第7話 藍色の少年
雲一つない夜空のように澄み切っていた拓海の脳内に、それは稲妻のごとく雷鳴した。
「その幼女! 俺が育てるのか?」
風のない静かな夜の静寂を破るように、真っ暗な部屋で拓海は叫んだ。目をバッチリと見開き、ガバッと起き上がった。
部屋も外も静かである。
もう遅いのだ、とクニヌシの声が聞こえるような気がした。
「十二歳の女の子と同じ屋根の下で、俺にどうやって暮らせと? あぁ……クニヌシに色々聞いておけばよかった」
クニヌシが姿を現わす気配もない。
もう眠りにつける気もしない。
目はすでにバッチリと冴えている。
また布団にもぐり、羊水の中の赤子のように体を丸くして、目をぎゅっと閉じてみる。
これから起こるであろう色々なことが、懸案事項として浮かんでは消えの繰り返し。頭の中でドーパミンが沸々と湧き上がって興奮状態にあった。
「眠れる気がしない……」
ベッドサイドのテーブルからスマホを引き寄せ、布団の中で画面をタッチすると、眩しい光に目を細めた。
どうやら、まだクニヌシと別れてから二時間も経っていないことを知り、溜息を吐くと、スマホをまたテーブルに戻した。
ーー来てくれないかな。
「眠れぬようだな」
「クニヌシ!」
救世主が現れたとばかりに、嬉々としてベッドから飛び起きると、短髪のクニヌシの姿に思わず抱きついた。実体化したばかりのため、当然、裸体である。
怖い夢を見ていた子供が親にすがるように、無防備に腕を回してきた拓海をクニヌシはやれやれと言って、拓海を抱き寄せ、髪を優しく撫でた。
「怖いのか?」
「そういうわけじゃないけど……ただ、俺に子供を育てる甲斐性なんてないし」
「今、考えても仕方なかろう」
クニヌシは拓海の言葉を遮ると、腕の中で顔を埋めている拓海の頭頂部に顔を近づけ、一言二言そっと呟いた。
すると、拓海はそのまま体をぐったりとクニヌシに預け、深い眠りに落ちた。
「よい夢を」
クニヌシは重くなった拓海の体を、ゆっくりとベッドに戻す。拓海の深く吐きだす寝息にクニヌシは安堵し、ベッドサイドを立ち上がると、ニコリともせずに部屋をぐるりと見渡す。
部屋の隅や天井付近には弱々しいが、色んなものがふわふわと漂っていた。街灯の光に吸い寄せられる蛾のように、近寄れないくせにクニヌシから発光するオーラに魅かれ、この部屋にとどまっている妖や霊の類だ。
「もう己が場所へ帰るがいい。ここには来るな。浄化されたくなければな」
物言わぬ低俗な妖は、クニヌシの穏やかな声と真逆の存在感を示す微笑みに恐れを感じ、奇妙な声を低く響かせて立ち去った。
クニヌシは休むことなく五感を研ぎ澄ませ、部屋中に意識をめぐらしている。
朝には完成しているであろう死人の女児を滞りなく迎えるために。
霊感の強い拓海の元には、クニヌシに寄ってきた妖とは別で、言葉も話せぬ人や動物の低級な霊や、もとからここに住むついている妖がそれは多く浮遊していた。
害のなさそうな存在は眼中に入れず、時折、強い意志を持って威嚇することで、近づけさせなかっただけで、クニヌシのように浄霊はしてこなかった。
正確には、その方法を知らなかった。
「あとはモノカミの出番だな」
白い装束を纏ったクニヌシは、首にかけてある勾玉の一つを擦った。アラジンのランプの精のごとく、琥珀色の勾玉より、男、いや少年が現れた。
「もー待ちくたびれましたよー」
濃い藍色の髪をした少年はモノカミ。
髪の色と同じ藍染の作務衣の様な上下を着ている。
「思いの外、住み着いたやつらが多くてな。あのような状態で憑依もされずに、これまで平穏に暮らしておったわ」
細い腕を胸元で偉そうに組んで、モノカミは感心している。
不自然なほど部屋の中も外気からも、小さきものたちは一掃されていたのだから。それは恐ろしいまでに清浄な空間となっていた。
「クニヌシ様の掃討は毎度毎度、容赦ないですね!」
「俺は優しい方だと思うんだがな。ともかく、後はお前の腕にかかっている」
モノカミはベッドで寝ている拓海の側にスタスタと近づく。
嫌な夢でも見ているのか、眉間にしわを寄せて寝ている拓海の顔の匂いを嗅ぐように、思いっきり覗き込みながら小声で言った。
「分かってますよ」
一仕事を終えたクニヌシは窓際にもたれかかり、何も言わず二人をただ見ている。窓から差し込む月光が逆光となり、顔に美しい陰影を作り出していた。
「こんなことしちゃって大丈夫なんですか? 僕は面白いからいいけど」
ぺろっと舌を出してモノカミは悪戯っぽく笑い、上目遣いでクニヌシを見遣った。
モノカミは覗き込んでいた体を真っ直ぐに戻すと、相変わらず寝苦しそうにしている拓海を見下ろす。そして、胸元から鎖をたどり寄せ、古びた懐中時計の盤面を人差し指でゆっくりと撫でた。
月の光に照らされた長いまつげで影ができたモノカミの横顔と、ブロンズ色した丸い時計に刻まれた細かな装飾は、これから起ころうとしている奇跡をより幻想的に演出している。
「荒っぽいことを優しくやっちゃうクニヌシ様が僕は好き」
「無駄口は後だ。もう二時を回ったぞ」
手に握っていた懐中時計を大切そうに胸元にしまいながら、モノカミはニヤッと笑った。胸元の合わせをぎゅっと握り、興奮気味に呟く。
「んじゃ、さくっと連れてきますか」
読んでいただきありがとうございます。
次は蘇りの回となります。モノカミが腕をふるっております。