第23話 男子高校生と女子大生
「二週間も早く入稿できるなんて奇跡じゃないか。しかし、これでは本末転倒!」
中庭ではスズメが朝を知らせるように、チュンチュンと可愛く鳴いている。思わず大声を出してしまった淳之介は、隣の隣で寝ている文乃の部屋まで響いたのではないかと我に返った。
「明日香ちゃんからのメールの返事はまだ送っていない、というね」
昨夜は、双子に煽られ雷のごとく全身で感じたままをノートパソコンに叩き綴った夜となった。最後には姉妹も疲れたのか、無言で消え入るように部屋から姿も気配も消していた。
「今からでも間に合うかなあ……」
淳之介が書いているシリーズの主人公を務める巫女たちには、実は人喰い鬼だった、という設定を加えた新刊用の原稿をたった一晩で書き上げてしまった。
それは、淳之介は天に愛されている、とユリアに言わしめるほどのスピードだったという。
原稿を送信した後、朝のアラームとともにスマホの存在が目に飛び込んできた。淳之介は明日香からのメールの返事を送っていなかったことに、そこで気づいたが、すでに朝を迎えていたのだった。
「お返事が遅くなってゴメンなさい。充電が切れていた、みたいで、と。いや、言い訳はよそう」
淳之介は思い悩んだ末に、明日香への返事を決めた。朝日が差し込む障子をすっと開けると、今日は熱い一日になる、と淳之介は絶好のデート日和に思えた。待ち合わせは夕方になるはずなのだが。
ーー長い、しかもきもい……でも、これで会いたい気持ちは伝わるはず、多分。
貫徹した淳之介の脳は、あまり難しいことを考える余力がなかった。打ち直したメールをそのままピっと送信。
ほんの一瞬だけホッとしたが、すぐに思い直す。今度は自分が明日香からの返事を待つことになり、残酷な待ち時間に命を擦り切らしてしまいそうなほど、今度は悶絶し始めていた。と、思っていたら案外すぐに返事が届いた。
「よ、よかった。死刑宣告じゃなくて……今日の夕方六時に駅前集合。苦節十年、この思いが報われる時はもうすぐだ」
「お兄様……」
淳之介は喜びのあまり、廊下でスマホを抱きしめて、唸りながらうずくまっていた。淳之介がゆっくりと顔を上げてみると、淳之介を哀れむような目で文乃が立っているではないか。
「文乃はもう十五歳です……そういうことは……ご自分の部屋でお願いします!」
「待て! 文乃ーーーーどんな誤解だぁーーーーー!」
文乃は何故か顔を赤らめ、セーラー服のスカートの裾を可憐に翻すと足早に去っていった。残された淳之介は「無念」と呟き、大人しく自分の部屋に戻ることにした。
そして、晴れ渡った一日を終え、拓海が夏樹と向き合うために自宅へ帰る時間になった頃のこと。
淳之介は半袖の白いシャツに黒い制服のパンツ、そして白いスニーカーという高校生らしい姿で、女子大生となった私服の明日香と駅前で待ち合わせをしていた。
ーー制服だと年下、って感じで、なんだかな……。着替えてくればよかった。
「ごめんね! 待った? 」
ーーうわあ……めっちゃ揺れてる。
「僕もさっき着いたとこ。あの、僕、制服なんだけど良かったのかな? 」
明日香は少し息を切らしながら、大きな目を三日月のように笑うと、淳之介の肩をポンと手で叩いて言った。
「なんで? 制服の男の子ってすごく可愛いと思うな」
ーーまじか。高校生でよかった。
肩に触れた明日香の手の感触、褒め言葉。全てが淳之介の経験値を大きく上回るイベントとなった。嬉しいのに、今すぐ帰りたい気分。淳之介の心臓は破裂寸前。
「この先にシフォンケーキが美味しいお店があるんだ。ご馳走するから、一緒に食べましょ」
「あ、はい」
ーーなんて気の抜けた返事!
余裕を感じる明日香の自然な振る舞いに比べ、淳之介はこれから明日香と向き合って座るであろうカフェのワンシーンを頭に浮かべながら、短い道中に、会話のキャッチボールを難なくこなす自分をイメトレしていた。
「ここよ。座れるといいんだけど」
ーーえ、もう着いたの? まだイメージが掴めてないのですが。
学校帰りに寄り道することなく、普段はまっすぐ神社に帰る淳之介。
地元の駅前にあるカフェとはいえ、見慣れない内装装飾や紅茶のいい香り、甘いもの好きな女性たちのおしゃべりが広がる、この空間は紛れもなく、淳之介にとっては異世界と言っていい。
「良かったぁ、奥の席が空いてるって」
「あ、はい」
案内されるがまま、女性たちの間を縫って奥のテーブルまで明日香についていった。淳之介は明日香に奥に座るように勧めると、明日香は少し驚いた様子で、ありがとうと言って奥に座る姿も可憐である。
明日香オススメのケーキセットを二人はオーダーし、そう待たされることもなく、明日香の頼んだ紅茶のシフォンケーキ、淳之介の選んだ抹茶のシフォンケーキ、それにアイスコーヒーが二つ、テーブルに並べられた。
舞台は整った。
「今日は学校の帰りに呼び出してごめんね。宿題とか大丈夫かな?」
ーー子供あつかいだよ。
淳之介はアイスコーヒーをストローからぐいーっと吸い込みながら、無言で首を横に振った。
「あのね、単刀直入に聞くね……」
淳之介は喉を鳴らした。
「淳之介くん……」
「う、うん」
淳之介は自然と背筋をピンと伸ばし、その時を待っている。
「淳之介くんも、やっぱり見える、人なの?」
「え? どういう意味?」
予想の斜め上をいった明日香の質問。淳之介くん、私のこと好き? と聞いてくると訳もなく思い込んでいた高校三年生の淳之介のガラスの心は、音を立てて割れていった。
「……拓ちゃん。小さい時から霊とか見えてるみたいで。淳之介くんは知ってた?」
「あぁ、うん……知ってたけど」
淳之介は目の前にあるシフォンケーキにフォークを突き刺し、一口大に切ると、次々に口に放り込んでいった。明日香は怒っているように見える淳之介の様子が気になり、続きの言葉が出せないでいる。
一時の沈黙の後、淳之介は食べ終わった皿にフォークを置くと、テーブルの上にあった白い紙ナプキンで口を拭いた。
「それで、僕がもし見えていたら、何かあるの?」
「私が彼にしてあげられることなんて……ないかもしれないけど、淳之介くんが見えるのであれば、何かアドバイスもらえないかな、って……」
淳之介にはナギも双子も、そして理解ある家族もいるが、見えることは拓海と同じなわけで。
「してやれることなんて……何もないよ。明日香ちゃんは見えないんだから」
「そう、だよね。ごめんなさい。淳之介くんだって、苦労したはずなのに。私、すごく無神経だった」
楽しい待ち合わせが、本題に入った途端に思惑と違う方向へ行ってしまい、淳之介も明日香も二人の間に流れる重苦しい空気に押し潰されていた。
ーー僕がこんなに意地悪な人間だったとはね。ホント情けない。
「アドバイスっていうか。隣にいてやれば、十分だと思うよ」
うつむいていた明日香の顔が、席を立ちあがった淳之介を見上げる。
声にならない、明日香のありがとう、という言葉を聞いた気がして、淳之介は二人分の会計を済ませると、少し泣きそうな顔で店を出て行った。
読んでいただきありがとうございます。
拓海が夏樹にも明日香にも、もう少し優しくできると良いのですけど。




