第25話 素敵な日曜日
分かっていた事とはいえ、拓海の部屋は手狭である。
拓海がこれまでゆったりと一人で寝ていたベッドには、霊体化せずに、毎晩、クニヌシが潜り込んでぐっすりと寝ているし、かつては本棚やらなんやらがあった部屋は片付けられ、夏樹専用スペースが出来たので、夏樹はそこで寝起きしている。
最初の騒動からすれば、そんな生活にも徐々に慣れ、夏樹との心の距離が近づいたように思える。そんな平穏な日々が、数日ほど続いたある日のこと。
ピンポーン。その日は日曜日。
三人はまだ夢の中。
ピンポーン、ピンポーン。
試験勉強の疲れが出たのか、拓海はうつ伏せで爆睡している。
チャイムの音に起こされたのは二人。
クニヌシと夏樹だ。
夏樹は起きたというより、寝ぼけて半身を起こしているだけ。クニヌシも夏樹にまだ寝てていいんだよ、と声を掛ける余裕はあるようだ。
夏樹はコクリと頷くと、また布団に滑り込む。
「はいはい、今、出ますよ」
クニヌシは、ふわああ、と大欠伸をしながら玄関へ出ると、誰かも確認せずにガチャとドアを開けた。非常に不用心である。
「あなた、誰? 」
「俺はクニヌシだが」
女性は重そうなスーパーのレジ袋に、たくさんの食材を買い込んで玄関口で立っている。
「私は香。拓海の母です。うちの子、いる? 」
「おお、ご母堂であったか! 」
香は事の重大さにも気づかず眠りこけている息子の頭を叩きに、お邪魔しますというと、玄関で靴を脱いだ。几帳面に靴の向きを揃えると、まず台所へ向かった。
ーーふむ、これは予想より早く網にかかるかもしれんな。
そして、クニヌシはドアの鍵を閉めながら、霊体化しておけばよかった、とちょっぴり反省した。ほんの少しである。
香は買ってきた食材を冷蔵庫にサクサク入れ終わると、見慣れた拓海の部屋に入って、ちらりと続きの奥の部屋に目をやった。カーテンが引かれているものの、何かがいる気配を感じる。
奥の部屋も気になったが、まずは拓海を起こすことにした。
「拓海」
頭上から聞こえてくる聞き慣れた声。拓海は目をシバシバさせながら、サイドテーブルに置いてある黒縁眼鏡を、ベッドの中から引き寄せるが見つからない。
拓海は眼鏡を諦めて声がした方へ見上げると、一気に酔いが覚めた、そんな顔になった。
「おはよう……」
「おはよう。それより、クニヌシさんって何者? 彼氏って訳じゃないでしょうね」
「なんでそうなるんだよ。どいつもこいつも……ったく」
「どっちでもいいけど、家の中だからって格好には気を使ってほしいわ」
「え? 」
拓海は自分の着ているパジャマを見てみたが、就寝中の衣類としては不足なく、寝起きなのだからパジャマはOKなのでは、と訝しげに、母親の顔と自分のパジャマを二度見返した。
「そこじゃないから。あなたのお友達のことよ」
ーーあ!あいつ!!!!
香は振り返らない。何故ならば、生まれたままの姿で神々しく、こちらを微笑ましく見ているクニヌシがいるから。
拓海の顔を見て、言われているのが自分だと分かり、理由は分からないが拓海にウインクしてきた。
ーームカつく。実体化した時にはちゃんと服を着ろ、って言ったのに!
「クニヌシ先輩! やだなー、昨日は飲みすぎでしょーーーハハハハハハ……」
「…………」
「おう、すまんな! 着替えてくる」
クニヌシ先輩はその場から逃げるように、ソファに脱ぎ捨ててあった昨日のTシャツと短パンをそっと掴むと、廊下の方へ消えた。
やっと香は背後を振り返り、大きくため息をついた。
鬼の形相もなんとか収まったようだ。
「飲みに来てくれる大学の先輩があんたにいるなんてね」
いつになく神妙な顔つきで、ベッドの上で器用に正座をしている拓海。顔には、申し訳ありません、と書いているようにも取れる。
「お騒がせしました」
「ま、いいわ。これくらい大学生なら普通なのかもね」
ーーそうなの……?
