表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
常世の国のシトラス  作者: くにたりん
第二章
2/95

第2話 雨の日はベッドで

「――荒れてんなぁ」


 ガラス窓に打ちつける強い雨脚の音で、拓海は目が覚めてしまった。そろそろ明け方のはずだが、外の土砂降りのせいで部屋の中は薄暗い。


「うん……もうちょい寝るかな」


 うとうとしながら寝返りしようとした時、一人暮らしの拓海の部屋にあって、聞こえるはずのない男の声が耳に刺さった。


「そうだ、そうだ……そうしろ」


 寝ぼけてかすれてはいるが、どこかで聞き覚えのある、その声に拓海は飛び起きた。すっかり意識は覚醒し、目だって皿のように見開くというもの。


 恐る恐る声の方へ目をやれば、隣に見知らぬ男が寝ている。警戒心の欠片もなく、拓海に広い背中を向けて心地好さそうに。


 本人が望んだこととは言え、悲しいことだが、この部屋には母親しか来たことがない。何かと拓海を気遣ってくれる、優しい幼馴染でさえも、拓海は部屋に上げたことはない。


 自分が引いている境界線を勝手に、しかも土足で踏み込んできたことに対し、恐ろしさよりも憤りの方が勝り、拓海の鼻息は荒くなった。


――マジで有り得ないんですけど。


 少し冷静さを取り戻してみると、じっとりと冷や汗がにじんできた。


 この状況は、昨夜、飲み過ぎたOLが同僚と勢いで一夜を共に過ごしてしまい「あーん、やっちゃった」と翌朝、反省するシーンと酷似している。


 この身に覚えのない光景に、拓海は思わず体を固くした。男の背中を凝視したまま、ゴクリと唾を飲み込む。


 拓海の独り言に反応するように、男はゆっくり寝返りを打ちながら、遂にその顔を現した。


 片眉を上げいぶかしげな男の眠そうな目と、未知の恐怖におののいた拓海の両目がぶつかった瞬間。


「あ! お前! でも……髪が違う……けど! あ!」


 頭の中は、特定と疑問が交差し混沌が占拠している。拓海は隣にいる不機嫌そうな顔を指差したまま、完全に冷静さを失っていた。


「ちっ」


 不審者は眠りを邪魔されたことが忌々しいとばかりに、この家の主人である拓海に向かって、小さくだが舌打ちした。


「あ! 今のむかつく!」


 こうなれば、安心の源である眼鏡を、拓海はあたふたと探し始めた。


「確か、ここに」


 ベッドサイドのテーブルに置いてあった雑誌【特集:初めての猫の飼い方】に、急いで手を伸ばしてみる。


「あれ、ない? ないぞ?」


 寝る前に、表紙の上に置いたはずの眼鏡がない。


 眼鏡がなければ、拓海の目に映る世界は、モネの水彩画のように美しいが、正確に物事を見極めるのは至難である。


「おいおい……今は寝かして欲しいのだが?」


 勝手に上がり込んでおいて、この不服そうな男の物言い。余計に拓海はイラついてしまい、雑誌の上ではなく、横にある眼鏡でさえ見つけることが出来ない。


 男は落ち着きのない拓海を見るに見かねて、「仕方ないのう」とぼやきながら体を起こした。


 拓海は眼鏡を探す手を止め、緊張をふくんだ目でジロリと睨んだ。


「あ……お前は、やっぱり……」


 隣には、背中を丸め気の抜けた欠伸をしている、だらしない神の姿があった。


「クニヌシ……だよな?」


「ほう、すぐに分かったか。大した奴だ」 


 クニヌシは目をこすりながら、適当にそう言い放つとベッドに座ったまま、また目を閉じようとしている。


 祖母の葬式で訪れた瀬戸内海の浜辺で出会った、「ステータス高すぎでしょうが」の霊体である。


「なに? 俺に取り付いちゃったわけ? え、いつから? しかも全裸ってなんだよ! 海外ドラマかよ! 服を着ろ!」


 無駄に多弁になってしまった理由の一つは、これではまるで事後じゃないか、と妙な不安が拓海を襲ってきたから。


 悪霊でもたたり神でもないことは一安心だが、古代から日本神話に出てくる神々と言えば、元祖LGBTと言っても過言ではない。好きになる対象は、男女とは決まっていないのが習わしである。


