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常世の国のシトラス  作者: くにたりん
第四章
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第31話 女の日記帳

 白鳥神社では、淳之介と文乃の二人体制にも慣れ始めた頃、夏樹には二度目の成長期が訪れていた。


「これで二個目の玉。明日の朝には、ついに十六歳か……」


 モノカミの処置で赤い玉を飲み込んだ夏樹を、拓海は心配そうに見下ろしていた。前回のように苦しんでいる様子はなく、穏やかな規則正しい寝息が聞こえてくる。


「たっくん、心配しすぎだって」


 トレードマークの黒縁眼鏡のブリッジを人差し指でクイッと上げると、渋い顔で唸っている。


「もう、たっくんは何が不満なのよ」


「あと二個しか玉はないんだ……。それが何を意味するか分かってるのか?」


 クニヌシとモノカミは二人して顔を見合わせると、まあね、とモノカミが言った。二人からすれば、拓海が願った時から予定調和に進んでいる事象の一つに過ぎない。


「十六歳。くっそー! めちゃくちゃ可愛いに決まってんだろ!」


「誰に怒ってるのか喜んでるのか分かり辛いよ、たっくん」


 落ち着きのない拓海に、しばらく付き合っていたモノカミも用事があるからと言って、そそくさとクニヌシの背中に吸い込まれるように消えていった。


 一人で夜明けを待つのは怖い、と思っていると、今度はクニヌシが出かけてくると言う。


「所要があってな。家の鍵はちゃんと閉めて寝るんだぞ。近頃はこの世も物騒だから」


 クニヌシのお父さん口調に、拓海はずいぶん慣れているらしく、素直に、うんとうなずくと、クニヌシは手を振りながら消えてどこかへ行ってしまった。


「みんな行ってしまった。十八の俺と十六の娘が同じ部屋ってどうよ……修学旅行にも行ったことのない俺が、だぞ。誰か戻ってきてよ……」


 それでも、朝は来るのだ。


 独り言が尽きずに眠れなかったとしても、そこは十八歳の若者。夜も更けてくれば眠りにつくもの。


 素晴らしい朝が来た。


「はあ!」


 素っ頓狂とんきょうな奇声をあげると、拓海は寝ていたソファからガバッと飛び起きた。いる。いたのだ、心の中でずっと待ちわびた、十八歳の拓海自身により近い年齢になった夏樹が。


「おはよう……拓海。あの、私、もう十六歳、なんだって。モノカミが言ってたんだけど」


「…………」


 ベッドの上には、はにかんでこちらを見ている長い髪の女の子。


「ねえ、何か言ってよ……。まだ、鏡を見てないんだけど。私、どうなってる?」


 うんともすんとも答えない拓海をよそに、夏樹はおもむろに掛け布団の中を見てみた。


 明らかに身長が伸びた証として、明日香にも負けないスラリと伸びた両足。夏樹は自分が成長していることを実感して目を輝かせた。


「やっぱり大きくなってる、私!」


ーーヤバイ、ヤバイ、これはヤバイ。想像以上に可愛くなってるんだが。俺にどうしろと?


 ソファの上で、拓海は膝を抱えて体育座りのまま、凝り固まっていた。


 一体全体、今この時、自然に振る舞うにはどうすればいいのか思考を巡らすも、雑念が湧き出るだけで、何もいい案は浮かんでこない。


 降参するようにゆっくりと振り返り、ベッドの方へ向いてみる。


 そこには女の子座りと呼ばれる、いにしえの美少女たちが男たちを悩殺してきたポーズでじっと見ていた。


ーーちょ! やめてーーー、そんな顔でこっち見ないで! その座り方! 眼鏡がズレるからーーーー!


「拓海」


「お、おう」


「鼻血、出てるよ」


「お、おう」


 男らしく拓海はスクッと立ち上がると、鼻からツーっと垂れてくる鼻血も気にせず、何事もなかったかのように洗面所に歩いて行った。


ーーしかし、どうしたものか。


 冷たい水で顔を洗う。


 クニヌシは言っていた。二度目の生を謳歌せよ、と。夏樹を無駄に家の中に閉じ込めてしまっては、折角の時間を台無しになってしまう。


 洗面台の縁に両手をかけ、蛇口から流れる水を見ながら、夏樹に何をしてやれるのか真剣に考えていた。


「まあ、辛気臭いこと」


ーーえ?


