった私は周囲を見回して誰もいないのを確認した後で大きく背伸びをする。
「はぁ、疲れた……。ソフィー様と一緒にいるのは楽しいけれど、皆さん好戦的すぎるわ。同意したと見なされてしまうから、迂闊に頷けないし」
先ほどまでの会話を思い出し、私はため息を吐いた。
できるだけ平穏な暮らしを望んでいる私は、ロゼッタさんをどうこうしようとしている彼女達の案に頷きたくない。
もっと、平和的に解決方法を探りましょうよ、と言いたいけれど、言ったが最後、集中攻撃に遭うのは目に見えている。
「さて、これからどうしようかしら。今、校門に行ったら他の方と会うし、ロゼッタさんの話を振られても困るわね。……皆さんが帰るまで図書館で時間を潰そうかしら」
学院の図書館なら私の屋敷にはない本がありそうだし、大好きな恋愛小説を読んで心を落ち着けたい。
そうと決まったら、図書館へ行きましょう。
私は人気のない校舎を歩きながら図書館へと向かった。
学院の図書館は少し外れた場所にあり、あまり人気がないと知っていた。
今は放課後だし、生徒はいないはずだと当たりをつけていた私は図書館までの道すがら、複数の話し声が聞こえてきて立ち止まり周囲を窺う。
すると、少し離れた場所で楽しそうにお喋りしている男女の姿を発見して、私は目を瞠る。
あれは、王太子殿下とロゼッタさん!?
放課後の誰もいない場所でお二人で話をしているなんて、親しくしているというのは嫉妬からくる噂ではなくて本当だったのね。
それにしても、王太子殿下は本当に楽しそうに笑っているわ。目尻が下がっているじゃない。あれじゃあ、ロゼッタさんに好意を持っていると丸わかりだわ。
ソフィー様という婚約者がいながら、なんということをしているのかしら。
ロゼッタさんは王太子殿下に婚約者がいるのを知らないのかしら? いえ、知っているはずだわ。女子生徒達が言わないわけがないもの。
とんでもないところを見てしまった私は、気まずさからそっと物陰に身を隠した。
見つかったら、絶対に面倒なことになるもの。
だから、静かにお二人が立ち去るのを待つしかないと思っていたのだけれど、ふと視線を逸らした先に、お二人を眺めるソフィー様の姿を見つけて息を飲んだ。
ソフィー様はお二人を眺めながら静かに涙をこぼしていた。
涙を拭うこともせず、ただジッとしていたのである。
けれど、彼女の手は強く握られ、小刻みに震えている。
一目見て、嫉妬していると分かってしまった。
ソフィー様が王太子殿下を愛しているのは周知の事実。好きな人が他の女性と楽しそうに話しているのを見たら、嫉妬するのも当然。
ソフィー様のお気持ちを考えると胸が痛む。
話に夢中なお二人は私達に全く気付いてないのか、軽やかな笑い声が聞こえてくる。
「それで、城の庭師が綺麗な百合を咲かせてくれたんだ」
「まあ、百合を? 前にも王城の庭には色々な花が咲いていると教えて下さいましたが、色とりどりで美しいのでしょうね。我が家は野菜しかございませんから、羨ましいです」
「では、一度城に来てみてはどうだ? 庭くらいなら君でも見学できるだろう」
「よろしいのですか? では、今度友人と参りますね」
「友人と? いや、あの。俺が案内するが」
「いいえ、王太子殿下に案内を頼むなど恐れ多いことです。私では体験できない貴重なお話を伺うだけで、夢の中にいるみたいに幸せなのです。それだけで十分ですから」
「……君は本当に何も望まないのだな。普通の令嬢は、あれが欲しい、これが欲しいとねだるというのに。変わった人だ。ああ、勿論良い意味でだ」
優しげに微笑む王太子殿下と、笑みを返すロゼッタさん。
一見すると、初々しい恋人同士のような雰囲気だけれど、立場は全く違う。
ああ、もう! これ以上ソフィー様を傷つけないで! 早くここから立ち去って欲しいと私が願っていると、王太子殿下に予定があるのか、少ししてお二人はその場からいなくなった。
ホッとした私がソフィー様を見ると彼女は動くことはなくジッとお二人がいた場所を見つめていた。
いつもの凜としたソフィー様はそこにはいない。
そこにいるのは、恋愛小説に出てくる嫉妬に狂う悪役令嬢とは違い、婚約者の裏切りを知って傷ついている私と同じ年の女の子。
ソフィー様のことを考えたら、ここは静かに立ち去る場面だと分かっているのに、どうしてかしら。
私はソフィー様を放っておけないと感じている。傷ついている彼女を一人にしておけないと思っている。
どうにかして、王太子殿下の心をソフィー様に戻したいと、そう願っているの。
これはただの自己満足かもしれない。ソフィー様は望んでいないかもしれない。
でも、泣いているソフィー様を無視することもできなかった。
それに、五年前に私にしてくれたことの恩返しをしたい。ほんのちょっとしか返せないけれど、今、動かないとダメだと私の心が叫んでいる。
おさわり厳禁という決め事は、この際無視しよう。
今は私のちっぽけな決め事よりも、ソフィー様の方が大事だもの。
五年前の恩を返すのは今しかないわ!
私はハンカチを取りだし、未だに動かないでいるソフィー様の許へと近づいて彼女の前に差し出した。
「お使い下さい」
涙が頬を伝う跡が残る彼女は、驚いた様子で私と視線を合わせた。
ハンカチを差し出したことで、私が先ほどの場面を見ていたことを察したみたいで恥ずかしそうにハンカチを受け取って目元を押さえる。
「……ありがとう、アメリアさん」
「いえ」
この後、どうしようかと固まっている私を見て、ソフィ様は軽く微笑むと視線を庭へと向けた。
「……少し、お話をしましょうか」
そう言って、ソフィー様は近くのベンチに移動し、誘われるまま私も彼女の隣に腰を下ろした。