第22話 お約束のキス
夏樹から逃げるように乗り込んだバスに、もれなくクニヌシが同行していることは拓海にとっては不本意だが、どこかで安堵を覚えていた。
大学に着く早々、クニヌシは学内のトイレの中で、鼻歌まじりに着替え中。拓海は仕方なく洗面台の辺りで待っていた。
ーークニヌシのことを聞かれたら、親戚の兄ちゃん、ってことでいいか。聞かれるような友人知人はいないが。
バタンと扉が開くと、クニヌシは非常にご機嫌な様子で現れた。洗面所の鏡に映る、こちらの世界の自分が気になるようで、手を洗いながら、角度を変えて自分の顔を見ている。
「拓海、授業は何時からだ? もうすぐではないのか? 」
濡れた指先で前髪を気にしながら、クニヌシは鏡の中の自分に目が釘つけになっていた。
「ああ……授業は午後からなんだ」
拓海はポケットからハンカチを取り出し、クニヌシに差し出した。
「嘘をついたのか? しょうのない奴だな」
「別にいいだろ。大した嘘じゃないんだし」
クニヌシは受け取ったハンカチをするりと廊下に落とすと、黙り込んだ拓海の肩を抱き寄せた。
「つかなくていい嘘はつくな。それだけでも、お前は生きやすくなるはずだ」
意味が分からん、と腕を払いのけようとしたが、クニヌシは肩の力を抜けと言って離れてくれない。
「とりあえず、何か食おう。朝餉はまだであろう? 」
「いいよ。学食に行ってみるか。結構、美味いらしいよ」
「らしいって、行ったことないのか? 」
仏頂面の拓海は、隣で優しく微笑むクニヌシを少し見上げて言った。
「ないよ……あんな人が多いとこで食事する気になんてなれない」
ランチ前ということもあり、構内は学生たちで賑わっている。よって、この二人の微笑ましい痴話喧嘩も含めた仲睦まじい様子は非常に目立つものだった。
「クニヌシ」
「どうした? 腹が減ったのか?」
黒縁眼鏡のブリッジを人差し指でクイッとあげると、多くの女生徒たちの視線が自分たちに集中砲火していることに気づいた。
現実社会において、これまで目立たぬように振舞ってきた我が身が、隣の能天気な神のせいで、かつてないほど注目を浴びることになろうとは。
「クニヌシ、俺から離れてくれないか。お前に他意はないが、こういうのは話のネタにされやすいんだ」
「安心するがよい。俺がお前を守ってやる」
「だからー! 真顔でそういうこと公衆の面前で言うのやめろって! 」
クニヌシはどこで覚えたのか、肩をちょっとすくめておどけてみせた。拓海はクニヌシから体を離そうとすると、何故、逃げる? と更にクニヌシが迫ってくるという悪循環。
観念した拓海は勝手にしろ、とクニヌシを静かにさせることを選んだ。
歓喜の声で湧いていた群衆の中でも、一際冷静に一部始終を観察していたグループがあった。後に、彼女たちの手によって不本意なコミックが誕生することとなる。
不愛想なメガネっ子と長身でTシャツ短パンビーサンなのに、高貴さも漂う見知らぬイケメン青年の間で巻き起こる友情? 恋愛? といったありがちだが、学内に実在するカップルとして、彼女たちが創作したコミックは「非常に価値あるものです」と謎の評判が広がり、学内に一大ブームを巻き起こすきっかけとなった。
ともかく、クニヌシは食堂でも自然と女生徒が集まってくる。本人も愛想よく振る舞うものだから、眉間にシワを寄せ不機嫌な顔で食べている拓海との対比もあり、どうしたって二人は目立ってしまう。
ーークニヌシは人を心地よくさせるオーラあるんだろうけど……この国には節操というものがあってだな。
大勢の女子たちと、そつなく話すクニヌシを横目に、初めての学食デビューが悪目立ちしてしまったことに腹を立ていた。
ーーどうしたら、あんな風に誰とでも笑って話ができるようになるんだろ。
「無理して笑う必要はないが、笑顔を向けられて嫌な気持ちになる者はいない、ということも真実だ」
「うん。ところで、いつの間にか女子たちが」
「人払いしてやった。これで落ち着いて食えるであろう? 」
ーー人払いって。ここ学校なんですけど。
朝餉でもと言っておきながら、クニヌシは紙コップのホットコーヒーのみ。
「メシ、食わないの? 」
ああ、これか、と紙コップを持ち上げ、クニヌシは拓海に向かって、にっこりと笑った。
「これ食ったら、校内ツアーしてやるから、終わったら帰れよ」
「ありがとう拓海」
二人のテーブルをチラチラと見てくる女子たちは後を絶たないが、慣れない学食での食事をさっさと済ませた拓海はクニヌシを外に連れ出した。
外は今日もいい天気だ。学内にはちらほら住み着いている妖も見かけるが、拓海は目に入らないかのように、無頓着な様子で気にもしていない。
クニヌシは時折、こちらを伺っている妖たちに笑いかけたり、悪さはするなよ、とたしなめたりしていた。
「俺、授業以外で学校の中を歩き回ることないからさ、連れて行くべきとこも分かんないよ」
拓海は頭上に、燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の熱を感じながら、眩しそうに目を細め空を見上げる。クニヌシは辺りを見回し、日陰になっている大きな桜の木を見つけると、拓海の手を引いて木陰へと歩いて行った。
「ほう、ここは良い風も吹いておる。しばらく休んでいこうぞ」
「ああ、ホント気持ちいいな」
来年の春まで開花を待つ、すっかり新緑の葉だけとなった桜の木の下には芝が広がっており、二人は校舎から少し離れたこの場所で休むことに。
頬を撫でる心地よい風のせいで、二人は芝の上に仰向けにゴロンと寝転がった。
「なあ、拓海」
「何? 俺、もう寝ちゃいそうだ………」
「そうだな」
風に揺れている木々の枝や葉がざわめく音、遠くで聞こえる学生たちの笑い声、目を閉じていると、どれもが音楽のように耳に良く馴染んで気持ちが良い。
拓海は思うところは色々あるが、なんとなく今は黙って眠りに落ちたい、そんな気分だった。
「今度、夏樹も連れきてやるといい。家の中ばかりでは、あの子もさぞ窮屈だろう」
拓海は両目を閉じて、まるで眠っているかのように黙っている。クニヌシは寝ていた体を起こすと、答えない拓海に何を思ったかキスをした。
「俺のファーストキスを……お前……やってくれたな」
「やっと起きたか。死んでるのかと思ったぞ」
「日本の神とは思えん愚行にもほどがあるだろ! 」
拓海は顔を真っ赤にして飛び起き、眼鏡のズレも気にせず、両手で唇を押さえている。
「間違っていたか? 昨晩、モノカミがこっそり教えてくれたのだ。遠い異国ではな、仲の良い間柄では交流を深めるために、ちゅっとするものらしい。と聞いたのだが」
「それを間違いだと断罪する経験が俺にないことが悔しい! 」
「夏樹にも寄り添ってやれ。手をつないでやったり、もっと愛情を持って触れてやれ、ということだ」
「でも……夏樹にキスだなんて、俺には」
「いや、そこまでは言っておらん」
「もしかして、お前。全部分かってて……」
夏樹から逃げ出してきた拓海の頭上には、それは素晴らしい青空が広がっている。そして、この空の下では、もう一組のカップルならぬ男女が、夕刻に会う段取りが決まり、双方、違う思惑でそわそわしているのであった。
読んでいただきありがとうございます。
もう一方の二人も幸せなキスでもするのでしょうか。




