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常世の国のシトラス  作者: くにたりん
第四章
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第38話 拓海の危機一髪

「やっと、ご対面というわけだな」


 クニヌシは近づく気配を感じながら、じっとその時を待っている。玄関をすり抜けるように音もなく、案外、簡単に男は部屋に入ってきた。


 暗がりから薄っすらと差し込む月光に男は照らされ、その姿を現した。スラッとした背の高い、くたびれた様子の男。沈黙の中で座っていたクニヌシを見つけると、男は少し嬉しそうな顔をした。


「君は……クニヌシ君かい?」


「甥っ子。初対面だな」


 かぶっていたハットを男はゆっくり左手で取ると、床に座っているクニヌシに微笑んだ。


「甥っ子ね。君のほうが若く見えるのに。まあ、そうなるか。一目で分かったよ。父によく似ている」


 クニヌシは立ち上がると、男の真正面に立ち、以前、瀬戸内海で会った拓海にしたように、男の額に手をかざすと、思わず小さく笑った。


「やはり。兄者の息子はあなただったか」


「そのとおり。母から話を聞かされた時は信じられなかったけどね。拓海が産まれた時に確信したよ。嘘じゃないって。あの子は僕よりずっと濃く、父の血を受け継いでいる。気づいてた?」


「まあな。似ているとは感じていたが」


 男は拓海の父、梓だった。梓はパンツの後ろポケットから一枚の写真を取り出して、クニヌシに渡した。


「それはね、母が父のことを話してくれた時、僕にくれたものなんだ。たった一枚だけ二人で撮った、まあ、結婚の記念に撮ったようなものだな。今生の別れが来ると分かっていても、二人とも幸せそうだろう?」


 クニヌシに渡された写真の中の二人は質素な装いで、仲良く手をつないでいた。幸せ、その言葉がぴったりの二人の姿を、クニヌシは複雑な表情で見つめていた。


 二人は共に暮らし、かけがえのない時間を過ごしただろうことは、この一枚でも十分に伝わってくるが、それは同時に、神の眷族としての自覚も責務も放棄したことを意味する。


 結果、ワカヒコは常世の国から追放され、高位な存在ではなくなった瞬間から、それまでの使いの者達と離別することにもなった。


 故に、彼は霊力を補充できず、人としての生活は終わり、最後には一介の霊として浮遊することになった。洋子との生活はせいぜい数年か。


 それでも、ワカヒコは洋子を選び、その時を愛しむように家族三人で暮したという。


「僕は覚えている。君によく似た父のことを。本当に優しくてユーモアがあって大好きだった。僕は拓海のような能力は全くなくてね。でも、遊びの中に、父は僕に色んな術を仕込んでくれていたよ。それに気づいたのは、ずいぶん大人になってからだけど」


 クニヌシは拓海と兄の面影をちらつかせる、この中年に郷愁を覚えている自分に嫌気をさした。そして、拓海の父は人とは思えない霊力を備えていることにも気づいた。


「で、あなたは拓海を連れに来たのか?」


「そこまで読んでいたのか! 君は僕の父を探しているんだろ?」


「そのとおり。だが、俺が拓海を預かっている以上、簡単には連れては行かせんぞ」


梓は深い溜息をつくと、手に持っていたハットをかぶり直しながら言った。


「それは困ったね。情でも移ったのかな?」


「そうかもしれん。あれはアホだがいい子だ。それに、あなたの霊力は兄者とほぼ同格に思えるんだが」


「鋭いなぁ。さすがだね。拓海ほどじゃないが、僕にも授かったものがあるってことさ」


 のらりくらりとしていながら、隙を見せない梓は要注意と見た。


「見当違いだと思いたかったが……あなたが拓海をどうするつもりか、おおよそ見当がついた。これは阻止せざるおえないだろ」


 クニヌシは壁の時計をちらりと見ると、会話を続ける猶予はなさそうだと判断した。拓海はそろそろ帰宅してもおかしくない時間だ。


拓海は今頃、自業自得だと落ち込んで反省をしながら帰ってくるはず。一刻も早く、梓をここから去らせる必要がある。


「十年も家族と離れ、ようやく僕はアレを手に入れたんだよ。あとは拓海がいれば、皆が幸せになれるんだ。そう悪いことではないだろう?」


 クニヌシは色々と策を練ることを止め、霊体化を解いた。梓がそこにいないかのように、タンスから拓海のTシャツと短パンを取り出して着替え始めた。


「おいおい、何のつもりだい? ハハハハ! 僕は君に安全を保障することはできないんだよ?」


 クニヌシは習慣となっている、この国で一番のお気に入りであるビールを冷蔵庫から取り出す。そして、いつものようにゴクゴク飲むと、プハーと声に出し、爽快な笑顔を梓に見せた。


「今夜は帰ってくれないか? 拓海も直に戻ってくるであろう。勝手に自爆して、失恋して、心が砕け散ってな」


 梓はハットを深く被ると、うつむき加減に苦笑いした。


「失恋か……あいつも、お年頃になったか。寂しいものだな」


 クニヌシは真っ暗だった部屋に照明もつけ、ついでにテレビもつけた。ビールもグビグビと飲む。梓は黙って、クニヌシがテレビの前に座り、ビールを飲む姿を見ていた。


「本当は、僕がそんな風にテレビで野球中継を見ながらビールを飲んで、家族に文句言われたりして……。ふふ、これは感傷的かな」


「お前もそうすればいいだけの話だ」


「……お前の言う通りかもしれないな」


「一つ聞くが、香は知っているのか、このことを」


「香の事まで知ってるのか? 参ったねぇ」


「はぐらかすな」


「ああ、僕が家を出る時に彼女には話したよ。半分、嘘をついちゃったけど」


「そんなことだろうと思った」


 クニヌシは部屋に立ち尽くしている梓を見ることもなく、野球中継を見続ける。すると、二人は同時に玄関の方へ顔を向けた。


 慌てて玄関の扉を開けようとし、誰かが鍵をガチャガチャと音をさせている。


「やっぱり感がいい子なんだな。まあいい……今日は帰るとしよう。拓海には内緒だぞ」


「内緒だぞって」


 当の本人がバタバタと廊下を走るように部屋に駆け込んだ時には、梓は姿を消していた。


「今、お前以外に誰かいたよね? 結構、危ない感じがしたんだけど……」


「そうか?」


 拓海は部屋に入る早々、ぐるりと部屋の隅々を見渡すも、既に気配は消えていた。先ほどまで、泣きそうな顔で家路に着いた時とは別人のようだ。


「それより見よ!この監督の采配はなっとらん! お前がチェンジしろ! これでは隊の士気も上がらん!」


 拓海はクニヌシの自称監督っぷりがいつもどおりなので、それ以上は突っ込まなかったが、いたであろう何者かの存在に首をかしげた。


 ビールを飲みながら、画面の向こうの選手たちにあれこれ指示をしているクニヌシは拓海の目にはいつも通り。だが、クニヌシの心中は決して穏やかではない。


ーー拓海も難儀なことよ。アレはとんでもない甥っ子になってしまったのう。

読んでいただきありがとうございます。連れ去られるとどうなったのでしょうか。少し気になっていただけると嬉しいです。

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