第6話 クニヌシの憂鬱
商店街を抜けると、時代に取り残されたように、街には不似合いな小さな森がある。街灯がぽつぽつと続く通りに存在し続けている、人の手入れが行き届いた祠が奉られていた。
祠の前で膝を折ると、いつものように手をあわせた。
『拓海。おかえりなさい』
祠が淡い光でぽおっと明るくなると、そこから子どもの姿をした神様がひょっこりと現れた。
小鳥の巣箱のように小さな祠の中で、愛らしい顔立ちとは対照的に、燃えるような真紅の髪は体を覆うほど長く、まばゆく白い光を放つ衣には、淡い七色の文様が生きているように動いていた。
『ただいま。今日は暑かったよ』
女児の光に照らされた拓海は心で呟いた。
その光は眩しくない。むしろ、体を丸ごと包むように優しく、心地よい波動を感じさせるものだ。
『そう。いつも来てくれるおばあさんも辛そうだったわ。ちゃんとお家に帰れたのかしら』
『ナギは優しいな。きっと大丈夫だよ。みんなの守り人にお参りに来たんだから』
祠の中の女児は微笑んだ。
拓海がすくっと立ち上がると、祠の背後に広がる真っ暗な森の中に目を留める。目の先には、陽炎のような揺らめきが見えた。
まるで対峙するかのように、拓海を見ている気がした。
怪しげな影は、祠を今にも覆い尽くそうだ。
心配そうに見上げるナギの視線に気づき、拓海は祠を覗き込むようにして、ナギに笑顔を見せた。
『どうか夜道に気をつけて』
『ありがとう。ナギの加護が俺にはあるから心配ないよ』
『うふふ、それはようございました』
幼い風貌に似合わない、大人びた言葉でナギは答えた。
姿は幼女なれど、ナギは土地神。
街の発展とともに、少しずつ削られてしまった、かつての山を、人々を、見守ってきたのがナギだ。今では、祠に手を合わせる者も少ないが、拓海はわずかな訪問者の一人だった。
「結局、クニヌシは帰ってこなかったな」
一人焼肉を堪能した後、三本目の缶ビールを飲みながら、スーパーで涼しげに微笑む神をぼんやりと思い出していた。腹が満たされると、思いのほか疲れていることに気づいた。
「さっとシャワー浴びて寝るかな」
「待たせたな」
拓海の背後から声がした。
「つーか、待ってないし。後、玄関から入ってこい」
「そう怒るな」
そこには、漆黒の長い髪を日本神話のそれと同じ、美豆良スタイルにした霊体のクニヌシ。スーパーでは間違いなく実体化していたが、どこかでまた霊体に戻ったということ。
「あ。まさか、どっかに俺の服を放置してきたんじゃ……」
「すまなんな。代わりに渡せるものは、この装束くらいなんだが」
「お、それは興味ある。けど、人の子には触れないって言ってなかった?」
試すつもりで伸ばした指先は、衣の襟元に結ばれた胸紐に自然に届いた。
「あれ? 触れたけど?」
クニヌシは一瞬、目を大きく見開いたが、何か思い巡らすように黙り込んでいる。
そして、指先にクニヌシの手が重なった。
「難儀なことよ」
そう言うとクニヌシは一歩下がり、体をゆっくりと離した。
「さて、あれから数日たったが、心の準備は出来たのか?」
クニヌシのよく通る、だが静かな声にハッとして、拓海はリアリティを取り戻す。バツが悪そうに、眼鏡の奥で目をパチパチと瞬きをしながら。
「夏樹を甦らせてくれるって話?」
「いかにも。始まれば後戻りはできんぞ」
「…………」
「最後にもう一度だけ尋ねる。お前の願いは変わらないのだな?」
拓海は即答した。
「ああ」
「承知した。では、明朝。お前の願いは叶う」
「……どうやって?」
拓海は自らが口にした、背徳とも言える願いが現実となることに恐れを感じ始めている。
「死者を生き返らせるなんて、やっていいの……?」
「お前が願ったことではないか」
警報を鳴らすように頭の中にキーンと音が響き、こめかみが痛みでうずいた。
「何を狼狽えている?」
「会えるのは嬉しいけど……」
「お前が何を思い悩もうと、契約は成立している」
拓海は顔を少し歪ませ、頭をゆっくりと上げた。
時計は午後十一時を指している。
「俺は何をすればいい?」
「何も。明日の朝になれば分かる」
いつになく淡々としたクニヌシの様子が気になるが、タンスからタオルを引き出すと、
「あーっそ。じゃ、明日のために、念入りに風呂でも入ってくるわ」
拓海は何でもない風情を装い、タオルを肩に掛けると風呂場へ向かった。
クニヌシの気配が途切れたことを感じとった拓海は、唇を一文字にきゅっと結ぶ。
生まれるということ、生きているということ、死ぬということ、その輪廻の輪に入るはずのない、生き返るということ。そんな都合の良いオプションが存在するのだろうか。
読んでいただきありがとうございます。
ここから本編かな、、、と思っています。
長いエピソードとなってしまいましたが、しばらくお付き合いいただけると嬉しいです。