香はすっかり機嫌を直し、朝ごはんを作ると言いだし、持参してきたエプロンを身につけると、何事もなかったかのように台所へ行ってしまった。
ホッとしたのもつかの間、奥の部屋に寝ている夏樹は、さすがに紹介するわけにはいかない。
ーーあっちの部屋まで詮索されたら、いろいろアウトだな。
香が台所で朝食を作り出したのを確認し、着替え終わったクニヌシにこっちに来いと手で合図した。
「いい母上ではないか」
「そうだよ、最高の母親だよ。で、俺は夏樹に隠れるように伝えてくるから、その間、お前は母さんを台所で足止めしてくれ」
「ラジャー! 」
ーーだから、それどこで流行ってんだよ。
指令を受けたクニヌシは香の元へと行き、見ている限りでは、香も朗らかにクニヌシを受け止めている様子。ここぞとばかりに拓海は足早に向かうと、カーテン越しに「夏樹」と台所の二人には聞こえないように声をかけた。
「分かってる。クローゼットの中に隠れるね。お布団は畳んでおくから」
「すまん……今の姿では、まだ紹介は」
「いいから……早く行って。私は大丈夫」
「出来るだけ、かあさんは早く帰らせる」
夏樹は答えなかった。カーテンの向こうで、一人黙って痕跡を残さぬように布団を片し、狭いクローゼットに隠れることを思うと、拓海は夏樹が不憫でたまらなかった。
台所では、香とクニヌシ先輩がいい感じで意気投合している。空気を読めと、視線でクニヌシに合図を送るものの気づかないのか、無視されている。
ーー状況を分かっているのか、あ・い・つ・は!
「ええー、そうなの? 拓海はそういう話は全然聞かせてくれないから〜」
「いやいや、二人とも仲が良すぎるせいか、誤解されやすいんですよねー」
ーーなんの話をしているんだよーーーーー!しかもクニヌシのいつもの話し方と違う。使い分け、できるのか?
若干、誤解を招くような雰囲気はあったが、とにかく拓海は時間が気になって仕方ない。食事くらい落ち着いて食べなさい、と香はチラチラと時計ばかり見る拓海を叱ったが、クニヌシとのご歓談は終わりそうにない。
一通り食事が終わる頃、痺れを切らしたように「今日は二人で大学に行く予定があるから」と香を帰らせるために言い訳した。
「そう。学校じゃ仕方ないわね。クニヌシさんと折角お話してたのに」
「俺も楽しかったですよ、香さん」
ーー母さん……その満更でもない顔、やめてくれ。
後片付けは拓海がするというので、香は急き立てられるように玄関へ拓海に追われた。なんだかんだと、夏樹がクローゼットに閉じ込められて、もう一時間は裕に過ぎている。
「拓海。今日はこれで帰るけど、あんたはお酒はまだだからね。クニヌシさん、また今度いろいろ聞かせてね」
「分かってる。俺、酒は飲まないから」
クニヌシは満面の笑みで香を玄関で見送った。
香も来た時より、ずっといい顔で帰って行った。
「なんとか乗り越えられた。夏樹を出してやらないと」
急いで夏樹が閉じこもっているクローゼットに向かい、服の中にうもれるように隠れていた夏樹に声を掛けている。
クニヌシは二人の声を聞きながら、別のことを考えていた。
「あの方がご母堂か。面白い方だな。しかし、結局、父親のことまでは話ができなかったのは残念」
向こうから拓海がまた泣いている声がする。そして、気丈にも、泣いている夏樹を反対に大丈夫だと拓海を慰める夏樹の幼いが優しい声がした。
やれやれ、とクニヌシは腕組みしていた両手を崩すと、二人の元へ向かうことにした。
「おいおい、拓海、また泣いているのか? お前が泣くことはないだろ。泣きたいのは夏樹の方だろうに」
クニヌシ先輩が、実は拓海の父を探していること。
これは夏樹にも拓海にもまだ秘密。
読んでいただきありがとうございます。
クニヌシが網を張って待っているのは、どうやら拓海の父のようです。




