第60話 我が家の浄霊
「夏樹ちゃん、もう一度聞くけど、本当にいいんだね?」
晴れた空とは真逆に、感の強い人間ならば寒気を感じ流であろう膨大な妖気で覆われた、かつての夏樹の家の前。夏樹は冷たい体の奥から玉に宿った煉獄の炎の熱さを確かめ流ように、自分の胸のあたりに手を当てた。
「はい・・・救えるとしたら、これが最後のチャンス」
得体の知れない恐怖と、懐かしい我が家、そして中にいる変わり果てた両親への郷愁が複雑に入り混じったまま、夏樹は錆び付いた玄関のドアに手をかけ、ゆっくりと引いた。お化け屋敷の定番のようにギイィと嫌な音が響く。
「鍵。掛かってない」
「うん。以前は掛かっていたんだけどね。近所の子供達が肝試しに中に入ろうと、無理にこじ開けたらしいよ。ところが、中から轟く低いうめき声を聞いて、怖くなったんだろう。一目散に逃げていったそうだ。それ以来、誰もここには近づかない」
「廊下の奥から聞こえる、この声ですね」
外から見られないように、しっかりとドアを閉めると、昼間だというのに、家の中は光を拒絶するように真っ暗な闇となっていた。夏樹が見やる先には、居間へ続く廊下に黒い影が二つ。夏樹たち二人を凝視しているのを全身で総毛立って感じる。
「あれが、お父さんとお母さん?」
「うん。残念だけどね。僕には浄化する能力があればなぁ・・・。どうしたものか、と思っていたんだが」
「拓海の家を張っていたら、偶然、私を見かけ、この体に入っている玉を知った、と」
梓はハットを被りなおすと、苦笑いした。
「うん。君はどうも、人としては清浄すぎた。で、興味が湧いたもんだから」
両親が惨殺されたと聞かされた時、自身も同じように殺されたんだろう、と夏樹は悟っていた。そして、拓海が夏樹を求めたことで、今、こうして生かされ、ここにいるだと思うと、両親も安らかに眠って欲しい、そう思わずにいられない。あの日、梓と駅前で会ったことも必然だったのかもしれない。
廃屋とはいえ、かつて知ったる我が家であり、また梓にとっては家族ぐるみで付き合った友人宅を土足で上がることに、二人は躊躇した。だが、殺人現場で、しかも10年前の家の中のこと。何が転がっているかも分からない。二人は顔を見合わせると、静かに一歩を踏み出した。
黒い物体は二人を、いや夏樹の中にある玉を嫌がるように、低い唸り声をあげて一番奥の居間へと後ずさっているのが分かる。梓は夏樹の手をしっかりと握り、廊下に転がった障害物を避けながら、だらりと開いた扉の先にある居間まで進んだ。
「お父さん、お母さん・・・私・・・戻ってきたよ」
(霊としては低俗な部類だ。浄霊してやるには、夏樹が二人を取り込み、体内にある玉の炎で負のエネルギーを全て焼き尽くすしかない。しかし・・・)
真っ黒な靄に包まれ、姿かたちを失った両親を受け入れようと、懇願するように夏樹は居間の真ん中で両手を広げ、二人が向かってくるのを震えながら待っている。梓は、もしもの時のことを想定し、手首の腕輪に口づけするように呪文を唱えると、使いであるクリスタルの龍を召喚した。
「清いお前には悪いが頼みたいことがある」
「なんなりと」
「もし、あの子が悪霊に取り憑かれそうになった時は、お前の力で彼女と霊を引き離してほしいんだ」
梓を包むように巻きついた美しい使いの龍は、お安い御用と言わんばかりに、主から軽やかに離れた。両手を震わせて座り込んだ夏樹を見守るように、体内から光を放ちながら少し離れた場所で待機。
両親の霊は夏樹のことも分からないのだろう。ただ、殺された時の恐怖と痛み、苦しみに囚われたままに憎悪と無念の中でもがいているように見えた。夏樹もそんな姿の両親を受け入れるという状況に恐怖を感じている。だが、それよりも二人を救ってやりたいと思う気持ちの方が強い。悪霊に対する最初の怯えは、いつしか両親をこの腕で抱きしめたいと思う気持ちに変わっていった。
「苦しかったよね。辛かったよね・・・痛かったよね?でも、もう終わりにしよう?ね?」
夏樹の言葉が届かない。攻撃をしてこない夏樹に憎悪をぶつけるように、両親の霊は別々に夏樹の体に容赦なくぶつかってきた。夏樹の体は人のそれとは違うものだが、ぶつかってきた箇所のあちこちが、どす黒く痣を作っていく。夏樹は倒れないように、両手を広げた姿勢を必死に保とうと頑張った。
体当たりするしか方法を持たない霊を夏樹から退けようと、何度か、梓は一歩を踏み出したが、その度に、気配を察知した夏樹が大丈夫だと、梓を近づけさせなかった。
「・・・その怒りは全て私が受け止めるから!ここに飛び込んできなさいよ!」
母親と思われる女の声で、霊は呪ってやると呟くと、両親の霊は揃って、夏樹に目がけ、夏樹の言葉どうりに飛び込んできた。クリスタルの龍は即座に二人の霊の背後を取るように、夏樹と霊を挟み込むように回りこむ。
夏樹の姿まで闇に覆われてしまうのかと思うほど、飛び込んできた両親の黒い憎悪で膨らんだ大きな物体を夏樹は両手でしっかりと受け止め、愛おしむように抱きしめた。この家にたどり着くまでの間に、梓に言われたように、夏樹は両手で二人の闇を逃さないように抱きしめ、一度大きく息を吐き出すと、一気に闇ごと口から吸い込んでいった。
(よし、ここからだ。一度吸い込んだら、後は流れ込むように入ってくる。その後は、夏樹ちゃんが取り込まれないことだけを祈るしかない・・・拓海、すまない)
読んでいただきありがとうございます。少し日が空いてしまいましたが、連休は頑張ります!