第21話 人喰い天女の甘いお菓子
淳之介は双子が部屋に残していった巻物もさることながら、やはり何と言っても気になっていたのは明日香からのメール。
団欒を後にし、後ろ手で襖をパタリと閉める。
誰もいない廊下で満面の笑みがこぼれた。
ーー待っててよ、明日香ちゃん!
心の中で小躍りしながら自分の部屋の中に入ると、片隅に無造作に置かれた何やら立派な巻物が一つ。
ーーあ……あれか。何となく中身は想像できる。
淳之介が広げてみると、中はどこまでも真っ白。何かが書かれた様子はない。と、一見そう見えるが、霊力のある者であれば、そこに達筆すぎて読めない美しい文字で綴られた、双子の思いを感じ取ることができる。
「あの人たち……最低だ」
天を仰ぐように、淳之介は天井を見上げる。
「これは僕と橘くん、そしてクニヌシ様の三角関係……さすがにないわ」
方向転換はありと言っていた割に、物語に自分が組み込まれていることには耐えられず、巻物をそっと巻き直す。当然のことながら、封印するかのごとく部屋の奥にある押入れにしまった。
「それにしても、明日香ちゃん、可愛かったなあ」
気を取り直して、心休まる風景を淳之介は思い描いてみる。しかし、そこにはどうしても、明日香の優しい面立ちとは正反対の、暴力的なまでの胸元の出っ張りが浮かんでくる淳之介であった。
「それはそれとして、速攻で返事をしなきゃな」
懐からスマホを取り出すと電源を入れる。
この立ち上がる短い時間も待ちきれない淳之介。
「おいおい、早くしてくれよ。彼女が待ってるんだから。って、いい響きだな、おい、彼女って! 」
暗証番号でロックを解除。そして、明日香から受け取ったメールを胸を弾ませオープン。
「明日の夕方、時間ありませんか、って……あるに決まってんだろ! 学校の帰りに待ち合わせとか、本当、涙が出てきます」
「そんなのダメに決まってますわ、淳之介」
クニヌシの元へ戻ったはずのユリアとウララが、淳之介の両サイドからスマホの画面を覗き込んでいた。
ピンクの髪が混じった方の妹のウララが、呆気にとられた淳之介の手からスマホを取り上げると、淳之介の背後でスマホを見ながら、姉のユリアと相談を始めた。
「お姉様、御覧になって。大人しそうな顔をした、あの乳牛に淳之介はすっかり騙されちゃって」
「ウララ、そんなことを言うものではありませんよ。淳之介も、もう十八歳ですもの。盛っていても、それは男子たるもの、自然の成り行きなのです」
「まあ、お姉様ったらお優しいのですね」
どこから突っ込んでいいか困惑し切った淳之介だが、一つだけはっきりしていることがある。絶対に、この件に双子を関わらせないこと。
淳之介は背後の二人に気をつけながら椅子を立ち上がると、振り返って双子が扱いかねているスマホを取り上げた。
「お二人には関係のないことです」
「まあ、そんな可愛げのない事を言うのなら、あのお嬢さんを食べてしまいますよ」
「お姉様ったら、食いしん坊なんだから〜」
「ユリア様、クニヌシ様に言いつけますよ……」
「それは困るわ。ヌシ様に叱られたら、ご褒美を頂けなくなりますもの、ねえ、ウララ」
妹のウララは、本当に、と大きく頷き困ったふりをしている。
この双子はクニヌシにゾッコン惚れた上で従事しているわけだが、勾玉を通して首に縄をつけられている様なもの。それはモノカミや他の使徒も同様だ。
その昔、双子は気に入った少年や若い男を文字どうり、食い漁っていた鬼の類である。
人の姿で旅していたクニヌシを峠の茶屋で見かけ、二人はこれは是非とも手篭めにしてやると算段したものの、クニヌシの本来の姿に圧倒され、心を奪われた双子は、目をハートにしたまま、自らクニヌシの軍門に下ったという過去を持つ。
以降、クニヌシから別のご褒美なるものを受け取る代わりに、もう人は喰らわないと約束していた。
「僕も困りますよ。クニヌシ様のお怒りにふれて、お二人が、僕の前から姿を消す様な事があったら……悲しいです」
双子は互いに顔を見やり、手を取り合って涙をホロリと流した。
「本当に可愛い子。私たちは、あなたを悲しませる様な事は絶対にしないと約束するわ。ね、ウララ? 」
「ええ。お姉様も私もあなたのことを心から愛しているのだから。ヌシ様の次にだけども」
この騒々しく厚かましい美しい双子の姉妹には敵わないとばかりに、淳之介は少しはにかんで見せた。
淳之介が幼少から常に相談相手になってくれたナギも、遠い遥か昔に遡れば、ナギと淳之介は遠い親戚のようなもの。
それに力が強大であるが故の孤独も恐怖も、淳之介が克服できたのはナギの存在のおかげと言ってもいい。ナギを姉様と慕う、この双子も淳之介にとっては大切な家族に違いない。
「でもね、淳之介。知っていると思うけど」
「分かっていますとも。本来の食事が出来ないのでは、完全に空腹を満たすことは難しいでしょうね」
「間違ってますわよ、淳之介。ね、ウララ」
「違うのですか? 」
「違いますとも。お姉様も私も、お腹を満たすためだけに人を喰らっていたのではありません」
「全ては愛、だったのよ、淳之介」
ーーおしゃっている意味が、全然、分からないのですが。
二人の話によると、彼女たちが人を喰らうには二つの理由があるという。
一つ目は腹を満たすため。今は、淳之介やクニヌシからの霊力で生きるには十分らしい。もちろん、人を食った方がまた違った力が宿るのだが。
二つ目は、えも言われぬ快楽のため、というのだ。
「私たちにとって、人は、そうね……んー、とても甘いお菓子みたいなの」
「そうなんですか? 僕は同じ人間を食べたいとは思わないし、甘くは、ないと思うけどな……」
ユリアは淳之介の頬を包むように優しく両手で触れると、甘えるような声で言った。
「同族同士はまずいに決まってるわ。とにかく、私もウララも、頭の中がトロけそうなほど甘いお菓子を食べるとね、言葉では言い表せられない快感が走るの。もちろん、苦しそうに私たちを求める男たちの顔も、最高に感じるのだけど」
この後者の理由の方が、双子たちにとっての食事の意味合いは大きい。故に、人であれば誰でも良いというわけではなかった、と数々の食ってきた、いや別れた男たちとの甘酸っぱい恋愛遍歴を淳之介に話して聞かせた。
「その快感を得ることができずとも、お二人は今のままで満足しておいでなのですか? 」
「もちろん。ウララも私もクニヌシ様から、他では得難いほどのご褒美を頂いてますから」
淳之介はその【ご褒美】とはいかなるものか、と邪で淫らな三人を想像し喉をゴクリと鳴らした。
ーーこの双子を満足させるご褒美って……クニヌシ様はやはり神だな。
「あら、淳之介、いけませんよ。まさか、あの小さな書物に書こうと思っているのでは? 」
その手があったかと、淳之介は心の中で手のひらをポンと打った。
ーー今なら……書ける!
その頃、自宅の部屋でスマホが光る瞬間を待つ女が一人。パステルカラーのベッドカバーが掛かったシングルベッドに背中を預け、なかなか来ない淳之介の返事を待っていた。
「忙しいのかしら」
明日香への返事をすっかり忘れ、無我夢中で執筆を加速させる淳之介と、それを煽る美しすぎる鬼たちの夜は更けていった。
読んでいただきありがとうございます。
次からは、また拓海たちのシーンへ戻ります。