第33章 乙女と制服
「あれ?まだ帰ってないのか」
不本意な本が世に出回っているというのは許し難いが、松波小百合という新しい知り合いも出来て、なかなか愉快な一日だった、と拓海は上機嫌に帰宅。
が、双子も夏樹も遊びに行ったまま戻っていない。
「おいおい、もう6時過ぎてるだろ。16歳になったからって、俺は許さんぞ」
「はいはい、お帰りなさい。おやつは台所よ」
部屋に入ると、家で一日ぐうたらしていた、どこぞの母さんのように寝転んでテレビを見ているモノカミがいた。
拓海は机に重いデイバッグを置くと、言われた通りに台所へ行ってみれば、小さなテーブルの上にラップをかけた大福が二つを見つけた。
「これ、どうしたの? モノカミが買ってきたわけじゃないだろ」
「んー? ああ、それね。さっき、ここの家主? のおばさんが持ってきたよ。クニヌシ様にね」
「お供え物か」
クニヌシは週に二度のゴミの日に、きちんと朝に指定のゴミを出しに行き、大屋さんと親しくなったりしている。時折、おばさんがありがたいと言わんばかりに涙するのを拓海は知っていた。
「で、あいつ、まだ帰ってきてないの? あ、夏樹たちもどこに行ったんだよ。三千円ごときの端金でこんな時間まで遊べるものか?」
「よっこらせ」と、煎餅をかじりながらモノカミが起き上がった。とんだ怠け者である。
「クニヌシ様は白鳥に行ってるよ。で、僕がお留守番ってわけ。なっちゃんたちも、あっちに行っちゃったんだよね」
大福をつかんで白い粉がついた指で眼鏡を触ってしまった拓海。「げっ!」と言いながら、テーブルの上のティッシュペーパーで外した眼鏡を拭き始めた。
「俺も行ってみようかな。ねえ、モノカミも一緒に行こうよ」
「なんすか、その甘えかた。いいけど。歩くのは嫌なんだけど。たっくん、霊体化できないの? そろそろ出来てもいい頃じゃない?」
「出来るか。俺は見えるだけの人間だ。もう早く行こうぜ。テレビ消せよ」
「はいはい」とモノカミは面倒くさそうにリモコンでテレビを消すと、玄関で待つ拓海の元へ。歩くのは嫌だと顔に書いてある。
「目が見えないくせにテレビ好きだよな、モノカミは」
「あのね、何かが欠けていても、他より優れているものを別に持っているもんなんだよ」
「なるほど」
「あっちの方も、結構すごいから」
「聞いてねぇし……可愛い顔で、そんなこと言うなよ……」
白鳥神社は、拓海のマンションから駅までの中間地点にある。
こうして、モノカミと二人で歩くのは初めてのこと。やはり人目を引くようで、部活帰りと思わしき女学生たちが通り過ぎる時には、うふふ可愛い、と言う囁きが聞こえてくる。
「やっぱ、顔は可愛いんだよな、お前」
「どーでもいいね、そんなこと」
モノカミがそっけなく答えると、どうやら街灯だけの薄暗い道までやってきた。ついこの間までは、拓海が必ず立ち寄っていたナギのいた祠は未だ空っぽ。
横目で祠を見やると、一瞬立ち止まったが、境内へ続く参道をまたゆっくりと歩き始めた。
ーーああ、虫除けスプレー忘れてた。ヤブ蚊は嫌いだ。
街の中で唯一の、でも小さな森の間の道を歩くと、夏らしく蚊が寄ってきてしまう。それに、モノカミだけでなく拓海にも感じ取れるほど、奇妙な気配の黒い影が微妙な距離を保ったまま、森の中でついてきている。
「やっと境内まで来たぜ……もう三ヶ所は噛まれちゃったよ」
さすがにこの時間に境内には誰もいない。
淳之介に以前案内された母屋の方へ二人は歩いていこうとすると、本殿の奥の方からクニヌシたちが現れた。そこには淳之介と文乃、そして双子が一緒だ。
夏樹の姿は見えない。
「あれ、どっから来たの? あと……夏樹は?」
「よく来たな。夏樹は母屋の方でくつろいでおるわ」
心なしか疲れ切った様子のクニヌシと袴の淳之介、そして誰より消耗し切っているのが文乃。双子は霊体化したまま、三人の後から来ていた。
ーーあれ? あれ? 文乃ちゃん? ん? え?
