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常世の国のシトラス  作者: くにたりん
第五章
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第59話 記憶の欠片

「あんまり、こっち見ないでよ。私も、まだ慣れてないんだから・・・」


夏樹はさらに成長し、残りの日々を19歳で過ごすことになったのだ。


背丈は以前とさほど変わらないが、体が全体的により女性的になり、華奢だった体の線は柔らかな曲線を描いている。童顔だった夏樹は明日香にも劣らない大人びた顔立ちに変貌を遂げ、拓海は凝視せざるおえない、といった様子で無意識のうちに目覚めたばかりの夏樹を見つめてしまっていた。


「あ、いや、その、あの・・・見てません」


拓海は真っ赤な顔で黒縁眼鏡を外すと、おもむろにレンズを丁寧にTシャツの端っこで拭き始めた。そんな拓海の様子に、夏樹は改めて成長した自分の体を見下ろしている。月に一度、成長する戸惑いも感じているのであろう。


「体だけは拓海より少し大人になったみたいね・・・ちょっと太った気もする」


「太ってなんかないよ・・・なんていうか、悩ましい、いや。違う!もう成人って感じ、かな。うん」


成人と言われても、夏樹には圧倒的に精神年齢と年相応な経験が不足していることは間違いない。体に心が追いついていないのだが、それは拓海にも言えること。視覚に入る大人びた姿と、子供の夏樹の記憶のギャップに困惑していた。


「じゃあ、私、行ってくる。お昼ご飯は一緒に食べようね」


「おう。しかし、俺の服でいいのか?」


さすがに中学生の文乃の服ではサイズが合わなくなっていた。夏樹はもともとボーイッシュなタイプ、とはいえ、20歳に近づいた女性な訳だが、化粧はしていないし、服も拓海のTシャツに短パンに、そしてクニヌシが愛用していたビーサンといういでたち。


「平気、平気。拓海は華奢だから、私も着れるもん。じゃ、後でね」


元気に出かけていく飾りっ気のない夏樹を見送りながら、拓海は若い娘らしい服を用意してやろうと思った。制服を一揃いしてやることを思えば、安いものだ、と。


さて、夏樹は神社への道も慣れたもので、住宅地の裏道をスイスイ抜け、柵の向こうから顔を出している犬の顔が見えてきた。いつものように鼻筋を撫でてやると、嬉しそうに鳴き、もっと撫でろと言わんばかりに限界まで鼻先を突き出してくる。


「ごめん、もう行かなくちゃ。また、明日ね」


そうして、祠のある参道の入り口までたどり着くと、ナギの祠に手を合わせた。


「ナギ様。早く戻ってきてくださいね」


夏樹はこの世にいる間にナギに会いたいと密かに思っているが、クニヌシたちの話によると、まだ祠に戻ってくるには時間が必要だという。少し急ぎすぎたせいか、祠の前で立ち止まって山道を見上げていると、背後に気配を感じ、夏樹は振り返ってみると。


「やあ。こないだは怖がらせてごめんね。また大きくなった?見違えたよ」


拓海の父、梓だ。生前、夏樹が両親と暮らしていた、あの家に連れて行かれた理由は結局のところ分からないまま。夏樹は神社に逃げようと、参道を駆け上がりかけたところで、梓の声に足を止めた。


「今、何て言いました?」


「ご両親を救いたくないか、と聞いたんだよ」


生前に起こった事件の記憶がない夏樹は、両親を救う、という意味が理解できなかった。ハットを目深まぶかにかぶった梓は、ニコリともせずに真っ直ぐ夏樹を見ている。夏樹は言葉の意味を確かめようと、参道に入る手前に立つ梓の元へ、ゆっくりと戻った。


「お父さんとお母さんは隣町に引っ越したって・・・拓海は言ってましたけど」


「そうか、君は本当に知らないんだね」


知るはずがない。夏樹の体の中にある赤い玉は、夏樹の悲しみ、憎悪、苦しみ、その元凶にある事件の記憶を浄化している。


梓は拓海が夏樹に話せなかった真実を自分の口から話すことに、少しためらっていた。が、あの晩、拓海の必死の形相を思い出すと、その役目は自分の方がいいか、とため息をつき、全てを話すことに決めた。


「拓海を恨まないでやってくれよ?あいつは君のことが好きみたいだから、話せなかったんだと思うんだ」


「私に話せないようなことがあるんですか?」


小さいながらも木々が覆った土地神の祀られたこの参道の入り口で、立ち話は危険だと梓は思い、夏樹に歩きながら話そうと、神社から離れることを進言した。夏樹も淳之介や文乃に知られるのは、良くないことのように思え、短くうなずくと、二人は駅の方へ向かって歩き始めた。


空は青く、夏らしく太陽が二人の頭上を照らしている。夏休みを満喫している子供たちが、二人の脇を駆け抜けていく。蝉の声も夏らしく、木立から響いてくる。どこを切り取っても、夏らしい朝の風景。そんな中で、二人はどちらから話し始めるでもなく、無言でしばらく歩いていた。


「あの・・・」


梓は隣を歩く夏樹の不安そうな横顔に目を向けた。


「怖いよね、僕が黙ってたら。ごめん。どこから話そうか、って考えてたんだ」


「私がこの体でこの世にいられるのは、あと3週間くらいしかないんです」


まいったね、と先制を取られた梓はハットをとると、髪をくしゃくしゃと無造作に乱すと、駅の喧騒の目の前に立ち止まった。


「君のご両親は惨殺されたんだ。そして、悪霊となって、今でもあの家にとどまっている」


夏樹は少し歩いた先で立ち止まり、梓の方を振り返った。あの晩、梓に連れて行かれた後、残像のように脳裏に浮かんだ凄惨な場面のかけらは、それだったのか、と夏樹は理解した。同時に、両親の荒れ狂った魂が、あの楽しかった我が家で今も淀んでいることに愕然とするのである。

読んでいただきありがとうございます。父、再び、です。

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