「頼む……質問は一つにしてくれ……」


「っていうか、その髪は一体どうした!」


「これか? まあなんだ、実体化すると霊力が減るのでな、短くなってしまうのだ」


 クニヌシは短くなった髪を一つまみすると、脱力した笑顔を見せる。


 質問した当の本人は、学校では教えてくれない知識を入手して満足したのか、感心するように何度か頷いてみせた。


 枕元で騒いでいた拓海が大人しくなったところで、クニヌシはまだ少し眠そうな目で微笑みかける。


「お前は長い方が好きか?」

 

「そうだな……長い方が、神、って感じはするかなぁ、うん」


 素直と言えば聞こえがいいが、拓海は人の言葉に流されやすいらしい。最初の勢いは影を潜め、すっかりクニヌシのペースにはまっている。


 穏やかな笑みを浮かべるクニヌシを見ている間に、拓海は再び思い出す。感心している場合ではなく、状況説明を求めていたことに。


「いや、そこじゃないだろ! どっから突っ込んでいいのか分かんないよ!」


 訪れた平穏は短く、クニヌシは苦笑した後、小さく溜息をついた。そして、怯えてたける小動物をなだめるように、努めて穏やかな声で拓海に言う。


「こらこら、声が大きいぞ……今はささやく位で丁度よいのだ。もう少し心穏やかに、そして落ち着きなさい」


 案に子供っぽいと指摘されたようで、拓海は頬をふくらませる。母親の香からも、その短気な性分を注意されていたことが、頭をよぎるものだから、余計に赤面してしまう。


 そんな時はこれだ。

 祖母に教えてもらった深呼吸。


 鼻から大きく息を吸い込み、口から吐き出す動作を二度繰り返した。この数秒の無の状態は、意外と効果を発揮するのだ。


 クニヌシは額にかかる前髪をゆっくりとかきあげながら「どうだ? 落ち着いたか?」と、けだるそうに聞いた。


「ああ……」


 悔しそうに、短く返事する拓海。

 腹の中で大きな舌打ちをしながら。


 一方で、意図せず拓海の意識をかっさらっていったのは、クニヌシの華奢ながら、しなやかな筋肉、いわゆる細マッチョな上半身だった。


 嫉妬と羨望が入り混じる自分に辟易へきえきしつつ、均整の取れた肉体から目を反らす。理不尽に波打つ脈を感じないように、平常を装いクニヌシに尋ねた。


「で……服はどうしたんだ? 海から登場した時には着てたろ。ほら……なんか白い服」


「ああ、あれな」


――あれな、じゃねーよ!

 

「実体化すると神の装束は消えるのだ。この世のものではないからな。面倒なことよ」


――不便すぎる。


「そういうことで、細かい話はまた後にしてくれ」


 そう言うと、クニヌシはもぞもぞと寝床に戻ってしまい、拓海に背を向けて寝入ってしまった。


「あっ! て、お前……もう、なんなんだよ一体」


 と悪態をついている間に、クニヌシの健やかな寝息が聞こえてきた。冷ややかな目で、拓海は無防備な寝顔を見下ろし、忌々しそうに呟く。


「ぜってぇ、今日中にうちから叩き出してやる……っていうか狭いんだよ、まったく」


 捨て台詞を吐いた後、拓海も鼻息荒く布団に入り直した。真正面から認める訳にはいかないが、隣の神から伝わる体温が心地よい。


 温かなベッドの中で目を閉じていると、いつの間にか胸のもやもやも溶けていくように感じた。


 規則正しく降り響く雨音も耳に優しくて、音に導かれるように、拓海は深い眠りに落ちていった。神と背中合わせに。

読んでいただきありがとうございます。

ここから、クニヌシとの生活が始まります。(BLではありません^^)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