第93話 目覚めの時 その3
今やらなければ、この問題を次の世代、つまり拓海の息子や娘に残していくことになる。その子供たちが、拓海のように霊力を備えているとも限らない。その間にも、同じような悲劇が起こる可能性も低くない。ワカヒコは物言わぬモノノ怪ではあるが、かろうじて意識を保っているおかげで、大人しく用意された囲いの中に収まってはいる。
が、これも時間の問題だ。意識を失った時では遅い。
「父さん、やっぱり俺は一度クニヌシとも話してから決めたい。こないだは気が散漫だったから、ついOKしたけど。少し・・・時間をくれないか?」
梓は無理強いすることもなく、また来るとだけ言って、小さな子にするように息子の頭を撫でるとニッコリ笑って姿を消した。
「だから、玄関から出て行ってくれよなぁ」
入れ違いで、今度はクニヌシが霊体化したまま、部屋に突然現れた。いつものように、部屋に着くなり、霊体化を解き、裸のまま拓海の服を漁り始めた。最初はなんでもあるものを適当に着ていたクニヌシも、近頃は好みがあるらしく、拓海の持ち物から気に入った服だけを着るようになっていた。
「話、聞いてた?」
部屋着にはこれだな、と独り言でつぶやきながら、グレーのスウェットパンツと同色のパーカーを見つけ、クニヌシは鼻歌交じりで着替え始めている。
「ねえ、聞いてる?俺の話」
「ああ、聞いているとも。だが、梓との話は聞いておらん。あいつの気配がしたのでな、いなくなるまで他所におったのでな。例の話をつけに来たのであろう?お前は梓の要求を飲むことにしたのか?」
ナギを救うための代償に、稚樹の森の精霊たちに差し出したクニヌシの黒髪は肩より少し長いくらいだったので、実体化した今はもっと短くなっていた。クニヌシはこのスタイルも割りかし気に入っているようで、非常に前向きである。
「まだ決めてない。だって・・・クニヌシがじいちゃんを助けたいと思っているんだろ?それを俺ら親子が滅するというのもな。何か他に救う方法がないのかな、って」
台所でビールを探し当てたクニヌシは部屋に戻って来ると、慈愛の目で拓海を見つめ、両手を広げて拓海にすり寄って着た。クリスマスに買ってもらったぬいぐるみを抱きしめる少女のように、クニヌシはギュウウと拓海を抱きしめた。拓海の黒縁眼鏡が斜めになっている。
「うっとおしいな。折角、人が真面目に聞いてるっていうのに」
「甥っ子はすっかり変わってしまったが、拓海、お前は変わらないでくれよ」
クニヌシの過剰なスキンシップにも慣れた拓海に死角はない。抱きしめられようが、頭を撫で回されても、もう動じることなく、淡々と話ができるまでに拓海は成長していた。
「俺は父さんの言ってることも正しい、と思う。けど、じいちゃんと話をしてみたい、とも思う。で、俺はどうすればいいと思う?クニヌシ」
「可愛いことを言うようになったのう。やはり女を知れば男として余裕が生まれるのかもしれんな」
拓海はクニヌシの腕を押し戻して、ずれた眼鏡を定位置に戻した。
「いや・・・童貞は関係ないから」
距離を置かれたクニヌシは少し残念そうな顔で拓海を見ている。拓海は知らんぷりを決めて、クニヌシから距離をとって座った。
「ともかくだ、俺も兄者を滅するのが得策であると思っておったが、お前という救世主が現れたことで考えは変わった。拓海、梓は妨害するかもしれんが、どうだ、俺に協力しないか?」
「何をすればいいの?」
クニヌシはその言葉を待っていたと言わんばかりに、満面の笑みで拓海にこれ以上ないほど擦り寄る。
「簡単なことよ。お前も俺と一緒に現世と冥界を行き来できるようになれば良い。さすれば、あることが可能になるのだ」
無邪気に言うクニヌシの言葉に拓海はがっくりと肩を落とした。脳裏をよぎるのは、結局、例のお茶を飲む羽目になるだろう、ということ。
「それって俺が特別なお茶を飲んで仮死状態になるところから始まったりする?」
がっかりした拓海の顔にクニヌシは片手を伸ばし、惚れ惚れとした表情で拓海に向かって大きく頷いた。
「もー、それって父さんと同じこと言ってるよ。二人とも簡単に仮死状態になれとか言わないでほしいね」
死生観の違いからか、人が死に直面するという一大事を軽々しく言ってくる二人に拓海は幻滅している。成人式も迎えず、あの世に片足を突っ込むことは当然ながら、拓海には受け入れがたい話。
人の気持ちが分からないヤツと罵られたクニヌシも、別の意味でがっかりムードを隠さない。
「悪いことばかりではないぞ?冥界に赴ける、ということは、お前も夏樹に会える、ということだぞ」
拓海には朗報だったらしく、手のひらをポンと拳で叩くと、なるほど、と呟いた。だが、そのために一度死んでこい、というのは軽くない。夏樹にまた会える、親戚のおじさんのように彼女の幸せを見守ることができると、と一瞬、そんな自分の姿を想像したが、そのためには一度死ぬしかない。お茶を飲んで。
「それはそうなんだが・・・毒入りのお茶を飲んで死ななくちゃいけないなんて怖いだろ、普通。それに、どこが父さんの方法と違うっていうんだよ」
クニヌシは拓海の耳元へ口を近づけると、誰かにも聞かれないように拓海に回答した。
「そんな便利なものが存在するんだ・・・それが持ってくることが出来れば、滅する必要はないんだな?」
「ああ。アレは人の手でなければ持ち上げることができないのが難点だ。冥界に足を踏み入れる者は皆、霊体である。つまりだな、アレは霊界に踏み込める人間でなければ持ち出すことは不可能、ということ」
拓海の頭の中では、本物の勇者を待つ石に刺さったスクスカリバーをイメージしていた。胸がときめいている。
「それってもしかして・・・アレというのは・・・剣、だったりする?こう石にさ」
拓海の考えていることを想像できたクニヌシは、拓海の期待をあっさりと切り捨てた。
「いや全然。」
読んでいただきありがとうございます。中二心は誰しも持っているものだと思います。




