第56話 女の子の心理
「心頭滅却すれば火もまた涼し。ふうう」
「いやいや、暑いものは暑いだろ。少しだけクーラーつけようよ・・・神様っていうのは気温を感じないわけ?」
「じゃあさ、川に行こうよ、たっくん!」
「泳げる川なんかねーよ」
うだる暑さに拓海は何をする気も起こらない。が、クニヌシは大家さんにもらったという何やら立派な扇子で十分だと言う。モノカミは軽口をたたいた後、夏樹も出かけたところで僕は用無しなので、とサクッと消えた。そんな時のこと。
「拓海。ただならなぬ女の妖気を感じるのだが。お前、身に覚えはないか?」
「ないよー恨み買うほどモテてない」
「まあ、そうだな。だが、すぐそこに来ておるぞ」
ピンポーン。とチャイムが鳴った。クニヌシの言う妖気というか、なんとも言えない不穏な空気を拓海も玄関の向こうから感じていた。
「はい」
「私。明日香だけど」
(妖気か、なるほど・・・)
玄関の扉を開くと、そこにはいつになく顔色の悪い明日香が下を向いたまま立っていた。何事かと尋ねても答えない明日香。拓海は近頃ずっと明日香と会っていなかったために事情がてんで分からなかった。
「どうした?なんかあった?」
「珍しいね、私のこと心配してくれるなんて。拓ちゃんの方こそ、どうしちゃったの?」
(う・・・今日の明日香はなんか怖いな・・・)
「うち、めちゃくちゃ暑いけど、とりあえず入れよ」
この日は運良くも、部屋にはクニヌシしかいない。夏樹はプールに行った後から、何か奉仕させてほしい、と自分から淳之介に頼みこみ、白鳥神社の掃除のバイトを始めていた。とは言っても、午前中だけのことである。そう、明日香は朝も早くに拓海の家にやってきた。
「お水もらってもいい?」
「お、おう。冷たいやつ持ってくるから、部屋に入ってて。クニヌシがいるけど気にしないでいいから」
拓海が台所へ向かおうとした時、明日香から聞いたことのないような低い声で呟いたのが拓海に聞こえた。
「優しいね」
(俺のせい、なのか・・・?)
明日香が青白い顔で部屋に入ると、クニヌシが扇子で自分を仰ぎながら、高校野球を見るためにテレビの前に陣取り、中継前の朝の連ドラを食い入るように見ていた。
部屋に入ってきた明日香を見るなり、クニヌシは明日香から漂う負のオーラにギョッとした。
「明日香か。神社で会って以来だな。元気にしておったか?」
「ええ。クニヌシさんはお元気そうですね」
「雰囲気、ちょっと変わったか?悩みなら俺が聞いてやるぞ」
そもそもお前は誰なんだ、というのが明日香の率直な疑問である。いい人そうではあるが、拓海より年上の男性。幼馴染の明日香が見知らぬ男と拓海が、当たり前のように一緒に暮しているのもおかしい。明日香は訝しげにクニヌシをじっと見つめた。
「おいおい、そんな目で俺を翻弄しないでくれないか」
「え?」
「ふふ、お前は気づいておらんのか。己の危うい美しさを。憂いが加わり、むしろ魅力倍増ではないか」
先ほどまでは、妖気!とクニヌシが形容していたことは置いておいて、女の子とは不思議なもの。どんな絶望の淵に立っていても、外見を褒められると、割りかし、泣きながらも心の中で喜びも同時に感じることができる稀有な存在である。
「そ、そんなことないです。悩みはありますけど・・・」
時に、少しだけ心を許してしまったりする。
「拓海もそんなところに立っておらんで、こっちに来い。折角、明日香が家に来てくれたんだぞ」
キンキンに冷やしてあった麦茶と氷が入ったグラスを三つ置いたお盆を持ち、拓海はそれとなく明日香の様子を見るようにして立っていた。
「ああ。明日香、悩みがあるのか?珍しいな」
明日香は二人の会話を聞きながら、一方で部屋の中をざっと物色していた。繰り返し言うが、女の子は器用に二つのことを同時に実行できるのだ。
「悩み、あるよ。私にだって」
クニヌシは今の状態では明日香の本意は聞き出せないと判断し、とっさに拓海に茶菓子を買ってこいと命令した。
当然ながら、なんで俺が、となるのだが、なんとなくだが、この場を離れた方がいいのかも、と拓海も理由は分からずとも、クニヌシの意を汲んだ。
「分かったよ。アイスでも買ってくるわ」
「すまんな。気をつけて行ってこいよ。焦って転んだりするんじゃないぞ」
(俺は小学生か)
当の本人がいなくなり、これで明日香の真意を聞けるというもの。クニヌシにはおおよそのことは想像できた。拓海のことであることは間違いない。
が、明日香が話をしながらも、時折、部屋の隅々まで見ていることにクニヌシは気づいていた。神はなんでも知っている。
「部屋が。気になるか?」
「え?いえ、拓ちゃん、結構きれいにしているんだなって思って・・・」
「そうか。で?拓海は出かけたぞ。今のうちに話してみるがよいぞ」
クニヌシと二人きりになって、明日香は思わす洗いざらい思っていることをぶちまけたくなっていた。まだ、拓海には話す勇気が持てないままだが。
「私」
「うむ」
「あの日の夕方、ああ、初めてここに来た時、マンションの下で会った、あの子のことが頭から離れないんです」
クニヌシは明日香に話を続けるように即す。こんがらがった頭を整理するには、自分の口から話すのが良いだろう。
「あんな風に拓海を走らせた女の子は何者だろうか、って。いけないことだけど!」
「いけなくはないぞ?明日香は女の子だろ。嫉妬しても可笑しくない」
肩の荷が少し軽くなったように、明日香は安堵の笑みを浮かべた。
「話もしたことのない、あの子が許せなくて・・・。もう嫉妬っていうか、意味不明な憤りまで感じます。二人の事情も知らずに、こんな気持ち、よくないって分かってるんだけど。それに、目が自然と二人の証拠を探そうとしてしまう・・・どうしたらいいのか分からないんです」
明日香の葛藤する姿にクニヌシは優しく微笑むと、俯いたまま両手をぎゅっと握りしめる明日香を何も言わず、長い両手でしっかりと抱きしめるのであった。
読んでいただきありがとうございます。女の子は複雑ですが、そこも可愛いと思います。