第80話 訪問者
騒がしい淳之介の家とは対照的に、ここ拓海のマンションの部屋は暗闇と静寂に包まれている。
拓海はモノカミと夏樹を部屋から追い出し、一人で駄々っ子のように地団駄をふみ、ひとしきり暴れた後、疲れ切り、こうしてベッドの上で仰向けに寝転がっていた。クニヌシに諌められ少し落ち着いてはいるが、そのクニヌシも白鳥神社の母屋で文乃を癒し中であり、ここにはいない。
ぼんやりと見上げる天井は暗く、ほとんど視界に入ってこない。時折、拓海の虚ろな目に映るのは、物言わぬ消え入りそうな浮遊霊くらいである。何を思ったのか、拓海は霊に微笑んだ。
「誰だか知らないけど、今夜はお前でもいてくれて、なんか嬉しいわ。俺、終わってるな・・・」
人の子からの微笑み、いや苦笑いに霊は恐れをなしたのか、拓海の歩み寄りも虚しく、天井からどこかへ消えてしまった。
「こっちが友好的に笑いかけたら逃げるとは、どういう了見だ。まあ、なんだ・・・」
窓の向こうから差し込んでくる街の灯りに目をやると、拓海はベッドから起き上がり、重い頭をふらふらさせながら、灯りに導かれるようにゆっくりと窓へ近づいた。ガラスの向こう、夏樹がいるであろう白鳥神社の方角を見つめる。
その時、背後に気配を察した拓海は、恐る恐る振り返った。
「やあ、拓海」
父親登場である。もう人と呼んでいいのか分からないオーラと優しげだが龍を従えた父親。
「父さん・・・」
梓はニッコリと息子に笑いかけ、真っ暗な部屋を見渡し、やれやれといった様子でマジックでも見せるかのように、宙で指をパチンと鳴らす。スイッチに触れることなく、部屋の照明が全てオンになった。急に明るくなった部屋の中、拓海は眩しそうに目を細め、左目で愉快そうに立っている父親をにらんだ。
「そんな顔するなよ。外はもう夜だぞ。部屋に電気もつけないで物思いにふけっている息子を見るのは忍びないもんだ。夏樹ちゃんは?神々はどうした?また喧嘩でもしたのか?」
「どうでもいいだろ、そんなこと。で、何しに来たんだよ」
拓海のそっけない返事にも動じることなく、梓はすっと右手を拓海に差し出して言った。
「お前を迎えに来たんだよ」
「あっさり言ってくれるじゃないか、父さん」
これまで死んだものだと思っていた父親が実は生きていて、その実、母親とも定期的に自分の知らないところで会っていた事実もさることながら、透き通るように美しいクリスタルの龍を携えている、この父親が自分をどこに連れて行くというのだ。街灯で明るい夜の街が見える窓から、父親の方へ拓海は向き直った。
「話が飛びすぎて、何を言ってるのか全然分かんないんだけど?幽霊退治にでも連れて行くつもり?」
「そうだな。そう思われても仕方ないか。言葉が足りなくてすまんな」
「すまない、って顔してないだろ・・・どちらにせよ、俺は父さんとはどこにも行かないよ。今はそれどころじゃないんだ」
少し困った顔をした梓は、とりあえず差し出した右手を引っ込めた。部屋に父親が立っている光景は、拓海にはどこか懐かしさを感じながら、同時にそれを忌々しく苛立ちも覚えた。
「お前も19歳。そう簡単に全部を捨てるなんてことは難しい話だよな。当然だ。だが、こちらも準備ができた。あとは、拓海。お前の本来の力が必要だ。父さんに協力して欲しい」
(全部捨てる?何をしようとしてる?何の話なんだ、これは)
梓の話す言葉が異国のものに聞こえるほど、拓海には全く持って理解不能だが、何となくだが空恐ろしいことのようにも聞こえた。拓海は父親の言葉を思い返し、冷静に頭の中を整理しようと試みるものの、自分の置かれている状況が分からず無言で立ちすくんでいた。
「よし。話をしよう。その前に夕食を一緒に取りながら、っていうのはどうだ?悪くないと思うが、どうだ?」
困惑と疑惑で固まっている拓海を置いてきぼりに、梓は台所へ向かい、出前のチラシはないのかとウロウロと探している。現時点で父親の言う通りにするつもりはなかった。が、梓に聞きたいことは山ほどある。
「そこじゃないよ。そう、そこの引き出しに寿司とかピザとか番号が載ったチラシが入ってる。俺は何でもいいよ。父さんの食べたいものを選べばいい」
「あったぞ。そうだな〜じゃあ、寿司にしよう。お前、わさびは大丈夫か?」
「大丈夫だよ!もう子供じゃないんだから・・・」
「だな」
駅前に昔からある寿司屋のチラシを片手に、何とも嬉しそうな顔で梓は拓海に顔を向けた。拓海には、子供の頃に失踪した父親にぶつけたい言葉や思いがある。それでも、この何気ないやりとりが拓海には嬉しくて、そして楽しかった。
(どんな理由があったかは知らんが、まあ、こう言うのも悪くないもんだな。悔しいけど)
読んでいただきありがとうございます。主人公のはずの拓海、その父の久しぶりの登場です。




