第85話 拓海の告白
俺と夏樹が過ごした最後の三日間はあっという間だった。本当にびっくりするくらい。
どの面下げて白鳥神社に出向いたんだ、と改めて思い返すと、我ながら噴飯ものだったことは重々自覚している。でも、人間、腹をくくると物事をシンプルに考えることが出来るらしい。自分の望みがクリアになって素直に行動出来たってことを、母さんに話してやりたくなるくらいだ。
俺にしては上出来の三日間だった。夏樹と喧嘩別れのまま口も聞かずに別れるなんて、最悪の結果を招くこともギリギリのところで回避できたんだから。
あの日、繋いだひんやりとした夏樹の手。俺の汗ばんだ手は気持ち悪くないかな?そんなどうでもいいことを考えながら、夏樹と家路を歩いた。悲壮感はこれっぽっちもなかった。なんだろう、心が穏やかだった、というか。
「今夜さ」
「うん?」
「花火。行こうぜ」
最後の赤い玉を使い、大人びた夏樹の横顔をチラ見。すごく可愛い、というか綺麗になってた。
「あ、小学校のグラウンドで毎年恒例になってる町内会のアレ?」
大きな黒目がちな猫目をさらに大きくして、夏樹は俺を見ている。まいったなあ。本当にまいった。俺は繋いだ手をぎゅっと握りなおした。
「そうそう。昔、うちの母さんと三人で行ったやつ。夏樹、覚えてる?」
「覚えてる!浴衣で集合ってみんなで約束したのに、結局、着てきたのは真面目な明日香だけだった時あったよね?明日香がふてくされちゃって」
あった、あった。俺は下駄痛いし、帯苦しいし、とグダグダ言って約束した浴衣を着なかった。男の俺はどっちでもいいんじゃないかと思っていたんだよ。
「俺はお前は着てくると踏んでたんだけどな〜」
「馬鹿ね、折角、私が気を利かせてあげたのにー」
そんな気遣い、小学生がすることかよ。今になって、そんな裏話を聞かさるとはね。心が痛くなるからやめてほしい。あの日の夜も、俺も夏樹も浴衣なんて持ってないから、二人はいつもの服で花火大会に出かけた。
出かける前は夏樹も結構はしゃいでいたんだけど、学校のグラウンドに着く頃には言葉が少なくなって、夏樹はしんみりと校庭を見渡してたっけ。俺たちは設置された観覧席から離れ、校庭の桜の木の下に座って、二人きりで夜空を見上げた。
パーンと一瞬の閃光を放った後、大輪の花がゆっくりと散るように、空に花火が流れ落ちて行く様は美しい。消えて行く花火を上書きするように、続けざまに打ち上がる光。夏樹はじっと、ただ空を見上げてたのが印象的だった。
全ての花火が終わった時、辺りに火薬の匂いがふんわりと漂って、夜空は白く濁っていた。夏樹の方を見ると、あいつも俺に顔をゆっくりと向けてきて、嬉しそうだった。その顔が可愛くて、いじらしくて、どうしようもなく好きだという気持ちが高ぶってしまった、と言い訳しておこうか。
俺は両手で夏樹の顔を包み込んで、そのまま夏樹にキスをした。初めてにしては、自然と二人が阿吽の呼吸で達成できた、と思う。
ただ、俺は男だから、一度、唇に触れてしまったことで、これまで隠していた自分の想いなのか性欲なのか分からないが、キスごときでは収まらない衝動に駆られたことを正直に言っておく。
二人の間に隙間なんかどこにもないだろうってくらい体を密着させ、夏樹は俺にしがみつくように抱きついてくるものだから、我を忘れたように、俺も抱きしめたしキスを何度もした。夢の中の出来事みたいで、どんなキスをしたかなんて覚えてない。ぎこちなかったんじゃないかと思う。
強い衝動を抑えながら、ひとしきり夏樹を抱きしめた後のこと。気持ちを持ち直して、祭りに誘うつもりだったんだが。
「私は・・・拓海の初めての人になりたい」
確かに、俺はキス&ハグ以上の要求が体の中で駆け巡っていた訳だが、それだけは必死に抑えようと努力していた。花火大会の会場だから、という場所の問題だけじゃない。夏樹と俺とでは、欲求も快楽も一方的なものになってしまうからだ。それに、体まで繋がってしまった後で別れるなんて、俺も辛い。のに、夏樹も酷なこと言うものだ。
「でも、お前」
「分かってる。私の体は偽物。痛みも快感も、体感できることは何もない。それでも、拓海の初めてを誰にも渡したくないの。これは私のエゴ。誰のためでもなく、私自身のための願い。ダメかな?」
男前の夏樹が先に言ってしまった。俺が自重している間に。なんということだ。
「それは・・・男の俺のセリフなんだけどな」
冗談ふかしている場合ではない。夏樹はニコリともせず、俺の快諾を待っている。
快楽を考慮する必要はあるのか?ないより断然あった方がいいことくらい理解しているが、ポイントはそこじゃない。目的はお互いの最初の人になるということ。だから、いいんだ。多分。俺はきっと泣いてしまうんだろうけど、嬉しくて悲しくて。
「俺も夏樹の初めての男になりたい。誰にもそれは譲れない」
その時の夏樹のはにかんだ顔が忘れられない。それから、俺と夏樹は、祭りの喧騒を背後に聞きながら、家に戻ることにした。童貞なものですから、高まる期待と不安とがごっちゃ混ぜになって一人熱くなっていたのは仕方ない。
家に着いた時点で、俺に余裕はこれっぽっちもなかった。暴発寸前だったと言っていい。
読んでいただきありがとうございます。快楽を伴わない性行というのは、やはり寂しいのですが、目的が快楽でなければ、またそれもアリなのかもしれません。私見ですが。