第88話 鎮守の森にて その2
クニヌシの後にモノカミと夏樹が続き、神社の本殿の更に奥へと歩いていった。
本殿の背後にはびっしりと木々が立ちはだかり、その奥へ歩いていける道は見当たらない。
ところが、クニヌシがある場所までたどり着くと、森は淡く光る灯篭で照らされた小道を映し出した。
「夏樹は初めてだったな。ここからが本当の本殿へと続く道。白鳥家に生まれても、一生たどり着けない者も多いが、淳之介と文乃は別だ。淳之介は最近知ったそうだが、文乃は幼い頃からナギ様の元へ出向いて周囲の浄化に務めていたそうだ」
夏樹は普通に生きていれば知ることもなかったであろう、この不思議な世界に畏怖を感じていた。
自分はとんでもない人たちと一緒にいたのだ、と彼女が今更ながら感じるのも無理はない。
「こんな・・・道があるなんて」
先ほどまでの日差しと高い湿度、気温はどこに行ったのか、季節が変わってしまったかのように森の中はひんやりとしている。
灯篭の灯りは暗く、気をつけていないと道を見失いそうだ。
夏樹の視線に気づいたモノカミは得意げに答えた。
「僕は目が見えなくても道を知ってるから問題ない」
「まだ何にも言ってないよ、私」
「そう聞かれたような気がしたんだよ」
先を急ぐクニヌシが歩みの遅いモノカミと夏樹に、早く来いと手招きしている。
迷路のように複雑な道筋ではないが、一人になったら二度とこの森を抜け出すことができないのではないか、と不安にさせるものが森にはあった。
「ちょっと急いだほうがいいね。走っても平気?」
「もちろん。僕はなっちゃんに合わせて歩いていたんだからね」
悪戯っぽくモノカミは笑うと、夏樹の手を引っ張り、呆れ顔のクニヌシの元まで走って行った。
風も吹かない静かな森の中に不似合いな、明るい笑い声と駆ける足音が響く。
神聖な場所には違いないが、一行はピクニックにでも来ているかのように、それは賑やかな様子でナギの寝床へと向かった。
そして、三人の目の前にようやく大きな岩と、その周りで湧き出る岩清水のほとりが現れた。
ここは暗闇から解放され、木洩れ陽の下で清水の水面がキラキラと輝いているという別世界のよう。
「なんて・・・きれいなの。ねえ、あのお水、飲める?」
「ああ飲めるとも。今はもう浄化されて美しいものだ。どこから来ている水かは知らんがな」
「知らないことあるのね、クニヌシにも」
この国には八百万もの神々が存在するのだから、海からやって来たクニヌシにはあずかり知らぬこと。
いつまでも女子会のように三人が雑談している最中、遅れてやって来たのは、双子のユリアとウララだった。
「あらあら、なんだか楽しそうですこと」
岩清水の風流な音色にほだされて、すっかりくつろいでいる三人の元へ姉妹が長い銀髪をなびかせながら姿を現した。
「折角ですから、お姉様もご招待されては?」
ユリアがそう言うと、妹のウララも花が綻ぶように微笑み頷いた。
「お二人のお姉様?まさか、行方不明と言われていた・・・」
随分長い間、祠にも戻れず、この岩からも出ることが出来ずにいた、あのナギの事である。
湧き出る清水に濡れた岩場へウララがゆっくりと近寄り、二言ほどを何か呟くと、岩の中心から淡い光が漏れ始めた。
(うわあ・・・かぐや姫みたい。きれいな光・・・)
初めてのナギの登場に夏樹はおとぎ話の1シーンを見るように、胸をときめかせていた。
「おやおや、皆様お揃いで」
光の中から現れたのは、燃えるように赤い髪の小さな少女。
ウララの手のひらにひょいと乗ると、草地の上に座っていたクニヌシたちの元へ行くように、ナギはウララに言った。
「この度はクニヌシ様には大変お世話になりました。本当に助かりましたわ」
今度は、ウララの手のひらからクニヌシの差し出した手のひらへと軽やかに移動するナギ。
クニヌシの短くなった髪を見て、泣きそうな顔になった。
手のひらの小さな愛らしい神を見るクニヌシの眼差しは優しい。
「ナギ様、この髪がお役に立てて嬉しいのです。ここには文乃がおりますから、霊力の補完には十分でしょう」
ナギの岩場が荒れていたのは森の周辺をうろついていた黒い影のせいだったことは明白である。
その黒い影がクニヌシの兄ワカヒコであったことが判明し、まずクニヌシは元凶である兄を森から遠ざけることにした。淳之介と文乃の助力もあり、周囲に影響を及ぼさない土地に隔離することに成功したのがつい最近のこと。
悪い影響を及ぼす存在を排除した後は、穢れてしまった岩清水の清浄化を必要とした。
しかしながら、ワカヒコは意図的ではなかったにせよ、その影響力は絶大だったためにクニヌシの浄化の力を持っても戻すことが叶わなかった。
読んでいただきありがとうございます。ナギ様は新キャラではありません。。。最後に登場したのがいつか思い出せないくらい前のことですが。