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常世の国のシトラス  作者: くにたりん
第六章
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第64話 セピア色の彼方

「俺には兄がいるんだが、名をワカヒコという。昔から用もないのに、この現世うつしよに来ては人の中で暮らしておった。それは良いのだが・・・兄者は人と恋をし、遂には子が生まれた」


「素敵な話に聞こえるけど、それは事件と関係があること?」


「ああ・・・。まず、説明しておかねばならんな。兄者の子というのは、お前もよく知っておるやつだ。今日、両親の家に共におもむいた男、梓のこと。まあ、俺の甥っ子というわけだ。となると、拓海は俺の姪孫てっそん。あいつからすれば、俺は大叔父おおおじとなるか」


事件の謎を聞くつもりが、拓海の知られざる家系を知ることになり、夏樹は驚きと戸惑いを同時に感じている。


「えっと。拓海はクニヌシ一族の直系っていうこと?」


「そういうことになる。それから、俺たち兄弟の本来の姿は人ではない。梓は兄者の子ではあるが、母方の方が強かったのか、変化へんげすることはないようだ。だが、拓海は梓より色濃く、兄者の血を受け継いでいるように思う。いずれは・・・」


何故か夏樹は梓の腕に巻きついた白い龍を思い出していた。そして、先ほどから淡々と話しているクニヌシの顔をふと見ると、クニヌシの瞳にはいつものような輝きが消えている。それほどに兄が深く関与しているということなのか。


「拓海が言ってたのを思い出したよ。亡くなったお祖母ばあさんは一人で拓海のお父さんを育てたけど、消えた旦那さんのことを一度だって悪く言ったことはないって。お祖母さんは、お兄さんのことを本当に好きだったみたい、って。でも、そんな人がどう関係してるの?」


クニヌシは静かに立ち上がると、以前、夏樹が寝ていた奥の部屋の隅にある細長い書棚に歩き始めた。書棚の前に来ると、クニヌシはしゃがみ込み、迷うことなくスッと一冊の古ぼけた小説を取り出す。中に挟まれていた1枚の紙を見つけると、また夏樹の元へと戻ってきた。


「これは御祖母様が亡くなった時に、拓海が海辺の家から持ち帰った写真だ。まだ、兄者と出会う前の御祖母、洋子様だ。可憐だと思わんか?梓は兄たち二人が撮られた写真を持ち歩いているようだ。飄々(ひょうひょう)としておるが、あれはあれで寂しいのだと思う」


クニヌシに差し出されたセピア色の写真に写る洋子は、華奢で物静かな雰囲気を持つ、クニヌシが言う様に可憐な少女だった。拓海が正月やお盆になると喜び勇んで、あの海辺の家へ一人で帰省していたことを夏樹は思い出し、心が和んでいるのを感じた。


「ますます分からないよ。拓海のお祖母さんは素敵な人で、その人が愛してやまなかった、あなたのお兄さんもきっとおばあさんのことを愛していた素敵な人だったはず。なのに・・・どう繋がるのか、そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」


クニヌシは、話を伸ばしているつもりはなかったが、話しづらいことではあった。夏樹の前に、また坐り直した。


「すまんな、順を追って話すのがよかろうと思ってな。俺も兄者のことは言えない身だが、俺たちのような神に仕える眷属神が現世うつしよで子をもうけるなど、あってはならんことなのだ。先ほども申したが、我々は人ではない。そのような特殊な子がこの世に生まれるということは危険であろう?故に、ワカヒコは常世の国から追放され、神徒しととも離され、この世で生きていくことになった。選んだ、といった方がいいのかもしれんが」


「神様ではなくなったかもしれないけど、それってハッピーエンドにならない?」


「確かに。梓に見せてもらった写真の二人は本当に幸せそうであった。せいぜい数年の間のことだろうが、兄者はまごうことなき幸せを手に入れたと、俺も思える」


「どうして数年しか幸せじゃなかったの?」


クニヌシは夏樹に分かるように、この世のことわりとは異なる、自分たちの世界のシステムを話し始めるのだった。


自由に海を渡り、数々の時代をまたにかけ、人の世界を歩いてきたワカヒコ。この現世うつしよの均衡を崩す恐れがあるため、この世に子孫を残してはならない、と天界で戒められていたにも関わらず、その禁忌を犯してしまった。その罰はシンプル。二度と常世の国には戻れないというもの。それはクニヌシたちにとって死と同義であった。


「ずっと人の姿でいるというのは、無理なのだよ。本来いるべきではない場所で人としているには、それ相応な霊力を費やすことになるのだから。神徒しとの役割は様々だが、現世うつしよに渡ってくる俺たちには、癒しと霊力を補完してくれる使いが必要だ。しかし、それは高位な存在であればこそ使役できるという、神から与えられた権利。追放された身には、当然、神徒たちとの契約も終了だ」


「お兄さんは、人として生きていくための霊力を補完できなくなったのね。じゃあ、どうなるの?」


「人としての形を保てなくなるだけでなく、この世界の悪い影響を受けやすい俺たちは悪霊化しかねない」


クニヌシはワカヒコのことを思いながら話していた。夏樹は、眷属神だった地位を剥奪され、霊力も失えば、意図的ではなくとも、人に害なす悪霊と変わってしまうことを理解し、おぼろげながら、ことの顛末てんまつが見えてきたようだ。


「だとすると、お兄さんは残りの霊力でなんとか数年は人として過ごし、その後は悪霊となることを恐れ、拓海のお婆さんと梓さんから離れ、ついには悪霊となった、と考えるべき?」


家族を無残に殺した、あの狂人の無差別殺人の裏には、この悪霊化したクニヌシの兄が関係していることは、仮定ではあるが、夏樹は無関係ではないことを確信していた。娘の誕生日プレゼントを持ち帰っている普通の会社員が、ワカヒコの邪気に当てられたと考える方が自然だったからだ。

読んでいただきありがとうございます。シリアスモードが続いて恐縮です。。。

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