 開けっ放しだった洗面所の扉の外には、それは美しい天女のような双子がおりました。クニヌシのことづけがあって来たのだと言う。


「お久しぶりです……ずっと、白鳥にいたんですか?」


 姉のユリアはそうねえと、興味なさげに返事をすると、夏樹のいる部屋に入っていった。


 夏樹は初めて会う双子に、明日香同様、感嘆の声をあげた。同じ女から見ても、何か言わずにいられない、そんな魅力が双子にはあるのだろう。


「まあ、ちょっと見ないうちに随分きれいになったと思わない? ウララ」


 双子は夏樹を挟むように、ベッドに腰掛けた。


 銀色の髪が珍しいのか、衣装が眩しいのか、夏樹は二人の出で立ちに目を奪われている。


「ユリアお姉様、そう言えば、わたくしたちは、この娘のお世話係りだったはずですわ」


「そうだったわ! 私、可愛い子は大好き!」


 誰もが忘れかけていたことだが、そもそも夏樹の世話係りにクニヌシから任命されたのはこの双子だった。


 女児の着る服がないからと言って、白鳥神社に働きに行ったことを当の本人たちがすっかり忘れていたくらい、遠い昔の話だが。


 代わりに、淳之介に新刊の原稿を一気に書き上げさせた。


「なっちゃん、でいいのよね? 私は姉のウララ。あちらは妹のウララよ」


「は、はい……私の名前は、モノカミから聞いたんですか?」


「そうよ。あの子ったら、なっちゃんは僕が担当だから〜ってホントにうるさくって。ねえ、ユリアお姉様」


 双子の圧倒的な美しさもさることながら、有無も言わせぬ、その剛毅ごうきな物言いは、他人を黙らせるオーラがある。


 もともと、女性との付き合いもなければ、話し相手も幼馴染と母親しかない経験の浅い拓海が、この二人の間に口を挟むなど、難易度が高すぎた。


「いいじゃないの。モノカミの好きな子、何て名前の子だったかしら。この子、そっくりじゃない?」


 何度も口を挟もうと試みたが、一言も発せず、現在、双子同士で会話が進んでいた。


「ユリアお姉様、確かに……あの可愛い坊やに似てますわね。あなた、あちらにご親戚でもいるのかしら?」


「あちらというのは、死後の世界にですか?」


 夏樹は徐々に自分のペースをつかみ始めている。


 拓海は「いいぞ! その調子」と特に深い理由はないが、心の中で応援していた。女同士の会話に夏樹も満更ではないのだろう。


「違うわ。死後の世界って、根の国でしょ? そんなとこじゃなくて、もっと素敵な町の話よ〜」


 姉のユリアがそう言うと、妹のウララが夏樹の肩を寄せ、意味ありげに耳元でささやいた。


「あなたも行ってみたい?」


「そう、ですね……でも、私は期間限定でこの世に来てるだけだから……」


 拓海は決死の覚悟で、三人の間に割って入ろうとした。が、無駄であった。


「あなた。間違ってるわよ。ウララ、このお嬢さんには教育が必要だと思わない?」


「おっしゃる通りですわ、お姉様。なっちゃん、女の子は忘れてはいけないことがあるの」


ーー何を話す気だよ……エロネタは俺だけにしておいてくれーーー!


 そんな下世話な心配をよそに、十六歳の夏樹は、真剣な顔で双子の言葉に耳を傾け始めていた。


「いいこと。女の日記帳は一ページしかないの。分かるかしら?」


 夏樹は、ゆっくりと首を横に振った。今度はユリアが夏樹の肩を抱き寄せると、こういった。


「あのね、女の記憶は増えていくんじゃなくて、上書きされていくの」


「上書き?」


 胸がざわめきながら、双子の言葉に気持ちが高まっていくのを感じる夏樹。ウララが、ほくそ笑みながら付け加えた。


「そうよ。だから、あなたも毎日、自分が思うように楽しい思い出をどんどん上書きしていきなさい」


 ユリアがそれは愛しい我が子を抱くように、夏樹の頭を胸に引き寄せると、柔らかなつむじに口づけして言った。


「今日の思い出より、明日の思い出。女は振り返ったりしないものよ。だから時間を無駄にしないこと。最初で最後のページには、きっと最高の思い出が残っているはずなのだから」


 男の拓海には理解に苦しむ話だったが、夏樹は何か憑き物が落ちたかのように穏やかでしっかりとした顔つきになっていった。


「分かりました。ユリア様、ウララ様! 私、何だか心が軽くなりました」


「それは良かったわ。では早速出かけましょうか。ウララ、この子の支度を手伝ってあげて」


 ハーイと軽やかに返事をするウララに、夏樹は意気揚々とついていき、クローゼットを物色し始めた。


 拓海はこの時点まで、全く出番なし。

 クニヌシのことづけというのも、何だったのか分からずじまい。

 女三人で出かける、という目的に上書きされてしまったようだ。

読んでいただきありがとうございます。気づけば、もう4章31話まできました。これからも宜しくお願い致します。

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