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常世の国のシトラス  作者: くにたりん
第8章
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第95話 目覚めの時 その5

クニヌシの血の一滴が、長い間、拓海の中で眠っていた祖先の血を呼び起こした。改めて、クニヌシは拓海が一族の一員であるのだと確認し、より鬱陶しいほど拓海を抱きしめようとした。が、今はサイズが全く違う。


「痛っ!拓海、お前はどうやら兄者より、じい様に似ているのかもしれんな。しかし、立派なものではないか。なあ?」


目が覚めるような鮮やかな青い鱗で覆われた若い龍は、クニヌシを囲むように大人しく横たわっている。当然ながら、部屋の中の多くが破壊されていた。


「話せないのか?拓海?」


若い龍は大きな口を開けて何かを話そうとするが、聞こえてくるのは低い唸り声だけ。クニヌシはすぐ横にある龍の鼻先を愛でるように優しく撫でた。


「静かにしろ。大家さんが飛んでくるぞ。それからな、口で話そうとするな。話したいことを頭で思い描き、俺に語りかけてみよ」


龍は目をキョロキョロとさせていたが、大きな銀色の目玉を隠すように瞼を閉じた。荒い呼吸の音だけが部屋に響く。暫くの間、クニヌシも静かに腕組みをして拓海からの問いかけを待っていた。


(こう?できてる?)


フッとクニヌシは笑うと、頭を龍の顔にもたれながら大きく頷いた。


(よく出来たな。聞こえておるぞ、お前の声。もう一人前だ。あとはどのくらいその姿で居られるか知っておくべきだ)


静まり返った部屋で二人の会話は互いの脳内で交わされた。つまりは、これで全ての準備が整った。が、まだ少し足りないようだ。


「ああ、もうダメだ・・・頭で考えてると人に戻ってしまう」


「早すぎるだろ。もう少し頑張って欲しいものだな。初陣までに精進するが良いぞ」


クニヌシの隣には、先ほどまで龍の姿でまんじりとも動かなかった拓海が真っ裸で座って居た。拓海は満身創痍といった様子で、うなだれた頭を少しクニヌシに向けた。


「なんか疲れた・・・。俺にはもう普通の男の幸せは望めないのかな・・・結婚が全てじゃないけどさ。やっぱ、恋愛して結婚して、自分の子、欲しいじゃない?そこは大丈夫なんだろうな?仮死状態から戻ってこれるんだろ?」


「ん?言ってなかったか?まだ」


すっとぼけたクニヌシの言いように、拓海は両拳をグッと握り締めると、天を仰いで大声で叫んだ。


「まだ、ってなんだよ!俺にはお前たちの血は四分の一しか入ってないんだぞ?勘弁してくれよ!」


クソ真面目な顔でクニヌシは、すでに涙ぐみ始めている拓海に向き合うように座り直した。


「梓は変化することはなかったが、お前は違う。先ほどの若く美しい龍の姿は、我が一族の末裔にふさわしい姿だった。そうだな、例えば、明日香でもいいし松波小百合でもよいが、お前との間に子が出来たとしよう。それは兄者ワカヒコと同じ運命を辿ることになる。子を作らなければセーフだ」


「セーフって・・・避妊すればセックスOKって、どんだけリスクの高い話だよ!」


「こればかりは天の定め。考えてもしようのないこと。観念して、あちらと行き来できる事を良しとして、時々、夏樹をあやしに行けば良いではないか。お前は人でもあるが、俺と同じ、龍の化身でもあるのだ。誇りに思うがいい」


霊が見えるだけではなく、遂には自身の姿まで変えられるようになった自分に内心驚きつつ、拓海は少しワクワクしていた自分を後悔していた。まさか、こんな落ちがあろうとは。一方、クニヌシは話すべきことは全て話したと言う事実にホッとしたのか、今度は浮き足立って見えるほど、元気に立ち上がった。