週末か祭事くらいでしか着ていない巫女装束の文乃から、ただならぬオーラ。拓海にもそれは感じることができた。
しかも、背後からきている双子が交互に文乃に声を掛け、体を労っているのだ。
「話は中でしましょう。夏樹ちゃんも待ってますし」
察しの良い文乃は自分の説明をするよりも、先に座って休みたいのだろう。
そして淳之介は、疲れている様子のクニヌシに飛びつき嫌がられているモノカミと、状況が飲み込めていない拓海を母屋へ案内した。
「お邪魔しまーす」
家の者が出てくると思っていたが、誰も出てこない。
「ああ、家族は今、境内の外にある親戚の家に一時的に引っ越してますから。気にせず、どうぞ」
ーーどうりで人の気配がしないと思った。
玄関で靴を脱いでいると、母屋の奥の方から夏樹が廊下を駆けてきた。
「良かったぁ。みんな、全然戻ってこないんだもん」
「すまんな、夏樹。結構、手間取ってしまったわ」
少し時間はかかったが、何やらナギの件は上手いこといったようだ。一行は白鳥家の居間へぞろぞろと移動した。拓海は、この古くも隅々まで掃除が行き届いた家に来ると、祖母のことを懐かしく思い出すのだった。
居間に入ると、文乃が座布団を出してきて、みな適当に座った。モノカミと双子たちがクニヌシの隣を奪いあっているのは別として。
「夏樹、今日は楽しかったか?」
クニヌシが家長のように、向かいに座った夏樹に声をかけた。拓海も夏樹の隣に座ると、興味深そうに夏樹の言葉を待っている。
騒がしい三人は無視で良い。
「楽しかったよ。ユリア様がね」
「それは言わなくてよくてよぁ、ねえ、ウララ」
「そうですとも。不粋だもの」
結局、モノカミが拓海とクニヌシに挟まれるように、希望どおりの場所を確保した。
ーー気になるな、その不粋な話。
そんな拓海の怪訝な顔の隣には文乃が座る。背後では、麦茶をいれたグラスの氷をコロンと音が鳴った。淳之介がお盆を持って戻ってきたのだ。
文乃は兄がテーブルに置いたお盆からグラスを取ると、静かに袖に気をつけながら、皆に茶を配った。新婚家庭に来たようである。
「今日ね」
夏樹が何か話そうとしたが、涙が胸をつかえるようで、次の言葉が出てこない。
「どうした? 誰かにイジメられたのか?」
思いがけず、泣き出しそうな夏樹を心配そうに覗きこむ拓海。
「部活帰りだったのかな。同い年くらいの女の子たちがいてね」
「何を言われたんだ?」
「通り過ぎただけよ」
拓海は分からんといった表情で、双子に救いを求めたが、双子は知らんぷり。
「……可愛い制服、着てた」
「それが、夏樹は悲しいのか?」
拓海は乙女の心を図りかねている。双子が呆れた顔をして、拓海に物申すと勢いづいた瞬間、モノカミが夏樹に優しく言った。
「なっちゃんも着てみたいんだね。きっと似合うだろうね」
拓海以外全員が、皆まで言わすなという沈黙を拓海に叩きつけた。やっと事情を察して、拓海は己の愚鈍さに頭を項垂れる。
「欲張りだよね、私」
「もう、この子ったら。欲張りで何が悪いというの? 女の子だもの」
「お姉様の言うとおり。鈍感な彼氏で夏樹が可哀想ですわ」
夏樹はどこに反応したのか、苦笑いした。拓海は項垂れた頭を持ち上げると、俺は決めた!と宣言した。
「制服くらい俺が買ってやる! ちょっと待ってろ!」
「夏樹ちゃん、文乃の制服で良かったら、今、着てみない?」
淳之介の提案に文乃もにこやかに頷いて、夏樹を見ている。
ーーおい、淳之介!俺の宣言は無視かよ!
「いいの?」
ーーお前もか! 夏樹!
文乃と双子は立ち上がると、「さあさあ」と夏樹を立たせて、文乃の部屋へと連れていった。
夏樹は拓海の方を振り返ったが、クニヌシたちに慰められて余計に落胆している。
居間の襖が閉まると、男たちは皆、一斉に目の前のグラスを掴むと一気飲みした。男はナイーブなのだ。
読んで頂きありがとうございます。
やっぱり制服って女の子には大切ですよね。この時しか着れないものですから。




