第55話 次の人
一番心配していたクニヌシもモノカミも、すっかり周りに馴染んでいる上に、見知らぬ女子たちと何やら楽しげにプールサイドで会話している。淳之介もなんだかんだと文乃の周囲を警戒してか、妹からどやされながらも遊びに興じている。一方、拓海の隣には浮遊霊がぴったりと親しげに寄り添っていた。
(拓海、また一人で何やってるんだか)
小学生時代のだんまりを彷彿させるように、一人でいる拓海を見かねた夏樹は呆れ顔だ。ちょっとからかってプールに引きずり込んでやろうと、イタズラ心に火がついた夏樹は拓海に気づかれないように近づいていた。
プールサイドに腰掛け、つまんなさそうに足をパシャパシャと時間を持て余していた拓海のところへ、先に、小百合が水の中をゆっくりと進んで近づいてきた。
「つまんないの?そこ、暑いでしょ?一緒に遊ぼうよ」
「いいよ。俺は・・・ここで」
晴れ上がった夏空の下で、あまりに暗い顔の拓海を見て笑うと、小百合は躊躇なく、プールサイドに掛けていた拓海の両手を取り、プールの中へ引っ張った。当然、予告なしのドボンである。
「無茶苦茶だな、お前!眼鏡がーーー!」
「はいはい、ここにありますよ〜。ほら」
落ちた衝撃で黒縁眼鏡が水中に沈んでいくところを小百合が上手いことキャッチし、慌てて眼鏡を探す拓海の顔に眼鏡を両手で丁寧にかけてやった。
「あ、ありがとう」
「また眼鏡、水の中に落としちゃうよー。?ロッカーに置いきたら?」
小百合は水の中でぴょんぴょん飛びながら話すものだから、意外に豊満な胸も一緒にプカプカと浮かんだり沈んだりして、拓海の視線はどうしても小百合の胸にいってしまう。
(浮かんだり、沈んだり・・・ダメだ!これは俺が童貞だから!そうなのか!?くうううー、目が離せない!)
「眼鏡ないと見えないし、これで・・・いいよ」
「そう?じゃあ、あっち行こうー!夏樹ちゃんや文乃ちゃんもいるし。あー、ヌシ様とモノカミくんは当然のことだけど!モテモテだから近寄れないんだけどね」
屈託なく拓海に話しかけている小百合たちを夏樹は遠目にしながら、卑屈な気持ちでいっぱいになっていた。
(勝手にしょぼくれてる拓海を怒らせるのも、笑わせるのも私だったはずだったのに。あれ、やだな・・・私、いつから、こんな風に思うようになったんだろ・・・。嫌だな)
夏樹は周囲の笑い声や楽しげな会話が聞こえなくなるように、思いっきり水の中に潜ると、目を閉じ息を止めてみた。明るい日差し、今日を楽しんでいる人々の喧騒が、遠くの出来事のように視界からも聴覚からも離れていく、この感覚。少し玉の中にいる時のようで、心が落ち着くのを感じていた。
すると、急に肩を強くゆすられ、驚いて夏樹が目を開くと、そこには拓海の心配そうな顔が。水の中で眼鏡がズレている。急に息苦しさを感じた夏樹は水面から顔を出すと、プハーと息を吐き出し、思いっきり息を吸い込んだ。拓海もずれた眼鏡をクイッと直しているのが少し笑える。
「夏樹、びっくりするだろ・・・大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ!どのくらい息を止めていられるかな、って試してただけ」
さっきまでクニヌシと一緒に水の中で女子たちと戯れていたモノカミが何事か、と水の中から現れた。
「何?どうしたの?なっちゃん」
「ごめん、心配させちゃって。本当に大丈夫だから」
一人置いてけぼりをくらった小百合も夏樹が溺れたのかと思い、急いでやってきた。拓海が心配そうにしているモノカミと後からやってきた小百合に、夏樹は大丈夫だ、と二人を安心させた。
「そうだ、夏樹ちゃん!みんなで何か食べない?小腹がすいてきたような〜」
「いいね。俺、焼きもろこし食べたい。夏樹も一緒に、な?」
「うん」
拓海も分かっている。夏樹が何を食べたところで、味は分からない。それでも、こうしてワイワイとくだらないことを言い合いながら、ただ時間を過ごすのも悪くない。
小百合の提案に三人は乗ることにした。プールから上がると、移動する四人の姿を見た文乃と淳之介、そしてクニヌシも追従するように上がってきて、全員揃って、カフェスペースへ移動となった。
「たっくん、もう僕は限界だよー。その、もろこしってやつ食べたら、クニヌシ様のところに帰りたいんだけど」
水の中というのは気持ち良いが、存外、体力を消費させる。しかも、この暑さだ。皆それぞれ心地よい疲労感を感じていた。だが、今、ここでモノカミがクニヌシの背中から消えてしまうのは、非常にまずい。
それまで、集団の先頭で夏樹と並んで歩いていた拓海は、即座に後方でダラダラと歩いているモノカミの隣へ来ると、少し前を歩く小百合に聞かれないように、耳元で囁くように再度、釘を刺した。
「ここは人目が多すぎる。分かってるな?疲れたからといって、クニヌシの背後から消えたりするんじゃないぞ」
モノカミも状況は把握しているが、だからと言って力を使い果たしてしまうまで我慢するのも、まずいことだ。今度はモノカミが拓海の耳元に口を近づけ囁いた。
「でも、僕が倒れちゃったら、その場でキラキラ光って消えて、自動的にクニヌシ様の元に戻っちゃうんだよ」
「マジか!」
実際は、ただ暑くて疲れていただけだったのだが。拓海は眼鏡から落ちてくる雫を指で拭いながら、今度はクニヌシの元へ行き、モノカミの限界が近いことを伝えた。すると、クニヌシは前を歩くモノカミを抱き寄せる様に優しく肩を引っ張ると、みんなに聞こえる様に言ったのだ。
「モノカミ、俺たちは向こうで休もうか」
小百合はくるりと振り向くと、モノカミの細い腰に手を回したブーメランのクニヌシがモノカミを抱き抱えるように、更衣室の方角へ歩いていくのを目を細めて見ていた。
「眼福。眼福」
その日は、モノカミは戻ってこなかった。夏樹も問題ないと判断し、人気のない場所でクニヌシの背中からユズキの待つ自宅へと帰っていったようだ。
残ったメンバー全員が秘密を共有していた訳ではないが、心配していたようなことも起こらなかった。気づけば、ズケズケと心に入ってきた小百合のことを、夏樹は好ましく感じ、どこかに憧れに似た感情まで芽生えていた。
(この子なら、いいかな)
読んでいただきありがとうございます。小百合は伏兵なのでしょうか。そして、プールに誘わていませんが、明日香が闇堕ちしていないか心配です