「祝いの席が必要だな。皆に集まってもらうとしよう」


「え?」


クニヌシは意気揚々と首にかけていた勾玉を触ると、すぐに烏合の衆が集まってきた。最初は飛び出すようにモノカミが部屋に現れ、壊されたソファや机、傾いたベッドの脇をつまづきながら歩いてきた。


「これ、どういうことよ・・・たっくん、大暴れしちゃった?あっ、イッて!」


辺りに壊れたものが転がり、モノカミがぶつかって倒れて更に部屋は惨状を極めていった。後に続くように双子のユリアとウララも状況を見渡し、わずかに残ったクニヌシの血の匂いを拓海から嗅ぎ取ったようだ。


「まあ、ずいぶんと男らしく暴れたものですわね。ウララ、すぐに淳之介を呼んできてちょうだいな。あの子には良い勉強になりますもの」


ウララはお任せをと、どこで覚えてきたのか俗世に染まり始めたように、華麗にウインクをして消えてしまった。ウララを見送ると、姉のユリアがクニヌシのもとへ歩み寄り、あらまあ、と素っ裸の拓海に興味を示した。


「祝いだ、ユリア。赤飯を炊いてやってくれ」


拓海は勢いよくクニヌシとユリアの方を振り返り、なんでだよ!という顔で返した。祝いの席はともかく、この部屋の惨状はどうにかせねばならない、と拓海は叔父たちにどう説明するか頭を悩ましている。そして、ここまでの自分のこと、父親のこと、これからのこと、やはり母の香には話しておくべきだろう、と考え始めていた。


その頃、夏樹は生前の記憶をリセットされ、モノカミが暮らす樫の国にある転生の間で真っさらな魂になり、誕生の時を眠りながら待ち続けていた。自分にはない記憶を他人が持っている不思議に遭遇するのは、まだずっと先のお話。


クニヌシは、あの夏の浜辺で拓海と合ったのは偶然ではなく必然だったのか、それともワカヒコが引き寄せたのか分からない。解決の糸口は見つかったことだけは確かだ。モノカミの片付け方がひどすぎると文句を言っている拓海を見るクニヌシの瞳はとても優しかった。


兄を現状から救った後、一族の継承は拓海に、とクニヌシは考えている。拓海には簡単そうに話してしまったが、ワカヒコが戻る可能性は限りなく低いのだ。


「ヌシ様。私とクララはいつ何時でもお側におりますゆえ。そんな顔はしないでくださいませ」


クニヌシの胸の内を察したのか、ユリアは恋する乙女のように瞳を潤ませ、クニヌシを見上げた。目の前の犬と猿の喧嘩など、二人の間に入る隙もない。クニヌシはそんなユリアに微笑みかけると、何を思ったのか、先ほどの傷口を近くに落ちていたガラスの破片で傷を広げた。床に大粒の鮮血が滴り落ちる。


「ご褒美だ。賢くも美しい鬼の姫よ」


血が流れ始めた指先をクニヌシは自分の口に持ってくると、血を含んだままユリアに口付けた。ユリアは昇天寸前である。どうでもいいことでモノカミと罵り合いをしていた拓海は、あまりに艶かしい男女に思考の全てを持って行かれたようだ。喉が鳴る。


「たっくん?たっくん?」


「ん?あ、ああああ!びっくりしただけだろうが!」


「ああいうの好きなの?僕がやってあげようか?」


犬と猿はまた喧嘩を始め、部屋も散らかし放題。ユリアは腰が抜けて身体中からハートマークが飛んでいる。結局、いつも面々が繰り広げる風景に変わりない。


様々なそれぞれの事情が動いたこの夏。


少年はほんの少し大人になり、人間でもなくなった。その彼は今度はクニヌシたちのフィールドへ足を踏み入れてゆく。淳之介と文乃の兄妹の行く先は別々になるだろう。こうして物語は交差し、またそれぞれの方向へ走り出した。

読んでいただきありがとうございます。次の展開に入る前に、この話は一度ここで終わらせていただきます。初めての投稿で拙い文章で書き綴ってきましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

次の章まで少しお時間いただきますが、再開した際は、またお立ち寄りいただけると嬉しいです。

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