第20話 淳之介と団欒
慌ただしい一日だった。淳之介にとっては。
夕拝を終え、淳之介は普段の生活に戻っていた。一家団欒の時である。しかしながら、一刻も早くこの場から立ち去り、部屋に戻りたいとそわそわと落ち着きがない。
「淳之介、どうしたの? 夏バテ?」
「いいや。今日はちょっと疲れただけだから、気にしないで、母さん」
「そお? 今日は双子様がいらしゃってたようだから仕方ないけど、明日は学校に行ける?」
「夕拝前にお二人はいなくなったからね。明日は行くよ。ご馳走様」
時間はさかのぼり、拓海たちが騒がしく神社を出て行き、明日香も双子の姉妹もそれぞれの場所へ赴いた時のこと。
淳之介の心は明日香の後ろ姿に囚われたまま、夕拝の中、大きく溜息をついてしまった。
日々の汚れや罪を洗わんと、淳之介の父が大祓詞を奏上している最中のことだ。愚息をギロリと睨む父親の顔が、背中から透けて見えるようだった。
淳之介は姿勢を正し集中しようとしたところへ、最高のタイミングで懐に入れていたスマホが、神殿にけたたましく鳴り響いた。
淳之介は真面目な顔をして、人の技とは思えないスピードで、鳴り響くスマホの電源をピタリと止めてみせた。電源は最初に切っておくか、お部屋に置いておきましょう。
彼は電源を切る直前、一瞬だが見ていた。
メールの主の名前を。神職にいるものとしてあるまじき愚行ではあったが、父親からの怒号も全く響いておらず、人はこれほどに歓喜できるものなのか、というほど、真面目な顔をしたまま浮かれ上がっていた。
ーー明日香ちゃん……あれからすぐにメールをくれたという、この事実は何を意味している? 期待せざるおえない!
淳之介は叱られながらも、脳内は暴力的な明日香の胸元の出っ張りと優しい笑顔、そして、まだ見ぬメールの中身が交互に駆け巡り、上の空のまま、家族が待つ夕餉へ歩いていた。
子供の頃、おかしなものが見えるせいで口数の少なかった拓海と違い、淳之介は見えることをネガティブに思わず、ナギや双子、そして理解ある家族のおかげで、他の子達と遜色なく楽しい子供時代を過ごすことができた。
淳之介の家族はいたって普通だが、代々受け継がれる神社に纏わる伝説を信じ、ごく稀に誕生する淳之介のような霊力の強い子を喜ぶことができる、ある意味、懐の深い一家である。
そんな家で育った淳之介は、急に泣いたり暴れたりする拓海が学内で変人扱いされ、常に孤立していることを知っていた。可哀相に見ていた。
が、いつも側で彼を庇っている明日香と、拓海を子分のように連れまわしていた夏樹と一緒にいる拓海を羨ましいとも思っていた。
中でも、夏樹のように活発でも強いわけでもないのに、拓海をいじめっ子から必死に守ろうとしていた明日香のことを、いつも目で追っていたことを思い出す。
ある日、夏樹の一家が惨殺事件に会い、拓海の友達は明日香一人になったのだが、その頃から、拓海は唯一の仲間であるはずの明日香も遠ざけ、周囲も拓海に関わることを恐れ、徐々に彼の存在は消えた。
拓海が気味悪がられた理由は、この神社にもあった。
学校の帰りに必ず神社の祠に立ち寄り、周りの目を気にすることなく祠に向かって話しかけていた。下校時間であれば、誰からしらが彼のその様子を見て、狂人を見るように噂していたからだ。
淳之介はナギからも話を聞いていたので、声をかけてみようかと思ったこともあったが、平穏な自分の世界を壊したくなかった淳之介は、結局一度も話しかけることはなかった。
達観したような表情は変わっていなかったが、今日のクニヌシたちと一緒にいる拓海は別人のように、生き生きしていると淳之介は感じていた。
まさか、明日香があの頃から変わらず、拓海と付き合いがあり、未だに心を寄せていたというのは驚いたが。
こうして、その明日香から直々にメールが来たというのは何かのよき知らせに違いない、明日香の拓海に対するそれは、きっと明日香の優しさからだったのかもしれない、など、淳之介は思い巡らすことが止められず、心ここにあらずの状態で、家族団欒の時を過ごしていた。
ちなみに、クニヌシたちが登場する前に、久しぶりに会った淳之介と明日香は旧友を深めよう、とメール交換をしている。
淳之介はチャンスをものにする男なのだ。
「お兄様、双子様はもう戻ってこられないの?」
家族の会話が途切れた頃合いを見計らい、そそくさと食卓を抜けようとした淳之介に声をかけたのは、妹の文乃だ。淳之介の双子の妹と言っていいほど、二人はよく似た顔立ちの兄妹。
「また来るんじゃないか。何度も言うが、巫女姿で現れても、お前はあの二人には近寄るなよ」
「分かっています。でも、巫女でいらっしゃる時くらい、何かお話してみたいじゃない」
「絶対にダメ。人の姿をしていても、あの方たちは人じゃない。畏怖の念を忘れないように」
文乃もまたこの神社に生まれた一人だが、いつも兄からの話を興味深げに聞いているだけで、力の有無に関しては全く興味がない。
能力はともかく、文乃は休みの日や祭事には巫女として家族を手伝う孝行ものでもある。
凛とした強さと、時折見せる苦悩するような儚げな笑顔のギャップが織りなす、この美しい十五歳は、裕福とは言い難いこの神社に、看板娘として多大なる貢献をしている。
祭事に見せる文乃の舞姿は、この世の者ではないと評判も高い。巫女装束が浮世離れしている文乃の姿を見に来た不埒な者たちの心まで揺さぶり、見た者の多くは訳もなく涙が溢れてくるという。
淳之介の妹にも、血筋のせいか何かしらの力が宿っているのかもしれない。
父の次にこの神社を任されるのは淳之介であり、白鳥家でも久々の霊力ある宮司が誕生することになるが、文乃はきっと、兄を支える良い巫女になるだろう、と家族も期待している。
ーー早くメールチェックしたい! 早くお返事したい!!!
双子の話題を出してきた文乃が、まだ話したそうだったが、やんわりと予習があるから、と席を立つことに淳之介は成功した。
読んでいただきありがとうございます。
淳之介が部屋に戻っていきましたが、またひと騒動ありそうです。




