第52話 ことの終わり
薄っすらと朝日が差しこむ窓辺。文乃は胸元の合わせを直すと、一度は立ち上がろうと試みたが、結局その場にへたり込んでしまった。
(こんなに吸い取られるなんて・・・思ってたより、ずっときついな)
夏樹が静かに眠る玉の横に座っているモノカミは拓海の憑依を解いて、今は玉に耳を押しつけて中の様子を確認している。玉の中は最初ほどではないにしろ、まあまあ煉獄の炎は勢いがある。クニヌシはというと、毎度のように倒れた拓海の体をベッドに寝かせてやっていた。
文乃は人ならざる者たちの一夜の一部始終を思い返している。そして、クニヌシが言っていた感覚も、まだ生々しく体に残っていた。モノカミが赤い玉に念を込めて膨らませている間はそうでもなかったが、モノカミの右手から煉獄の炎が引き出される辺りから、文乃の力はモノカミに容赦なく吸い取られていった。
「最後までピアスを飲み込まずに、よく耐えたな。文乃?おい、大丈夫か?淳之介には連絡しておいたから、そのうち、お前を迎えに来るであろう」
「あっ」
クニヌシに言われて、文乃は口に残っていたピアスのことを思い出し、手の平に吐き出した。もう唾液も出ないほど、口の中はカラカラだったようで、取り出したピアスもまたカラカラだ。
「あやのん、そのままでいいよ」
(あやのんって・・・馴れ馴れしすぎ。とりあえず、ピアスは洗って返さないと)
力を振り絞って文乃は立ち上がったのを見て、モノカミは文乃を制止するように玉に耳を当てたまま左手を上げた。
「でも、ずっと口に入れてたし・・・」
「いやいや、あやのんの霊力、気持ちいいくらい凄すぎだったから、そのまま欲しいな」
文乃は戸惑いながらも言われたように、差し出されたモノカミの左手にピアスを返した。立つのもやっとの状態から回復できずにいる文乃の手をクニヌシが支えてやっている。
「お前は横になるといい。淳之介が来たら、起こしてやろう」
文乃は急に体が温まり始めたかと思うと、次には強烈な眠気に誘われ、ついにはクニヌシの腕の中に倒れこんだ。
「モノカミ、夏樹の様子はどうだ?お前も終わったのであれば、俺の中へ早く戻るがいい」
眠り込んだ文乃をよいしょっ、と抱きかかえながら、狭い部屋の中で寝かせる場所を探すが見つからない。
「ここで良いか」
自分の定位置となっているテレビの前で片膝を立て、文乃を胸の前で抱いたまま座ることにした。
「順調。ですよ。思ったより、火の勢いが増してますけどね」
「つまりは夏樹の精神汚染がひどかったということだな」
モノカミは小さく頷くと、これで終了とばかりに立ち上がり、ゆっくりと伸びをした。文乃の霊力の助けがあったせいか、全てをやり終えたモノカミは前回に比べると、かなり余力を感じる。
「じゃあ、あと頼みますね。なんか会ったら、またスクナヒコさんに頼んでください。僕は今日は忙しいのですよ」
「そうか。ゆっくりするがよいぞ。で、今日は何の日だ?」
目が見えない自分の体に戻ったモノカミは、まだ意識が戻らない眠ったままの拓海に顔を近づけている。クンクンと匂いを嗅ぐように拓海の首筋あたりを鼻先で触りながら、クニヌシに自慢げに答えた。
「何って、ユズキの誕生日ですよ。ユズキは今日で15歳。彼のために色々準備したいんで帰りますよー」
「お前の精は尽き果てることはないのか?元気だなあ」
片手で文乃の体を支えながら、クニヌシは器用にもう片方の手で2本目の缶ビールを美味そうに飲んでいた。
「誕生日の夜なんだから、色々頑張らなくちゃ!ですよ。あやのんの霊力をたっぷり吸った、このピアスもありますから、ご心配なく」
前回の瀕死状態が嘘のように、モノカミは颯爽とクニヌシの中へ消えていった。今、起きているのはクニヌシだけとなった。
クニヌシの腕の中で文乃が熟睡している。ベッドでは、拓海が寝息を立てて寝ている。すぐ側には、赤く炎が渦巻く玉の中で夏樹が薄目を開けて、うつらうつらとしていた。
「無用心なことよ。甥っ子が来なければ良いが。おっと、こういうのはフラグを立てる、という不幸を招くらしいな。しかし、あの甥っ子のせいで、そろそろ力技も必要になってくるだろうな。あやつはこっちには呼びたくないのう・・・」
寂しいのか、独り言をブツブツと言いながら、クニヌシは飲み干した缶ビールをテーブルにそっと置いた。そこへ、ちょうどチャイムが鳴り響いた。あやつ、は呼ばなくても大丈夫そうである。
「淳之介か。開いておるぞ。勝手に入れ」
通じたのか、淳之介が勢いよく廊下を歩いてくるのが聞こえる。部屋に入るやいなや、嫌に静まり返った部屋の異様さに顔をしかめた。そして、クニヌシに身体を預けて眠っている文乃を見つけると、妹思いの兄、とはまた少し違う表情を見せた。
「疲れて眠っておるだけだ」
淳之介は初めて見る、この世の物ではない、その大きな赤い玉に目に釘づけになった。が、クニヌシの方を向きなおすと、何か込みあげてくる言葉を飲み込み、言葉を選んで答えた。
「どうやら、成功したようですね」
「まあな。夏樹の寿命は、あと玉一つ分になったが。なあ、淳之介」
「はい」
「受け入れてみてはどうか?楽になれ。誰のせいでもないのだから」
淳之介はクニヌシから文乃を受け取り、兄として代わりに抱き抱えると、腕の中で眠り続ける文乃を見つめた。
「何の話ですか?」
無事な妹を見て安心してもよさそうだが、なぜか苦しそうな淳之介。クニヌシは手を伸ばすと、子供にするように、淳之介の黒髪を撫でてやった。
「文乃の力だ。お前も人には過ぎるほどの霊力を持ち合わせているのは確かだ。そして、文乃は人として生きるには辛いほどの量を背負って生まれてしまった。普通の女としての幸せは望めんだろう。お前くらいは味方になってやれ」
「そんなこと。分かっています!僕は・・・文乃に嫉妬しているわけではありません」
「ならば良い」
淳之介は文乃を背負うと立ち上がり、クニヌシに頭を下げると、無言で行ってしまった。クニヌシはお役御免とばかりにドサっとソファに体を預け、ゆっくりと目を閉じた。玄関のドアが閉まるのを聞きながら。
夏休みは、まだ始まったばかり。悔やんだり悩んだりしている場合じゃない。お楽しみはこれからなのだから。
読んでいただき、ありがとうございます。さあ、夏休みと言えば、水着回!あるかもしれません。




